【講演録】「ロシア・ウクライナ侵攻から見る“日本の外交と防衛”」(松川るい)
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【講演録】「ロシア・ウクライナ侵攻から見る“日本の外交と防衛”」(松川るい)

清話会セミナー 2022年4月2日(土)大阪

「ロシア・ウクライナ侵攻から見る“日本の外交と防衛”」

 —-危機せまるアジア外交を考える

松川るい 参議院議員

1971年生まれ。東京大学法学部卒、外務省入省。米国ジョージタウン大学国際関係論大学院修士号取得。在韓大参事官、日中韓協力事務局次長(ソウル)で活躍後、2014年総合外交政策局女性参画室長(初代)として国際女性会議(WAW)を立ち上げた。16年2月退官、7月参議院選挙において当選。

 

■今のウクライナを見て思う

 「祖国を守りたい気持ち」

 

今は時代を画する歴史の転換期、危機の時代、このままじゃいけない時代が来た、それを日常レベルで感じる時代のただ中にいるのではないかと思います。

私は前回2016年7月の参議院選挙で初めて政治の世界に挑戦をさせていただきました。その前は23年間、外交官僚として国益のために働いてきました。1989年11月、ベルリンの壁が崩壊しました。その時と同じような変化の時代に来ているという気がしています。

 私はまだ政治家として一期目ですが、多くの討論番組に呼んでいただいています。先日『日曜プライム』という地上波の討論番組に初めて出演させていただきました。

 ウクライナの惨状を皆さん毎日見ていると思います。マリウポリがほとんど全壊するような攻撃です。子供がいる、とわざわざ書いているのに、戦意を喪失させるためでしょうけども、わざわざ殊更にそこを攻撃する。ほぼ戦争犯罪です。

 番組で橋下徹さんが、とっとと白旗を上げて政治的妥協をすればいいではないか、と言いました。ロシアが要求しているいくつかのことがあります。中立化、非武装化、ゼレンスキーさんがいなくなって親露派の政権に変える、そして東部ドネツク、ルガンスク州を独立させる。これを全部飲めば、確かに戦争は終わります。でも私はすごく違和感を感じました。橋下さんや玉川徹さんが言っているように、どこかの時点でリーダーは、この戦争をどう手仕舞いするかを、自国の国土や国民への被害を考えて妥協するべき時はあると思います。それはプーチンさんも同じです。決してロシアはうまくいってないです。けれども、被害が出たら即白旗を揚げればいい、というのは違うと思います。

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【講演録】「北条義時 鎌倉幕府を乗っ取った武将の真実」(濱田浩一郎)
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【講演録】「北条義時 鎌倉幕府を乗っ取った武将の真実」(濱田浩一郎)

「北条義時 鎌倉幕府を乗っ取った武将の真実」

 —「武士の世」の始まりを決定づけた人物の実像とは

 

濱田 浩一郎 はまだこういちろう(歴史家、作家、評論家)

 1983年大阪生まれ、兵庫県相生市出身。皇學館大学文学部卒業、同大学院文学研究科博士後期課程単位取得満期退学。専門は日本中世史。姫路日ノ本短期大学、姫路獨協大学で非常勤講師を務めた後、現在は主に著述やメディア出演で活動。著書『播磨赤松一族』『小説アドルフ・ヒトラー』全3巻など多数。

 

 

■北条義時は「待つ人」

「何もしない人」だったのか

 

今年の大河ドラマは『鎌倉殿の13人』です。ドラマの主人公、北条義時とは一体どういう人物だったのか。

承久の乱(1221年)を描いた「承久記絵巻」という絵巻物があります。江戸時代に作られたものですが、そこに義時の顔が描かれています。口ひげを生やして、顔は少しふっくらしているように見えます。目は細めでしょうか。

