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「労働貴族(ゴロ)の消滅」(小島正憲)

小島正憲氏のアジア論考

「労働貴族(ゴロ)の消滅」

小島正憲氏((株)小島衣料オーナー)

1.労働貴族(ゴロ)とは?

現代では、「資本主義社会は資本家と労働者の2大階級で構成されている」ということが、一般社会通念になっている。そして「労働者は弱者であり、強者である資本家から常に搾取される境遇に置かれているという理屈のもとで、労働者は自らを守るために団結して戦うことが社会的に認められおり、その中心として労働組合が存在する。

労働組合は労働者の権利を守ると同時に、労働者の生活の向上のために、賃上げ闘争を行う。その結果、労働者の賃金が上がれば、労働者の消費能力が増え、それが産業を活性化し、経済発展を促し、GDPを増大させ、経済の発展と国民生活の向上につながっていく。そうなると、人手不足状況が生まれ、さらに賃金がアップしていくという好循環が生まれる」と想定されている。

残念ながら、現在、日本では労働組合の代わりに、政府が賃上げの旗振り役を買って出て、経済の好循環をつくりだそうとしており、結果として巷には、人手不足現象が顕著となってきている。

ただし、経済の好循環の歯車が大きく回り出すかどうかは、まだ定かではない。今回の日本の特徴は、本来ならば資本家の代弁者であるはずの政府が、資本家のいやがる賃上げの旗振り役を行っていることである。それほど日本社会では、戦後70年余を経て、労働組合の影が薄くなってしまったということでもある。

それでも日本は、高度成長を成し遂げ、一時期、世界第2位の経済大国にのし上がった。戦後直後は激しい労働争議も行われたが、それは次第に穏健になり、やがて労使協調が日本的経営の一つの柱と言われるようになり、今では、労働組合は日本経済の発展に一定の役割を果たしたというのが通説となっている。

労働者は、労働組合を結成し、団結し賃上げストライキなどを行う。そこには経営者と交渉し、労働者に有利な条件を勝ち取ることを主任務にした労働者代表が必要となる。通常、労働者代表は労働者たちの納める労働組合費で、専従としてその任務を遂行する。

しかしながら、一部の労働者代表の中には、闘争の過程で、金銭などの提供による経営者側からの誘惑に負けて、それを受諾してしまうような裏切り者も出てくる。その額や条件が次第に大きなものとなり、貧しい労働者たちの代表が、皮肉なことに、リッチな生活に浸るようになり、彼らは労働貴族と呼ばれるようになる。中でも、激しい労働争議を巻き起こして経営者側を脅かし、金品を巻き上げることをもっぱらとする輩まで現れるようになる。

それを私は労働ゴロと呼ぶ。かつての日本では、労働貴族の発生が問題となった時期もあるが、今では消滅した。また労働ゴロは、ほとんど発生しなかった。もっとも労働組合を基盤として政治家になっている人たちはいるが、彼らの生活はつましく、彼らに労働貴族という名を負わせるには無理がある。

2.中国には労働貴族は存在しなかった

現在、世界第2位の経済大国は、中国である。しかし中国の経済発展の道程において、労働組合は不思議な役割を果たした。

鄧小平は改革開放と称し、中国の無尽蔵の低賃金労働者を世界に売り出すことによって、海外から無数の企業誘致を行い、奇跡の経済発展を成し遂げた。そのとき労働組合は中国に蝟集した企業の経営に積極的に参加し、資本家の手先となって、業績発展に積極的に寄与したのである。これが労働者の天国を標榜する中国の労働組合の実態だった。もちろん労働争議などは皆無だった。

つまり労働組合は労働者を守らず、海外の資本家の搾取に協力したのである。その過程では、リッチな生活を満喫するような労働貴族も労働ゴロも生まれなかった。それでも多くの労働者や中国人民は、奇跡の経済発展の恩恵を受け、やがて海外に爆買いに走るほど、豊かな生活を享受できるようになった。

もっとも、無尽蔵の低賃金労働力を売り物にしていた中国にも、2003年ごろから人手不足の兆しが現れ、それ以降、人件費が急騰していくことになった。そこには労働貴族も労働ゴロも不要だった。

鄧小平の南巡講話から約30年、中国の経済発展は想定外の経済格差と共産党の腐敗堕落を生み出してしまった。 

中国共産党は人民の不満の声を無視できず、その矛先をかわし、共産党への求心力を維持するため、大国意識を高揚させようと、五輪や万博の開催を画策した。諸外国は、それらの開催と引き替えに、中国に民主化を迫った。中国政府はその外圧に労働法の民主化のみで応え、お茶を濁そうとした。

2007年末、中国政府は労働法を改正した。これによって中国の労使の関係は逆転し、労働者は権利意識に目覚め、ストライキが頻発し、人件費は人手不足と相まって、鰻上りとなっていった。「中国は世界の工場」の時代は終わり、労働集約型産業の総撤退が始まった。ここで労働者側に立ち一儲けを企む弁護士や、撤退する企業から貪ろうとする地方行政幹部などが現れたが、それは一過性のものであり、労働貴族や労働ゴロと呼ばれるほど、際だった存在とはならなかった。ここに至って、中国政府は産業構造の大転換を迫られることになった。

