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「平成31年 春の九段界隈のできごと」(日比 恆明)

【特別リポート】
「平成31年 春の九段界隈のできごと」

日比 恆明氏(弁理士)

東京・千代田区の九段界隈を散策してきました。平成31年の春の情景をご報告します。今年は、3月31日と4月6日の2回に分けて散策しました。

        写真1

今年の東京の桜は3月21日に開花宣言されました。この報道に少々やきもきしました。4月になったら桜花が散ってしまい、花見ができなるからです。そして、27日になると気象庁は満開宣言を発表したため、3月31日に急いで九段界隈にでかけることになりました。

しかし、現地に到着すると、満開にはほど遠い八分咲といったところで、一安心となりました。満開となったのは標準木だけであり、多くの桜木はまだ満開の準備中だったようです。その原因は、気温の下降にありました。開花宣言のあった翌日の22日は気温が23.9度に上昇したのですが、それ以降は気温がどんどん下降していき、寒い日が続いたからでした。

写真1は、ご存じの千鳥ケ淵の桜であり、桜花は散ることもなく、枝にしっかり取りついていました。

        写真2
 
この日は日曜日であり、しかも、満開のニュースが流れたために、写真2のように千鳥ケ淵付近は花見客で溢れていました。お濠に沿った遊歩道には、花見客がぞろぞろと連なっていました。毎年のことで驚きはしませんが、気候が暖かくなって気分が良くなると、人が集まる場所に出掛けるのが日本人の習性なのでしょう。しかし、金がかかる訳でもなく、散歩で身体を動かすので健康的であり、それほど悪いことでははないでしょう。

 

        写真3

千鳥ケ淵のお濠では、どこでもデジタルカメラやスマホで桜が咲いている風景を撮影していました。このように多数の人達が桜を撮影する光景は30年前には見かけられないものでした。30年前はフィルムカメラの時代であり、撮影するのはそれなりに腕のあるアマチュアカメラマンでした。一般の人が撮影したとしても、桜をバックにして家族を撮影するのが殆どでした。フィルムカメラではそれなりの費用がかかったからでした。
 
皆様熱心に桜を撮影してみえましたが、写真として絵になるような撮影場所は千鳥ケ淵付近では3、4箇所に限定されています。いくらカメラの腕が良くても、撮った構図は全く同じなのです。同じような構図の写真をコンテストに出しても、まず落選するでしょう。何のために撮影しているのか私には理解できません。

        写真4
 
靖国神社では3年前から境内での宴会を禁止しています。このため、弁当や飲料を持ち込んで飲食することはできなくなっています。上野公園でも宴会できる場所が狭められているようです。
すると、花見客はどこで宴会をするか、ということになります。現在、九段界隈で宴会ができるのは、北の丸公園とJR中央線に沿った外濠公園だけのようです。外濠公園の遊歩道の両側には桜並木が続いていて、桜花をめでるには良い場所ですが、宴会するような空き地が少ないのが欠点です。

写真4は北の丸公園で宴会をしている花見客です。北の丸公園は広々とした芝生があって気持ちが良いのですが、桜木が少ないのが欠点です。桜木の多さと場所の広さの、いずれも満足できるような所はないでしょうか。

        写真5


 
       写真6
 
さて、靖国神社の境内では、昨年の春には出店できなかった屋台が復活しました。屋台の出店は昨年のみたま祭で復活しているのですが、今春は昨年のみたま祭よりも屋台の数が増えていました。おまけに写真6にあるように、遊技場なども開店していました。ただし、全体の出店数は全盛期に比べると半分程度ではないかと推測されました。

どのような理由で屋台の再開を決定したのか不明ですが、以前と同じような数の屋台が開店するとなれば又問題が発生するのではないかと思われます。神社としては屋台の出店数を徐々に増やし、参拝者の反応を見ながら調整しているかもしれません。

上野公園では不忍池周辺にだけ屋台が開店しており、上野公園内には屋台がありません。谷中霊園、井の頭公園では屋台が無く、靖国神社のように屋台が開店している花見場所は都内では数少ないのです。酔客が増えては困るのですが、花見の風情には屋台も必要なので、そのあたりの兼ね合いが難しいところでしょう。

        写真7

        写真8

参道の入口近くの左側にはテント村が出来ていました。こちらは地元千代田区にある名店が出店していました。一昨年には屋台の代わりに期間限定で出店していたのですが、今年になって復活したようです。全部で17店ですが、いずれも地元ホテル、イタリアンの有名店であり、味には自信があるようです。業者による屋台では、焼きそば、お好み焼き、おでんなどの定番の料理しか提供していないのですが、このような味で勝負する屋台ならば歓迎したいところです。
 
