【特別リポート】
令和6年のみたままつり
日比恆明(弁理士)
今年前半の大ニュースは、トランプ大統領の狙撃未遂事件がトップになるでしょう。銃弾が耳に当たり、出血しながらも拳を振り上げて「Fight」と叫んだ映像が毎日のように流れています。凡人であれば次の狙撃を予想し、うろたえて逃げ隠れるでしょう。ここが凡人と政治家の違いで、トランプ氏は狙撃未遂を歴史に残る事件と即断し、ショーマンに徹したようです。この映像により、今年の大統領選はトランプ氏に決まり、という結果になったようです。しかし、もし狙撃が成功していたら、世界の政治はどのような影響を受けたでしょうか。中国、ロシア、北朝鮮への対応が変わり、大混乱になっていたかもしれません。
今回の狙撃事件については数々の陰謀説が流れています。私も不思議に思うのは、銃弾が右耳にだけ当たったことです。小さな銃弾が運良く耳の一部だけに当たるのでしょうか。もしかしたら、発砲音に合わせてトランプ氏が、右手に隠した剃刀刃で右耳を切り取ったのではないかとも考えられます。この事件は政治家特有の自作自演ではなかったか、と勘繰るのは私だけではないでしょうか。
今年も7月13日から16日まで靖国神社でみたままつりが開催されました。当日の状況を報告します。
写真1
毎年のことですが、7月中旬は梅雨の時期で、みたままつりでは何らかの雨の影響を受けています。しかし、今年は例年に比べて最悪の天候となったようです。気象庁発表の都心の天候は、13日は「薄曇後一時雨」、14日は「曇一時雨」、15日は「曇一時雨」、16日は「雨時々曇」ということで、晴れた日は一日もありませんでした。私は16日に靖国神社に出掛けたのですが、一日中シトシトとした雨に降られました。雨の影響で参拝者も減少しており、昨年は15万8千人であったのに比べ、今年は15万2千人となっていました(神社発表による)。やはり、屋外での催物は天候に左右されるようです。
写真1は、神門から参道を眺めた光景で、境内のどこも傘の連続でした。
写真2
写真3
内苑には奉納雪洞が吊り下げられていましたが、地面のあちこちに水たまりが出来ていて、足元に注意しながら歩かなければなりません。奉納雪洞に注目していると、靴が水たまりに嵌まり、水浸しの惨状になってしまいます。皆様、足元に注意しながら雪洞を鑑賞されてみえました。
従来の奉納雪洞では揮毫が多く、和紙に墨で書かれた文字を鑑賞するのが通例のようでした。しかし、ここ数年はイラスト、絵画による雪洞が増えてきています。写真3でずらりと並んだ雪洞はイラストなどの非揮毫系でした。奉納者の職業は、漫画家、イラストレーター、画家、陶芸家などとなっていました。雪洞が揮毫から絵画に変化していった理由の一つに、書道をたしなむ人が減ってきたことではないかと推測されます。書道の業界が縮小したのではなく、書道家も沢山活躍しているのですが、有名人やタレントなどに揮毫を依頼することが少なくなってきたからと考えられます。また、イラスト、絵画であれば一般の参拝者(特に若い人)に目視で理解され易い、という理由も考えられます。墨で書かれた文字から意味を理解するより、一瞬見ただけで主張したい内容が理解できるイラストの方が簡便なようです。
なお、職業が写真家という雪洞も1つだけ確認しました。写真をインクジェットで印刷したものでした。ただ、写真家の雪洞はそれほど増えないと思われます。あまりにも簡単に制作でき、いわゆる「技」というものを感じられないからでしょう。また、保存性の問題があり、揮毫、イラストでは半永久的に保存できますが、インクジェットでは褪色して長期保存が期待できないからです。雪洞には、身体を動かして、筆やペンで紙の上に感情を表現する行為が必要なのかもしれません。
写真4
本年7月26日よりパリオリンピックが開催されます。早速、オリンピック関係者の雪洞が奉納されていました。いずれもレスリング選手で、右側が須崎優衣、左側が志土地真優です。須崎は東京オリンピックで金メダルを獲得したので、今度のパリオリンピックでも金メダルを目指しています。志土地は予選で破れたため、パリオリンピックの出場権を失っています。このため、揮毫の内容が微妙に違うのです。志土地も本音では「パリで金」と書きたかったはずでしょう。
写真5
例年、大村益次郎の銅像下では仮設のやぐらが組まれ、盆踊りが開催されています。千代田区の愛好会が主催し、銅像の回りで踊ることになっています。今年は、13日から15日の3日間は小雨であったので決行されたのですが、16日は本格的な降雨となったことから盆踊りは中止となりました。この日のために設営された舞台では、雨に濡れた紅白の幔幕が垂れ下がり、何とも侘しい雰囲気となっていました。秋風が吹くようになった夏の終わりの、江ノ島海岸にある海の家のような感じとなりました。
