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真田幸光の東欧?! 見聞録(全3回) 中編「ルーマニア」

【真田幸光の経済、東アジア情報】
真田幸光の東欧?! 見聞録(全3回)
中編「ルーマニア」

真田幸光(愛知淑徳大学教授)

[ルーマニア]
ルーマニアではまず、日本大使公邸を訪問、片江大使、ジェトロの所長様、日系企業の社長様の説明も受けました。

市内では、国民の館、凱旋門、革命広場、旧共産党本部、北駅を見学し、ブラショフに入りました。

1989年の革命により、チャウシェスク夫妻が銃殺刑になり、ルーマニアの社会主義共産主義体制が崩壊しましたが、その契機となる事件が発生したのがこの革命広場です。
国民の館は、議事堂です。1984年に建設開始された建物で、下の階はイベントなどにも貸し出されているようです。部屋数は1100あるそうです。
ルーマニア議会は、代議院と元老院の両院からなり、首都ブカレストの議事堂宮殿、即ち、国民の館に置かれています。
その歴史を見ると、国民の館は、

1980年代に、当時のルーマニア共産党書記長だったニコラエ・チャウシェスクが「宮殿」として造成した建物です。
地上10階、地下4階、高さ84メートル、幅275メートル、奥行き235メートル、延床面積330,000平方メートル、部屋数は3107で、政府系の建築物としてはペンタゴン、タイ国会議事堂に次いで世界第3位の大きさを誇っています。
権力の象徴として作られた感があり、だからこそ、チャウシェスクが処刑された後は、宮殿
というイメージから離す為にも、
「国民の館」
と命名されているようです。

また、凱旋門は、1878年、露土戦争でルーマニアが独立を勝ち取ると、勝利した軍隊がくぐれるように、木製の凱旋門が急いでつくられたそうです。
石膏の精巧な彫刻がほどこされたコンクリートの凱旋門は、ペトレ・アントネスクが設計し、第一次世界大戦後の1922年に同じ場所に建設されました。

また、旧共産党本部は、危機を感じたチャウシェスクが逃れた場所です。

ルーマニアでは、学生はバス、鉄道は無料、市内地下鉄は2割負担で列車に乗れるとのこと。共産主義時代の名残りでしょうか。
夏休みの国内のみならず、国際列車の起点ともなっているブカレスト北駅は若者達で混んでいました。

また、市内にはまだ物乞いもいて、信号待ちで停車している車にお金をせがむ老人も見
かけました。
ガイドの話ではまだ貧富の差は存在しているようです。

ルーマニアでは、旧ソ連時代はロシア語中心でしたが、今はラテン語系のフランス語やスペイン語、また、ドイツ語の教育熱も高いそうです。

ブカレストからブラショフに向かう道では、地域のスイカやかぼちゃなどの果物や野菜を売る露店商の店をかなり見かけました。
また、途中は観光リゾートの町、ブシュテニなど、サマーリゾートを楽しむ観光客たちをたくさん見かけました。
ルーマニア人だけでなく、近隣国からの観光客もたくさんいるとのことでした。
そして、人口約30万人の都市ブラショフのホテルで一泊しました。

大使館などのお話しを簡単に纏めると以下の通りです。

バルカン地域の中では珍しいラテン系の国であるルーマニアですが、ラテン系である為か、人々はとても陽気で旅行者に優しく、のどかな風景や独特な教会などが目に留まりました。
一方で、アメリカのペンダゴンに次ぐ規模を誇ると言われている故・チャウシェスク大統領が建設したとされる壮大な宮殿など、現代史の有名な舞台としての一面も持っています。

そして大使館、日本政府・外務省の情報を基にすると、

人口は1905万人、面積23万平方キロメートル、GDP3504億米ドル、一人当たりGDP18,410
米ドル、2023年GDP成長率2.2%、物価上昇率6.6%、失業率5.4%、政体共和制、二院制上院136人、下院330人。在留邦人393人、日系進出企業117社、EU、NATO 加盟国と言う国であり、
欧州での潜在感を高める国
比較優位性に高い労働力を持ち、ロシアのウクライナ侵略でも高い経済成長を続ける国
良好な対日感情を持つ国
と言う特徴のある国である。
現在、政情は安定的、連立内閣なるもいずれも親欧州的である。
経済はやや鈍化傾向。
責任あるEU加盟国を目指し、地域の安全保障に積極的関与。
日本とは、戦略的パートナー関係に格上げし、関係強化。
技術系、IT工学系に強い人材多数いる。
国民の割合は、ロムニ人が89%。 マジャル人が6%、ロマ人が2%。 ロムニ人とは古代からルーマニア の地に住んでいたダキア人と入植したローマ人の混血と言われている。

