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「1億2千万総ひきこもり化」(小島正憲)

小島正憲氏のアジア論考
「1億2千万総ひきこもり化」

小島正憲氏((株)小島衣料オーナー)

1.国内ひきこもり

数日前、日経新聞に、「日本の10~20代は他国と比べて内向き」という見出しの記事が載った。そこには日米韓などの7か国の若者の調査結果として、
「日本は、短期を含む留学希望は32.3%、外国に住みたい人は19.4%でいずれの割合も低かった。他国を見ると、留学希望の割合が最も高かったのは韓国で65.7%、米国の65.4%が続いた。“将来外国に住みたいか”との質問に対し、日本は“一定期間(1年以上住みたい)”と“移民として永住”は計19.4%だった。逆に“ずっと自国に住みたい”が42.7%で最高だった
と書かれていた。

このような日本の若者の「国内ひきこもり」とも呼べるような現象は、すでに10年以上続いており、今さら特筆すべきことでもない。それだけ日本社会が安定しており、若者にとっては慣れ親しんだ国内生活が楽だからなのだろう。

しかし今や日本は、かつての貿易立国ではなく、経常収支は海外進出した企業からの資金還流で、かろうじて黒字と成っているのである。つまり国内にいる若者たちは、企業と共に海外に出稼ぎに行っている先輩経営者や技術者の稼ぎのおかげで、安穏と生活できているわけである。だが、かつて海外に雄飛した日本人たちも、すでに高齢化し、海外で引き続き働き続けることが難しくなってきている。

日本にまったく技術者が枯渇してしまったわけではない。少数ではあるが、若者が技術を継承している。縫製工場の現場で、汗を出して働いている大学出の若者もいる。ありがたいことに、彼らは英語が話せ、海外向きである。ところが、残念ながら、彼らはたとえ薄給でも国内希望で、海外には出たがらない。海外進出企業での、高齢者から若者へのバトンタッチはまず不可能な現況である。

海外の現場は、日々刻々と老齢化しており、そこから聞こえてくるのは、「俺たちの若いころは……」という、かつての勇者の空威張りの声のみである。その勇者たちも、死に場所は日本と定めている人が多い。彼らは海外現場を放り出し、祖国日本に帰り、「住み慣れたわが家で死にたい」という願望を根強く抱いている。

したがって、今のところ、私の勧める「海外老人ホーム」への希望者は皆無である。今、1億2500万人ほどの日本人が、すべて、国内にひきこもってしまおうとしているのが、現況である。

2.家庭内ひきこもり

最近、日本国内では痛ましい事件が引き続き、メディアではそれらがひきこもりを遠因としているような報道がなされている。たしかに、今、日本では家庭内にひきこもっている人は100万人を超しており、その中の約6割が40~64歳の中高年ひきこもりだという。つまり、かつての勇者である団塊の世代の子弟=団塊ジュニアにひきこもりが多いということである。

戦後の日本人は、「24時間働けますか」を合言葉に必死で働き、海外に打って出て稼ぎ、日本を豊かにし、世界第2位の経済大国に成長させた。しかしそれは、結果として、その子弟に安楽な環境を作り出し、彼らからハングリー精神やチャレンジ精神を奪い、国内・家庭内ひきこもりを招来してしまったのである。

メディアでは、このところ、ひきこもり解決策が多くの専門家によって語られている。しかしそれらは、ほとんどが対象療法であり、原因療法ではない。家庭内ひきこもりについては、その原因を断つことが肝心であり、対症療法には限界がある。また原因療法にも、家庭における個人的努力と、社会における環境造成努力がある。

家庭における原因療法は、幼少のときから始める必要がある。ひきこもってしまってからでは遅いのである。子供が両親に依存しなければ生きていけないという心境にあるときから、つまり親の権威があるうちに、強制的に自立心を植えつけることが重要である。

それは虐待ではなく、深い愛情に裏打ちされた教育手法である。私の尊敬する会田雄次先生は、「教育とは、親から早く自立するための手段を与えることである」と説いている。

私は自分の子供たちをできるだけ早く自立させるために、子供たちが物心つき始めたころから、厳しく育てた。また常に、「親の責任は中学校卒業まで。後は自分で決心して、親から離れて進め」と言い聞かせた。そして子供たちが中学校を卒業したら、誰も知人のいない外国に、一人で武者修行に出すことにしていた。

長男はエジプト、長女はスペイン、次男はバングラデシュに行かせた。子供たちは3人とも、行きたくない様子だったが、私は子供たちに、本気で、「外国に行くか、それとも家を出て自力で生きて行くか」と、詰め寄った。子供たちはシブシブ、私の指示に従った。

