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2018年の「旧車天国」(日比恆明)

【特別リポート】
2018年の「旧車天国」

日比恆明氏(弁理士)

11月18日にお台場で開催された「旧車天国」に出掛けてきました。
金曜日の天気予報は「曇り後雨」で、雨が降ったら最悪ではないか、と想定していました。しかし、土曜日の天気予報は「曇り」と変わり、当日は「時々晴れの曇り」の天気となりました。少し寒く感じられましたが、秋の休日を楽しんできました。来場者は年々増加し、今年は昨年よりも3、4割増し、という感じでした。

 
         写真1

このイベントは今年で6回目となりました。このイベントの目的は、現在は販売されていないが、クラッシックカーと呼ぶほど古くはない自動車、オートバイをマニアが展示し、それを鑑賞するというものです。

しかし、毎回入場していると、来場者には出品している自動車などに鑑賞眼というか慣れが発生します。同じタイプの自動車が出品されているとなれば、マンネリとなって面白くもありません。来場者は常に「目新しいものはないか」とか「変わった自動車はないか」と欲望がエスカレートしていくのです。例え、1億円以上する超高級車であったり、世界で1台しかない珍車であっても一度見てしまうと「もう見飽きた」という結果になります。

これは人間の欲望であり、致し方ないことでしょう。このため、主催者は毎年のように今まで見たことのないような珍しい自動車を出品するように努力しなければならなくなります。今年も今までに見たことのない珍車を見ることを楽しみに出掛けました。


        写真2

写真2は、オールズモビル社(後のゼネラル・モーター社)が1901年から発売した「カーブドダッシュ」です。私は映画などのシーンで見かけたことはありますが、実物を見たのは今回が始めてです。T型フォードが発売されたのは1908年のことで、初期の大衆車です。なお、フォード社の創設者であるヘンリー・フォードは1902年まで技術者としてオールズモビル社で働いていました。
 
このカーブドダッシュは日本では珍しいのですが、大量に生産されたのでアメリカには数多く残っているようです。速度が遅く、保有しても面白みが無いためか、日本の自動車マニアには関心が薄いようです。

 
        写真3

写真3は、名古屋にあった日本オートサンダル自動車という会社が1952年に製造した、「オートサンダルFS」という軽自動車です。排気量348ccのエンジンで、当時の軽自動車の規格で最初に登録されたものです。この車はナンバーを取得していて、公道を走行できるのですが、そのナンバーは小型特殊車のものでした。要するに、最高時速35キロ以下の耕運機として登録されてました。

       写真4

       写真5
 
この自動車の変速機が大変な代物で、写真4で理解できるように、何と回転円盤式のものでした。エンジンで回転される円盤にゴムを巻き付けた円盤を接触させ、回転数を変換するものです。変速とクラッチを同時に行うことができるのですが、スリップして効率が悪いかと思われます。それでも何とか動くことができるようで、会場内を走行すると見物人で人だかりしていました。

        写真6

        写真7

写真6、7は、富士自動車(後の小松製作所)が1952年に製造した「フジキャビン」という軽自動車で、85台しか製造されなかったという珍車です。カエルを押しつぶした一つ目小僧のようなデザインです。車両全体がFRP(強化プラスチック)で構成されていて、当時としては先端の技術でした。10年くらい前にインドのタタ自動車が製造した「ナノ」という国民車を見たことがあります。10万円で4人が乗車できる、という超低価格車でしたが、この車は「ナノ」を連想させました。

       写真8

        写真9

見上げるような巨大なトラックは、1944年頃に米軍が重量物運搬用に開発したものだそうです。3軸6輪走行なのですが、最後尾のタイヤはチェーンで駆動していました。とにかく車が動けば良い、という設計思想なのでこんな構造になったのでしょう。このトラックは戦後日本の運送会社に払下げられしばらく使われていたのですが、その後は使われずに放置されていたのを動くように修理したのです。


       写真10

        写真11

写真10は、映画やニュースでお馴染みのニューヨークのパトカー(NYPD)です。払下げられた時には、内部の備品は全て取り払われていたのですが、通信機やライトなどを取り付けてオリジナルに近い形に再現したのだそうです。写真11は、ニューヨークポリスの制服で、これらは全てアメリカの通販で入手したのです。アメリカでは警察関連の商品の販売は比較的緩やかなようです。

写真12はどこでも見かけるありふれたサイドカーか、と思ったら、これは皇宮警察で使用していた本物のサイドカーで、写真13にあるように桐の紋章が入ってました。かなり前のホンダの車両で、宮内庁より払下げされたものです。しかし、3億円強盗事件で白バイが使用されたことから、それ以降は払下げされなくなったとのこと。なお、皇宮警察では白色のサイドカーも使用していて、警備により使い分けているようです。警備にサイドカーを使用するのは日本だけのようで、海外の警備車両を観察すると殆どが単車による警備です。日本では戦前からの慣習をそのまま引き継いでいるようです。

       写真12

       写真13

       写真14

       写真15

写真14は日野自動車製の消防車で、神戸ナンバーを付けていました。実際に消火活動に利用できるかは不明です。写真15は、高速道路で事故現場や工事場所の付近で走行車両に注意を呼びかけるための誘導車です。いずれも正規に払い下げられたもののようですが、こんな特殊な自動車に関心を持つマニアもいるようです。

       写真16

       写真17

       写真18

       写真19

今年は単独企業によるブースも開設されていました。写真16はスバルのブースであり、かなり広いエリアに過去の自社車両を展示していました。さては、社内で発生した不正車両検査のお詫びで出展することになったか、と勘繰りました。
 
