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第16回「名物新聞記者が創り上げた 医療経営のパイオニア」㈱日本医療企画 (増田辰弘)

増田辰弘が訪ねる【清話会会員企業インタビュー】第16回

 名物新聞記者が創り上げた 医療経営のパイオニア-㈱日本医療企画

 ~医療、介護、栄養分野を中心に、雑誌、テキスト、セミナー、人材づくり、協会運営などで飛躍的に発展~

【会社紹介】
株式会社 日本医療企画
設   立: 昭和55 年(1980 年)4月26 日
代表者: 代表取締役 林 諄
資本金: 100 百万円
従業員数: 100 人(グループ社員総数)
事業内容:医療全般に関する情報収集・雑誌・単行本制作販売、各種調査・研究および情報交換会、各種セミナー開催、介護・福祉分野に関
する情報収集・雑誌・単行本制作販売、医療・健康・介護関連商品の販売、栄養・食事分野に関する情報収集・雑誌・単行本制作
販売、医療・介護関連コンサルタント業務、医療・介護関連ビジネスに関する情報誌等の編集制作、その他前記に付帯する一切の業務


                                                              
    林 諄 社長

 ㈱日本医療企画の林諄社長は新聞記者の出身である。この企業とこの人を語るには、林社長の記者時代のエピソードを抜きには語れない。
 ただ取材して記事を書く平均的な記者ではなく、常に何かに挑戦して記事を書くクリエイティブな記者だったと言える。義姉を殺して自殺を図った犯人を、警察より先に入院先の病院に入
り込み、単独インタビューに成功して特ダネ記事にしたことや、有名な神社の国宝級の神様を、神社の猛反対にあいながらも説得して一般公開させたケースもある。
 地方へ左遷された時にその地域の自社新聞の発行部数の少なさに驚き、販売店と協力して2軒に1軒にまで拡販して社長賞を受賞するなど、こんな話は枚挙にいとまがない。元産経新聞
社社長の清原氏に「伝説の記者」と言わしめた所以である。
 独立して日本医療企画を創設してからも、業界初と言われるものが多い。医療経営という言葉がまだ存在しなかった時代にこの考え方を広めた事や、民間病院問題研究所の創設、病院情
報誌の創刊(これはNHKの7時のニュースにも取り上げられた)なども医療界初の試みと言っていいだろう。
 この会社の社是が創設以来一貫して「挑戦と創造」となっているが、記者時代も含めてこの

精神は貫かれている。驚異的な人脈形成術
 この会社の今日までの発展を語る上で欠かせないもう一つの背景として、林社長の記者時代の驚くべき人脈形成の深さがある。セコムの創業者である飯田亮氏、伊藤忠商事会長の瀬島隆三氏、野村証券社長の北裏喜一郎氏、セブンイレブン社長の鈴木敏文氏、日本生命社長の伊藤助成氏など多くの日本を代表する経営者に懐深く入り込み、信頼を得て、長く交流を重ねて来たことはよく知られている。
 世の中に新聞記者は星の数ほどいる。そのなかで産経新聞社大阪本社経済部の一記者に過ぎなかった林社長はどうしてこんなたぐいまれな人脈を築けたのか、そしてそれを長く維持できたのか、興味は尽きない。それもこの実業界だけではなく橋本龍太郎氏、中川一郎氏などの政界や、加藤寛慶応大学教授などの学界そして名次官と言われた吉村仁厚生事務次官など官界と実に幅広い。
 ただ、言えることは新聞記者時代に彼は経営者に対し率直にぐさりと来る質問をしていることである。パナソニック創業者である松下幸之助氏には、「失礼ですが、学歴のないことはハンディに感じたことはありませんか」と聞いている。同様にセブンイレブンの鈴木敏文社長には、「これだけデパート、スーパーマーケットなどの大型流通が発達した時代に売り場の狭い小型店舗のコンビニで何を売るんですか」、旭化成の宮崎輝社長には「会社では新規事業を行う時どのような方法で決定するのですか」。
 林社長は私心がなく、相手におもねず誰もが聞いてみたいという質問をストレートにしている。ちなみに答えはそれぞれで、松下幸之助氏は「学歴がなければ学歴のあるヤツを使えばいい
んだよ」、鈴木敏文氏は「コンビニの店で売るのは商品ではなく時間を売るのだよ」、宮崎輝氏は「いや、そりゃ単純な話だよ。役員会にかけて、反対多数の時は実行に移し、賛成多数の時はやらないだけだよ。うちの役員連中はあまり出来がよくないんだよ。そんな連中の賛成多数ではやれないよ」。
 この天才的な人たらしとも思えるたぐいまれな人心収攬術はどうして生まれたのか。また、どうしたらこんな交際技術の獲得が可能なのか。どうもそれは彼の故里である石川県の能登半島にたどり着く。厳しい自然が最大の教師だったようで、発想力、行動力、索引力はここから生まれたようである。

