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【清話会 催物カレンダー】2021.12月~2022.1月

【清話会 催物カレンダー】 2021.12月~2022.1月 ◆2021年 ■ 12/6(月)(東京) リモート研修会「助成金フル活用セミナー」(山本一大氏) ■ 12/7(火)(東京) ライブ講演セミナー「西洋人初の芸者、新たな挑戦」(紗幸(フィオナ・グラハム)氏)  ■ 12/9(木)(…

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~人と人、技術と技術、ノウハウとノウハウを集めて相乗効果 [ 特集カテゴリー ] ,

【清話会会員企業インタビュー】タキオニッシュホールディングス(増田辰弘)

中堅企業のあるべきM&A戦略を提示したタキオニッシュホールディングス

増田辰弘『先見経済』特別編集委員

1947年島根県出身。法政大学法学部卒業後、神奈川県庁で中小企業のアジア進出の支援業務を行う。産能大学経営学部教授、法政大学大学院客員教授、法政大学経営革新フォーラム事務局長、東海学園大学大学院非常勤講師等を経てアジアビジネス探索者として活躍。第1次アジア投資ブーム以降、現在までの30年間で取材企業数は1,600社超。都内で経営者向け「アジアビジネス探索セミナー」を開催。著書多数。

【会社紹介】

タキオニッシュホールディングス株式会社

  • 設立:2006年8月
  • 代表者:代表取締役社長 鈴木敏夫
  • 事業内容:グループ事業戦略及びビジネスインキュベーション
  • 従業員: グループ合計450名
  • 売上高: グループ合計93億4,500万円(2021年3月期)
  • 事業子会社:8社
  • 海洋産業を軸とした「垂直統合型」のM&A

 かつては日本企業はM&Aは苦手と言われてきたが、それはもはや昔の話で今ではすっかり企業の成長戦略の一つとなって来た。しかし、戦略的にM&Aをしている多くは大企業で、中堅・中小企業でまだあまり得意としている企業はそれ程多くはない。それは上場している大企業は市場を活用し売り買いがしやすいという事情もあるが、それだけではない。このほかにもうまく進めない中堅・中小企業特有の問題も存在する。

 これらの課題をなんなくクリアしたのが今回取り上げるタキオニッシュホールディングス㈱(本社・静岡県静岡市、鈴木敏夫社長)である。その基本は海洋産業を軸とした「垂直統合型」のM&Aであるが、まさに計画的、戦略的な経営手法はほかの中堅・中小企業、ほかの業種にも充分活用できるものである。

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【講演録】「中小企業にDXはほんとうに役立つか」(日沖健)

~業種や規模、冷静に見つめて、見据える未来 [ 特集カテゴリー ] ,

【講演録】「中小企業にDXはほんとうに役立つか」(日沖健)

日沖 健(ひおき たけし) 

日沖コンサルティング事務所代表

1965年愛知県生まれ。慶應義塾大学商学部卒業後、日本石油(現・ENEOS)に入社。98年 Arthur D. Little School of Management修了、MBA。2002年 日沖コンサルティング事務所を開業。産業能率大学総合研究所兼任講師、中小企業診断士、中小企業基盤整備機構アドバイザー。

 

  • 幕末の漢学者の例から

荘田平五郎という人の話をまず致します。大分県出身の方か三菱グループの方でなければご存じないと思います。慶応義塾で教えていましたが、岩崎弥太郎に引っ張られて三菱に入り、三菱グループの基礎を築き、「三菱の大番頭」と言われました。

江戸時代の話ですが、江戸に蘭学の修行に行きます。そこで鉛筆、ペンシルというものを手にします。そして、郷里である大分の臼杵に帰ったとき、漢学者の集まりがあり、その中で「これはペンシルというもので、なかなか便利にできておる」と見せるわけです。それを聞いた漢学者の人たちは、2通りの反応をしました。

一つのグループは、これはなかなか面白い、とペンシルを採り入れてやがて洋学に転向しました。大半の人はあまり興味を示さず、毛筆で漢学にとどまった。その後どうなったか。漢学から洋学に転向した人たちは明治時代になってからとても成功した。一方、ペンシルを拒否した人たちは、あまり成功しなかったという話です。

荘田平五郎も大成功するのですが、成功しなかった人の1人が、後に言葉を残しており、荘田平五郎が成功したのは、『要するに、誰よりも早くペンシルを取って活用したからだ』と言っているのです。

荘田平五郎、幕末のペンシルと今のDX、これは非常に似てると思います。世の中には新しいものがどんどんできます。その新しいものを見たとき、新しいものだからと拒否するのと、取りあえず興味を持って試してみる、その違いはけっこう大きいのかなと思います。

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【講演録】「中小企業はSDGsにどう取り組むべきか」(菊原政信)

~もはや大企業のみの課題ではない、その理由 [ 特集カテゴリー ] ,

【講演録】「中小企業はSDGsにどう取り組むべきか」(菊原政信)

菊原政信氏(フィルゲート(株)代表取締役、青山学院Hicon主管研究員)

