変革の時代を生き抜く“自己刷新力” 激変の時代を生き抜くヒント 〈後篇〉 [ 特集カテゴリー ]

相手の立場、相手の発想で 次の手を読む(羽生善治氏 講演録)-② [ 国民栄誉賞 羽生 善治竜王 永世七冠  ]

アジア各国の将棋と
コンパクト化された日本将棋

 元々将棋は古代インドから始まったと言われています。戦争を繰り返し行い、非常に疲弊していたので、ゲームにすることで軽減をはかりました。これが「チャトランダ」と呼ばれている二人で遊ぶ双六のようなもので、これが西に行ってチェスになりました。

 アジアではインド、タイ、中国、モンゴル、朝鮮半島などそれぞれの国に将棋があり、親せき、兄弟のように共通するところが多数あります。

 日本にはおおよそ1,000年前から1,500年前に、貿易に伴ってやってきたと言われています。駒がその証明になっています。金将、銀将は金銀財宝です。桂馬、香車は香辛料のことです。どちらも貿易の主要品目です。また王将も1,000年前は存在せず、当時は玉将でした。有名な歌手が「王将」を歌っていましたが、実は1,000年前には王将はありませんでした。

 現在のルールになったのが約400年前で、江戸時代頃です。将棋の世界は茶道や華道と同じように家元制度として始まり、世襲で代々家元を継いでいくことになります。その家元の称号を名人と呼ぶようになりました。

 アジア各国に将棋があると言いましたが、面白いものは残り、つまらないものは廃れていきます。先人が知恵を絞って面白くする工夫、意匠を繰り返してきた歴史があります。

 日本の将棋は極めて独自の路線を歩んで今日に至ります。他のボードゲームは駒の力を強くするか、盤のマス目を広げるかが多いように思います。チェスはクイーン、将棋で言う飛車+角という非常に強い駒を作ることで動きが増え、面白さが増しました。一方で囲碁は盤面を19×19の361のマス目に広くしたことで、可能性が爆発的に広がり、面白さが増したのです。

 将棋の場合は逆に、盤のマス目もどんどん小さくし、駒の数も少なくし、最終的に81のマス目40枚の駒になったのが400年前。小さくコンパクトにしていくのが、将棋の極めて独自のユニークな道のりでした。

 これは将棋だけに限った話ではなく、短歌や俳句のように限られた字数の中で表現をするものや、茶道のように、四畳半の小さい部屋の中で森羅万象を表そうとするなど、伝統的な共通項なのではないかと考えています。それは現在においても同じことが言え、小さくする、コンパクトにする考え方は、1,000年前も現在も同様だと思います。

データで選択肢が奪われる

 最近はビッグデータを使って分析し、論理を立てて、決断していく方針や戦略を決めていくのは大きな流れとして様々なジャンルで幅広く使われています。

 私がプロになった30数年前は体系的に考えることは全くありませんでした。逆にデータ分析をすること自体が蔑まされる風潮すらありました。つまり将棋というのは膨大な局面があり、未知な局面や、ねじりあいの局面で良い手が差せるかどうか、でその人の実力や真価が問われるとされ、データ分析をするのは自信がないからだとの考えがありました。ただ、昭和から平成の移り変わりと同時期に体系的、段階的に分析する流れができあがってきました。

 また、私がプロになりたての頃は、公式戦の前の時間は勝負に関係の無い雑談などで過ごしていました。棋士同士で話すことが少ないため、お互いの近況報告などをしていました。そのように呑気に過ごしていても、最初の10手20手くらいは、何の影響もなく指すことができたからです。

 しかし最近では、雑談などで気を抜くと、勝負がきまってしまうということが起きています。真剣に作戦を考える時間としています

 一回の対局の勝負という点では、データが大きく影響することはありません。ただデータの厚みは少しずつボディーブローのように効いてくるところがあり、年単位で少しずつ追い詰められていくというところがあります。例えば「この手を指すとデータに引っかかるのではないか」と避けないといけません。

 これで選べる木の幹と枝が、ある時に選べない幹ができてしまうことで、選べないものがたくさん出てきてしまう。だんだん選択の余地が少なくなり、追い詰められてしまうのです。ですからデータも覚えた上で、そこから新たなものを産み出して行く流れになっています。

