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第13回「清話会会員企業インタビュー」東京サイレン㈱ (増田辰弘)

増田辰弘が訪ねる【清話会会員企業インタビュー】第13回

「会社勤務70年いぶし銀経営者が統率する」-東京サイレン㈱

~メリハリを付け小さな変化を探し出す気配り経営~

【会社紹介】
東京サイレン株式会社
創立:昭和25 年5 月25 日
代表者: 代表取締役社長 小山哲也
資本金: 9,250 万円
事業内容: ・サイレン ・消防用機器 ・消防用結合金具 ・消防車積載機器・消防車艤装部品 ・船舶用消火設備機器 ・プラント用消火設備機器
従業員数: 60 名



                                                       小山 哲也社長 


3度も社長に返り咲く
 しかし、この会社は不思議な経営者の変遷である。消防機器の製造、販売を行う東京サイレン㈱(本社東京都台東区、小山哲也社長)は、昭和9年創業者森本仁太郎氏によるスタートである。
 創業者は途中戦争でブランクはあるものの昭和34年まで25間務める。2代目の社長は、仁太郎氏の長男佳秀氏で昭和34から平成11年まで40年間務める。3代目は現社長兼会長の小山哲也氏で平成11年から平成23年ま12年間務める。4代目は、仁太郎氏の三男克彦氏で平成23年から平成28年まで5年間務める。5代目が再び小山哲也氏が令和1年までの4年間務める。6代目が宮本慶二氏で令和1年から3年まで2年間務める、7代目が三度目の小山哲也氏で令和3年から今日まで2年間務めている。
 今まで多くの会社を見てきたが小山社長のように3度も社長をやった事例はそれほど多くはない。考えてみると小山社長は昭和27年に同社に入社し、70間勤務し、うち25年代表取締役を務めている。人生を東京サイレン㈱のために生まれ、生きてきた人生に見える。まさにいぶし銀経営者であり、いぶし銀人生である。
 この会社は、今年で創業以来90年となるが、大きく創業者の森本仁太郎氏と小山社長の二人によって運営されて来たと言って良い。社長、工場長、営業部長を兼ねていた創業者の下でこつこつと総務と経理の仕事をこなして来たのが小山社長である。
 当初はこの会社にそれほど長く務める気持ちはなかった。なによりも給料が安かった。日給月給で1日150円、残業代を入れても月に6000円ほどにしかならなかった。癖のあるワンマン社長の下での安月給、この最悪の環境からの脱出のために明治大学商学部の夜間部に通った。卒業してある大手の生命保険株式会社に就職が内定していた。それが、森本社長に知られるところになるが、あれだけ口うるさい人がこの件に関しては何も言わなかった。

典型的な多品種少量生産製品
 私も法政大学法学部の夜間部出身だから分かるのだが、普通は自分がスッテプアップするために夜間大学に通う。会社を辞めて大手の生命保険株式会社に転職して当然なのだが、義理堅
い小山社長はこの件に関して森本社長が何も言わなかったことが引っかかった。森本社長も普段「田舎者が勉強などして何になる」が口癖であったから、こちらも引っかかるものがあった
のであろう。
 ここが運命の分かれ目、小山社長は東京サイレン㈱に残る決断をした。以後この2人はこの件に関してだけは話すことは一度もなかった。おそらく、この小山社長の決断がなければこの
会社が今のようなかたちで存在したかどうかも分からない。そして、小山社長もここに残らなければその後の大変充実した経営者人生を送ることもなかった。
 東京サイレン㈱の製品であるが、社名の電動あるいは手動のサイレンは売上の0・1%も行かない。もうとっくにサイレンの会社ではないが、このサイレンという名前は響きが良く、知
名度もあるので今でも使っている。
 同社の主たる製品は全国にある消防車などに積載する消防機器である。もう少し具体的に言えば、ホース接手、キャップ、各種スパナ、分・集水器などの接手、媒介、ノズル、放水銃、
などの放水器具、プロポーショナ―、泡ノズル、発砲アタッチメントなどの発砲器具、計測器類、破壊器具などの消防車積載品、ホースカー、ボールコックなど数多くの製品を手掛けている。
 同社の石川裕一常務に、「ところで生産している製品の点数はいくつあるのですか」と聞いたが、すぐには答えられないくらい数が多い。まさに典型的な多品種少量生産の製品である。
 どこに売るのかと言えば、半分は消防車メーカー、あと半分はその他となるが最終的なユーザーは全国の約1700市町村の消防署である。需要の状況は平成の大合併で市町村の数が少なくなり消防車の数は全国で4700車から3000車に減ってしまった。
    

