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「カタツムリより遅い~日本の効率」(中国から日本を眺める)(高田 拓)

新連載 第3回 「高田拓の中国内部レポート」
「カタツムリより遅い~日本の効率」(中国から日本を眺める)

高田 拓 (山東外国語職業学院終身名誉教授)

このほど、中国のブログに、東京駅前工事のあまりのスローペースぶりに衝撃を受けた中国人ブログが掲載された。

「日本人の仕事の効率は高いのか?……」
(参考)日本人工作效率高? 感觉那好像只是一个传说 2017-08-22 赵王之旅百家号
 http://bit.ly/2w1tX6U
【概要】:毎日35万人が利用する東京駅前で、どうして工事をこんなに長々とできるのか、一分一秒を争って完成させるべきではないのか。さらに、池袋で「かれこれ10年は続いている」という道路工事現場の写真も示し、「両側の住民を移転させて道路を拡張し、10年かけてここまでようやくここまで来た。そして、今がこれだ」しかし、いまだに道路が開通していない……

日本人は中国の驚異的スピード感に、しばしば驚かされる。特に、建物や道路、鉄道の建設ペースなどだ。逆に中国人は、日本における建設や工事のスローペースぶり驚いている。国の仕組みが違うと言えば違うのだが、長期に及ぶ経済損失、国際競争力の観点から見ても日本のあまりの遅さは異常である。

■はびこるわがままな利己主義

1、カタツムリより遅い日本
東京首都環状八号線は1956年着工以来50年、2006年になってやっと完成した。名古屋環状二号線は1982年に計画が策定され今日に至ってもいまだ完成していない。計画66.2㎞で現在供用されているのは58.6㎞である。一年に何キロ進むか、カタツムリのスピードにも劣るのではないかと思われる。

中国では北京環状4号線、5号線、6号線はそれぞれ2年ほどで完成供用されている。また新幹線網もすごいスピードで次々に供用されている。

成田国際空港は1978年に開港したが、現在に至っても滑走路が二本でしかも一本は寸足らず、国際という字が恥ずかしいような規模の空港であり、とても国際的なハブ空港とは言えない代物である。

韓国の仁川国際空港は1992年着工、2001年開港、2010年には国際空港評議会の国際空港評価で5年連続1位を達成し、今や3本の滑走路を供用し年間入出国者は4000万人、アジアのハブ空港としての地位を不動のものにしている。日本がもたもたしている間にこうした事態になってしまったのだ。

日本はあまりにも遅すぎる。国の仕組みが違うといえばそれまでだが、あまりにもわがまま、利己主義の私権が強すぎるのである。

もちろん適切な費用補償の下、強制収用すればいいのだが、裁判になり、政治闘争に利用され長い歳月がかかるのである。こうした日本のスピード感のない事業推進は年月が掛かるばかりではなく、それを利用していく国民にとって長期間の不便さ、コストの大幅な上昇に対する負担となって跳ね返り、国際社会から見たら日本はなんて非効率な国という印象を与える。日本に遅れて事業をやっても容易に日本に追いつき競争に打ち勝つ事ができてしまうのだ。

2、私権制限に対し新たな仕組みを

日本はわがまま、利己主義の私権、ごね得を制限すべきである。公共の利益が優先されなければいつまでもスピードで全く世界に勝てない。国際ハブ空港の整備、高速道路、高速鉄道網、ダム建設・地熱発電所などのインフラ整備、国防に必要な基地建設等強制収用の道を法的にもきちんと見直し整備していく必要がある。法律はあっても実際に機能してないことが問題であり、こうした面から全面的に見直す必要がある。

いっそのこと、国の政策で必要とされる土地、一つの村を国がすべて買い上げ、補償と住民移転を行い。国の直轄地として、地方行政府に左右されることなく、国策を遂行するような仕組みはいかがでしょうか。

