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【書評】『不安の哲学』(岸見一郎著) 評者:小島正憲

【小島正憲の「読後雑感」】
『不安の哲学』

岸見一郎著 祥伝社新書  2021年6月10日
帯の言葉 : 「不安の正体と処方箋」

哲学者の岸見氏は、まず、「不安の正体」として、
「何か決断をしなければならない時には、何か問題が起きないだろうかとこれから起こるであろうこと予測して不安になります」
「迷っている間は決めなくていいのです。しかし迷うのをやめた時、決めなければなりません。決断を先送りするためには、これからのことを思って不安になればいいのです。不安は決断をしないために作り出される感情なのです」
と書き出している。

岸見氏は、「パンデミックと不安」という章で、「真実を知ることが重要」「過剰に悲観的にならないこと」「今は仮の人生ではないということ」「今が非常時だとかんがえることも問題です」などと言い、
「私が危惧するのは、一時的にでも強い権限を持った政治家など指導者が、今後パンデミックが収まっても力を手放さないのではないかということです。さらに問題はそのようなリーダーが支持されるのは、常に一番の役割を演じすべての人の上に立とうとするリーダーに進んで服従する人=卑屈な人がいるからです」
と書いている。

たしかに、今のところ、コロナ封じ込めには民主主義国家よりも独裁国家の方が有利な様子を見せており、岸見氏の指摘も的外れではない。私は、非常時に集中した権力を、平時には人民に戻すような民主主義のシステムを考え出すべきだと思う。

岸見氏は、「対人関係の不安」という章で、
「対人関係で困難な経験をしたから不安になったのではなく、対人関係を避けるために不安を作りだす。これが不安になることの目的です。対人関係での困難を避けたい人がそうするための理由として不安を持ち出すのです。対人関係の困難は対人関係を避けるきっかけでしかありません」
「事実無根の噂を流し、行動を監視するような人はいるでしょうが、誰もがそんなことをするはずはありません。しかし、他者が自分を陥れようとする怖い人だと思い始めると、誰からいわれたわけでもないのに行動を自粛し、気が付けば自分もまた知らずして他者を監視していることに気づくようになります。他の人も決してそんな人ばかりではないことを知ることが、不安から脱却するために必要です」
と書いている。

岸見氏は、「仕事の不安」という章で、
「人生そのものが競争だと考える人は多いでしょう。高学歴で一流といわれる企業に就職していても安閑としていられません。競争社会においては、今は勝ちを収めていると思っていても、今後も常に勝ち続けていなければならないからです。ライバルの出現を恐れ、いつ何時競争社会の落伍者になるかもしれないと思って生き続けなければならないような人生を幸福だとは思えません」
「生きることは他者との競争であるという考えから脱却できれば、このような不毛な戦いしないですむでしょう」
「どうすればいいのか。ただ競争から降りればいいのです。何かの仕事をするにしても他の人と比べる必要はありませんし、比べることはできないのです」
と書いている。
この指摘は、私の歳になるとよく理解できるのだが、若い人には無理ではないか。

岸見氏は、「老いの不安」という章で、
「老いは“退化”ではなく“変化”です。老いた今が若いときと比べて劣っているわけではなく、ただ老いているという状態にあるだけと見るということです。逆にいえば、健康や若さがプラスであると見る必要はありません」
「歳をとればできないことは増えます。しかし、だからといって不幸になるとは限りません。かつて持っていたものが今はないと不平をいう人は、若いときもそうだったに違いありません。そのような人は若いときも老いても何を手にしても満足しないでしょう」
「失われた若さや美しさ、健康を嘆くのではなく、自分が生きていることがそのままで他者に貢献していると思えることが、老年期の危機を乗り切るために必要です」
「ただ経験を重ねることでは賢くなれませんが、記憶力のような知力ではなく、いわば総合力としての知力を身に付けるためには、若いころからの長きにわたっての経験に基づいた粘り強い思索の積み重ねが必要です」
「それまでの人生で経験したことを“みな生かして統一できる”ことは喜びなのです」
と書いている。
まさに至言。

岸見氏は、「死の不安」という章で、「死の不安から逃れるために」として、3つのことを提言している。
一つは、「死がどんなものかわからなくても、どんな死が待ち受けているとしても、死がどういうものかによって今の生のあり方が変わるのはおかしいということです」
次に、「今充実した人生を送っていれば、死にばかり注意は向かないということです」
「死が確実に来るのであれば、死を待たず、今日できることだけに専心すればいいのです」
さらに、「貢献感があることが死の不安を克服します」
「人によって残せるものが違いますが、残すものがあることで後世に貢献できます」と。

私は、「自らの死が社会になんらかの貢献をする=利他の死=自己犠牲死」という認識とその実践が、死への不安を克服する最善の方策だと思う。

岸見氏は、最終章に「どうすれば不安から脱却できるか」という題をつけて、
「人生は決められたレールの上を動くようなものではなく、自分で形成しなければなりません。これを知るまでは人生は安定していたでしょう。しかし、先のことは何一つ決まっているわけではなく、自分が人生を形成しなければならないという現実を知ると不安になります。この不安は人生には決められたレールがないことに気づいたときに起こる感情で、むしろ、この不安を感じない人は先が見えると思い込んでいるのです。レールがないのであれば常識的な生き方をする必要はなく、誰かに人生を決められることも必要ではありません。人生はエクセントリックなものにならないわけにはいきません」
「多くの人が生きる常識的な人生とは違って、エクセントリックな人生を生きることにはリスクが伴うことがあります」
「エクセントリックな人生を生きるためには、“他人の期待”や“世間”という“中心”から離れなければなりません」
「エクセントリックな生き方をするのは、個性を取り戻すためです」
と書いている。

この岸見氏の指摘は、一貫して非常識な生き方をしてきた私にとって、よく理解できるものである。私は、若いときは、学力優秀なライバルたちへの劣等感に苛まされ続けたが、そこからドロップアウト(岸見氏の言を借りれば、“降りる”)した結果、期せずして、エクセントリックな人生を歩むことになった。

決断の連続ではあったが、そこに不安はなかった。面白い人生だった。しかも、今も、エクセントリックな旅を追求しているので、老いや病や死の不安はない。

岸見氏はある章で、
「甘やかされた子どものライフスタイルのまま大人になった人は、苦境に立った時そこから脱するために自分では何もしようとしないで他者の援助を求めます。自力ではどうすることもできず、他者の援助を求めることが必要な場合もありますが、初めから援助されることを当然と思い、自分から苦境から抜け出すために行動を起こさない人がいます。そのような人は“活動性を欠いている”のです」
と書いている。

この指摘は、現代中国の一人っ子世代にピッタリ当てはまる。これが今後の中国の衰退の一大要因である。

 

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清話会 評者: 小島正憲氏 (㈱小島衣料オーナー )
1947年生まれ。 同志社大学卒業後、小島衣料入社。 80年小島衣料代表取締役就任。2003年中小企業家同友会上海倶楽部副代表に就任。現代兵法経営研究会主宰。06年 中国吉林省琿春市・敦化 市「経済顧問」に就任。香港美朋有限公司董事長、中小企業家同友会上海倶楽部代表、中国黒龍江省牡丹江市「経済顧問」等を経ながら現職。中国政府 外国人専門家賞「友誼賞」、中部ニュービジネス協議会「アントレプレナー賞」受賞等国内外の表彰多数。