4つの事業をうまく繋ぐ
 林社長は石川県能登半島の中能登町の農家の生まれである。家庭においては両親から厳しく躾けられ、厳しい能登半島の自然の中で育った。彼は、「子どもの時は、あまり人間がかかわってはいけない、自然が最大の教師であるべきだ。自然ほどメリハリの利いた厳しい教師はいない」と語っている。
 そんな環境のなかで林社長はいわゆる「ガキ大将」であった。ガキ大将というのはただ腕力が強いだけではなれない。仲間を納得させ動かすリーダーシップが必要であり、そのためには仲
間のニーズを汲み取るマーケット力も必要である。双葉より芳し、とは良く言ったものである。
 林社長は大自然のなかでいつも近所の仲間の先頭に立ってかくれんぼをしたり、田んぼ脇の小川でメダカやタニシをつかまえたり機敏に動く子供であった。小学校6年生の時には生徒会長
もしていた。
 どうもこの会社は、この延長線上にあるような気がする。能登半島が日本列島となり、近所の仲間が国民となる。ガキ大将の林社長が先頭に立って医療の分野、介護の分野を躍動してい
る。そんな構図に見えてくる。
 それ以上に林社長の今日の姿に大きく影響を及ぼしているのは、波乱に富んだ新聞記者時代の活動だろう。京都支局時代に上司批判がたたり、4年にわたって山中や海辺の通信部に放り
出された。これで一時記者に見切りをつける決意をしたが、友人の忠告で一念発起。一気に大阪本社、東京本社の経済部にまで駆け上がったのである。この4年間の田舎のどん底生活と、大阪、東京の経済部記者時代がその後の活動や企業、政官、学者の人脈づくりに結び付いたと林社長は述懐している。
 ㈱日本医療企画の事業は、大きく⑴『クリニックばんぶう』『介護ビジョン』など6誌の定期刊行物の発行、⑵『医療白書』『介護経営白書』などの多数の書籍の発行、⑶「患者に選ばれ
るこれからの医療機関」「実践!栄養管理講座」などの各種セミナーの開催、⑷そして『厚生労働』『月刊老施協』など9誌の共同出版、受託出版、である。
 これらの事業をうまく繋ぐための構図づくりがすごい。医療でいうならば、病院も経営が大事であるとまず医療経営士、医療コミュニケーター、という資格制度を創る。当然試験勉強を
するから関連のテキストの本が売れて行く、現在80種以上のテキスト本を制作・販売している。
 同社は試験も行うから受験料も入ることになる。そして、このユーザーとなる業界をまとめる団体をつくり、そのトップに厚生労働省の元事務次官などの大物を起用しているのが、なか
なか真似のできないところである。そして肝となるのが、この場合では(社)日本医療経営実践協会という全国組織の団体を運営していることだ。
 同様に、介護だと(社)日本介護福祉経営人材教育協会、栄養士だと(社)日本栄養経営実践協会、メディカルスポーツだと(社)日本メディカルスポーツ協会、外国人の介護だと(社)
グローバルカイゴ検定協会などの全国組織を創る。
 同社のビルの9階は、これらの団体の部屋がずらりと並んでいる。全国組織の運営、その団体の会報誌の発行、資格制度の制定、受験テキストの販売、試験の実施と資格の授与などを行っている。
 これらの功績により、林社長は2015年に「東久邇宮国際文化褒章」受章、2020年には日本医療経営実践協会の功労賞を受賞している。

