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「新型コロナウイルスでわかったこと」(後編)(小島正憲)

小島正憲氏のアジア論考
「新型コロナウイルスでわかったこと」(後編)

小島正憲氏((株)小島衣料オーナー)

3.宗教は無力だった

宗教学者の島田裕巳氏は、近著『捨てられる宗教』(SB新書)で、
「かつて、流行病が起こったとき、医学に頼ることができなかった人々は、宗教に救いを求めた。宗教が直接に病を治してくれたわけではないが。だが、宗教に頼る以外、方法がなかったのである」
「新型コロナウイルスの流行では宗教団体がかえって感染を広める役割を果たしてしまった」
「葬式も、感染を拡大する危険性があるとして規模が縮小されたり、会食を見合わせる傾向が強まった。これは、ここのところ進行していた葬式の簡略化をいっそう推し進めることとなった」
と書いている。

つまり、新型コロナウイルスの前には、「宗教は無力だった、むしろ有害だった」と指摘し、「コロナが宗教衰退を加速させるだろう」と予測しているのである。

たしかに、韓国ではキリスト教の教会での集団礼拝が、信者にコロナウイルスを拡散させた。その他の多くの国でも、宗教の如何を問わず、集団礼拝が禁止、もしくは注意喚起された。その意味で、宗教が無力であり、むしろ有害でもあったことは事実である。新型コロナウイルスが長期化すれば、宗教は間違いなく衰退するだろう。

私は、新型コロナウイルスは、日本が当面し、当惑している超高齢社会に、自然が与えてくれた天恵だと考える。人生50年時代の高齢者は、長寿を願い、宗教に頼り、死後に極楽や天国に行くことを願った。ことに仏教徒は現世を苦と捉え、極楽往生を目指し、ひたすら経文を唱えた。

しかし人生100年時代を迎えた高齢者は、ことさらに長寿を望んではいない。すでに、高齢者は十分に生き、その人生に満足している者が多いからである。むしろ、高齢者の中には、「人生100年時代をどう生きて良いかわからず、早く死にたい」と思っている者も少なくない。

高齢者の家族たちも、高齢者の介護に疲れ果て、本心ではそれから早く解放されたいと思っている。新型コロナウイルスでの死者は、ほとんどが高齢者である。若者には死者は少ない。超高齢社会にとって、こんな都合の良い病気はないのである。

現代日本の超高齢者は、「人類史上最高に幸せな時代」を生きてきた。ことに団塊の世代は、「戦争に駆り出されなかったし、飢え死にもしなかった。民主主義のもとでの自由を謳歌し、その上長寿を全うした」のである。いわば、この世で極楽を体験したのである。

これ以上、何を求めるのか。ただし、これらの史上最高の幸福は、史上最大の借金(政府)の上に成り立ったものであり、その享受者は借金を返済する義務がある。だが、その目途さえもついておらず、高齢者は「食い逃げ」しようとしている。

それどころか、政府が新型コロナウイルスから、高齢者を守るために、人間の移動を制限しステイホームを勧めたため、経済は停滞してしまい、政府は沈んだ景気を浮揚させるために、さらに借金を上乗せしなければならなくなった。

今こそ、高齢者は、「我々のことを気にせず、経済活動を活発化せよ。病院は若者優先で医療崩壊を防げ。我々は十分生きた。死は怖れない」と、声を上げるべきだ。人生100年時代を前にして、モラルの大転換が必要なのである。 

4.民主主義は頼りなかった

世界各国の新型コロナウイルス対策は一様ではなかった。コロナ発生の地の中国では、いち早く武漢封鎖という強権を発動し、人民の行動の自由を完全に奪い、中国全土への感染拡大を防いだ。武漢の人民は、政府からの生活補助なども全くなかったが、その指示に従い、長期間、自宅に閉じこもった。

その後、全国で散発的な感染は見られているが、致命的な事態には至っておらず、中国共産党の強権発動が、その後の経済再生を速やかにしたともいえる。この結果、国際世論にも、中国共産党のこのような独裁的手法こそが、危機に際しては有効であるという主張が現れた。

