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「韓国映画『パラサイト』に関連して」(日比恆明)

【特別リポート】
「韓国映画『パラサイト』に関連して」

日比 恆明氏(弁理士)

昨年、第72回カンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞したのは、韓国映画「パラサイト 半地下の家族」でした。映画のあらすじは、全員失業中で日々の暮らしに困窮していたキム一家が富裕層であるパク一家の豪邸を乗っ取る、というものです。ストーリーでは、現代韓国の格差社会の実態を批判しています。なお、私はこの映画を見ていないので、単に映画の広告の受け売りですが。

さて、貧乏人のキム一家が住んでいたのはソウル市内に実在する半地下住宅でした。映画でキム一家の住居を半地下住宅に設定したのは、「貧困家庭」の象徴だからです。

半地下住宅が発生したのは北朝鮮と関係があり、有事の際の避難場所として使うため、1970年代より韓国政府は地下室の設置を義務化しました。高湿度でカビが生え、不衛生な半地下住宅であっても家賃が安いため、貧しい家庭が住み着くようになりました。2015年の韓国統計庁による住宅調査では、約82万人が半地下住宅で暮らしているとのことです。

生活環境が劣悪な半地下住宅に居住しなければならない根本原因は、韓国特有の超格差社会にあります。格差が始まったのは、1997年の年末に韓国を襲った「IMF 危機」からと言われ、複数の要因があるようですが、それらは各種のブログに掲載されているため、そちらをご参照下さい。


        写真1
 
昨年、ソウルを40年振りに訪れましたが、この旅行の目的の一つは貧富の差がどの程度であるかを実体験するためでした。そのためソウル市内にある「タルトンネ」を見学しました。

「タルトンネ」とは、韓国語で「月の町」という意味です。月に一番近い町ということは、即ち丘の上にある町であり、急峻な坂の上に建てられた住宅街ということになります。急峻な坂の上の不便な土地に住宅を建設しなければならなかったのは、土地が安かった(或いは、不法占拠)からでした。

タルトンネが発生した原因は複数あります。朝鮮戦争による北からの難民の増加、農村からの移住者の増加などにより、ソウル市では極端に住宅事情が悪化しました。このため、経済的に貧困な家庭では、交通に不便な急斜面や山の頂上の土地に住宅を建設したことに始まると言われています。

タルトンネは再開発やスラムの一掃運動により徐々に減っているようですが、現在、ソウル市には未だ数カ所が残っているようです。市内中心部に近いタルトンネは観光地化してしまった所もあるようです。今回、私が訪れたのは、ソウル中心部から地下鉄で30分ほど離れた郊外にある 104村と呼ばれるタルトンネです。

写真1は、その 104村の頂上から市街地を望んだものです。一番近い盧原駅からは3キロほど離れた山の急斜面に小さな住宅が密集しています。遠方に見える近代的な高層マンションと対比されることが多く、時々この位置から撮影された画像がネットで公開されています。

駅でタクシーに乗車したところ、中年の運転手は「あんな場所に出掛けるとは、物好きな日本人だな」という顔をしていました。町の下から頂上までの道路は20度くらいの急斜面であり、とても歩いて登れるような坂ではありませんでした。しかし、ここに住む人達は、生活を維持するため毎日この坂を昇り降りしているはずで、難儀なことではないかと思われます。


        写真2


        写真3
 
この土地は不法占拠のようで、坂の下の看板には「中渓本洞住宅再開発」の文字が掲げられていて、この地も再開発の対象となっていました。住宅はどれも有り合わせの板材が使われていて、如何にもな風情でした。立ち退きが終わり、取り壊しが決まった住宅の入口には赤いペンキで○のマークが塗られていました。

貧しい住宅ですが、40年前に私が訪韓した時はこれらよりももっと悲惨な住宅を見た記憶があります。それらは「ハコバン(箱部屋)」と呼ばれ、ソウル市の中心部近くでも見かけられました。空き地や道路脇などにベニヤ板で建てられた3畳ほどのハコバンには、家族4人が居住していました。当時の住宅事情は相当に酷かったのでした。

また、深夜の9時過ぎでも、繁華街には多数の小中学生が所在無くたたずんでいるのを目撃したことがありました。後日考えてみたら、住宅事情が悪く、自宅にくつろげる空間がないからではないか、と推測しました。40年前の韓国はそれほど発展途上にあったのです。


        写真4
 
不法占拠の住宅であっても、上下水道、電気、電話のインフラは整っているようです。ガスは供給されていないようで、このように練炭を使用している家庭もありました。

貧しい住宅街ですが住んでいる人達は決して悪人ではありません。道路や路地は綺麗に掃除されていて、ゴミなどは落ちていません。集落には教会や公民館などもあり、住民が交流するコミュニティーも整っているようです。ただ、居住している人達が貧しいだけなのです。貧しさの象徴が住宅に現れているのです。