写真6
参道両側には大型の献灯が、内苑のあちこちには小型の献灯が下げられているのは毎年の光景です。今年の献灯は大型が1万1千個、小型は1万8千個でした(神社発表による)。しかし、実感としては、昨年より献灯の数が減少しているのではないかと思われます。全ての献灯を数えた訳ではないのですが、毎年減少しているように思われます。神社は正確な献灯数を発表していません(発表すると、売上げがバレてしまうので)。
献灯が減少していくのは当然のことで。関係者が減っているからなのです。主要な献灯者は、戦友会、遺族会なのですが、戦友会の解散、遺族の死亡により戦争に直接関係した人達がどんどん減っているのです。今後はこの減少分をどのようにして穴埋めしていくのか、が神社の課題となっていくでしょう。戦争関係者と言っても、戦没者の子、孫の代までが限界で、曾孫になったら縁遠くなります。まして、玄孫の時代となったら、遠い祖先を思い起こすことさえ難しくなるでしょう。
今年の大型の献灯で度肝を抜かされたのは、1千個を越える献灯をした団体がありました。献灯では、鉄パイプで上下左右に足場を組んで枠を作り、1つの枠に縦6個、横10個の提灯を吊り下げて、1枠に60個の提灯をまとめて配置しています。今年、連続した18枠を買い切り、計1080個の提灯を献灯したのは札幌にある八江聖団という神道系の団体でした。これだけの献灯が集約されると目立つものです。
写真7
従前のみたままつりでは、屋台、見世物小屋などが参道脇にずらりと並んで賑やかでしたが、不良少年のたまり場と化してしまいました。余りにも俗っぽいということで、10年前には出店を全面的に禁止することになりました。お祭なのに出店が無いのでは寂しいということで、特別に選別された少数の屋台とキッチンカーの出店は認めることに落ちついたようです。今年も参道脇の林の中には数台のキッチンカーが並び、軽食を提供していました。しかしながら、この日は一日中雨が降っていて、ベンチなどで休息できません。このため、写真8にあるように立ち食いとなってしまいました。何時もなら、ベンチに座ってワイワイと賑やかになる女子高校生達なのですが、この日ばかりは静かに食事をしてそそくさと立ち去っていきました。
写真8
写真9
参道脇に出店したキッチンカーにはそれぞれ顧客がつき、それなりの売上げがあったようです。そもそも、赤字になると予想されるのであれば、業者はキッチンカーを出店しないはず。しかし、お祭にキッチンカーを出店すれば必ず利益がある、という保障はありません。写真9は最悪な事例で、キッチンカーの左側は休憩所のフェンスが遮られ、右側の手前には大きな樹木が邪魔しています。このため、キッチンカーは路地のドン詰まりのような位置にあり、お客は手前で右側に流れて奥には入りません。動線の悪い位置であり、、お客は全く寄りつきません。チラシを持った店員が呼び込みをしていましたが、お客の来店はサッパリでした。露店というものはほんの少しの条件の変化により、客付きが悪くなるという事例でした。
写真10
写真11
参道脇の屋台、キッチンカーは飲食物の販売をするだけで、射的や金魚すくいなどの遊ぶための屋台は出店していません。しかし、駐車場脇の土産物屋の前にはテントが張られ、何やらゴソゴソと動いているのが見えました。近くに寄ってみると、テントの下では風船釣りが出店していました。この日の露店で、遊ぶための出店はここだけでした。ささやかではありましたが、お祭の雰囲気を出していました。過去20年の間、この土産物屋の前に露店が出たのは今回が初めてでした。多分、テキ屋が土産物屋のオーナーに頼み込み、この日だけ場所を貸して貰ったのではないでしょうか。
写真12
今年5月31日に、靖国神社の社号標に赤いペンキで「Toilet」と落書きされた事件が発生しました。犯人は中国人のインフルエンサーで、落書きの行為を撮影した動画は中国のSNSに投稿され大騒ぎとなりました。警視庁が6月3日に発表した内容では、犯人は中国人と特定したが犯行した日に出国して逮捕できなかったとのこと。すると、犯行があってから犯人を特定するために3日かかった、ということなりますが、これは奇怪しいことであり、事実とは違うのではないかと思われます。