なお、各テントの前にはそれぞれ客引きの店員が盛んに呼び込みをしていました。自慢のワインや日本酒を宣伝するために必死のようでした。


       写真9

        写真10

さて、屋台やテント村は料理や酒を販売してましたが、神社では2年前から境内でブルーシートなどを敷いて宴会をすることを禁止しています。このため、料理や酒を購入した花見客が飲食する場所がありません。ここが上野公園と違うところです。このため、花見客は参道脇にある緑地の石畳にしゃがんで食事することになりました。他に座るところが無いため仕方ないでしょうが、ややお行儀の悪い光景となりました。

さらには、写真10のように、石塀の上に料理を並べ、立ち食いスタイルをする花見客も見かけられました。来年からは、食事する場所を工夫する必要があるでしょう。ただ、椅子などを配置すると、酔客が長居することになり、これも問題になりそうです。

        写真11

参道脇では、ハーモニカの愛好家が演奏をしていました。今年始めて見かけるグループで、それぞれ数種類のハーモニカを準備して、曲に合わせてハーモニカを選び、合奏していました。一人でのハーモニカの音は何か侘しいのですが、複数のハーモニカでは和音が重なり心地よい音となっていました。

        写真12

        写真13

この日、神社裏にある相撲場では長い行列ができていました。行列の先頭に到着すると奉納プロレスの受け付けがありました。2004年から、「大和神州ちから」によるプロレスが興行されているのです。最初の興行は1961年に開催されたとのことで、意外にも古い時に開催されたのは驚きです。かっては力道山やジャイアント馬場も出演したこともあるそうです。しかし、プロレスと靖国神社とがどのような関係にあるのか、いまいち理解できにくいところがあります。なお、このプロレスは奉納なのですが無料ではなく、入場料が必要でした。

        写真14

九段坂の歩道ではチラシを配っている二人を見かけました。終戦の日などには数多くの政治団体によるチラシ配りがあるのですが、花見の時期ではこの二人しかいませんでした。彼女達が宣伝しているのは「HEAVENESE(ヘヴニーズ)」というバンドの公演でした。

ネットで検索すると、和楽器と洋楽器を混ぜて演奏し、日本の心とヒップホップが融合したエンターテイメント、というバンドのようです。演奏の最中に忍者やタップダンサーが出演するとのことですが、どんな内容か私には全く理解できません。ただ、後援が外務省であり、主催者がキョードー東京であることから、それなりの人気や信頼があると思われます。この公演に出掛けられた方がお見えになるのであれば、感想を送って下さい。

       写真15

        写真16

4月6日は第一土曜日であり、恒例の「靖国神社の桜の下で『同期の桜』を歌う会」が開催されました。要するに、軍歌を歌って昔を懐かしもう、という趣旨の集会です。スポンサーの死去により一時は継続が危ぶまれたのですがその後も続き、今年は35回目となりました。

問題なのは参加者の減少です。最盛期には千人近い参加者がいたのですが、今年はざっと見積もって五百人程度ではないかと思われます。戦時体験者が少なくなり、軍歌を歌いたいという人が減少しているからでしょう。

以前は東京にも軍歌酒場という居酒屋もあって、それなりに賑わっていたようです。入隊体験者にとって、軍歌は青春時代の強烈な思い出があったからでしょう。これから高齢者が少なくなっていくため、この会が何時まで続けられるが問題となるでしょう。昭和時代に生まれた年齢層の人が全て亡くなれば、この会も自然消滅するかもしれません。思い出とか記憶というものは、その体験者が亡くなれば消滅していくものです。

        写真17

この日には車椅子で参加された方もお見かけしました。過去の歌う会には連続して参加され、毎年の楽しみにされてみえたのではないかと推測されます。介護している子息にとっては、軍歌を聞いても感動はしないと思われますが、車椅子の老婆にとっては戦時体験の記憶を思い起こされる一瞬でしょう。

       写真18

毎年見かける軍装マニアです。一見したところ米軍の服装かと思ったら、昭和30年の陸上自衛隊の制服でした。警察予備隊から自衛隊に変わった時期であり、米軍の制服を真似したのでしょう。この時期の制服はあまり残っていないようで、入手するのが困難なのだそうです。
 
4月1日には新元号が公布され、5月からは「令和」の元号に変わります。このため、今年は平成最後の花見となります。世間では「平成最後の……」と銘打って各種の行事や商品の販売が行われています。「最後」と名付ければ、「もう二度と手に入らない」と顧客が錯覚するため売り上げが伸びるのでしょう。しかし、令和の時代になっても桜は必ず咲くのです。来年も再来年も花見はできます。健康に気をつけて、来年の桜が咲く頃にお会いしたいものです。