 現代の歴史家は、義時の性格を一般的に「待つ人」「何もしない人」と評価しています。私はその評価には反対ですが、なぜ義時がそのような評価を受けているのか。

義時の性格を見る上でよく使われるのが、鎌倉時代後期に編纂された歴史書『吾妻鏡』です。これは北条氏の政権下において編纂された書物ですので、北条氏を美化礼賛するような文章も見えて取扱い注意な面もありますが、歴史家からは重宝されています。

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【リモートセミナー】「仕事の成果を継続的に出す人の習慣」 石井住枝

~カイゼンの本質をつかみ社自らが進化する新しい時代の働き方~ [ 特集カテゴリー ] ,

【リモートセミナー】「仕事の成果を継続的に出す人の習慣」 石井住枝

石井住枝

株式会社エフェクト代表取締役 

トヨタ自動車㈱に約17年勤務し、役員秘書、生産技術部門、安全衛生推進部にてリスクマネジメント、ガス溶接やフォークリフト等の資格を取りながら、現場の改善指導に従事。 独立後は企業の改善、リスクマネジメント、カイゼンコンサルや研修を行っている。

今回は大きく三つのポイントで進めていきます。

 1.お金をかけずに知恵から生まれる改善

 2.問題発見力を高めるステップとは

 3.不確実性の時代、攻めのカイゼン経営

 

 1.お金をかけずに知恵から生まれる改善

⑴トヨタ生産方式とは

 トヨタ生産方式という言葉はよく耳にされると思いますが、トヨタの中で○○方式という名前がつくのは、実はトヨタ生産方式しか存在していません。だから私は普段、「トヨタ流」とか「トヨタのものを活用して」とカスタマイズした形を伝えています。

 トヨタ自身、毎年人事制度すら変化し、どんどん新しく進化しています。ただ、原理原則は変わらず、お客様(ここでいうお客様とは、後工程をしている人のことを指します)に喜んでもらうため、すなわち、より良い品質・量・価格・納期等を提供するために、知恵を出すことをトヨタ生産方式といい、それを約70年続けている会社なのです。

 今回のコロナ禍のような、大きな不景気に強く、リスク時にこそより力を発揮できる会社だと思っています。すなわち、このトヨタ生産方式の裏の意味としては、困難な状況に取り組むからこそ、知恵から人財に繋がる、だからカイゼンはエンドレスです。トヨタ自動車は倉庫一つから始まったベンチャー企業です。当時は戦時下、国産車を作っていたので、銀行からもお金を借りることができず、政府にも頼れず、リスクが多い状況でした。お金がないなら、知恵を使うしかないという中でカイゼンが生まれてきたのです。

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【特別リモートセミナー】「テレワークで使えるオンラインでの話し方」池山 文

池山 文氏  フリーアナウンサー、KEE’S講師

長年ラジオのパーソナリティを担当しており、聞き手を巻き込み、惹きつける話し方で人気。JFN全国ネットラジオナビゲーター、大手IT企業ビジネスマナー(CS)研修、農業協同組合接遇、ビジネスマナー研修、新入社員研修、新卒採用担当者向け研修(大手メーカー)等を担当。

■オンラインコミュニケーションに必要な3つのスキル

 

 KEE’Sは、アナウンサーが話し方やコミュニケーションを教えている会社です。私自身もアナウンサーとして、最初は名古屋のラジオやテレビの番組を担当していました。現在は東京半蔵門のスタジオから、全国ネットに向けて十年以上続いている音楽番組やラジオ番組を担当しています。

 皆さんは、オンラインでのやりとりについてどのようなお悩みがありますか。表情が硬い、話が長くなりがち、自分の話し方に自信がない、また、オンラインでコミュニケーションが取りづらい、どうしたら相手に対して印象よく分かりやすく話せるのか、端的に話せるのかなどのお悩みをお持ちの方が多いようです。オンラインの課題として、システムやスライドなどのハード面、コミュニケーションなどのソフト面、もしくは、ハードとソフトの両方に課題があるのかという3つの質問をした結果、70〜80%に近い方が、どちらも課題があると解答しました。