好評な新製品ペグノズル
 製品の基準、規格は消防庁が決める。すなわち勝手に安い製品を製造するわけにはいかない。競争相手は、専業の会社が2社、多くの事業を手掛けながらこの事業も行っているところが10
社ほどある。小さな市場に多くの企業が参入する大変厳しい市場であることが分かる。
 工場は2つあり、王子工場が先程述べた製品を製造しており、東松山工場はホースの加締め作業(ホースと金具を取り付けること)、サイレンの製造を行う工場である。
 小山社長は、過当競争が嫌いである。そこで、同社は街を歩いては新しい市場を探し出す。こんな製品はどうですか。一つひとつ開拓している。今後は電気自動車関連、コンテナ船、フ
ェリー、造船工場関連など新しい分野を探し出すことになる。
同社には5人の営業マンがいるがこんな新しい仕事を見つけ出すのも仕事の一つである。
 最近、同社はペグノズルという新製品を製造販売した。この製品は長射程度水霧ノズルと広角水霧ノズルの2種類がある。この製品はマンションなどの室内火災で、ドアの内側8から10メートルの範囲を冷却したい場合、長射程度水霧ノズルを装着すれば、スモークガスの冷却及び火災のノックダウンが期待できる。ドア付近の内部を冷却し、消防隊が侵入しやすくするためには広角水霧ノズルが有効である。
 また、燃えているソファやベッド、家具や内装、屋根裏などにペグノズルをグサッと突き刺せば、火災深部まで短時間で冷却、鎮火でき水損を抑えることができる。この商品は市場の反応が大変よく同社の新しい方向付けとなりそうな製品である。今後はこのような都市防災における最先端の製品を開拓して行く予定である。

       


       広角水霧ノズル「ペグノズル」ホース接手

宿命的課題のマンネリ化の対策
 東京サイレン㈱は、幸運なことに消防車の部品供給という製品も決まっている。競争相手も専業で1社、関連企業を入れて12社と決まっている。ユーザーも消防車メーカー数社と最終
のユーザーである全国の市町村の消防署決まっている。製品の規格も消防庁が定め、これも決まっている。
 もう経営環境のすべてが決まっていると言って良い。おそらく世の中によほどのことがない限り同社が経営的に行き詰ることはない。大きな成長こそないのかも知れないが、将来を約束された安定した位置にある。
 しかし、このことが問題なのである。仕事が固定し、お客が固定し、競争相手が固定するとマンネリ化という大きな問題が発生する。かつて京浜臨海部のある財閥系の倉庫会社を取材したことがある。この会社は超優良企業で毎年2千数億円の利益を上げている。倉庫業というのは大変安定した商売で雨が降ろうが、雪が降ろうが一晩寝て夜が明けると確実に家賃が入る。
 同社が新規事業でタワーマンションを始めても、自社の土地に無借金で建設するからおもしろいように儲かる。会社が安定的に成長し、給料も高く、休みも取れ、福利厚生施設も充実している。この超優良企業の求人に人が集まらない。
 もちろん、誰でもよければ集まるが、有名企業であるからIT企業や銀行に行くような良い人材が欲しいが集まらない。そして、社員がどんどん辞めて行く。この厳しい時代にどうしてこんなに辞めるのだと思うが、人間というのは贅沢にできていて、どんなに安定し、どんなに職場環境が良くてもこのマンネリ化には耐えられない。この財閥系の倉庫会社はこのマンネリ化対策が不得手なのである。
 その意味では小山社長はこのマンネリ化対策に天才的な能力がある。ワンパターンに陥りがちな仕事にメリハリをつける。小さな変化を見つけ出す、新しい仕事を考える、社員のやる気を引き出す。これを70年間延々とやり続けた。
 小山社長のふるさとは、新潟県の上越の山の中、冬には家の高さほどの雪が降る。何ヶ月も雪のなかに閉じ込められる。おそらくこのときの時間の過ごし方のノウハウが生きているように思う。この東京サイレン㈱が90年生き延びてこられたのは、福井県鯖江市出身の創業者・森本仁太郎氏の馬力と小山社長のマンネリ化を打破する持久力である。雪国のDNAが創り上げた会社とも言える。
 会社でも人生でも変化に富み、楽しくおもしろいことばかりではない。むしろそんなことはあまり多くはなく、ほとんどはマンネリ化した退屈な時間である。この時間をどのように使っているかで勝負は決まる。小山社長の生き方は大変勉強になる。