青山学院大学経済学部卒業。大学在学中よりビジネスを始め、卒業と同時にアメリカ、東南アジアを中心に貿易を行う。その後、システム開発会社の代表を経て、2010年マーケティング・コンサルティングを目的にフィルゲートを設立。次世代小売流通サービスの研究会「Next Retail Lab」代表幹事を務める。

■SDGsに至るまでの歴史

SDGsは一度にできたわけではなく、歴史があります。誰一人取り残さないということで、子どもから大人、各国の方がすぐ分かるものとして、17個の目標を定めていますが、1番から17番のアイコンを見ると、何を意味しているかが小学生でも分かるように考えられています。SDGsは国連で採択されたもので、2030アジェンダは原書で約35ページ。日本語翻訳も国連連合広報センターのホームページからダウンロードすることもできます。

1945年、国連憲章にまず基本的人権や人間に関する問題について定義されたのが始まりです。その後、世界人権宣言(48年)、ストックホルム会議(72年)を経て、87年になって持続可能な開発というSDGsに関連するキーワードが出てきます。やがて92年の地球サミット、2000年の国連グローバル・コンパクトという会議。そこから国連ミレニアム開発目標があり、2015年にSDGsができる、いう流れです。

2015年のSDGs。それに先立つMDGs(ミレニアム開発目標)。これは開発途上国向けの開発目標で、貧困、初等教育、女性、乳幼児、妊産婦の方を平等に扱いましょうということがメインでした。その15年後にSDGsが採択されましたが、17のグローバル目標の下に169のターゲットという、より具体的な行動指針が設けられています。また、それに対応した232の指標が設けられているのがSDGsの構造となっています。このSDGs 2030アジェンダに関しては、国際社会全体が、人間活動に伴って引き起こされる様々な問題を解決するという点に主眼に置いた、それを世界で共通の認識として持ったという画期的な合意であった、と申し上げられます。

その根底をなすのが16番と17番「平和と公正を全ての人に」、世界中の誰もが力を合わせて、地球上の自然の恵みを大切にして、人権が尊重される。そして全ての人が豊かな、感じられるような世界をつくっていく。17番においては、全ての人や企業がそれぞれが役割を持ち、パートナーシップを築いて協力、連携し合う。

17個の目標の中に、包摂的、インクルーシブという言葉が多く出てきます。包摂的とは、誰しもが分け隔てなく、一緒に生きましょうということですから、先日、行われたオリンピック、パラリンピックでも、しきりにインクルーシブという言葉が使われていました。

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【講演録】「予告されていたペリー来航と幕末情報戦争」(岩下哲典)

~情報は、なぜ活かされなかったのか!? [ 特集カテゴリー ] ,

【講演録】「予告されていたペリー来航と幕末情報戦争」(岩下哲典)

岩下 哲典(東洋大学文学部・大学院文学研究科教授〔博物館学芸員養成課程担当教員〕)

1962年年長野県塩尻市生まれ。青山学院大学大学院文学研究科博士後期課程単位修得(2001年博士号〔歴史学〕取得)。明海大学経済学部助教授、同大学ホスピタリティ・ツーリズム学部教授を経て、2016年より現職。著書:『徳川慶喜 その人と時代』『幕末日本の情報活動 「開国」の情報史』『予告されていたペリー来航と幕末情報戦争』『江戸の海外情報ネットワーク』など多数。

 

■出島のオランダ商館長から

  ペリー来航を予告する知らせが届いた その時、幕府は?

ペリーが1853年に来航してから、54年に交渉が行われました。これは意外と迅速な条約交渉で、情報が事前に伝わっていたからということになります。

では、ペリーとは何者か。マシュー・カルブレイス・ペリー、日米和親条約締結時のアメリカ側の全権でアメリカ海軍の軍人です。生まれは、ロードアイランド州のニューポート、ボストンから車で約1時間ちょっとの、海軍軍人や捕鯨船の乗組員、海軍関係の人たちが多く住んでいる所です。

中浜万次郎(ジョン・マン)はフェアヘブンに住んでいましたが、船で行き来すればとても近い所です。ペリーが日本に来たとき万次郎については全く何もコメントをしていませんが、万次郎のことは十分知っていたと思います。

ところで、ペリーの父や兄はアメリカ海軍の軍人で、海軍一家と言っていいと思います。兄はエリー湖の戦いで軍功を上げており、兄の記念碑などもニューポートにあったと思います。ペリー自身は、地中海艦隊とかニューヨークの海軍工廠などにも勤務しており、蒸気船のフルトン号を建造し初代艦長に就任し、多くの士官を教育しており、合衆国海軍の「蒸気海軍の父」と称された人物です。また、「熊おやじ」というあだ名を部下から付けられてもいます。かなり厳格な上官だったといわれています。

米墨戦争ではメキシコ湾艦隊の司令長官として軍功を立て、アメリカの領土拡張に寄与しました。1852年3月に第13代のアメリカ合衆国大統領フィルモアから、東インド・中国・日本海域艦隊司令長官(通称:東インド艦隊司令長官)および遣日特使に任命されました。

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