長男はエジプトから帰国後、岐阜高校から東京大学へと進み、自分の趣味を生かせる民間会社に就職し、今では優雅に暮らしている。彼は見事に、親父を超えた。長女はスペインのブルゴスの修道院で1年間を過ごし、帰国後、聖マリア女学院高校、上智大学へ進み、一般企業に就職した。しかしそれに飽き足らず、再度勉強し直して、現在、札幌の聖心女学院高校で教鞭をとっている。

次男はバングラデシュ滞在中に「腸チフス」に罹り、入院・闘病生活を余儀なくされた。私たち夫婦は彼の生命力を信じ、ブイヤンさんに全てを託し、見舞いには行かなかった。ダッカで1年を過ごし、ほうほうの体で帰国した次男だったが、その彼が、20数年後、バングラデシュへのわが社の工場進出の立役者になったのだ。子供を自立させるという教育手法が、逆に、私の人生とわが社を救ったのである。人生とは面白いものである。

しかし、この私の教育手法は、今のところ、孫の教育には活かされていない。子供たちにとって、私の教育手法は、やはり嫌だったのだろう。

3.根本対策→「若者が夢を抱ける社会に」

① 人生100年時代は、高学歴神話から抜け出すチャンス

昨今、高学歴の高齢者の引き起こす事件が目立つ。東大を出て事務次官までやった高齢者が、息子を刺殺した事件などはその典型である。これは70代前半まで通用した高学歴が、人生100年時代には、無用物と化すことの証明でもある。また、どんな高学歴の人であっても、90代に入れば、程度の差はあるが、認知症になる。そこは学力や学歴とは関係のない世界なのである。

その意味で、最近の事象は若者に高学歴神話から抜け出すための、好材料を提供しているとも言える。人間の幸福は、最後の10年で決まると言われる。その最後の10年は、高学歴とは関係がない世界なのである。しからば人生最後の10年を輝かせるための必要十分条件とは何か。

それは高学歴ではないことは確かである。東大や京大に進んだ私の友人たちを見ても、彼らの最近の生活が充実しているとは、とても思えない。彼らに強い学歴コンプレックスを感じていた私だが、最近では、彼らを気の毒にさえ思う。なぜなら、「大病を患い病院のベッドに臥せっている友人、すでに鬼籍に入ってしまった友人、詐欺事件に巻き込まれ晩節を汚してしまった友人、不当解雇の被告として新聞に不名誉な記事を載せられた友人、などなど」、彼らがいまだに学歴という重い鎧を着続け、孤高を持している姿を目のあたりにしているからである。

最近、いろいろな分野で新学説が登場してきており、それが学問への懐疑と教育方法の見直しを迫っている。たとえば私の趣味分野である戦国史においても、「関ケ原の戦いはなかった」・「長篠の戦いで鉄砲の三段撃ちはなかった」などなどの新説がでてきている。

また先日、ある勉強会で、「小山評定はなかった」・「大谷刑部はハンセン病ではなかったし、石田三成より五歳年下である」という説を聞いた。その先生は、手紙などの第一級資料を丁寧に紹介して自説を展開された。私は呆気にとられ、「私はいったい何を学び、何を教えてきたのか」と、煩悶した。なお戦国史だけでなく、歴史の見直しに関する新説は、今、百家争鳴・百花繚乱状態である。

またこれは、歴史だけでなく、人文・社会・自然科学など全般にわたって生起していることであり、今や、「学説や教育方法を見直し、高学歴神話から抜け出す絶好のチャンスが到来している」と言えるのではないだろうか。

人生最後の10年を輝かしく楽しいものにするのに、絶対に必要なものは3本の矢である。

1本目は体力、2本目は資金力である。これらは高学歴とは無関係である。
3本目は自己決定力・チャレンジ精神である。多くの高齢者関連本には、「気力」などと書かれていることもある。

サラリーマン生活を長く続けた高齢者たちが、定年後、もっとも困るのは、「指図してくれる人がいなくなり、すべてを自己責任で自己決定しなければならず、何をしてよいかわからないこと」だと言われている。「社畜」として飼いならされ、そこに安住してきた人は、突然、荒野に放たれても戸惑うだけなのである。高齢者が最後の10年を輝かしく楽しく生きるために必要な3本目の矢は、「自己決定力・チャレンジ精神」である。そしてこれもまた高学歴とは無関係である。

② チャレンジは楽しい

現代の若者の多くは保守化しており、現状維持を望んでいる。リスクに挑戦することを嫌い、大きく生活を転換する勇気を失ってしまっている。それは、彼らには、「チャレンジが楽しい」という体験が少ないからだろう。

