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「令和5年 建国記念の日の靖国神社」(日比恆明)

【特別リポート】
「令和5年 建国記念の日の靖国神社」

日比恆明氏(弁理士)

 昨年2月24日に始まったロシアによるウクライナ侵攻はもうすぐ1年となります。当初は短期間で終了するかと予想されたのですが、これほど長引くとは誰も想定していなかったでしょう。この間、ロシア軍の戦死者は13万人、ウクライナ軍の戦死者は1万3千人と推測されているようですが、この数値がどこまで信頼できるか不明です。しかし、この戦死者数は異常に多いものです。ベトナム戦争では、米軍の戦死者は13年間で5万8千人(ベトナム側は300万人の戦死者)でした。ソ連のアフガニスタン侵攻では、ソ連軍の戦死者は10年間で1万5千人(イスラム原理主義者は60万人)といわれてます。この数値と比べると、極めて短い期間に多くの犠牲者が発生したことが判ります。この戦争で犠牲者数が急激に増大しているのは、地上戦ではなく近代戦による戦闘が要因と考えられます。ベトナム戦争を小火器によるアナログ的な戦争とするならば、ウクライナ戦争はミサイル、ドローンなどの新型兵器が投入されたデジタル的な戦争と言え、今まで想定していなかった甚大な被害が発生したのです。


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 ウクライナ戦争は泥沼化し、何時収束するのか全く見通しが立ちません。ロシア側が不利となれば戦術核兵器の使用も想定されます。核爆発があればそれを理由として世界は反ロシアの機運となり、両国に対して和平或いは停戦の調停をする国が現れるかもしれません。現在の情況では、ロシアに和平を進言するような国は見あたりません。ロシアの戦略が最終的に行き着くまでは、どの国も責任を負いたくないからです。

 ロシアとウクライナの間では昔から紛争があり、17世紀から現代まで大きな戦争は数回以上発生していたようです。陸続きの隣国なので、境界線のトラブルは発生し易いからでしょう。そもそも、戦争とは領土の確保、拡大であり、それは自国の食料、資源の確保なのです。世界の何処かで戦争が発生しているのは民族のエゴとも言えます。ウクライナとロシアが和平するとなれば、両国とも自国に有利な協定案でなければ和平は無理でしょう。無理なことが戦争なのです。

 今年の建国記念の日は快晴で、真っ青な空でした。ポカポカとした暖かさはありませんが、過ごしやすい日でした。その理由は、前日には雪混じりの雨が降ったからでした。雨により東京上空に漂っていた埃、塵が落下し、太陽光を遮る邪魔者が無くなったからです。このような天気が毎日続いたら、さぞかし気持ちが良いかと思われるのですが、そうはいかないのです。快晴が毎日続いたなら、乾燥して砂漠化してしまいます。雨と曇りの日が快晴の間にあることで気候がシットリし、緑の山並みとなる樹木が育つのです。たまに雲の無い晴れた日に出会うの楽しいのです。乾燥した中東地域に赴任した人の体験談で、「雨が降らず、毎日が快晴なので飽きてしまった」と聞いたことがあります。


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 東京の桜の開花を知らせる標準木は、未だ枯れたままで蕾もみかけられませんでした。今年の開花予想日は3月22日(日本気象協会)ということなので、桜が咲くのは1か月先のことです。桜花の無い標準木には誰も振り向いてくれません。考えてみたら、標準木が参拝者により愛でられるのは1年の内で2週間程度の短い期間なのです。丁度、20代前半の女性が男性にチヤホヤと持て囃されるのと似ているようです。若い時だけの一瞬の体験で、女性の人生も桜と同じようなものかもしれません。

               
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 毎年、建国記念の日になると靖国神社には全国から業界の人達が集まってきます。参拝するのであれば、建国記念の日でなくともいいのではないかと思うのですが。業界人にとっては、2月11日は特別な日という暗黙の認識があるようです。平成時代の初め頃の建国記念の日には、参拝される業界の人達で境内は賑わっていました。個人で参拝される業界人も見えましたが、団体で参拝される方が多かったようです。数名から数百名までの規模の団体が多数あり、それぞれ信条や地域によって纏まっていたようです。背広姿の団体も多いのですが、制服を着用して参拝される団体もありました。

 しかし、ここ3年位前から業界団体の参拝が激減しており、今年は2つの団体しか見かけられませんでした。しかも、各団体の参加者数が減っています。写真3は「菊青同」と言う団体で、正式名称は「菊守青年同盟」といい、業界では有名です。ただ、この名称の団体があるのではなく、同じ思考を共にする複数の団体が統合した名称のようです。今年に参拝した団員は約30名でした。写真3は平成19年(2007年)に同じ場所で撮影したもので、この時の参拝者数は約300名でした。バブルの時は約600名が参列し、最後尾の参拝者は神門の中に入れず、公道まで行列が続いていたという伝説もあります。

 業界団体の参加者数が減少しているのは、活動に賛同する人が減ってきたというのも理由にあるのですが、その他にも複数の理由があるようです。一つは団員の高齢化にあり、この団体でも平均年齢は50歳を越していると推測されます。もう一つの理由には、神社による規制があるのではないかと思われます。従来は団体の街宣車は境内の駐車場で駐車することができたのですが、今年は駐車を拒否されたようです。このため、街宣車は公道に駐車していました。街宣車が出動できなければ、集合できる人数に限度があり、参拝者数の減少につながったのでしょうか。

              
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昇殿参拝が終わった団体は、神門の階段に集まって記念写真を撮影するのがお決まりとなっています。この日に神社に参拝しました、という証拠を残すためでしょうか。街頭写真館が撮影するのが通例ですが、その他に公安関係者も撮影されていました。


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 この日の駐車場には街宣車は駐車しておらず、一般車両だけでした。駐車していたのは52台で、品川、練馬、多摩、足立、八王子の都内ナンバーが一番多いのは当然で25台、近場の横浜、相模、袖ヶ浦の11台が続いていました。それ以外はバラバラで、福島の3台を除き、諏訪、富士山、神戸、いわき、盛岡、札幌、つくば、岐阜、山梨、長野、大阪、奈良、松本がそれぞれ1台づつでした。私が駐車場を観察したのは一瞬のことであり、一日中観察していたなら全国のナンバーが全て駐車していたのではないかと思われます。


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 靖国神社の入口前の歩道で、何やらブツブツと喋っている若者がいました。口許にマイクを置き、鞄の上に置いたスピーカーで拡声していました。手にしているのは富士山マークでお馴染みの新聞で、新聞の記事を読み上げていたのでした。新興宗教の勧誘で、最近はこの新聞を駅頭で配付されているのを良く見かけます。しかし、記事内容を朗読する人を見るのは始めてです。