【遺伝子検査で大きく変わるがん治療】 吉野孝之 清話会セミナー講演録 東京 2016年3月3日(金) [ 特集カテゴリー ]

遺伝子検査で大きく変わるがん治療 [ 機能的な医療システムの構築で最適な薬を素早く提供する ]

世界に立ち遅れていた日本の新薬開発

 

 私が専門領域とする大腸がんに有効な新薬は、2015年まで日本ではまったく承認されなかった。海外では次々と新しい薬が承認されているのに、日本では既存の2種類の薬剤しか用いることができなかったのである。新薬の承認には、小規模の患者さんでどのくらいの量を投与するのが適正かという試験を行い、次に数10人規模の試験をして有効性を確認、そして数100~1000例ほどの試験をして最終判断をするという3つのフェーズがある。

 
 しかし日本は、世界各国が承認した後でやっとフェーズ1に取りかかり、フェーズ2、3の結果が欧米や日本以外のアジアでの試験結果とほぼ一緒だから承認しようという流れになっている。そのために新薬の開発が海外と比べて5年は遅く、その間に臨床試験が各国ですべて行われてしまい、日本には承認後にやるべき試験が何もないという状況に陥っていた。
 

 そもそも新薬の開発は容易ではなく、10年ほど前までは、薬効が期待される化合物が1万あれば、1個が薬になるかどうかという世界だった。動物実験に成功して人間での治験がなされるのはそのうちの250分の1程度だったが、最近は動物実験の精度がかなり高くなり、成功確率は50分の1くらいになっている。
 

 このように新薬の開発には莫大なコストと時間を要するが、小野薬品工業が開発したがん治療薬オプジーボのような薬もある。年間の抗がん剤全体の売上6兆円に対し、この薬の売上は実に1兆円。製薬はハイリスク・ハイリターンだが、成功すればこのようなブレークスルーも起こり得るのだ。
 

 薬は特許期間内に売上を確保しなければならない。承認を得るまでの試験を高速化したい製薬会社は、欧米各国を中心に複数の国が共同で試験を行うようになったが、そこでも日本は取り残され、国内の製薬会社が国際共同のプロトコルに入れない状態になっていた。

 

 海外で使われている薬が日本で承認されて使えるようになるまでに時間がかかることは、患者さんにとって大きなデメリットだ。そこで規制局である厚生労働省は、国内のオリジナル試験を必要とせず、日本の製薬会社を国際共同試験に参加させる方向性を打ち出すようになった。欧米が中心に行うフェーズ3の試験が始まる前に国内で日本人のための試験をし、問題がなければ共同試験に参加できるようにしたのである。この取り組みは胃がんで成功した。日本人の胃がん罹患率は欧米人よりも高く、手術や内視鏡治療の技術が進んでいる。

 

 日本はこと胃がんに関しては、お家芸と言えるくらい昔から基礎研究を積み重ねており、国内で試験をするメリットが外資系企業から見ても分かりやすかったのである。そのため日本で開発される胃がんの治療薬は、厚労省が方針転換を通達した後、あっという間に世界でメジャーな存在になった。

 

大腸がんの化学療法にイノベーション

 

 一方の大腸がんについては、07年までに2つの薬のフェーズ3の試験が行われたものの、治験をするための基盤は国内になかった。胃がんにおいては先端医療開発センター長の大津敦氏のようなその分野をリードするドクターがいたが、大腸がんの分野にはそのような牽引役がいなかったのもある。そのため多くの医師が大腸がんの新薬開発は欧米に任せるつもりでいたが、大津氏だけは10年ほど前に「大腸がんの新薬開発でも日本は世界一を目指すべき」という姿勢を示した。

 

 ちょうどそのとき、私は静岡県立静岡がんセンターに所属しながらアメリカで大腸がんの化学療法を学んでいた。アメリカでは、肺がんやS状結腸がんに効く薬が使われていた。たとえ手術でがんを除き切れなくても、薬でがんを小さくしてから再び手術で切除される例があった。以前のがんは診断のついた時点で治るパターンと治らないパターンに分かれたが、今は前者のパターンでも抗がん剤が効けば手術で治る可能性が30%ほどある。新しい抗がん剤によって、アメリカにはかつてならあり得なかった治療の流れが生まれていたのである。

 

 
 後にハーバード大学の学長になるロバート・J・メイヤー氏らの教えを受けた私は、07年に大津氏に呼び出されて、国立がん研究センター東病院に勤めさせられ、「おまえが10年で日本を変えろ!」との指令を受けた。その後しばらくの間は、国際共同試験プロジェクトとどう交渉しても、日本の試験の質は低いからという理由で参加を断られることが続いた。

 

 そんなときに一緒にやろうと声をかけてくれたのが、全国の現場で中堅になっていたかつての仲間たちである。仲間とともに頑張ったことで、08~09年ごろには小さな国際共同試験で、日本が世界で2番目の登録になるという状況をつくることができた。メディアは既にこの時点で私の取り組みの意味に気づいており、「将来日本を変える人材」として、医学系13人のうちの1人に名前を挙げてくれる週刊誌もあった。

