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「勝利に近づく、『死に至る病』との闘い」(武者陵司)

武者陵司のストラテジーブレティン vol.61

勝利に近づく、「死に至る病」との闘い
~YCC 修正がインフレ期待を高め株高をもたらす~

武者陵司氏((株)武者リサーチ代表、ドイツ証券(株)アドバイザー、ドイツ銀行東京支店アドバイザー)

「死に至る病」cash is king mentality に冒されている日本

日本経済の諸悪の根源はデフレであり、デフレの起点にあるものがデフレ・マインドだ。 「デフレだから現金で持っていた方がいい」という、極端な現金志向が、日本を何をやって も駄目な国にしてしまった。お金はものに変わり持ち主が変わることによって、循環し価値 を高めていく。それが資本主義である。

しかし、デフレによりお金を持ち続ければ価値が増えるという錯覚が共有されるようになり、 日本ではお金の循環が止まってしまった。お金は経済の血液であるから、循環が止まると人 と同じように経済も死んでしまう。デフレはマルクス経済学でいう貨幣の形態転換(G―W― ΔG)の否定である。資本主義は無限の価値増殖の連鎖であるから、貨幣の形態転換の否定は、 資本主義の死でもある。日本資本主義が貨幣が貨幣のまま保存されるという「死に至る病」 に冒されているという本質的認識が重要である。この無為の正当化は経済だけでなく、広く 人々の行動を抑制し、心理学でいう「学習性無力感」=無気力症候群を定着させてしまった。

日本のデフレの深刻さに対して、我々はあまりにも鈍感すぎた。白川前日銀総裁は「1998 年から始まった日本のデフレは 2012 年までの 14 年間で 4%弱、年平均で 0.3%の緩やかな もので、数年間で 20~30%も下落し失業率も急増した 1930 年代のデフレとは大きく異なる」 「本当の課題はデフレ脱却ではなかった」(東洋経済 2023 年 1 月 21 日号)と述べ、デフレの リスクを強調しすぎることを批判している。確かに 2000 年代初頭においては、マイルドな 日本の物価下落は、デフレスパイラルとは異なり、深刻なものではないとも思われた。しか し今日に至って振り返ると、長期にわたるデフレが日本人のメンタリティーを根底から変え、 アニマルスピリットを破壊してしまったことを認識しないわけにはいかない。

機能不全に陥った金融市場

いくら企業が富を生み株式の本源的価値が高まっても、デフレが続く限り、現金を持ち続け るほうが有利になる。日本企業の収益力は著しく高まり、利益は史上最高水準にある。にも かかわらず株価が低迷し極端な割安の状態にある。日本の金融市場がまっとうな価値評価に 基づく、資本配分の場として全く機能しなくなっている。

日本と米国の家計の資産配分(年金保険の準備金を除く)を比較すると、日本はリターンゼロ の現預金・債券が全体の 76%と大部分を占め、配当利回り 2.5%、益回りで見れば 8%と著 しくリターンが高い株・投信はわずか 20%の構成となっている。他方、米国は 73%が株式・投信、現預金・債券は 23%である。

         図表1: 日米家計の資産配分比較

 

これほどのリターン格差があるのにそれが全く埋められていないのは、 日本の金融市場が壊れているからである。

アニマルスピリットの度合いは、株式と債券との利回り格差によって観察できる。図表 2 により日米の両者のスプ レッドを振り返ると、現在の日本の株式と債券のリターン格差は史上空前で、米国では YCC が導入されていた第 二次大戦直後の 1940 年代に匹敵するものであることがわかる。日本資本主義が「死に至る病」に冒されていると いう基本的な証拠である。

           図表2: 日米国債利回り、株式益回り、配当利回りの長期推移


YCC 修正が引き金を引いたインフレ期待

この日本の根本的病理との闘いという観点から考えると、昨年 12月の日銀による YCC(イールドカーブコントロー ル)政策の変更(=これまで 0.25%にしていた 10 年国債利回りの上限の 0.5%への引き上げ)は、大きな画期であるみ られる。黒田総裁は、投機筋を勢いづかせることを懸念して、今回の変更は微調整で異次元の緩和は継続され続け 何も変わらないと説明しているが、その説明は苦しい。2016 年の YCC 導入以降初めての事実上の利上げであり、 異次元緩和の出口に向かう第一歩であると見ないわけにはいかない。しかしデフレ脱却が展望できるようになった からこそ、利上げが視野に入ったのであり、これは異次元金融緩和が勝利に近づいている証だとも考えられる。

多数派のメディアやエコノミストが主張する、「日銀はヘッジファンドの日本国債売りに押されて不本意な利上げ に追い込まれた」、というネガティブな見方は間違いである。第一に、2%インフレ目標の実現可能性が高まってき たから日銀は自らの判断によって利上げした、第二に更なる国債売りのチャレンジは続くだろうが、日銀はいくら でも国債購入し時期尚早の金利上昇を抑えることができる。為替か国内景気かの二者択一を迫られた 1992 年の BOE(イングランド銀行)とは異なり、日銀はジレンマには追い込まれてはいないのである。