ルーマニアは、天然資源によく恵まれている為、大規模な石油、木材、天然ガス、石炭、鉄鉱石、及び塩の埋蔵、そして水力発電のための施設が多くあるが、投資不足の問題で出力の低下が課題となっている。
製造業は、機械建物、金属、化学、繊維などによって成り立っているが、こちらも民間の企業は政府から十分な投資を得られず、旧式の機械を新しくするために必要な資金が不足しているということが現在課題となっている。
繊維、履物産業は西ヨーロッパと米国の衣服メーカー下請けの作業として、過去10年間で最も力を伸ばした分野であり、結果、2000年に繊維製品の輸出は全体の約24%を占めた。一方、機械建築部門でも効率化を図る為に民営化を推し進め、大企業はより小さな単位に分割され、また、この結果、同年に機械建築部門は輸出の14%を占めた。

「日本とルーマニア両国間の貿易量は、日本からの輸出591億円、ルーマニアからの輸入1,553億円(2022年、出典:財務省貿易統計)であり、日本からは自動車、自動車部品、鉄鋼等を輸出し、ルーマニアからはたばこ、機械類、木製品等を輸入している。」
「ルーマニアに進出する日系企業数は117社であり、日系企業の対ルーマニア投資は、ブカレスト近郊及びハンガリーに近いトランシルバニア地方に集中しており、製造業では、JTI(日本たばこ)、光洋ルーマニア(JTEKT)、住友電装、矢崎総業、マキタ等が進出している。
分野別に見れば、自動車産業関連の投資が中心であり、これに伴いワイヤーハーネス用電気回路部品等、自動車部品の日本からの輸入が増加している。
その他、2011年には住友商事が子会社を通じて農業商社ALCEDO社を、2013年にはNTTデータがクルージュ・ナポカ市に本社を置くITサービス企業EBSを、2016年にはアサヒビールが大手ビール会社URSUS社を買収するなど、日本企業が投資に関心をもつ分野が多様化してきている。」
「販売業ではホンダ・トレーディング、ブリヂストン、ミツトヨ(測定装置)等が進出しており、人口約1,900万人というルーマニアの市場としての大きさが着目されている。」
「ルーマニアは、低迷する近隣諸国を上回る経済成長を遂げており、欧州連合(EU)の資金支援や通貨レウの安定、ロシアやウクライナからの製造拠点移設に伴う外国投資などが追い風となっている。
国際機関である国際通貨基金(IMF)はルーマニアの成長率を3.8%と予想している。
ルーマニアは長らく欧州最貧国のひとつであり汚職のまん延で知られてきたが、過去10年でいつの間にか近隣諸国と肩を並べ、ポーランドに次ぐ東欧第2の経済大国となってきている。」
「EU統計局(ユーロスタット)の最近のデータによると、購買力平価ベースの国民1人当たり国内総生産(GDP)は2021年のEU平均の74%となり、2010年以来で21ポイント上昇した。
平均的なルーマニア市民はステーションワゴンであるダチア・ジョガーの新車を買うのに純所得の20カ月分が必要だが、これは従来ルーマニアよりも豊かとされてきたハンガリーと同水準となったと見られる。」

今のルーマニアの経済成長の源泉は、
EU基金から来る支援金
であり、これにより、社会インフラを整えつつ、親EU国家の推進が進められ、一定の経済成長率は維持されている。
日系企業進出環境としては、
ヒト
相対的安価、高能力の人材確保可能。
労働者の確保は決して容易ではない。
また、離職率も高く、引き止めは高賃金提示に頼っている。
最近はSNS採用募集もかなり効果的となった。
組合活動、特に日系企業に対する組合活動は比較的穏健。
モノ
設備投資は容易。
海外からの設備導入も比較的容易。
設備輸入関税や手続きに大きな問題無し。
メンテナンスも比較的容易。
カネ
現地通貨ファイナンスは決して容易ではない。
運転資金を意識、持ち込み資本金はやや多め。
EUスタンダードもあり、送金規制や持ち込み資本金規制などは基本的に心配不要。
ルーマニアの平均月収は約1,180米ドル
情報
しっかりとした情報網確保が肝要。