多くの課題がある中で、見切り発車のように2020年から突然ビジネスのオンライン化が始まってしまい、お悩みが多いのも当然のことと思います。例えば、「相手の反応やその場の雰囲気が読みづらい」、「対面の時と同じやり方だけど違和感を感じる」、「一方的なコミュニケーションになりがち」、というお声を多くいただきます。

 率直に、対面とオンラインは違います。1つは、対面だと相手の反応が分かりやすい、オンラインは反応が分かりづらいということです。そのため対面は、リアルタイムでの会話のキャッチボールが行いやすく、話が弾みやすいです。しかし、オンラインでは話が一方通行になってしまったり、事務的で何だか温度が感じられなかったり、寂しい気がするという方が多くいます。また対面ですとお互いに意見を言いやすいのですが、オンラインだと質問を投げかけたら無音となってしまった……というようなことも起き、相手から意見を引き出すのが難しい側面もあります。

 どうしてオンラインだと伝わりにくいのか、理由は主に3点あります。

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【講演録】現役アナウンサーが直伝「聞き手を惹きつける魅力的な話し方」(林 暁代)

林 暁代氏 フリーアナウンサー / ㈱KEE’S講師

元愛媛朝日テレビ アナウンサー、元日経CNBC「エクスプレス」「ヘッドラインニュース」 キャスター、テレビ東京「E morning」「NEWS FINE」マーケット中継キャスター。スピーチ/コミュニケーション、新入社員、エグゼクティブ等、数多くの研修を担当。シンプルで、魅力ある声の出し方を伝える大人気講師。

■ビジネスに役立つ印象よく話す力と、

分かりやすく話すスキル

 KEE’Sは、アナウンサーが話し方・スピーチ・プレゼン・コミュニケーションをお教えする会社で、元々はアナウンサーを目指す学生向けに後輩を育てる企業として始まりました。私たちが使っている2つのスキルがビジネスのお役に立てると考えて、今の形になりました。

 2つのスキルとは、1つ目は“印象よく話す力”。老若男女どんな方からも、テレビに映ってニュースを読んでいるのを見た瞬間、そして実際に取材に行って話した瞬間、「この人は感じがいいから話そうかな」「ニュースを聞こうかな」と思ってもらえるように、瞬時に印象を良く思ってもらうためのトレーニングをしています。これは持って生まれたものではなく、後から身に付けられるスキルです。

 もう1つは、“分かりやすく話す”というスキルです。アナウンサーは、生放送、秒きざみの中で話をしています。その限られた時間の中でいかに分かりやすく話すか、というスキルです。この“印象を良く”“分かりやすく話す”というスキルが、ビジネスの中でも役に立ちます。

 今まで、企業研修およそ700社の新入社員から企業のトップの方々まで約6万名の方に受講いただいています。他にも、キッズスクールでは、4歳児(年中)の皆さんが弊社のレッスンルームに集まって、声を相手に届けるためにボールを投げながらのレッスンや、論理的にスピーチをするという練習をしています。

 最近では、集合研修を実施するのが難しいという企業が多くなり、2020年4月には新入社員研修がオンラインでの開催となったことを契機に、講師10人ほどが1人あたり約20名の方々に対してパソコンを通して、新入社員研修を行いました。他には、プロによる効果的なオンラインでの話し方を学んでいただける講座や、テレワークでも社員全員が同じようにスキルアップができるよう、見ながら実践できる動画を作成・提供し、役立てていただいています。

 今回のセミナーでは、「つい棒読みになってしまう」「話が分かりづらい」「説明が分かりづらい」と言われてしまう、という皆様のお役に立てるよう、コミュニケーションのために必要なスキルの中でも、特にシチュエーション別の表情、相手を惹きつける声のトーン、はっきり相手に伝わる声や話し方のポイントをお伝えします。

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【講演録】「RCEP時代の経営戦略」(坂口 孝則)

