第2回 超⾼層・⾼容積化と都市への環境影響 (阿部 彰)
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第2回 超⾼層・⾼容積化と都市への環境影響 (阿部 彰)

ストック社会へのパラダイムチェンジ
~第2回 超⾼層・⾼容積化と都市への環境影響~

都心で次々と進むビルの建て替え
昨年の秋から皇居外苑に⾯している東京海上⽇動ビルの解体⼯事が始まった。
⾚煉⽡⾊の⼒強いデザインで存在
を⽰すこの建物は、コルビジェの弟⼦であり我が国を代表する建築家・前川國男の設計で1974 年に完成した。このビルは1963 年に⾼さ制限が撤廃されたことを受けて126m の⾼さで1966 年、建築確認申請が提出されたが、都市景観として31m の⾼さに揃えたまちづくりを⾏う丸の内地区にとって超⾼層ビルは景観的にそぐわないと都市の美観論争に発展した。が、国会をも巻き込んだことで美観の本質的な議論からは外れて、皇居内が覗き込める⾼さは好ましくないという理由から丸の内・⼤⼿町地区の⾼さ制限を100m と決め、その後建設されたいくつかの建物は全て100m であった。

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【新連載】第1回 ~ストック社会へのパラダイムチェンジ~ (阿部 彰)
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【新連載】第1回 ~ストック社会へのパラダイムチェンジ~ (阿部 彰)

【新連載】~ストック社会へのパラダイムチェンジ~ 
 第1回 オフィス・業務ビル問題

スクラップ・アンド・ビルドが繰り返されてきた
 日本は鎖国政策解消後、いきなり明治政府による近代国家として生まれ変わったが、その近代化する過程の中で首都東京は55 年後に関東大震災に遭遇し、さらにその22 年後には第二次
世界大戦で都市として壊滅的な被災を被った。明治政府の都市づくりでは、欧米を模倣して新しい基盤をつくって来たのだが、関東大震災を経験したことで、耐震性や風土性を加味した我が国独自の考え方を導入して都市と建築を考えるようになった。およそ100年前のことで、この時代の建物は今も数多く残されている。
 一方、第二次世界大戦で焦土化した東京の街は戦後復興期を経て、世界が目を見張る経済成長によって国の経済を押し上げて来たのだが、この時期から建物のスクラップ・アンド・ビルドが繰り返されることが当たり前の価値観と位置付けられ、新しい建物への投資が日本経済の成長の礎になった。

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