常に新しい事業を次々と開発
 日本医療企画は昭和55年に創業し、今年で43年目を迎える。現在は、北海道、東北、中部、北信越、関西、九州に支社を置き各種資格試験の実施やセミナーの開催を行っている。このためには監督官庁である厚生労働省との関係が大変大事であるが、同省の機関紙『厚生労働』を受託するほどの関係の深さが大きな強みである。
 これらの事業を体系化したものが、「図日本医療企画がつくる独自の資格」人材による「新しい地域社会の未来像」である。この図は大変良くできていて、地域社会における病院や介護施設だけだはなくトータルな営みが描かれており、その中で同社の資格制度が嵌め込まれている。
 そして、これらの実績を基盤にまた新しい組織を創り出している。最近の組織では「日本医療経営職域対策協議会」がある。この協議会は病院における広報、財務・会計、医療DX・AI、非常事態、人事、購買管理、医療法務、事務長・経営人材育成、医事、地域との連携、経営企画などの各職域のプロフェショナルの人材を育成するものである。
 その各分野の講師には全国で成功している現場の責任者を招くから実践的である。少子高齢化社会で医療や介護、福祉の分野でこんなネタは探せばいくらでも世の中にある。表現は少し
語弊があるのかも知れないが、能登半島のガキ大将で暴れまわった林少年がそのリーダーシップ力、発想力、索引力、先見力をいかんなく発揮して全国をまたにかけ医療や介護の事業を拡
大していると言って良い。



   応接室に大きく掲げられている「我社の人間像」


事業の出発点となった
『ばんぶう』の発行
 どんな大きな大河も必ず小さな源流がある。最初の一滴から積み重ねてやがて大河となる。㈱日本医療企画の源流は1981年7月に創刊した医院の改革のための医療総合情報誌『ばんぶう』の発行だ。「ばんぶう」とは竹のように強く根を張り、時代の節目、節目で積極的な提言を行う意味である。
 この『ばんぶう』の最初の販売方法が奇抜である。いきなりぽっと出の会社がしかも当時ではあまり売れるテーマではない医療の雑誌ではうまくスタートするのはかなり難しい。そこで林社長は医療機関の経営者とつながりを持っている企業と連携する方法を考えた。
 この要請に応えてくれたのが日本生命だった。新聞記者時代から親しい関係にあった後に同社の社長となる伊藤助成常務取締役営業本部長にお願いし、同社のセールスレディに『ばんぶう』を買って貰い、医療機関に配布して貰えないかとの誠に虫の良い話を持ちかけた。
 最初は、医療機関に3ヶ月無料配布し反応を見て様子を見て有料化する予定だったが、結果が出ず、さらに3ヶ月延長したが、これも空振りに終わった。普通はこれで終わりになるとこ
ろだが、伊藤常務は「独立して間がない人間にこれだけやらせて、はいご苦労さんというわけにはいかない」と言って毎月3万部の買い上げを約束する。㈱日本医療企画の今日の原点はこ
の『ばんぶう』毎月3万部の販売である。伊藤常務が、将来医療界に必ず経営重視の時代が来るという林社長の言葉を信頼し、ここでこの人間を潰してはならない。なんとか、食って行ける
ようにしてあげねばならないと思ったことにほかならない。
 必要な医療関係のスタートアップ支援といえども伊藤常務も日本生命の一介のサラリーマンに過ぎない。なぜ、自分のリスクを抱えながらこんな決断をしたのか。それは林諄という男の魅力に尽きる。そして、この伊藤常務の決断がなければ今の㈱日本医療企画はおそらくないのではないか。
 そして、そのことを決して忘れない林社長の姿も立派である。私もかつてスタートアップ支援の仕事をしたことがあるが、なぜか成功すると多くの企業がこの一番苦労をした時のみっとも
ない時に支援を受けた話を避けたがる。林社長はこのスタートアップ時に受けた伊藤常務からの恩を終生明示している。