会社の根っ子を創る人材育成策
 冷静に考えてみると東京サイレン㈱の経営は意外に難しい。というのも、製造する製品数が大変多い多品種少量生産で、どの製品をどれくらい製造したら良いかという生産計画はかなりの経験、ノウハウを要する。一応、消防車には8年と耐用年数は定められているが、それは東京や大阪という都会の話であり、ほとんど火事など起きない田舎の町では13年から15も使用する。これらを加味しつつ各製品、部品を生産する。
 在庫をなるべく少なく、いかに生産効率をよくするのか。営業部と連携をはかりつつ、どの製品がどの程度必要かを予測し年間の生産計画を策定する。もちろん大きな火災が発生すれば需要は増えて行く。この年間の需要予測は一番大事な作業である。
 同社が今一番力を入れているのが、人材育成である。最近10月に入社した新入社員の例だが、入社後の人材育成月間が10月か
ら12 月までの3ヶ月間、新入社員は東京サイレン㈱という会社を学ぶ。
 10月には王子工場で技術の研修である。業務の流れや仕事の内容を学び、旋盤、仕上げ加工などの生産工程、品質管理、資材の発注工程、社内加工と外注加工のメリット、デメリットなどについて学ぶ。
 11月には、本社での営業の研修である。業務の流れや仕事の内容、電話対応、伝票記載、資料作り、客先同行、対応能力、事務的知識、会話能力など営業活動をイロハから学ぶ。12月は東松山工場でこれも技術の研修を行う。
 同社は、社員がほとんど辞めていかない。それは長期的就労を目標に、社員が各事業所に馴染み、協調性を持って会社に定着するようにこれらの人材育成策を通じて努力をしているからである。
 しかし、そんなことはどこの会社でもやっている。問題はそのやり方である。先に上げた財閥系の倉庫会社の様に資金はかけてもおざなりにやるとあまり効果は出ない。例え、資金はかけなくても情熱を傾けてやれば成果は出る。小山社長のメリハリを付け小さな変化を探し出していくノウハウがここでも生きている。

会社のある街の景色:御徒町、アメ横、吉池が作り出す不思議な活力ある空間
 東京サイレン㈱のある御徒町はおもしろい街である。JR御徒町駅の北側はアメ横であり、東側は日本で有数のジュエリー、宝石店街であり、西側は松坂屋、吉池などの大型店であり、南側は大型電気店、部品店の並ぶ秋葉原に繋がる。
 まことに日本でも珍しい変化に富んだ街であるが、なかでも御徒町らしい店を一つ上げよと言われると、それは吉池である。吉池は御徒町駅の傍にあり、本店は、1階は鮮魚店、地下1階は総合食品店、地下2階はお酒と日用雑貨店、9階は吉池食堂とユニークな配置である。
 この吉池という会社、調べれば調べるほどおもしろい。創業は大正9年、創業者は小山社長と同じ新潟県松之山町(現十日町)の出身の高橋興平氏である。吉池という名はこのふるさとにあった吉池という池から来ている。
 吉池は、一般的にはスーパーマーケットとなるが、そのほかにホテル、レストラン、北海道には自社の鮭の水産加工工場といろいろな事業を手掛けている。それも普通のスーパーマーケットは商品数は2万点であるが吉池は4万5千点、そのうち55が鮮魚の売上げである。それだけ鮮魚の内容が群を抜いていて相当遠くからも買いに来る。
 しかし、これだけ変化の多い世の中で波乱万丈の人生であった高橋興平氏同様、何でもありの商売のDNAが100年脈々と続いているのは会社の文化という側面もあるが、多分にこの
御徒町という日本でもめずらしい不思議な活力ある街が後押ししてるような気がする。少し元気がなくなったときは、この御徒町に来て元気をつけたらどうであろうか。