 

 
 やがて製薬会社などの資金協力を受けて大腸がんの新薬を開発し、世界初の発表をバルセロナで行うまでにこぎ着けた。バイオマーカーの開発も世界との温度差なくできるようになり、それを担う若手も育ち出した。開発した新薬によって、患者さんの平均的な生存期間は以前の5・5倍ほどになり、欧米と比べてひけを取らないようになった。私が取り組み始めてからのこの10年の間に、日本の大腸がんの化学療法は世界と比肩するまでになったのである。

 

 
 その過程で、私は多くの既得権を持つ先生たちと喧嘩をしてきた。日本の新薬開発をグローバル化したければ海外と戦える土壌をつくらなければならず、そのためには医師としてトップ10に数えられるようになるくらいの気概を持たなければならない。11番手では論文に名前も載らないし、発表のチャンスもない。そもそも研究に関わったことすら認識してもらえない。それが嫌ならやるしかないという意識改革が必要で、私は罵声を浴びせられながら、学会でもそのことを主張し続けてきた。
グローバリズムの下ではコスト低減とスピードアップを図らなければ、高名な教授でも相手にされない。アウェーの場所でどれだけプレゼンスを見せられるかが重要なのである。

 

臓器横断的な免疫療法の確立を

 

 つい最近まで日本の新薬開発はアジアのなかでも遅れていたが、今は日米欧で同時承認されるようになり、大腸がんの新薬開発についてはアジアの他の国々より2~3年進んでいる。これからは国内の製薬会社がさらに強くなり、日本がイニシアチブを取って世界を巻き込むレベルにならなければならない。

 

 私はここ7年間で7500人もの患者さんのご協力を頂いて多くの臨床試験を手がけた。その成果は今後どんどん新薬に反映されるだろう。それにより日本の新薬開発が世界的地位をますます高めることを願っている。

 

 
 今後、大腸がんの治療においては免疫療法が大きな位置を占めるようになるはずだ。リンパ球にはがんを攻撃する機能があるが、がん細胞は攻撃を防ぐためにブロックをする。最近、ブロックをするのがPD-1という分子だということが明らかになり、その分子の働きを抑えれば、元気を失ったリンパ球が再活性してがん細胞を攻撃するようになることが分かった。そういう新しいメカニズムのペンブロリズマブという薬は、MMR(ミスマッチリペア)という分子が陽性の人によく効く。注目すべきは、この薬が大腸がんだけではなく胃がんや小腸がんや肝内胆管がん、乳がんや前立腺がんなど、臓器横断的に効くことだ。

 

 これまでの新薬はがん種ごとに承認されていた。しかしFDA(アメリカ食品医薬品局)は、MMR分子に異常のあるがんについて、ペンブロリズマブを臓器横断的に承認するか否かのジャッジを間もなく行おうとしている。もし承認されれば、世界で初めてのタイプの画期的な承認スタイルとなる。

 

 
 既に肺がんではいくつかの承認がなされているALKという変異がある。これは他のがん種にもあり、この分子が出ているがんに横断的に効く薬があることが証明されている。BRAFという遺伝子の異常は悪性黒色腫(ほくろ)のがんによく見られるが、これは他のさまざまながんでも認められ、大腸がんの5%くらいがこれに当たると言われる。

 

 大腸がんを発症した患者さんは3年くらい生きるのが一般的だが、この遺伝子に異常がある場合は抗がん剤が効かず、1年くらいしかもたない。BRAFの阻害剤は悪性黒色腫においてのみ承認されているが、これは大腸がんにも肺がんにも劇的に効くというデータがある。

 

 
 このようなことから、がんはいろいろな分子の小集団に分割され、今後はその小集団に対して治療を行うことが当たり前になるだろう。

 

 例えば肺がんは、昔は顕微鏡で病態が診断されていたが、今は遺伝子検査によって治療法が分けられる。eGFR(がん細胞増殖のスイッチのような役割を果たすタンパク質で、がん細胞の表面にたくさん存在する)に関してはそれに相応する薬が既に承認されているか、開発中である。臓器をまたいで同じ分子がそのがんの重要なポジションを握っているわけで、今後は分子を全部測らなければ治療方針が決定できないという時代になるはずだ。

 

 
 eGFRを測ってマイナスなら、次にALKという分子も測られる。不思議な傾向があって、eGFRが陽性の人はALKが陽性になることはない。特定のものしか陽性にならないので、1つずつ検査しなければならないが、これでは大変な時間がかかり、検査費用も高くつく。遺伝子異常を1つずつ調べても埒(ルビ=らち)が明かないということで、15年2月に新たな取り組みを開始した。

 

 私は消化器がんのグループ、同じ国立がんセンター東病院の肺がんのリーダーが肺がんグループを率いてタッグを組んだのが、産学連携全国がんゲノムスクリーニング事業SCRUM-Japanの始まりである。これは世界最先端のがんのパネルを使い、その結果を用いて現在33の試験が同時に動き、15の製薬会社がアサイン、全国200以上の病院が参加する一大プロジェクトに発展した。