~安い・高品質なアジア製品・サービスに負けない企業の生き方 [ 特集カテゴリー ] ,

【講演録】「RCEP時代の経営戦略」(坂口 孝則)

坂口 孝則氏

未来調達研究所(株)所属。大学卒業後、メーカーの調達部門に配属される。調達・購買、原価企画を担当。サプライチェーンを中心とし、企業のコンサルティングを行う。コスト削減、原価、サプライチェーン等の専門家としてテレビ、ラジオ等でも活躍。著書に『未来の稼ぎ方』等、37冊。

■コストに負けない適正価格を

 訴求していく意気込みを

コロナ禍というのは、日本の企業や事業に刷新を突きつけたのではないかと、私は思っています。DX化から始まって、事業構造の見直しやリスクの分散、どうやって海外の拠点と連携していくのかなど、様々な問題が繰り返し突きつけられていると思います。

RCEPはアジア各国との関税の障壁等が、一部、被関税障壁も大きく取り除かれる中で、いかに多国間貿易を広げていくかという好機でもありますし、そして日本の各製造、メーカーが、どのように生産し、どこから調達すべきか、といった最適地調達、最適地生産、最適地への販売行為を模索する必要があります。同時に、RCEPの恩恵を十分に得るためには、幾つかルールと言うか、仕組みを知っておかないといけません。

RCEPはあくまで手段であって、目的ではないと思います。皆様の本当の目的は、時代に追随する強い事業のあり方、企業のあり方ということが近いでしょうから、RCEPの話とその後、これからの事業環境、企業経営の考え方に触れていきたく思います。

私はサプライチェーンの分野を基本的に主戦場としているコンサルタントで、目下37冊、本を出しております。主には大企業と中堅企業のコンサルティングをやっており、大手アパレルメーカーの繊維を作っている所と、あとは半導体製造装置のメーカー、そして鉄鋼メーカー、原材料メーカーのサプライチェーンのコンサルティングをやっております。加えて、未来調達研究所に加え、心療内科、不動産会社の経営にも関わっています。

サプライチェーンは6個ぐらいの分野がありますが、私が担当しているのは購買物流というところです。会社があるとして、お客様につなぐ流通の所、協力会社、取引先からモノを買ってくる所、そして、二次、三次、四次の下請け、孫請け、ひ孫請けに至るまでの協力会社との連携、この辺に関して、繰り返しコンサルティングを行っています。

GDPに対する鉱物性燃料の輸入額率のグラフをみると、日本は非資源国家ですので、原材料、鉱物性燃料は、全て諸外国から買ってくる必要があります。それをなぜGDPと比べるかと言うと、GDPが倍、3倍に成長しているとすれば、鉱物性燃料もたくさん買ってもおかしくないわけです。しかしながら、GDPと比較することで、日本という国が1994年から2020年に至るまで、どれくらいの値段上昇、あるいは価格下落の中で鉱物性燃料を買ってきたのかを指し示しています。

このグラフに製造業全体の原価率を重ね合わせてみると、ほぼ製造業の原価は海外からやって来る鉱物性燃料に首根っこをつかまれてる、と言いますか、ほとんどそれだけで原価率が決まっているような状態になっています。鉱物性燃料が下がったら利益が出るし、上がったら利益が出なくなるという体質で、30年、40年ぐらいずっと苦しめられているのが日本の現状です。

従って、私がまず、ちょっと気にしないといけないと思うのは、原材料価格や原価に依らないような値付け、さらに言えば、中小企業の皆さんが、値上げをガンとするくらいの覚悟を持つというのが、全ての起点になると思います。

私がとても尊敬する一倉定さんというコンサルタントの先生がいらっしゃって、かつて「企業戦略とは、値上げのことである」と言われました。私が物流購買という所に身を置きながら「値上げしろ」言うのは少々乱暴ではありますが、RCEPで関税がなくなって1%、2%安くなると言っても、コストとか原価に負けないような適正な価格をきちんと請求していく意気込みは非常に重要になってくると思います。