          
  日本医療企画が出版する雑誌

 

貴重な経営改革本の発行
 ㈱日本医療企画の事業内容を一つひとつ詳しく述べることは同社の事業内容が膨大なことから誌面の都合で難しい。そこであえて一つだけ紹介すると、昭60年から発行している『最新
医療経営』を紹介したい。
 第462号ともなる2023年2月号は、巻頭特集が「データーを生かし、理念を実現する病院経営企画」であり、次が「光熱費、医療材料の高騰にどこを見直すべきか、円安時代のコス
ト対策」特集である。
 前者は、8つの病院の事例から医療と経営の両立を図ったケースの報告がなされている。この特集を見ていて、医療の現場と経営が極めて身近になっていることを感じた。計算、管理、節約と言うことを徹底すると当然医療の質は落ちて来る。そかし、これを無視すると経営的に行き詰まる。このバランスを取るのが経営企画である。
 後者は、コスト全体を見直すことが大事という視点から多くの病院の改善のケースが述べられている。短期的には各種設備の依託内容や人員配置の見直しや電力会社などとの単価の交渉の手法が具体的に述べられており、長期的には設備投資による太陽光発電の導入などのケースも述べられている。
 この雑誌は徹底的に個別の病院の改革、改善のケースを述べている。徹底的に個別のケースにこだわっている。2月号ではトータルで約40の病院の改革、改善のケースが具体的に報告さ
れている。これは日々大変忙しい病院スタッフにとって大変助かると思われる。
 具体的事例を上げると、脳卒中を中心とした神経疾患の専門病院である美原記念病院(群馬県伊勢崎市)における展示会の開催やギャラリーの開放などの活動を紹介している。「同病相憐れむ」でなく、「同病相楽しむ」の試み、患者同士が病気に対し同情し合うのではなく、励まし合うような関係を築かせる。


      入り口の書棚には同社出版の書籍、雑誌が多く並ぶ
   

セカンドオピニオンの必要性―病院の裏側に潜む医術と算術
 私事で大変恐縮だが、昨年の7月中旬に急に便が細くなった。普段は腸の調子が良く自信があったものだから心配になり、かつてポリープを取って貰ったことのある「たまプラーザ南口胃腸内科クリニック」(横浜市青葉区)で診てもらうと、盲腸にぶら下がっている虫垂が大きく腫れた「慢性虫垂炎」であり、もう爆発寸前で至急手術の必要があるとの診断で、神奈川県内でも有名な横浜のK病院を紹介された。
 この病院の見立ては虫垂炎は悪性か良性かが分からないので虫垂だけでなく腸の半分も切りリンパも取ると言う。手術は3時間、入院は2週間である。「虫垂だけを取るわけにはいかない
か」との私の問いにその医師は「悪性だともう一度腹を開けなければいけないから、このやり方が普通である」と答えた。
 私も一度は、もう仕方がないかと考えたが、知人で横浜総合病院(横浜市青葉区)に勤めている方がいるので、念のためセカンドオピニオンをして貰った。そこでは、かなり時間をかけて
精密検査を行い、この虫垂炎は80%の確率で良性だということが判明した。私はこの80%にかけこの病院で虫垂だけを取る手術を行った。手術は1時間、入院は5日間であった。もちろん
結果は良性であった。
 多くの病院には患者を診る場合に必ず裏側に潜む医術と算術がある。セカンドオピニオンはこのためにも必要だ。病院が算術のために過度な診療や手術をさせないためである。特に私のように高齢者で体力が衰えている場合は手術の時間や入院期間は時には致命的にもなる。大きな手術をする場合には時間が許す限りセカンドオピニオンを強く薦めたい。また、㈱日本医療企画にもこの分野の研究、報告もしていただきたい。セカンドオピニオンアドバイザーなどはどうであろうか。