 

コンソーシアム発展で拍車のかかる新薬開発

 
 SCRUM-Japanを一言で表せば、新薬開発を目指した世界最大規模のゲノムスクリーニングのコンソーシアムということになる。

 

 私たちは今、ゲノムと臨床データを1つのビッグデータにしているが、そのデータがリアルタイムに見えるシステムをつくろうとしている。また、さまざまなタイプのがんの遺伝子異常を一発で見つけられる診断法が保険承認されなければ治療に結びつかないので、規制面への十分な対応もしなければならない。遺伝子情報だけを集めても駄目で、重要なのは薬の有効性を証明する高精度なデータを付し、今後の新薬開発を促進することだ。

 

 このプロジェクトを運営する上で特に大変なのは資金調達だ。NGS(次世代シーケンサー)の測定には最低50万円かかるが、我々は患者さんのために無料で実施している。その測定費を捻出するため15社の製薬会社に頭を下げ、巨額の検査費用を集めた。他に基盤整備のための費用も数億円ほどかかり、こちらも苦労を重ねて公的資金を得ている。

 

 肺がんのグループには全国に200施設ほど、消化器がんのグループには20施設ほどが参加しており、消化器がんグループの20施設については日本の各地方のエース級の医師がいるところを選んだ。消化器がんで2700人ほどの患者さんが登録し、17年1月に第1期の活動を終了した。登録が予想より早く、予算の事情でストップしたのである。検査結果は文字の羅列で、専門家が集まって1例ずつディスカッションし、その患者さんに対する薬はどれがいいかを日々検討しているが、返ってきた結果を患者さんにつなぐまでの処理にも相当なエネルギーを要する。

 

 こうしたデータは1つのポータルサイトに格納してあり、がんだけでなく認知症や高血圧や神経疾患などにおいても、国は本気でナショナルデータベースを構築しようとしているが、我々のデータベースがそのモデルとなる。国との協議も頻繁に行い、新薬の承認の流れや、研究機関と国のデータベースの共有について確認している。今後はSCRUM-Asiaというかたちで、アジアの国々も巻き込む勢いだ。

 

 消化器グループが20施設しかないのは、地方がハブとスポークを構成してコミュニティをつくり、そのセンターに国立がんセンターを置くという構造にしているためだ。表向きは20施設だが、各施設が10の関連病院を持つなら200の施設があることになる。こうしたスタイルを取ったのは、若手を育成するためでもある。全国の若い医師が国立がんセンター東病院に勉強しに来ているが、本を読むだけでは学び切れないことを、OJTを通じて習得させている。

 

 まったく別の例だが、寿司学校に3カ月通っただけの人たちが大阪で開いた寿司店が、2年連続でミシュランの星を得たという面白い話がある。一般に寿司職人になるための修行では、最初の8年間は握らせてもらえないというが、適切なOJTさえ行われれば、時間をかけなくても一流のものをつくれるようになると証明されたのだ。それと同様に、国立がんセンター東病院でも若手の医師に短期間で効率的に学んでもらいたい。そしてその若手が自立し、自分のいる基幹病院の周辺の病院をまとめるようになってもらえれば理想的である。

 

 私のもう1つ重要な仕事に、大腸がんのガイドラインの作成がある。昨年11月に制定された治療ガイドライン、遺伝性大腸がんの診療ガイドライン、遺伝子検査のガイドラインをすべて統括したのは私である。他にパン・アジアのガイドラインも作成中で、アジアのコモンセンスを日本から発信し、大腸がんを起点に他のがん種にも拡大していければと思っている。

 

 こうした取り組みの最終的な目的は、言うまでもなく我が国の患者さんに最適な薬を届ける効率的・機能的な医療システムを構築することにある。多くの遺伝子を効率的に検査し、患者さんがスピーディーに薬にアクセスできるようになるには、各地方の医師が自立して治療できる能力を身につけることも欠かせない。
そのために必要なのは、産官学が一体となって国民のために汗をかくことだ。未来のために蓄積したビッグデータは基礎研究者に提示するつもりだし、学会との連携を図ることも重要な課題だと思っている。

 

 今年4月に第2期SCRUM-Japanがスタートする。16社が協力し、6000例の検査をするだけの資金を集めた。私には医師として現場に立ちたいという思いがあるが、役所に行ったり海外に出たりで、最近はそれもままならない。たとえ目の前の患者さんには会えなくても、全国の多くの患者さんを何とかいい方向に導きたいというパッションを保ち、日本のがん治療の基盤づくりに邁進するつもりである。

 

(構成 ライター 今野靖人)

 

【講演者プロフィール】


国立研究開発法人 国立がん研究センター東病院 消化管内科長

吉野孝之〈よしの・たかゆき〉

1995年防衛医科大学校卒業。静岡県立静岡がんセンター消化器内科副医長などを経て、国立がんセンター東病院消化管内科長。2015年2月より産学連携全国がんゲノムスクリーニング事業SCRUM-Japan GI-SCREEN主任研究者兼任。