もちろんチャレンジにはリスクがつきものであり、失敗すれば受けるショックは大きい。しかしリスクを取りチャレンジすれば、それが実を結んだとき、楽しさや嬉しさは倍増するし、感激もひとしおである。逆にリスクを取らず、チャレンジしなければ、感激は半減し、楽しくない。

日本の誇る製造業の事業所数は、1980年代後半をピークに、今では半減している。そして今後、加速度的に減っていくものと見られている。その主たる原因は後継者難である。中小零細企業を経営する両親の苦労を見て育った子供たちは、まず跡を継がない。

やむを得ず、社員の中の優秀な若者に社長職を譲ろうとしても、その奥さんが、「普通のサラリーマンで、安穏とした生活を送りたい。もし社長を引き受けるなら、離婚させてもらいます」と猛反対するという。奥さんがリスクを避けるのである。かくして、日本から製造業者が消えていく。

人間にチャレンジ精神は必要不可欠である。またリスクのないところに楽しみもない。高齢者とても同様である。高齢者関連本の多くが、「高齢者の元気の秘訣は異性の友人をみつけることである」と書いている。すでに人畜無害となった身である高齢者は、不倫という観念から解放されて、雄々しく異性にチャレンジすればよい。ただし、それにはリスクもある。失恋の痛手は大きく、嫉妬の炎も燃え盛る。だからこそ、老いらくの恋は楽しい。

③ 高齢者は国家の借金を返済し、海外へ雄飛せよ!  

高度成長期の主役は若者だった。彼らは一攫千金を夢見て、続々と脱サラ・起業していった。そして目算通り金持ちになっていった。その根底にはハングリー精神があったのだが、それ以上に、起業の成功確率が高かった。親族や隣人の中にも、脱サラ・起業成功組の姿を見ることができた。

しかも当時の社会には、若者が多く、高齢者が少なった。したがって若者への財政負担も少なく、年金破綻など想定外で、若者の未来はバラ色のムードに包まれていた。そのムードが、高度成長・脱サラブームを後押ししていたとも言える。

現代の若者たちからチャレンジ精神を奪ったのは、第一に長く続く不景気の結果の成功確率の低さでもある。若者たちは、「何をやっても儲からないから、サラリーマン生活に安住していた方がいい」と考え、リスクを取って脱サラなどしない。

その上、現代には、若者が少なく、高齢者が多い。メディアなどでは、これから若者の財政負担が大きく増え、年金や医療制度が崩壊すると喧しく報じている。そのムードが若者の心をますます暗くし、彼らからチャレンジ精神を奪っているのである。

今さら高度成長期を再現するわけにはいかないが、日本を若者中心の国に作り変えることはできる。高齢者が自ら海外に飛び出せばよいのである。これで日本から高齢者が物理的に減り、日本は若者の国になる。

現在、高齢者は600兆円の資金を持っていると言われている。しかもその中の200兆円は、認知症の高齢者のものだそうである。まさにこれらは宝の持ち腐れである。高齢者はこのお金で日本国債を買い、死んだら国に無償譲渡すればよい。ただし金利は5%以上。こうすれば高齢者の持ち金で、自動的に国家の借金が完済される。

海外に出て行った高齢者は、死に場所を求めて行くのだから、手厚い医療や介護は不要である。したがってその分の若者の財政負担もかなり軽減される。かくして日本は世界に冠たる無借金国家となり、若者の国になる。

高齢者たちが、若いころの「何でもみてやろう」のチャレンジ精神を思い出し、国内ひきこもり現象を吹き飛ばし、海外に雄飛し、日本の若者たちに、その雄々しい後ろ姿を見せればよいのである。少数でも、その先陣を切る高齢者が現れ、メディアがそれを大きく取り上げれば、日本社会のムードは一変する。そのムードを醸成するだけで、日本経済は復活する。そして日本からひきこもりが居なくなる。

 

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清話会  小島正憲氏 (㈱小島衣料オーナー )
1947年岐阜市生まれ。 同志社大学卒業後、小島衣料入社。 80年小島衣料代表取締役就任。2003年中小企業家同友会上海倶楽部副代表に就任。現代兵法経営研究会主宰。06年 中国吉林省琿春市・敦化市「経済顧問」に就任。香港美朋有限公司董事長、中小企業家同友会上海倶楽部代表、中国黒龍江省牡丹江市「経済顧問」等を歴任。中 国政府外国人専門家賞「友誼賞」、中部ニュービジネス協議会「アントレプレナー賞」受賞等国内外の表彰多数。