各種政府手続きなどは相対的に煩雑、遅い。
陸送を軸とした物流にはやや難あり。
会計士、弁護士は比較的しっかりしている。
ルーマニア政府の外資優遇政策は極めて弱い。
ロシアリスクはもちろん存在、だからこそ、よりEU路線を堅持
中国本土に対する警戒感強く、大型プロジェクトも任せていない。
韓国勢のプレゼンスも比較的低い。但し、防衛産業はかなり進出攻勢をかけている。

といった見方が示されていました。

翌日はブラショフではまず、駅を見学、その後、ドラキュラ伝説があるブランに向かい、ブラン城を訪問しました。

ブラショフの駅は典型的な社会主義国の大型駅、また、よくあるように列車が遅れていたことが幸い、駅見学をホームでしていた私たちの目の前を電気機関車に引かれた四両の客車が到着するのを見、駅で待っていたたくさんの観光客を飲み込んでいきました。

また、ブラン市は、
ルーマニアの南部・トランシルバニア地方のブラショヴ県南部の山中に位置し、そこ
にはブラン城という古城があります。
ここは、歴史的・建築学的な遺跡でもあります。
また、ブラン城について、最初に言及している文書は1377年11月19日にハンガリーのラヨシュ1世によってズヴォレンで出されたもので、ブラショフのトランシルバニア・ザクソン人たちに、彼らの職人たちの金で、新しい石造りの要塞をブランに建てる権利を承諾するという内容であり、この文書にある「石の要塞」が建設される前、この場所にはドイツ騎士団によって1211年から1225年の間に建てられた、木材製の国境の要塞があったと推定されているそうです。
尚、アイルランドの作家ブラム・ストーカーの「吸血鬼ドラキュラ」に登場するドラキュラ城のモデルとされていますが、ドラキュラのモデルとされるヴラド・ツェペシュ(ヴラド3世)は、実際にはこの城には全く住んでいなかったと考えられています。
トランシルバニア地方ではハンガリー人、ドイツ人もいる地域です。
更に、
ルーマニアの宝石
と呼ばれるシギショアラに入りました。
ここは職人が築いた中世の城塞都市であり、世界遺産にも指定されています。トランシルバニア・ザクソン人の文化に触れました。
シギショアラ歴史地区は、ルーマニアの世界遺産の一つであります。
ルーマニア・ムレシュ県の都市シギショアラのうち、トランシルバニア・ザクソン人によって12世紀以降に建造されたシタデルの区域に該当します。
かつてラテン語でカストゥルム・セクス (Castrum Sex) と呼ばれたシギショアラの歴史地区は、現在もなお人々が暮らす中世的城塞都市であり、850年に及ぶ歴史と文化の例証として、上述さたように、1999年にはユネスコの世界遺産に登録されました。
城塞都市には、ドラキュラ伯爵のモデルとなった貴族の生家がレストランと博物館になっており、そこで伝統料理を食べ、博物館見学をした後、城塞都市各所を散策、教会にも行きました。
シギショアラは正に、ドラキュラで成り立っている城塞都市でありました。

そして、最後に大都市ティミショアラに向かいました。
途中、アルバユリアという街に立ち寄り、夕食を取りました。
出発日を含めた6日目はこのティミショアラのホテルで宿泊しました。

【次号[後編 ハンガリー]に続く】

真田幸光————————————————————
1957年東京都生まれ。慶応義塾大学法学部政治学科卒業後、東京銀行(現・三菱UFJ銀行)入行。1984年、韓国延世大学留学後、ソウル支店、名古屋支 店等を経て、2002年より、愛知淑徳大学ビジネス・コミュニケーション学部教授。社会基盤研究所、日本格付研究所、国際通貨研究所など客員研究員。中小 企業総合事業団中小企業国際化支援アドバイザー、日本国際経済学会、現代韓国朝鮮学会、東アジア経済経営学会、アジア経済研究所日韓フォーラム等メン バー。韓国金融研修院外部講師。雑誌「現代コリア」「中小企業事業団・海外投資ガイド」「エコノミスト」、中部経済新聞、朝鮮日報日本語版HPなどにも寄稿。日本、韓国、台湾、香港での講演活動など、グローバルに活躍している。
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