民主主義国家を標榜する欧米でも、一部の例外国を除き、感染拡大阻止のため、都市封鎖など罰則付きの強権的な手法が取られた。各国人民は、自国政府から各様の支援策を受け取り、それに従ったが、中途半端だったためか、感染拡大は完全には抑え込めなかった。

冬季に入って、それぞれの国が第2波に襲われ、再び、外出制限やレストランなどの営業時間規制に乗り出さざるを得なくなっている。もちろん、早期の経済再生などは望めず、欧州全体が陰鬱な空気に覆われている。

日本政府は、コロナの感染拡大に直面して、学校などの休校、レストランなどへの営業時間制限、遠出の自粛や「手洗い、マスク、ソーシャルディスタンス」の順守を要請した。これらはすべて罰則なしであり、中にはそれを破る者もいたが、ほとんどの国民がそれに従った。一部には自粛警察が出現したり、強い「同調圧力」が問題視されもしたが、日本国民は政府の要請に応えて、自粛生活に耐えた。

日本政府は、国民一律に10万円を給付したり、企業などに各種の支援金を出した。また、コロナが下火になってきた頃合いを見計らって、経済再生のために、GO TO……政策を展開した。結果として、日本におけるコロナの死者数は他国と比べてかなり少なく、世界各国から、この日本政府の対応が、「日本モデル」と注目されることになった。

しかし、この政府の対策は、「場当たり」的なものであり、称賛に値するものではなかった。日本国民にとっては、未解決の問題も多く、逆に、民主主義国家日本の頼りなさを国民に自覚させるものだった。

今、世界では、新型コロナウイルスに対して、「危機に際してどの体制が有効だったか、つまり独裁か民主か」が、喧しく論じられている。

たしかに、独裁国家である中国の強権発動は、「コロナの封じ込めに成功し、欧米に先んじて経済再生の途に就いた」ように見える。これに対して、宇野重規氏は、近著『民主主義とは何か』(講談社現代新書)で、
「ウイルス感染の確実な防止策がまだない以上、今後も試行錯誤を続けていくしかありません。独裁的な対応は一時的には有効に見えても、自由で多様なアイディアの表出や実験を許さない以上、長期的には選択肢を狭める結果になります。より重要なのは、一人ひとりの市民による自覚的な取り組みの強化であり、政府への信頼を高めることで、有効な取り組みを社会的に共有していくことではないでしょうか」
と、独裁への否定的見解を示し、民主主義社会に住む人民への期待を込めている。

しかし、残念ながら、その民主主義が、今や、機能不全に陥っている。米国の大統領選を見るまでもなく、民主主義の根幹を成す選挙制度は、国民を分断させる契機となりさがっている。

住民投票と言われるものでも、英国のブレグジット、日本の大阪都構想など、住民の意見は真半分に分れ、敗北した半分は無視される結果となっている。民主主義は多数決を基にしているが、それは同時に、少数意見の尊重が不可欠と言われ続けてきた。

しかし、今や、半数の意見さえも無視されることになったのである。大阪都構想の住民投票を見ると、多くの住民には、「どちらの主張が正しいかが判断不能」だったように思う。米国大統領選におけるテレビ討論の愚は論外としても、政治家などのディベートを聞いていても、どちらもエビデンスや統計数字を振りかざし、自己の正しさをアピールするので、視聴者は判定に苦しみ、結果として、服装や所作などの外見で判断するというような無様なことになっている。それは理性の崩壊であり、民主主義の否定に帰結する。

しかも現代のネット社会では、巷に出所不明で匿名のフェイクニュースが溢れかえっている。このような時代だからこそ、それらに振り回されることなく、信頼できる情報網を持ち、自らの目で確かめ、自らの意志を固め、民主主義を擁護しなければならない。

また人生100年時代の今こそ、高齢者も責任を持ち民主主義を守り、選挙システムの検討、職業政治家の排除、2大政党制の検討など、選挙以外で当事者意識が持てる民主主義システムなど、民主主義のヴァージョンアップを図らなければならない。
  
5.残ったのは借金拡大競争だった

1990年代初め、ソ連邦が崩壊したとき、資本主義陣営に与する国々は、高らかに、「資本主義は社会主義に勝利した」と宣言した。

しかし、その後の世界の動きが証明したのは、「社会主義が敗北した」という反面のみだった。残念ながら、資本主義陣営は借金経済競争に巻き込まれ、いずれの国も財政面では破綻寸前となり、とても、「資本主義が勝利した」とは言い切れない状況に陥ったからである。

