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「人生100年時代の親子論」(小島正憲)

【小島正憲の「読後雑感」】
「人生100年時代の親子論」
1.「子育ては難しい」 2.「親子の縁を切る」 3.「楽しく死ぬ」

小島正憲氏 ((株)小島衣料オーナー )

1.「子育ては難しい」

菅義偉首相は、長男・正剛氏が勤める放送事業会社「東北新社」による総務省幹部の接待問題で、窮地に陥っている。父親である菅首相は、「総務省とは距離を置いて付き合うように」などと息子に注意していたようだが、息子は父親の言いつけを守らず、総務省幹部と会食を重ねた。さすがに、たたき上げの父親も、この息子の愚行には、国会での質疑に、「(長男は)別人格」と述べ、「驚いた」と応答せざるを得なかった。

2019年6月、農林水産省の元事務次官の熊沢英昭被告(76歳)が、東京都練馬区の自宅で長男(当時44歳)を刺殺した。ひきこもりがちだった長男の家庭内暴力に悩み、東京大学を出て頂点にまで登り詰めたエリート官僚の凶行として、巷の関心事となった。父親は、発達障害だった息子に、長年にわたって献身的に寄り添ってきたが、他の引きこもり男性の凶行事件にも影響を受け、とうとう自らの手を下さざるを得なかった模様だ。

子育ては難しい。宗教学者の島田裕巳氏は近著『いつまでも親がいる』の中で、子育ての難しさについて、
「親の思い通りにはいかず、子どもはかえって思わぬ方向に向かっていく。それも、子どもにはそれぞれの個性というものが備わっていて、それは親の予想できないものであったりするからです」
と書いている。

このように、親がたたき上げであろうが、エリートであろうが、子育ては難しいのである。

2.「親子の縁を切る」

島田氏は前掲著で、
「子どもにとっては、自立することがもっとも重要なことで、いつまでも親に守られているわけにはいきません」
と書き、続けて、親の立場から、
「社会生活をうまく送っていくには、日本の社会特有の仕組みを理解し、それに従って生きていく、その方向に子どもを育てていく。それは有益であるように思えます。しかし、それは問題が起こらない状態のことで、ひとたび何かの問題が生じてくれば、ただ社会の仕組みに従い、上下の関係を尊重していればいいということになりません。パワハラの被害にあったとき、いったいどうすればいいのか、親はそれを想定し、それに対する対処の仕方を子どもに示していく必要があるはずです。子どもを自立させる上で、最終的にその点が重要になってくるのではないでしょうか
と書いている。

また子どもの側に立ち、
「家庭環境はとても大切です。しかし、育っていく過程で、そうした境遇を乗り越えることはいくらでもできます。少なくともその可能性はあります。恵まれない家庭に育ったとして、それを嘆いたとしても何も変わりません。大切な人生ですから、自分で切り開いていくしかないのです。自分の人生を本人が大切にし、困難を乗り越えていかなければ、結局は自分のためにはなりません。親がいて自分がいるのは事実であるにしても、自分の人生が親によってすべて決まるわけではありません」
と書いている。

40年ほど前、私も会田雄次氏の著書の中に、
「教育とは、子どもを、より早く自立させるための手段である」
という文章をみつけ、それに強く感銘を受けた。そして、「自分の子どもたちを、できるだけ早く自立させよう」と考え、今までになんども書いてきたことだが、高校1年時に海外武者修行をさせるという方針を打ち出した。もちろん私の最大の欠点である「気の弱さ」を、子どもたちには受け継がせたくないという理由もあった。

私たち夫婦は長男をエジプト、長女をスペイン、二男をバングラデシュに、それぞれ16歳のときに1年間、単独遊学させた。私たち夫婦は、「親子の縁を切る」決意で、子どもたちに自立を促した。1年後、帰ってきた子どもたちには、各人各様ではあったが、自立の気風が身についていた。

子育ての必要条件は、「親子の縁を切る」ことであり、子どもたちを自立させることである。

3.「楽しく死ぬ」

ここまでは、従来、私が述べ続けてきたことである。ところが最近、この持論に自信が持てなくなってきた。なぜか、「もの悲しく」なり、「親子の縁を切ってしまってよかったのか」という思いが忽然と頭をもたげてきたのである。まさか、自分が、後期高齢者の仲間入りをする手前で、このような気分に陥るとは思わなかった。

今までなら、このような心境になったとき、無二の親友と喫茶店でよもやま話をして、気分転換をしたのだが、今はその親友もこの世にはいない。現地調査や工場指導という名目で、やみくもに海外の地を飛び回れば、そんな気分は吹き飛んでしまうのだが、それはコロナによって封じられた。私はうつ病的になっているのだろうかとも思う。