それまで中国の労働者の大半を雇用していた労働集約型産業の総撤退は、今のところ、中国に失業者の大群を生み出していないが、それらを新たな産業で雇用し尽くしている状態でもない。これからが中国経済の正念場である。また、これから労働貴族と労働ゴロの出番が回ってくるのかもしれない。

3.開発途上国に労働貴族(ゴロ)登場
  
中国を追い出された労働集約型企業は、低賃金労働者を求めて、開発途上国であるベトナム、インドネシア、カンボジア、ラオス、ミャンマー、バングラデシュなどに雪崩を打って進出していった。(タイやマレーシアなどはすでに人手不足であり、なおかつ賃金が高く、その選択肢から除外された)。しかし、中国での成功体験を引っさげて、開発途上国に進出して行った多くの企業は、それらの進出先の地で予想外に苦戦することになった。

その一因は、その地で未体験の労働貴族(ゴロ)に遭遇したことにある。それらの開発途上国は、かつてイギリスやフランスの植民地であったため、すでに労働法らしきものが施行されており、そのもとで労働組合が大手を振って活動し、激しいストライキが勃発しており、労働貴族や労働ゴロが暗躍していたからである。 

たとえば、私はカンボジアでは、こんな労働貴族の姿を目撃した。

情報収集のため労働組合の活動家を食事に誘ったとき、彼はレストランに作業服とズック靴で現れた。そして私は、彼の口から2時間ほど、カンボジアの労働者の置かれている悲惨な状況や彼のストライキにおける武勇談を拝聴した。

食事後、私が、「車で送りましょうか」と言ったとき、彼は、「バスで帰るから、結構です」と答えて、その場を格好よく去った。直後に私はトイレに行った。ちょうどトイレの窓から駐車場が見えた。そこには立派なベンツが駐車してあった。次の瞬間、私の目に驚くべき光景が飛び込んできた。さっきの彼が、そのベンツの後部座席に乗り込もうとしていたのである。

ミャンマーのヤンゴンの工業団地で、激しいストライキの取材に行っていたときも、私は面白い光景に出くわした。ストライキ現場では若い男が、ハンドマイクを片手に激しいアジテーションをしていた。数百名の女子工員が道路にムシロのようなものを敷き、炎天下にもかかわらず熱心に、その演説を聴いていた。

演説が一段落したとき、彼女たちには弁当が配られた。私が演説していた若い男に、「この弁当の出所はどこか?」と聞くと、彼は、「アメリカ文化センター」と答えた。さらに深く聞こうとしたが、彼はバイクに乗ってさっと消えてしまった。

私はしばらく現場で、暑さに耐えながら女子工員たちの取材を行った。差し入れられた弁当箱の中は、バナナ1本とゆで卵、そして少々の野菜とご飯だった。

その後私は、昼食を取るため、現場から15分ほど離れた冷房完備の立派なレストランに逃げ込んだ。そして窓側のテーブルに座り、ふと、反対側の窓際のテーブルを見ると、先ほどの若い男が、立派な紳士たちとビールを飲み、豪華な食事を楽しんでいた。

しかもそれらの開発途上国は、資本主義国であり民主主義を標榜しているため(ただしベトナムとラオスを除く)、選挙の洗礼を受けなければならない。そして与党側も野党側も、労働者票を獲得するため、選挙のたびに最低賃金の大幅アップを繰り返す。

ベトナムでは数年前まで毎年15%前後のアップ(2018年度は6.5%)、カンボジアでは25%前後のアップ(2018年度は11%)、ミャンマーでは今年4月から38%(2年間に1回アップ)、バングラデシュでは今年中に30%以上(5年に1回アップ)など。

それらの国では、労働貴族(ゴロ)が最低賃金アップのために、果敢に戦う。またそれを守らない企業には、オルグに入り、ストライキを扇動する。

バングラデシュではハルタルというすさまじいゼネストまで起こす。労働ゴロがゼネスト中に正常操業している工場に投石したり、工場内に押し入り設備を壊す。労働ゴロがバスなどの交通機関を焼き打ちし、その状景を映像にして、野党側の事務所に持っていくと現金をくれるともいう。

そのため多くの開発途上国では、激しい労働争議や大幅な賃金アップを恐れて、外資進出の足が鈍る結果となってしまっている。おそらく今後、それらの国では、外資企業の進出が中途半端で終わり、外資の誘致をテコにした経済発展ができずに終わってしまうことになるだろう。

つまりそれらの国には、中国の奇跡の経済発展の再現は起きないだろう。すでにカンボジアやベトナムからは撤退企業が出始めているほどである。これらの開発途上国では、労働貴族(ゴロ)の暗躍が、経済発展を押しとどめ、開発途上国からの浮上を妨害してしまうという皮肉な結果を生んでいる。

