粕取焼酎には、大きく分けると「正調粕取焼酎」と「吟醸(醪)粕取焼酎」の二つの蒸留法に分かれるが、もともとは、福岡県の大宰府天満宮の神領田の所在地、筑後平野を中心に広まっていったとされる「早苗饗(さなぶり)焼酎」のこととされている。
「早苗饗焼酎」は、酒粕に籾殻を混ぜて蒸籠で蒸留する兜釜式蒸留の製法で行うが、その籾殻の焦げる匂いが強烈な癖の強いものとなるので、好き嫌いがはっきり分かれる粕取焼酎だ。もともと、早苗饗焼酎は田植えが終わった後、夏の暑い盛りに飲むので「盆焼酎」とも呼ばれている。初夏の日は、ちょうど梅酒を漬ける時期と重なるので、この早苗饗焼酎を使って梅酒を漬ける風習も、まだ筑後平野には残っている。
この伝統的な兜釜蒸籠蒸留を復活させ、伝承している蔵元が福岡県久留米市にある株式会社 杜の蔵だ。今では、このような正調粕取焼酎の兜釜式蒸留法で造っている蔵元は、全国でも非常に少なくなっているので、日本の文化的技術遺産としても残していくべきだろう。現在は、福岡、佐賀、大分、島根、栃木、福島の蔵元にわずかに残っているぐらいである。
日本における正調粕取焼酎は、16世紀に蒸留技術が中国大陸から伝来していたとされ、江戸時代初期の農業振興とともに栄えた。すなわち、人口増大とともに農業生産拡大>肥料の需要>酒粕(下粕)の需要>米作り、という江戸時代の循環型農業に深い関わりを持っていたことがわかるのである。この米作り、酒造りに近江商人が全国各地で活躍したことは、
日本酒蔵では知られているが、近江商人と酒造りについての関係は、詳しく後述したい。