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【講演録】「令和4年の政治政局を読む」(神崎 博)

~報道最前線からみた総選挙結果と課題! [ 特集カテゴリー ] ,

【講演録】「令和4年の政治政局を読む」(神崎 博)

神崎 博氏(関西テレビ放送 報道局報道センター 専門部長)

 

1969年京都府生まれ。同志社大学卒業後、関西テレビ入社。「スーパーニュース アンカー」17時台編集長、「報道ランナー」解説デスクを担当。阪神淡路大震災、地球温暖化防止会議(COP13:インドネシア)、北京五輪、米朝首脳会談(トランプ対金正恩:ベトナム)、G20(大阪)等を取材。

■入社後はカメラを担当、

 海外特派員を経てニュース担当に

 私は、『報道ランナー』という夕方4時45分から関西テレビチャンネルでやっている番組で、ニュース解説を担当しています。

 私は1969年、京都の亀岡で生まれ、大学でメディアの勉強をした上で93年に関西テレビに入社し、今29年目です。最初3年間は技術職の生産技術というところでバラエティやスポーツ番組の主にカメラマンをやっていました。『快傑えみちゃんねる』という上沼恵美子さん司会の番組や、やしきたかじんさんの『たかじん胸いっぱい』、あとは『三枝の愛ラブ! 爆笑クリニック』ではスタジオ技術もやっておりました。

 スポーツでは、ちょうど私が入った頃はオリックスのイチローさんが活躍し、リーグ優勝してその後日本一になりましたが、その時の野球中継で日本シリーズのカメラをやりましたし、マラソンでランナーと一緒に走る移動中継車に後ろ向きに座って追いかけるカメラも3年間やりました。

 その頃に阪神淡路大震災が起き、私はスポーツ制作系にいましたが、報道の中継技術が大変だったので、応援という形で被災地に入り、3日目に神戸の御影公会堂という避難所になっていたところへ中継でカメラで入り、報道の記者と一緒に仕事するのはほぼ初めてでしたが、とても過酷な現場でした。ほとんど寝ずにほぼ3日間寝ない状態でも記者の人がずっと取材をして、私はリポートする記者を撮り続けて、中継車に寝泊まりしながら一日に30回ぐらい生中継をして、5分、10分おきぐらいに中継が来るような形で、被災地や避難所の状況をお伝えしました。

 元々記者になろうと思って会社に入ったので、その翌年に報道に異動しました。報道のニュースの中のスポーツ担当をやったり、奈良県に国立の奈良文化財研究所と県立の橿原考古学研究所という2つあるのですが、主にその担当で、発掘もの、遺跡のニュースなどを中心にやり、私がいた時には天理の黒塚古墳で銅の鏡が大量に出た、卑弥呼の鏡がたくさん出たということで学者に取材したりしました。

 その後、京都支局に行きましたが、その前にはあの和歌山のカレー事件、林眞須美受刑者の自宅前で人権的にどうなんだという議論はあると思いますが、各社のカメラがずっと張って一挙手一投足を撮影する「張り番」をやったり、あとは神戸の連続児童殺傷事件で須磨の現場に行ったりしました。

 あとは、阪神淡路大震災の現場に行って建物が倒れて沢山亡くなった、それを何とか皆さんにお伝えしたいという思いがあったので、防災担当で防災番組を担当しました。

 そもそも海外支局で特派員になりたいという学生時代からの夢があり、報道に来て5、6年目にやっと叶いました。どこでもいいから行かせて欲しいと言っていたこともあり、一番人気のなかったマレーシアのクアラルンプール支局赴任になり、丸3年、駐在しました。

 マレーシアにはあまり事件がないのですが、アジア友軍というような形で色々なところに行きました。パキスタンで地震があって飛んだり、当時、6ヶ国協議で北朝鮮のミサイル問題を話し合う会議があったので北京に行ってくれ、と言われたり、あと別の会議がソウルである、アメリカの安全保障のトップが来るということでソウルに行ったり、殺害された金正男がマカオにいるという情報があったので、マカオ中をジョンナム氏のインタビューを取るために探し回るということをやりました。