投資家と企業の「cash is king mentality」が抜本的に変わる

金利が上昇する世界が示唆された今、これから連鎖的に何が起きるかを注視する必要がある。まずゼロ金利が続く とのんびり構えていた投資家は態度をがらりと変えざるを得ない。金利が上昇するということは債券の値段が下が るということ、年金・保険などの機関投資家や金融機関、個人はこれまでの債券主体であったポートフォリオを株 式主体に組み替えることが、必要になってくる。

異常な自己資本比率の高さ、ROE の低さが修正されていく

また企業も、安全性を極端に偏重し、資本効率を犠牲にしてきた財務戦略の大転換を迫られる。バブル崩壊以降、 日本企業は負債を減らし利益の社外流出を抑え、ひたすら自己資本を厚くするという保守的財務戦略に徹してきた。 日本企業の自己資本比率は 1975 年の 14%をボトムに一貫して上昇し、直近では 43%に達し、欧米の 2 倍近くとな っている。この異常な自己資本比率の高さが、日本企業の収益力を低め、株価低迷の原因となっている。ROE(自 己資本利益率)を日米で比較すると日本(TOPIX 平均)8%、米国(S&P500 平均)21%と極端な差がある。また PBR(株 価純資産倍率)は日本 1.1 倍、米国 3.9 倍と 4 倍も引き離なされている。いずれも自己資本を多く持ちすぎているこ とに原因がある。

                                             図表3: 自己資本比率推移                                                                                                     図表4: 日米PBR推移

                                                         

                                                                                            図表5: 日米企業ROE推移 

       

 

そもそも自己資本はコストゼロではなく株主に相当の報酬(東証平均では配当 2.5%、株式益回り 8%)を払う責任を 負っている。現在 1%程度の負債と比べて著しく高いコスト資金源泉なので、自己資本を減らして全体としての資 本コストを下げることが合理的である。今のうちに負債(借金や債券)を増やし自己資本を減らして、資本コストを 下げなければ、競争に勝てない。資本コストを引き下げ、M&Aや新規投資を積極的に行う必要がある。まずは手 っ取り早い自社株買いを加速させ、高株価経営を徹底させる必要がある。米国では自社株買いが最大の株式投資主 体となって久しいが、ROE 経営の定着によって日本でも、自社株買いが大きく増加していくことは間違いない。

                                   図表6: 日本株式投資主体別累積投資額 
       

          図表7: 米国株式投資主体別累積投資額  

 

このようにして企業も投資家も債券を売って株を買うという、資本の大移動を他に先んじて引き起こさざるを得な くなるのである。今回の政策変更が引き金を引いた金利上昇の長期トレンドは、日本の株式需給を飛躍的に好転さ せるものになるだろう。

年初の乱気流、日本売りの正体、誤った日銀批判

今年の日本経済展望は先進国の中で最も明るい。2023 年の成長見通しを IMF は米国 1.0、ユーロ圏 0.5%、日本 1.6%(2022 年 10 月時点)、OECD は米国 0.5%、ユーロ圏 0.5% 、日本 1.8%(11 月時点)、世銀は米国 0.5%、ユー ロ圏 0.0%、日本 1.0%(2023 年 1 月時点)と予想しており、先進国の中で日本が一番高くなっている。日本経済は、 ①世界的金融引き締めの中で唯一緩和基調が維持されていること、②パンデミックに対する過剰反応及び消費税増 税によりコロナ後の経済の落ち込みが主要国中で最も大きかったが、その反動が期待できること(コロナ禍直前の 2019 年 10 月の消費税引き上げが 1.2~3%程度日本の総需要を抑制し続けてきた)、③円安のプラス効果が発現す ること、など多くの固有のプラス要因がある。 それなのに年初、世界株高の中、日本株は大幅な下落でスタートした。欧米では利上げの打ち止めが見え始めてい るのに、日本ではこれから利上げが始まるとの観測がグローバル投資家の間に広がったからである。しかしそれが 誤解であることは以上の説明から明らかであろう。グローバル投資家は日本株式を再評価してくるものとみられる。

                                                 図表8: 主要株式指数の推移(2022年末=100)

      


資本の大移動を引き起こす黒田総裁の英断

YCC が「インフレ予想を促しながら、それを反映する金利を人為的に抑制するのは矛盾している。2%インフレが 達成されるなら放棄せざるを得ない政策であった」(日経新聞「大機小機」1 月 21 日)。そうした無理のある政策が 必要となったのは、金利がマイナスに沈み、円高が進行するという異常な金融事態が起きていたからである。円高 の懸念、マイナス金利の懸念が払拭された今は、正常化に向けての好機であった。 このタイミングで黒田総裁は YCC 変更を市場の意表をついて挙行し、インフレ期待を高め長期金利上昇を示唆し て人々の投資行動の変容を引き起こした。それが株式需給を根底的に変え、資本の大移動を引き起こすものとなる かもしれない。その判断の正しさは、これから起こる日本株高で証明されることになるだろう。後世に歴史的英断 と評価されるかもしれない。

 

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■武者 陵司
1949年9月長野県生まれ。1973年横浜国立大学経済学部卒業。大和証券(株)入社、企業調査アナリスト、繊維、建築、不動産、自動車、電機、エレクトロニクスを担当。大和総研アメリカでチーフアナリスト、大和総研企業調査第二部長を経て、1997年ドイツ証券入社、調査部長兼チーフストラテジスト。2005年副会長就任。2009年7月(株)武者リサーチを設立。
 
■(株)武者リサーチ http://bit.ly/2x5owt