2020年、地球上のすべての国々が新型コロナウイルスに襲われ、国々は門戸を閉ざし、人間の往来を厳しく制限した。また、ごく少数の国を除いて、新型コロナウイルスの感染を封じ込めるために、都市封鎖やレストラン・商店・工場などの強制閉鎖を行った。

当然のことながら、その結果、経済が大きく冷え込み、人民の生活は極度に疲弊した。各国政府は経済を立て直すために、巨額の金融財政出動を行わざるを得ず、健全財政への道を放棄、あるいは一時的に棚上げして、更なる借金拡大競争に突き進むことになった。

国際通貨基金(IMF)は、2020年の世界全体の政府債務が世界の国内総生産(GDP、約90兆ドル)にほぼ匹敵する規模になると予測している。第2・3波の到来や、景気の悪化による税収減なども加味すると、さらに債務が膨らむ可能性がある。

ちなみに、日本の債務はGDP比182%、米国は126%、中国は9月末で270%。日本政府も、「今は危機克服が先決」だとして、各国政府に負けじと、国債の発行に裏付けられた幾多の巨額の支援策を繰り出している。

しかし、日本の国と地方の長期債務残高は、すでに1100兆円まで膨らんでいる。政府はコロナ以前も、国家財政の健全化について、有効な手を打てておらず、まったく成果を上げていない。そこにコロナが襲来したので、財政健全化はしばらく棚上げとなり、さらなる借金の上積みへと進まざるを得ず、国際間の借金拡大競争に巻き込まれてしまっている。

エコノミストの中には、「国債残高は心配する必要がない、どんどん発行し経済を活性化せよ」という意見がある。一方、「健全財政の確立」を強く主張する者もいる。どちらも科学的と思われる統計数字やエビデンスを駆使して、自説を展開している。

残念ながら、彼らのディベートを聞いても、私には、どちらの側が正しいかを判定することができない。それでも、「借金は返さなくてもよい」という風潮が、社会に蔓延するのは防がなくてはならない。徳政令の例を持ち出すまでもなく、「借金棒引き」は、社会のモラルを崩壊させ、国家をも破綻させるからである。だから、政府は財政再建への道筋を明確に示し、それを着実に遂行しなければならない。

財政再建には二つの方向がある。一つは、これ以上、借金を増やさないことであり、まず医療・介護費を削減することである。

この半年、多くの人がコロナの感染を恐れ、通院を控えた結果、赤字になった病院が多いという。つまり、これは高齢者などの無駄な病院通いが減った結果でもある。このままの状態が続けば、医療費は削減できる。加えて安楽死の是認、高齢者の海外移出などの策を施せば、介護費も削減できる。

もう一つは借金を返済することである。まず、高齢者が国債を購入し、死んだら国債を放棄し、国庫に返還すればよい。これで大半の国債は消化できる。その結果、景気が上向き、税収が増え、財政再建が可能となる。巷には、まだまだ多くのアイディアがあると思う。

私の極論には、「非科学的であり、馬鹿げている」という反論があるだろう。ただ私は、「経済学も科学である。だから万能ではないし、確たるエビデンスもない。しかし未知の世界を前にして、逡巡していても仕方がない。とにかく思考(試行)錯誤してみることである」と言いたいのである。

思い切って構造特区などを活用して、試行してみることである。だめならすぐにやめればよい。この面では、日本は中国に学ぶべきである。

 

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清話会  小島正憲氏 (㈱小島衣料オーナー )
1947年岐阜市生まれ。 同志社大学卒業後、小島衣料入社。 80年小島衣料代表取締役就任。2003年中小企業家同友会上海倶楽部副代表に就任。現代兵法経営研究会主宰。06年 中国吉林省琿春市・敦化市「経済顧問」に就任。香港美朋有限公司董事長、中小企業家同友会上海倶楽部代表、中国黒龍江省牡丹江市「経済顧問」等を歴任。中 国政府外国人専門家賞「友誼賞」、中部ニュービジネス協議会「アントレプレナー賞」受賞等国内外の表彰多数。