ソウル市には半地下住宅よりも更に劣悪な「考試院」と呼ばれるアパートがあるようです。フロアーを2畳、3畳程度の部屋に区切ったもので、トイレ、シャワー、台所は共同です。元々は学生向けのアパートであったのですが、近年は非正規労働者が多く住むようになったとのことです。

こちらも見学したかったのですが、場所が不明のため訪問できませんでした。日本のネットカフェとほぼ同じ形態であり、日本も格差社会に突入しているようです。


        写真5

別の日の夜に、ソウル駅に出掛けました。駅前の広場には多数のホームレスが野宿していました。社会から落ちこぼれた人なのですが、福祉の援助が行き届かないようです。生活保護制度もあるようですが、失業者が多い現状では手が回らないようです。

撮影したのは秋口であったので野宿も可能でしょうが、ソウルの冬季はマイナス20度にもなります。彼らはどのようにして過ごすのか心配です。
 
40年前のソウル駅前では、新聞やビニール傘を売る子供が多数たむろしていたのを目撃しました。ビニール傘といっても現在の中国製のようなものではなく、細い竹の上端に竹ひごの骨を結び付け、竹ひごの骨にポリ袋のような薄さのビニールを張った手製の貧弱なものでした。一回使ったら二度と使用できないものでした。このビニール傘を売っていた少年を撮影したドキュメンタリー映画がその後に公開されたことを記憶しています(タイトルは忘れた)。
 
また、40年前の繁華街には「コミッサリー」と呼ばれるドルショップがありました。現在の免税店のような店ではなく、ドルでなければ商品を購入できない店舗です。当時の韓国は外貨保有高が貧弱であり、輸入品はドルショップでしか購入できませんでした。在韓米軍の兵士や外人観光客から外貨を稼ぐために設置されたものでした。

コミッサリーの前には、外人観光客にドル札を渡し、外国製品の購入を依頼したい韓国人がたむろしていました。当時の韓国の物価は日本のそれと比べて半分以下であった記憶があり、それ程貧しかったのです。韓国が現在のように発展するとは誰も想像できなかったでしょう。


        写真6

ソウルの市内を歩いているだけでは、格差社会や経済の困窮さを感じ取ることはできませんでした。街を歩いている人達のファッションは日本とほぼ変わらず、飲食店には料理が溢れていました。しかし、物価は日本とほぼ変わらず、平均収入は日本に比べて安いため生活は苦しいと推測されます。

2017年の韓国雇用労働部による雇用実態調査では、正規職の労働者の平均年収は約320 万円であり、中央値は約250 万円となっています。これはあくまでも平均値であり、大企業の従業員では約594 万円であるのに対して、中小企業では約331 万円となります。さらには、財閥系の大企業では年収1000万円の従業員は珍しくなく、企業規模により待遇の格差があり、これが格差社会の根源となっているようです。

韓国の収入統計には他にもあるようですが、非正規の労働者や失業者を除外していてどれが正確であるか判断できません。映画「パラサイト」にあるように、生活困窮家庭の年収はさらに少ないと思われます。

こうしたことから、ソウルの市内を歩いて感じるのは「社会全体がせわしなく動いている」ことです。商店や食堂の対応はセカセカしていてゆとりがないのです。

その一例がタクシーの運転手です。市内でタクシーを拾うと、正規の料金で乗車できるのは数回の内で一回くらいの確率でした。乗車前に運転手から2倍から3倍の料金を提示され、そこから値段の交渉となっていました。運転手も生活が苦しいため、メーター通りの料金では生活が成り立たないのでしょう。

今回の旅行中、或るタクシーに乗車した際に、通常であれば約2000円の料金のところを約4500円も請求されました。メーターの表示は隠し、料金を払うまで手を握って放しませんでした。写真6の運転手がそれです。

余りにも悪質のため、帰国してから韓国観光協会が開設しているホームページの苦情受付窓口に写真と共に苦情を申し込みました。1週間ほどしてから、担当者からは「該当する運転手を調査しました。メーター料金と比較しましたが貴方が支払った領収書が無いためこれ以上追求することができませんでした」という内容の回答が到着しました。

窓口の対応は親切でしたが、ぼられた料金に領収書を発行するような運転手はいないはずで、この回答には少々納得がいかないものでした。

しかし、韓国観光協会が海外旅行者のために、日本語での苦情窓口を開設しているのも不思議なことです。それだけ韓国の旅行者にはトラブルが多いのでは、と推測されます。

市内の繁華街である明洞のみやげ物屋では、強引な押し売りや不法に高額な価格での販売が多いようです(ネットの上での掲示ですが)。このため、政府としては外国観光客の印象を良くするため、苦情の窓口を設けたようです。

しかし、その根本原因は、中小の小売店や非正規労働者の収入が少ないことにあります。彼らにとって、とりあえず、目先の収入を多くしたい、という焦る気持ちがあるようです。この問題を解決するには、物価を下げるか、非正規労働者の収入を上げるか、のどちらかの政策を施行しなければ解決しないと思われました。