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第十七回 ~長野の杜氏と 秋田の山内杜氏 ~ 田崎 聡

粕取焼酎と近江商人

 長野県の酒蔵と言えば、新潟90蔵に次ぐ全国2位の84蔵(2021年現在)の酒蔵数を誇る土地である。杜氏組合に在籍している杜氏は、「長野県醸友会」として、昭和50年(1975年)106名から平成17年(2005年)71名となり、現在の令和4年(2022年)27名と激減している。


 長野県の杜氏の出身地域は、北安曇野郡小谷村の小谷杜氏(おたりとうじ)、諏訪市周辺の諏訪杜氏、飯山市出身の飯山杜氏と、三つの杜氏が中心となって酒造りに励んできた。
 もともと明治時代までは、長野県には杜氏はおらず、蔵元は越後杜氏や広島杜氏を雇っていたが、長野県主導で大正8年に杜氏の育成が始まり、後の昭和25年に杜氏組合を結成して、現在の長野県醸友会となっている。
 小谷村には酒蔵はないが杜氏がいるのは、やはり雪深く山岳地帯で平地が少ないので、米作りに向いていなく、現在のようなスキー産業などが確立していなかった当時は、多くの人が出稼ぎに行かざるを得なかったからである。
 長野県で現在有名な蔵は、諏訪杜氏の諏訪五蔵「舞姫」「麗人」「本金」「横笛」「真澄」である。その中でも、寛政元年(1789年)創業の麗人酒造、寛文2年(1662年)創業の宮坂醸造は、今でも粕取焼酎を製造・販売していることで知られている。
 御柱祭で知られる、日本最古の神社の一つ「諏訪大社」は、全国の諏訪神社の総本社で、水の神、風の神が宿るとされており、歴史的にも酒造りに適している土地だ。
 また、飯山杜氏を生んだ奥信濃の飯山地区には、田中屋酒造店と角口酒造がある。長野県は、日本一女性杜氏が多く、7名の女性杜氏を輩出している。もともと杜氏は「刀自(とじ)」が語源で、一家の主婦である女性が中心となって酒造りを始めたとされているので、女性杜氏が多いのは自然なことだろう。その中でも長野県最古の蔵元、天文9年(1540年)創業の酒千蔵野の女性杜氏、千野麻里子氏は数々の賞を受賞している。
 さて、長野県に昔は杜氏がいなかったように、秋田県の山内杜氏(さんないとうじ)も、もともと酒造業があったわけではなく、「酒屋若勢(さかやわかぜ)」が「出稼ぎ労働」から発生したもので、歴史的にはそれほど古くはない。大正時代には300名いた杜氏は、昭和50年(1975年)に55名、令和4年(2022年)には7名となっている。
 大正11年(1922年)に「山内杜氏養成組合」が設立され、後の昭和34年には「山内杜氏組合」となって現在に至っている。山内杜氏は、戦前は秋田県内だけでなく、県外、中国、韓国、樺太まで派遣された記録が残っている。
 秋田県には、現存する酒蔵の日本で3番目に古い老舗の日本酒蔵、長享元年(1487年)創業の飛良泉本舗や元和元年(1615年)創業の木村酒造があり、いずれの蔵も現在も粕取焼酎を製造・販売している。秋田県にかほ町に北前船で漂着した、飛良泉の醸造元斎藤家の先祖、斎藤市兵衛は泉州境から定住し、廻船問屋を営みながら酒造りを始めた。湯沢の木村酒造の「福小町」の先祖木村家は、京保6年(1721年)伊丹の酒屋を視察し、宝暦5年(1755年)に摂津より杜氏を招いて酒を造らせている。このように、秋田の酒屋は伊丹・灘から杜氏を呼んでその酒造技術を学んだので、秋田の古文書には、杜氏の役名はなく「桶司」の名が残っている。
 秋田県の酒蔵は現在38蔵あり、そのうち粕取焼酎を生産・販売している蔵は10蔵と多い。これは、いぶりがっこやきりたんぽなど、秋田独特の食文化によることの影響が大きいと言えるだろう。 
  
          小谷杜氏の冬支度「おたり自然学校」より