だが、私はすでに親子の縁は切り、子どもたちを自立させた。その後、墓じまい・仏壇じまいを終え、子どもたち夫婦にリビングウイルも伝え終わった。そして約50年間住み続けた地を離れた。この1年間、コロナの影響もあって、子どもたちにも、孫たちにも会っていない。つまり、子どもたちとも、故郷とも縁が切れてしまったのである。

今さら、後戻りはできない。私は、断食修行や即身仏・臨終最適地調査を行い、自分自身の死に方や死に場所も決め、自らに、人生100年時代を1人で生き抜く覚悟を決めてきた。それでもなお、このような心境に陥っている。

作家で88歳の森村誠一氏も、近著『老いる意味』の中で、
「余生が長いということは人生の恩恵である。だが、恩恵が大きければ大きいほど、家族や仲間から置き去りにされる寂しさに耐えなければならない可能性は高くなる。高齢化社会では、寂しさに耐える覚悟が求められ、自分の死に対しては責任を持たなければならない。それがなければ、無責任な孤立死につながっていく」
と書いている。

たしかに、人生100年時代、親子の縁を切ってしまった者は、長い余生を1人で過ごさねばならない。親子の縁を切る覚悟は、寂しさに耐える覚悟で裏打ちされていなければならない。

最近、テレビを見ていると、保険や葬式、リースバックのコマーシャルがやたらと出てくる。そこによく出てくるのは、「子どもたちに迷惑を掛けたくない」という言葉である。だが、それらは親たちの幻想である。子どもたちの本音は、「早く死んでくれないか」なのである。

人生100年時代、「親子の縁を切った者」が、余生を寂しさに耐えて生き抜くには、「子どもたちに棄てられる覚悟」も必要なのである。日本には、世界に誇る「姥捨て山」思想があるではないか。親たちは、「子どもは親を捨てるもの」と、なんども強く、自らに言い聞かせて生きることである。

古典エッセイストの大塚ひかり氏はその著書『くそじじいとくそばばあの日本史』の中で、棄老について、
「日本に姥捨て伝説が数多く残るのも……実際には姥捨てはなかったとされているにもかかわらず……老人を捨てたいという心理があったり、老人にも捨てられる恐怖があったりするからこそ、つまりは強い共感を呼ぶ話だからこそ、です
「日本に“姥捨て”習慣はなかったとされますが、こうした説話が全国に広まった背景には、瀕死の病人を遺棄する習慣(江戸時代の徳川綱吉は捨て子、捨て牛馬と共に、“捨て病人”も禁止しています)があったこと、人々の心にも『老人は厄介だ』『捨てたい』という気持ちがあったであろうこと、が考えられます」
と書いている。

だが、それでは、あまりにも消極的である。余生という恩恵を与えられ、親子というしがらみから解放された高齢者は、人生100年時代を積極果敢に生き抜くべきである。

私は、まだ死にたくない。なぜなら、今まで、多くの人に迷惑をかけ続けてきた人生だったので、その方々に、お返しをしてから死にたいと思っているからである。幸い、そのための余生は、まだ残されている。とにかく、「日本国家の財政再建」、「安息死の合法化」、などなどを成し遂げたい。そして最後に、この世の天国を体験して、楽しく死んでいきたい。人生100年時代の新死生観を確立してから死にたい。

いずれにせよ今は、コロナ後の新時代にチャレンジするため、気力・知力・体力の増強をめざすべきである。「今からでも遅くはない」と、私は思っている。

※参考  
『いつまでも親がいる』 島田裕巳著 光文社新書 2021年2月28日
『老いる意味』 森村誠一著  中公新書ラクレ 2021年2月10日
『くそじじいとくそばばあの日本史』 大塚ひかり著 ポプラ新書 2020年10月5日

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清話会 小島正憲氏 (㈱小島衣料オーナー )
1947年生まれ。 同志社大学卒業後、小島衣料入社。 80年小島衣料代表取締役就任。2003年中小企業家同友会上海倶楽部副代表に就任。現代兵法経営研究会主宰。06年 中国吉林省琿春市・敦化 市「経済顧問」に就任。香港美朋有限公司董事長、中小企業家同友会上海倶楽部代表、中国黒龍江省牡丹江市「経済顧問」等を経ながら現職。中国政府 外国人専門家賞「友誼賞」、中部ニュービジネス協議会「アントレプレナー賞」受賞等国内外の表彰多数。