 日本に帰ってからは、「FNNスーパーニュースアンカー」という、今の「報道ランナー」の前の前の番組の5時台のニュースの統括責任者をやり、当時は青山繁晴さんの「ニュースDEズバリ!」の担当をやりました。

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【講演録】「〝渋沢栄一〞と〝久坂玄瑞〞」(坂市太郎)
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【講演録】「〝渋沢栄一〞と〝久坂玄瑞〞」(坂市太郎)

一坂太郎氏  

萩博物館特別学芸員

1966年兵庫県芦屋市出身。大正大学文学部史学科卒業。現在、萩博物館特別学芸員、防府天満宮歴史館顧問を兼任。日本文芸家協会員。幕末維新史を中心に研究・執筆。最近の著書に、『暗殺の幕末維新史』(中公新書)『坂本龍馬と高杉晋作』(朝日新書)『久坂玄瑞』(ミネルヴァ書房)など多数。

 

◼️盛り上がらなかった〝明治150年〟

 明治は決して遠い昔ではない

渋沢栄一と久坂玄瑞は天保11年(1840)、同じ年に生まれています。久坂玄瑞は禁門の変で元治元年(1864)に数え歳25で京都で亡くなり、渋沢栄一は昭和6年(1931)、92歳まで生きしました。

渋沢栄一に会ったという人に私は会ったことがあります。作家の南條範夫さんという方。明治41年(1908)生まれで、NHKの大河ドラマで『元禄太平記』という作品の原作を書いた方です。

東大の学生だった頃、学生新聞の編集をやっており、渋沢栄一に取材に行ったそうです。渋沢栄一が慶応3年に徳川慶喜の弟、昭武の随行としてパリ万国博覧会に行った、その間に幕府が倒れ、帰ってきたら幕府がなくなって、新しい政府になっていたということについて聞いたとの話を後になって知りました。

平成30年(2018年)は明治元年(1868年)から150年で、国を挙げてのイベントがありましたが、全く盛り上がりませんでした。明治100年のときは昭和43年(1968)でしたが、まだ明治生まれの人たちがたくさん生きていました。1968年の長者番付1位は松下幸之助さんで、明治生まれです。

その当時から20年ほど前、日本は戦争で負け、ひどい目に遭った。こんなことになったのはなぜか。明治維新からの何かボタンの掛け違いがあったのではないかということで、特に歴史学会は明治100年を祝うべきではないと徹底して抵抗しました。政府が歴史を書き換えようとしている、という運動も起こりました。各家庭にも戦争の傷跡が普通に残っていたでしょうから、明治維新はよかったのか悪かったのか、お茶の間の話題でできたのでしょうが、150年になってみるともうそれは分からない。

政府が出したものを見ると、明治150年のとき、明治は素晴らしい時代だった、という論調が、明治100年のときとあまり変わらないのです。明治維新で産業や経済が発展した、それは事実でしょう。民主主義の芽生えみたいなものもありましたが、結局は国家主義へと進みます。

ただ私が思うに、当時の日本は外国に戦争をすることが一番の目的で、だから産業が発達し色々な科学技術が導入された。それは国民の生活を豊かにしようとしてやったというより、富国強兵を目指していこうということです。

その中心に天皇制があった。天皇を日本の中心に持ってきて富国強兵を実現、対外戦争を繰り返し、とうとう昭和20年に敗戦を迎え、それから民主主義が出てくるという歴史だったはずが、随分イメージが違うという妙な違和感を覚えました。

対外戦争や天皇制の歴史だった、それがいいか悪いか、賛成するか反対するかは別としても、そうであることは史実です。そこに全く目を向けない明治維新像を広めようとしたから、何となくそっぽを向かれて盛り上がらなかったのかなと思っています。