ネットの発達と将棋

 また将棋界が大きく変わったこととしてネットワークの発達により、地域格差がなくなったことがあげられます。それ以前は大都市圏の子供のほうが、棋士になるのには有利でした。良い先生、大会や道場がたくさんあり、ライバルもいて切磋琢磨して伸び易い環境がありました。

 しかし20年程前からは、ネットワークの発達で、情熱とやる気があれば、どんな場所でも強くなれます。また、私が練習しているネットでは、4,000人程が将棋を指しているので、様々なものを共有でき、変化や研究のスピードが格段に速くなりました。

 昔は個人で研究していましたが、最近は集団で研究、分析が一般化しており、その成果は足し算の速度ではなく、掛け算の速度で進んでいます。また第三者の視点が多数あることで、自分では考えもしなかった盲点や視覚も指摘してもらえるようになっています。

 私も昔はネット上でよく練習の対局をしていました。もちろん本名は明かさず、プロ・アマが混在している中で将棋をしていました。 
しかし何十手か指せば相手がプロか素人かはすぐわかります。時には誰かまでわかってしまいます。

 ある時、次の日に公式戦が控えていたので、肩慣らしで何局か指していたのですが、指しているうちに、どうもこの相手が翌日の対戦相手なのではないかと気づきました。それを3,000人、4,000人が見ているというのは、おかしなことになるのではと思い、私はそれでネットでの対局をやめてしまいましたが、若い人の世代は、そういうツールを利用して、どんどん強くなって来ています。

棋士の考え方とAI

 最近ではAIを利用した将棋ソフトが台頭してきています。様々な要素がありますが、ハードウェアの進化は基本的に段階的に確実に速くなっています。コンピュータの世界では「ムーアの法則」というものがあり、1年半から2年で、計算処理速度が倍になっていきます。

 既にソフトの開発をしなくても、計算するハードウェアの力でゆくゆくは人間を追い越すことができるということを言われたことがあります。それはおそらく間違いなく、今まで1秒間で100,000手読めるのが500,000手になり、1,000,000手になる。そうなれば確実に棋力は上がっていきます。

 棋士が最初に使っているのが「直感」です。皆さんも物事を認識、把握する時に「直感」を使っていると思います。将棋の場合は一つの局面で平均約80通りの可能性があると言われていますので、その80通りの中から2つ、3つの候補手を選びます。ですから残りの77、78手は最初から考えません。これはカメラでピントを合わせるのに例えられますが、ここが中心、急所、要所ではないかと過去に自分が学び、習得、経験したことと照らし合わせて選びます。

 だから「直感」とは闇雲にランダムに選んでいるのではなく、これまでの経験則から選んでいるものなのです。

 2番目に使うのが「読み」です。これは文字通り先を読む、展開を予想する、シミュレーションするということです。ただすぐに「数の爆発」という問題にぶつかってしまいます。足し算ではなく、掛け算で数が増えていくからです。直感と読みだけで考えを進めれば3手に対して相手の人も3手ですから3×3の9手。3手先はさらに3をかけて27手。ですので10手先は3の10乗になり、約60,000弱です。60,000手弱を読むのは人間にはハードで現実的ではありません。一番最初の段階で大部分の選択肢を捨てているにも関わらず、膨大な可能性を目の前にして、適切な判断や決断ができなくなってしまいます。

 そこで3番目に使うのが「大局観」というものです。

 逆の意味で使われる表現に「木を見て森を見ず」があります。部分ばかり見ていて全体が見えていない、その逆が「大局観」です。

 具体的な1手を決めることではなく、過去から現在に至るまでの総括をするとか、これから先の方針や方向性や戦略を決めるなど、具体的ではなく抽象的に決めることで、良い選択ができるようにするのです。その大局観を使うことのメリットの1つに、ショートカットができるというのがあります。積極的に動いたほうがよいならば、その方向性にとって具体的な攻めの1手を選択するなど、無駄な考えを捨てることができます。
 そのように棋士は「直感」「読み」「大局観」の3つを使って考えています。