4.労働貴族(ゴロ)の消滅

いつも貴重な情報をいただいているM教授から、3年ほど前、「小島さん、今、フィリピンが面白いよ。企業進出の穴場だよ」と教えてもらった。しかし私は、フィリピンにはあまり良い印象を持っておらず、そのとき、せっかくの助言を聞き流してしまった。なぜなら私が約20年前、フィリピンに進出しようと考え、マニラ周辺やセブ島の工場を訪ね歩いたとき、ほとんどの訪問先の工場の経営社の最大の悩みが、労働組合対策だったからである。

当時、多くの工場では、労働貴族(ゴロ)に扇動された激しいストライキが多発しており、彼らの行政機関との癒着もひどく、それらに払うワイロもかなりの額だった。多くの工場は正常な操業ができず、経営社は日夜、労働貴族(ゴロ)対策に頭を悩ましていた。そのときの悪印象が、私の頭から離れず、その後も、フィリピンはまったく私の視野の中には入らなかったからである。

かつてフィリピンは,韓国や台湾、シンガポール、香港などの後を追って、経済成長を遂げると思われていた。ところが外資は労働争議の多発という状態を嫌った。そして治安の悪さとも相まって、外資の大量進出という現象は起きなかった。

もっとも勃興しつつあった中国に、多くの外資を奪われてしまったという不幸もあった。それに政治の混迷も輪をかけたので、経済はその後長く停滞した。中でもリーマンショック時には、すでに進出していた多くの外資企業も倒産したり、撤退した。

その結果、失業者が大幅に増え、皮肉にも労働者がストを行えば企業が潰れ、さらに失業者が増えるという悪循環に陥った。またスト中は賃金が支払われないため、ストが長期化すると労働者たちは生活に困る。しかもストを行ってみても、賃金は上がらない。労働者たちは、次第に、労働貴族(ゴロ)から離反していった。

経営者たちも、労働貴族(ゴロ)のリストを作り、経営不振を理由に企業をいったん閉鎖し、労働者全員をいったん解雇し、労働貴族(ゴロ)を排除したのち、別の場所で労働者を再雇用し再開するというような涙ぐましい努力を行った。また再開後も、経営者たちは密接な情報網を作り上げ、労働貴族(ゴロ)のリストを拡充し、彼らが自社内に入りこまないように努めた。

日系の工業団地などでは、その入り口の門衛にまで、労働貴族(ゴロ)の顔写真付きリストを配り、彼らの侵入を拒んだという。その結果、フィリピンでは労働者の組合離反が顕著となり、労働貴族(ゴロ)がほぼ消滅した。

3月中旬、私はフィリピンの現状を調査するため、マニラを訪れ多くの工場を訪ね回った。どの工場でも、労働組合の話題はまったく出なかった。何よりも驚いたのは、フィリピンでは、この10年間に、最低賃金は約27%しか上がっていないという事実だった。

現在、フィリピンの労働者の実質手取り賃金は、約280~300$であり、これはカンボジアの水準を下回るほどである。しかもフィリピンではこの数年、ストライキ発生件数が一桁台で推移しており、2017年度はやっと10件という状態だという。フィリピンからは、かつての労働貴族(ゴロ)が暗躍する姿が、きれいに消失していた。

フィリピンの政治関係者たちもまた、選挙用の人気取り政策として、最低賃金アップ策を積極的に掲げなかった。それでもフィリピンは、この10年間、6%台のGDP成長を遂げている。

これは、「賃金アップが経済水準を好転させるという経済理論」とは相反するものである。ことにドゥテルテ大統領は、「麻薬マフィアや反社会的組織の撲滅」を前面に掲げ、選挙を戦った。おそらく反社会的組織の中には労働貴族(ゴロ)も含まれているだろう。フィリピン国民も、これを熱狂的に支持している。

ドゥテルテ大統領は、この高支持率があるうちに、フィリピン経済を高成長軌道に乗せようとしており、外資企業の誘致を積極的に行おうとしている。また外資企業の誘致をテコにして、雇用状況の大幅な改善を図ろうとしている。したがって今後、ドゥテルテ大統領は外資の嫌う労働貴族(ゴロ)の暗躍を許さないだろうし、大幅な最低賃金アップも行わないだろう。

フィリピンはベトナムよりも日本に近く、デリバリー期間は中国とほぼ同等である。賃金はすでにベトナムを下回っている。しかも人口は1億人を超える若者主体の国である。

今のところ、進出適地はマニラ周辺に限られるが、中国の代替工場としては最適である。実際に、最近、ベトナムからの移籍企業が目立ってきているという。わが社も、マニラ周辺の空き工場(約5000㎡)をレンタルして、数か月後には稼働させることに決定した。

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清話会  小島正憲氏 (㈱小島衣料オーナー )
1947年岐阜市生まれ。 同志社大学卒業後、小島衣料入社。 80年小島衣料代表取締役就任。2003年中小企業家同友会上海倶楽部副代表に就任。現代兵法経営研究会主宰。06年 中国吉林省琿春市・敦化市「経済顧問」に就任。香港美朋有限公司董事長、中小企業家同友会上海倶楽部代表、中国黒龍江省牡丹江市「経済顧問」等を歴任。中 国政府外国人専門家賞「友誼賞」、中部ニュービジネス協議会「アントレプレナー賞」受賞等国内外の表彰多数。