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【講演録】「西洋人初の芸者、新たな挑戦」(紗幸)

~日本の伝統文化存続のために [ 特集カテゴリー ] ,

【講演録】「西洋人初の芸者、新たな挑戦」(紗幸)

紗 幸(さゆき:フィオナ・グラハム)

(芸者、早稲田大学講師)

オーストラリア出身。交換留学生として日本の高校を卒業。慶應義塾大学で学位取得後、オックスフォード大学でMBA取得。世界数ヶ所の大学で講義をし、ドキュメンタリー制作の監督も務める。2007年12月浅草で正式に芸者としてお披露目を行い、花柳界400年の歴史上初の西洋人芸者としてデビュー。

■芸者に扮してテレビ番組をつくる中で

 本当の芸者になる運命に

 私が日本に最初に来たのは交換留学生としてでした。15歳のとき1年間、日本の高校に入って、日本の家庭にお世話になりました。直接の交換でしたので、私のオーストラリアの実家には19歳の真面目な女の子が来ました。その後一回、帰国して、16歳でまた日本に来て高校に入り直して、高校を終えました。そのとき1年間、休学をして日本の四季を味わえるところでアルバイトをしました。夏は東京の離島、冬はスキー場。芸者になった今、思い返しても素晴らしい体験でした。

 その後、慶應義塾大学に受かって、人間科学という分野を選び、それが後に社会人類学という分野を専攻するきっかけになりました。大学を卒業してから、大手の生命保険会社に就職して、日本の会社がどんなところで、会社員はどんな生活を送っているかを知ることができましたので、それも芸者になってからいい経験だった、と感じています。2年間勤めましたが、その後、英国のオックスフォード大学に渡ってMBAを取得しました。それでまた日本に戻ってきて、経済関係の記者になり、共同通信、ロイター通信に1年ずつ所属しました。

 その後、もう一回オックスフォード大学に渡って、社会人類学で博士課程に通いました。社会人類学はフィールドワークが必要で、社会の中に入って勉強します。同じ時期に通っていた学生は伊豆の海女さんの修行をしましたし、またカラオケについて博士論文を書いた人もいました。

 私は、22歳のときに入った生命保険会社に戻って、日本の会社について論文を書くことにしました。当時、すでに終身雇用という考え方が変わり始めていて、その時代の変わり目を、私自身の動きを追いながらNHKで番組をつくる、ということをしました。そうしたらその保険会社が潰れてしまって、論文とはほかに大手企業が潰れたことについての本も書きました。芸者の世界は100年間、成績が落ち続けている世界です。大手企業がどのように潰れていくかを目の当たりにしたのは、今から思うと得難い経験でした。

 オックスフォードで博士課程を取得した後に、シンガポール国立大学で先生になって、日本文化と社会人類学的な観点で、ナショナルジオグラフィックやNHKなどでドキュメンタリー番組をつくり始めました。カルロス・ゴーンが最も注目を浴びていた時期、BBCの密着取材で番組をつくったこともあります。ゴーン氏が工場に入っていくと社員がピンと立ち上がって、神様が工場に来たかのような感じでした。

 大学の先生をやりながら番組づくりをしていましたが、フリーランスのディレクターでしたので、自分でテーマを考えて調べてテレビ局でプレゼンをするのですが、2、3分で「この番組は絶対につくるべきです」とアピールしなければなりません。

 ある日『SAYURI(さゆり)』という芸者を主人公にした本を原作にした映画ができるので、それをテーマにドキュメンタリーをつくってはどうか、と提案を出したのです。そのときはあまり興味を持ってもらえなくて、「私が芸者になっていく過程を番組にしてはどうですか」とポロっと言ったのが、今日の芸者になったきっかけになりました。

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【講演録】「岸田政権と日本経済のこれから」(吉崎達彦)

~コロナ禍の日本を浮揚させることはできるか [ 特集カテゴリー ] ,

【講演録】「岸田政権と日本経済のこれから」(吉崎達彦)