 棋士の世代は幅広く、10代から70代の約160人が現役でいますが、考え方としてこの3つを使う点ではまったく変わりはありません。ただその割合は変わってきます。

 10~20代前半は基本的に覚える力、計算力が強いですから読みが中心になります。ある程度の年齢や経験を積むと、直感や大局観のような感覚的なもの、言語化、数値化が難しいところの比重が上がってくるのです。

 私が尊敬する大先輩、原田泰夫九段の揮毫に「3手の読み」というものがあります。3手の読みとは、自分が1手指して相手から2手目、それに対して自分はこうしますよ、というシミュレーションの基本です。

 その3手の読みで一番大事なのは、2手目の相手の手を予測することです。1手目と3手目は自分の手番なので好きなように指せますが、相手が何を考えどう指して来るかを予測するのは非常に難しいことです。相手の立場にたって相手の発想で予測しなければなりません。自分の発想で考えてしまいがちですが、いかに相手の価値観で考えられるかが大切で、その発想に近づけるべく努力をしています。2手目の予想を誤るとその先はすべて無駄になってしまうためです。

「評価する」の精度向上
データ+動物のカン

 データの記憶や計算はコンピュータが得意ですが、1つの局面が良いか悪いか互角かを正しく評価するのはとても難しいことです。 

 場面や状況で何が一番適切で最優先して評価しなければいけないのかはとても難しい。コンピュータが「評価する」ことは今までできなかったのですが、最近は「評価する」精度が上がってきています。

 これは人間とのアプローチの仕方とは全く違ったりします。棋士が評価する基準は手番、駒の損得、駒全体の効率、発展性で、せいぜい要素は10個ぐらいです。最近の将棋ソフトは評価基準が10,000ぐらい。人間から見ればどうでもいい基準を組み合わせて評価させるとよいもの、強いものができているようです。

 ヨットで単独世界一周を2回達成した、知人の白石康次郎さんから聞いた話では、朝起きたら甲板に出て新鮮な空気を吸い、今日は行けるぞと思う日には、その直感を信じてそのまま突き進む。何か引っかかるものがあると思ったときには、示してくれる進路、セオリー通りのデータから導き出される答え通りに進むと話していました。人間が動物的に持っている危機察知能力と、膨大なセオリーやデータから導き出される答えの2つを、車の両輪のように掛け合わせて前に進んでいくのが今の時代の非常に良いやり方ではないかと個人的に思います。

リスクをいかに
分散させるか

 それに伴い、いかにリスクを取るかという話があります。挑戦していかなければ行けないとは言われると思いますが、今までやって来たことを180度方向転換してしまうのは、単なる無謀だと思います。どこまで変化をつけていくかについては、車のアクセルとブレーキの踏み加減のようなもので、その微妙な加減を見極めるのが、リスクを取る一番難しいところだと思っています。

 ただもう1つ言えるのは、同じ決断、選択も時系列でリスクの価値が変わってしまうことがよくあるということです。対局での作戦、戦法は現在の目から見て、最も得意で経験値のあるやり方で行くのがリスクを低くすることになりますが、同じやり方を踏襲していけば、研究、対策されるなど当然リスクが高くなります。そこで重要なのが、小さな変化を付け続けることだと思っています。

 1つの対局などの短い期間で急激に大きなリスクを取るのではなく、1回の対局、1つの試合の中で少しずつ前と変えていく。1、2年経つと、結果的に前とはまったくプレイスタイルが変わっていたということが理想です。

 小さな変化や挑戦を続けていくことによって、ある程度リスクが分散していくと考えています。

 

(了)

構成 ケアメディア編集部
編集責任 清話会編集部

【講演者プロフィール】

羽生 善治<はぶ・よしはる>
国民栄誉賞
将棋棋士、竜王、棋聖、永世七冠

1970年埼玉県生まれ。二上達也九段門下。85年プロ四段。史上3人目の中学生棋士となる。89年に初タイトルとなる竜王を獲得。94年第52期名人戦で初の名人に。将棋界の記録を次々と塗り替え、96年には前人未到の七冠独占を達成。十九世名人のほか王位、王座、棋王、王将、棋聖の永世称号を獲得、昨年12月には永世竜王を獲得、史上初の永世七冠を達成。今年2月、囲碁の井山裕太氏(七冠)とダブルでの国民栄誉賞を受賞。