3、収用委員会は政治的な影響から離れ徹底した合理主義に基づく仕組みが必要

今でも土地などの私権に対し法的に強制収用ができるが、収容の実情は収用委員会(委員は都道府県議会の同意を経て任命された収用委員)での審理や裁決など、一連の手続きが必要である。 
ここに政治・政党間での政争の道具にされていくのである。ある市長が「一人でも反対者がいる限り工事は行わない」としてこの期間すべてがストップしてしまった。

収用委員会はこうした政治的な影響から切り離し徹底した合理主義に基づく判断で決定されていく仕組みを作らなくてはいけない。もちろん適切な補償は必要であるが、今の機能していない政治的判断から合理主義判断に基づいて決定できる仕組みが必要だ。政治闘争にあけくれる無能な政治家に任せていてはいつまでたってもカタツムリのスピードからは抜け出せない。

■今の中国の躍進の礎を築いたのは
 鄧小平の改革開放政策、朱鎔基の合理主義、新たな仕組みづくりだ

●改革・革新なくして国家の発展はない

中国のGDPは2003年から2007年まで五年連続二けた成長を続け、2008年9.8%。2009年8.7%、2010年10.3%と、あっという間に日本を抜き去り、今や世界第二の経済大国となった。

中国国内では多くの問題:貧富の差の拡大、三農問題(農村の荒廃・農民の低所得と高負担・農業の低収益性)、腐敗・汚職の蔓延、医療費の高騰、粉ミルク等の食品安全問題、環境汚染、農民工の子女教育問題、男女の出生比率のゆがみ、人口の老齢化、民族問題等々……

こうした数多くの課題を抱える国が何故こんなにも急速に発展できたのか? その発展の原因は社会・経済の明治維新に匹敵するような二度の改革・革新があったからである。

中国は1949年建国以来。1958年の大躍進・人民公社といった誤った政策、三年困難な時期、大飢饉による3千万人とも言われる大量餓死、さらには1966年から始まり10年間に及んだ熾烈な権力闘争「文化大革命」で国民と経済は疲弊していた。

これを救った人物が鄧小平の改革開放政策である。さらに2001年WTO加盟を前に強烈な改革を実行し今日の発展の礎を築いたのが、1998年、第九期全国人民代表者会議で首相に選任された朱鎔基である。

朱鎔基の政策基本は徹底した合理主義に基づく、大きな痛みを伴う改革、新たな仕組みづくりであった。1993年当時副首相であった朱鎔基は高過ぎる成長と高騰する物価上昇をマクロコントロールにより見事にソフトランディングさせたのである。

しかし、1998年首相就任以来、彼の全く慣例や形式にとらわれない改革は、従来の保守派から批判され、1999年には辞表まで提出しなければならなかった。党中央政治局常務委員会で江沢民国家主席まで辞表に賛同したが、採決により4対2で辞意は撤回された。

改革は過去の特権にしがみつく者に大きな打撃を与える。朱鎔基は退任後、いろいろな共産党の大行事でテレビにその姿を目にすることがあるが、実況以外ではその姿は編集によって削られ見ることができない。それほどまでに彼は剛腕を振い改革を推し進め、今日の発展の礎を築いたのである。そのため、今でも国民の支持・評価は高いものがある。

この間、日本は問題の先送りをし続け、革新・改革を怠ってきたのである。今や日本国の借金は1062兆円だ。中国はこうした日本の犯した問題点を常に反面教師とし、そして解決手法を冷静に学び、改革・革新を着実に実行し発展してきたのである。

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■高田 拓氏(曲阜師範大学、斉魯工業大学客員教授、山東外国語職業学院終身名誉教授)

1967年福島大学経済学部卒業、同年4月松下電器産業(株)入社。1997年松下電器(中国)有限公司に北方地区総代表として北京勤務、
2001年華東華中地区総代表として上海勤務。2002年松下電器産業(株)退社、同年、リロ・パナソニック エクセルインターナショナル(株)顧問
2009年中国各地の大学で教鞭、2012年山東省政府より外国人専門家に対する「斉魯友誼奨」受賞。
曲阜師範大学、斉魯工業大学の客員教授、山東外国語職業学院終身名誉教授。
現在、現場での実例を中心に各団体、大学、企業のセミナー講師を務める。