写真17は、お馴染みにスバル360で、富士重工業のメインとなった車です。映画「三丁目の夕焼け」に出てくるミゼットと並んで、昭和の時代を象徴するような車です。

写真18は、1963年に試作された車で、外観からすると目新しいものではないのですが、水平対向4気筒、FF駆動という当時としては最新鋭の技術で製造されたものです。この日、スバル社から派遣された社員が開発経過を説明していました。旧富士重工業は技術的には優れているのですが営業力が弱いので、業界では目立ちません。しかし、その技術力に惚れたマニアも多いため、定常的に売上が続いているようです。

写真19は、1954年に試作されたスバル1500です。スクーター製造から四輪車製造に脱皮しようとして開発したようで、販売には至らなかったものです。

       写真20

       写真21

今年は何故か会場にはアメ車が例年より多く目立っていました。写真20から23がアメ車であり、これら以外にも多数のアメ車が見受けられました。私のような中高年はこのデザインに懐かしさを覚えます。それは、当時の白黒テレビで放映されていたアメリカのテレビ番組にあります。「名犬ラッシー」とか「パパは何でも知っている」などの家庭ドラマには必ずこれらのアメ車が登場していました(こんな番組名を持ち出すようでは、年齢がバレるか)。

       写真22

       写真23
 
しかし、後年になってから考察すると、アメリカのテレビ番組は現実とは違うことに気がつきました。テレビ番組に登場するような当時のアメリカの中産階級は、その頃の家庭の30%程度であり、それ以外の家庭はそれほど豊かではなかったようです。また、写真にあるようなアメ車を購入できたと言っても持ち主はサラリーマンでした。毎月の自動車ローンの支払で四苦八苦していたのではないかと推測されます。何れにせよ、昭和30年代の貧しい日本では、テレビを通して豊かなアメリカ生活に憧れたのですが実態はそんなものでしょう。

さて、会場には写真24にあるような普通のバスが展示されてました。中からは何やら音楽が流れてきて、奇妙な雰囲気がしました。これは、日本で初め開発されたライブバスなのでした。バスの前側の座席は取り外されていて、写真25のようにステージとなっていて、若手アイドルが歌と踊りを披露していました。後部座席は写真26のようにそのまま残されていて、こちらが観客席となっていました。このバスはどこにでもでかけ、駐車することでその場で劇場を開催することができるのです。これなら秋葉原のライブ劇場に出掛けなくとも、地方都市でもアイドルの活動を鑑賞できることになります。

       写真24

       写真25

       写真26

       写真27

       写真28

       写真29

会場の中央あたりでは、暴走族の戦闘服に似た衣装と仮面を被ったキャラクターが踊ってました。新規の暴走族グループかと思ったら、「暴走天使」というブランドの衣類を販売する企業の宣伝でした。暴走族とは無関係なのですが、こんなブランドを印刷した衣類がどれだけ売れるかは疑問です。

       写真30

       写真31

この日、会場には色々な人達が集まってきました。これだけ多くの人が集まると変わった恰好の人も目立ちます。写真30は派手なコートをまとった女性でした。写真31はセーラー服の人ですが、どうも女装のようでした。来場者には服装による制限は無いので、何を着てきても構わないのですが。

       写真32

       写真33

       写真34

       写真35

今年も会場には業者による即売のブースが並んでいて、昨年よりも業者の数は多いのではないかと思われました。写真32はその全景で、テントの並んでいる列が即売の出店でした。通路の両側には露店が並び、来場者はそれぞれのテントに首を入れて品定めしていました。旧車を見るよりも、掘り出し物を見つけるのが楽しみ、という来場者も多いようです。
写真34は会場ではお馴染みの中古パーツを並べた出店であり、マニアにとってはここでしか購入できない商品もあります。どういう理由か、写真35にあるように、梵鐘を出品している業者もいました。仏様に関係する商品のため、売る方も買う方も罰が当たらないように気を付けて下さい。

【旧車天国の場外編】

       写真36
 
今年も会場外の公道では、暴走族や改造車が走行していました。族特有の「フォニャラ、フォニャラ・・・」の警笛を鳴らしながらの爆走です。目立つことで旧車天国に来場した人達にその存在をアッピールしたいのでしょう。


 
       写真37

       写真38

例年、警察による取締りがあるのですが、今年は本腰を入れて取り締まったようです。写真37は歩道に違法駐車したオートバイを取り締まる前の光景です。30分もするとほぼ全てのオートバイは立ち退き、歩道はきれいになりました。運悪くこの取り締まりを知らなかった持ち主には、駐車違反のキップを切られていました。

さらに、公道では厳重な交通取締りが行われていて、パトカー数台、白バイ約20台、覆面パトカー数台の編成で検問をしていました。このような取締りは今回が初めてのことです。毎年の旧車天国を目当てに爆走する違反者を徹底的に取締り、来年からはお台場には来させないようにする意思表示のようです。早速、改造車が取り調べられていましたが、注意だけで開放されました。

         写真39

        写真40

        写真41
 
これだけ大規模な検問体制なのですが、警察官はそれほど厳しくは取り締まっていませんでした。目立った改造車だけを停車させるだけのようでした。この日に改造車、暴走族の全てを取り調べていては報告書作成の手間がかかり、面倒なためでしょう。これだけ多くの警察官を配置したのは、「警察は違法行為には本気で取り締まるぞ」という威圧行為かもしれません。
 
厳重な摘発を期待していた野次馬にとっては誠に情けないことです。来年は、警視庁主催の「交通取締りショー」をぜひ開催していただきたいと考えています。