写真12で示されているように、社号標の反対側にある玉垣には監視カメラが設置されていて、24時間作動しています。社号標に何か異変があれば、夜間であっても警備員が対応できます。今回の事件では、事件発生の1、2時間後には犯人の特定ができていたと考えられます。犯人が出国する前に空港で取り押さえることは可能だったでしょう。しかし、警視庁は犯行後3日目に犯人名を発表し、あたかも取り逃がしてしまったように公表していました。この発表の遅れは政治的な圧力があったのではないでしょうか。犯人は中国人であるため、出国時に取り押さえると外交問題に発展する可能性があり、わざと逃がしたのでしょう。こんな推測もあながち外れてはいないと思うのですが。
毎年のお楽しみは、日本歌手協会の主催による奉納歌謡ショーです。この日は雨が降り続けるため、能舞台の前に観客用のテントを張ってくれました。この写真を撮影したのはショーの始まる2時間前の午後5時でした。観客の主流は年金生活の老人であり、無料で本物の歌手を眺めるためには2時間くらい待つのは当然と受け止めていました。
写真13
写真14
今年の観客には、外国観光客が目立って多くなっていました。ドイツ、フランス、アメリカの他にルーマニアからの観光客も確認できました。どのようにしてこの歌謡ショーを知ったのか尋ねてみたところ、靖国神社のホームページから、という回答がが一番多かった。靖国神社のホームページには英語で歌謡ショーの案内が掲載されていました。また、遊就館に張られていた英語のポスターを見て知った、という人もいました。いずれにせよ、何度も来日した外国旅行客にとって、ガイドブックに載っているような観光地はもう飽きていて、これからはマニアックな体験型日本旅行に移行していくようです。
写真15
午後7時になると、能舞台では奉納歌謡ショーが始まりました。今年の出演者は、右から合田道人、工藤夕貴、あべ静江、田辺靖雄、原田直之、松原のぶえ、木村徹二となります。毎年のように出演された大津美子は欠席されました。体力的に落ちていて、見ている我々の方が痛々しく感じられ、昨年の出演が最後ということになりそうです。例年に比べて出演者が減っていますが、それぞれの歌手が二度歌ってくれましたのでショーの時間は例年と同じでしたが。
写真16
常連の原田直之は「麦と兵隊」「木曽節」を歌ってくれました。今年は81歳になられたのですが、会場に響くような歌唱力と声量には圧倒されます。どうしたらこんなに声が出るのか不思議ですが、やはりプロの力でしょう。
写真17
松原のぶえは、「九段の母」「たった一度の人生だから」を歌ってくれました。「たった一度の人生だから」という歌は初めて聞いたのですが、これは今年になって発売したタイトルでした。この日は、松原の新曲発表も兼ねていたようです。
写真18
途中からプログラムには印刷されていない、こまどり姉妹の妹の並木葉子が出演してくれました。御年86歳となられ、持ち唄のソーラン渡り鳥を歌ってくれました。年齢のわりには声量があり、歯切れの良い声でした。高い音も発声でき、掠れることはありませんでした。ただ、マイクを持つ手が震えていて、年齢を感じさせられました。足も弱くなっているようで、司会の合田が手を引いていました。
現在、姉の並木栄子は肺炎で入院中で、姉の看病の間に出演した、と申されていました。昨年は姉妹で出演されてみえたので、残念なことでした。
写真19
写真20
あべ静江は「リンゴの唄」「みずいろの手紙」を歌ってくれました。小太りの体型は愛嬌のあるもので、昔と同じ声量でした。ただ、着用しているコスチュームは3年前から同じで、少し気になるところですが。
工藤夕貴については私は知らない歌手でしたが、「ああ、上野駅」の井沢八郎の娘でした。親の七光で有名になったのか、本人の実力で有名になったのかは不明ですが、歌手にタレント、映画俳優とイロイロな方面で活躍されているようです。この日は父親の持ち唄である「ああ、上野駅」を歌ってくれたのですが、音声が加工されているような感じを受けました。歌っていると少しエコーが入っているように思われました。これは私だけの感じなのかもしれませんが。
写真21
最後の木村徹二も二世歌手で、鳥羽一郎の息子でした。唄った演歌は何と「二代目」。当人のことを指しているようなタイトルでした。若いから声に張りがあるのですが、売り出したばかりでこれからの人材でしょう。
さて、この奉納歌謡ショーは日本歌手協会が主催し、協会に加盟している歌手が無償で出演されているとのことです。歌謡ショーに出演する歌手は半ば固定していて、あまり大きな変化がありません。しかし、協会に所属している歌手は5百人以上になります。その中には、小林旭、千昌夫、天童よしみ、倍賞千恵子などの大物歌手が見かけられます。来年は大物歌手を出演させて頂きたいと願っています。