吉崎 達彦((株)双日総合研究所チーフエコノミスト)

 

1960年富山県生まれ。一橋大学卒、日商岩井㈱入社。広報誌『トレードピア』編集長、米ブルッキングス研究所客員研究員、経済同友会代表幹事秘書・調査役などを経て企業エコノミストに。日商岩井とニチメンの合併を機に2004年から現職。『モーニングサテライト』等でコメンテーターを務める。

■サプライズのないバイデン大統領

 進むインフレとFRBの出方

11月最後の木曜日に行われる感謝祭という習慣は、北米だけで欧州にはありません。つまり、植民地であるアメリカとカナダにやってきた人たちが、今年の秋に収穫がなかったら全員、飢え死にだという切羽詰った状態でやってきて、それで秋の収穫に対して感謝を捧げる日で、大変重い意味のある日です。この感謝祭を過ぎると、翌日がブラックフライデーで、年末商戦の始まりです。お店が黒字になるからブラックだという話です。

政治の立場から言うと、この感謝祭の11月25日前にいろいろ済ませておかなければいけない。例えば、大きな法案はできればこの前までに通したい。もう一つ、バイデン政権は昨日(11月23日)石油の戦略備蓄の放出を発表しました。アメリカは常に石油を備蓄しており、場所はルイジアナ州ニューオーリンズの近くです。ここはミシシッピ川の河口です。つまり、石油が何かのときはミシシッピ川を遡って、全米各地に供給できるようになっています。これを緊急放出する。そうやって石油価格を少しでも下げたい。

バイデンさんは、やることが非常に丁寧で念が入っています。日本政府にも付き合ってくれ、おたくも石油備蓄あるだろう、ということで、日本は苫小牧の港の反対側の所に、大きな備蓄基地があります。ただ、日本政府はそこまでやるつもりはなくて、余りの部分を放出して、お茶を濁すということです。

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~若き農業法人社長の挑戦 [ 特集カテゴリー ] ,

【講演録】「農業の無限の可能性にかける!」(中森剛志)

中森剛志(中森農産(株)代表取締役) 

1988年東京都生まれ。東京農業大学農学部卒業。在学中より「日本の農業に一生を賭ける!」を合言葉に活動。日本農業最大の課題は生産分野にあるとの確信から25歳の時に埼玉県加須市へ移住。27歳で稲作農家として独立、翌年法人化。JGAP・有機JAS認証事業者。埼玉県稲麦作経営者会議理事。

 

■25歳で就農、なぜ米の

大規模農場化を目指したか

私は今、農業をやっていますが、東京生まれでもともと農家ではありません。今年、農業を始めて6年目で、今33歳です。東京農業大学の農学部で「日本の農業に一生を賭ける」を掲げて学生時代を過ごし、青果流通業や飲食業を東京で営んでいました。同時に、超党派のシンクタンクやスローフード協会に関わって、農業に貢献できる形で動いてきました。

25歳のときに、様々考えた上で農業生産のほうに行かなければ、日本農業の課題が解決できないという結論に自分なりに至り、埼玉県加須市に移住し、メガファームの構築を目指すということを、ここ5、6年やっています。

加須市で1年半、米作りを大規模にやっている早川農場さんで研修を受け、2016年に独立就農しました。お米作りで10ha。17年、18年と毎年、規模を拡大し、今年は150ha、作付け延べ面積だと200haぐらいやっております。米、麦、大豆、サツマイモ、日本で四大作物といわれるものを栽培しています。同時に有機栽培の取組みもどんどん増やしていて、今年は15 haぐらいやっています。

今は社員が10人ほどいます。資材は普通に卸やメーカー、JAから仕入れており、出荷先は、ほとんど卸売業者で、流通業者に販売する前に、間に入ってもらっている形です。今年、このコロナ禍で非常に米価が下がっており、2年前に比べ半値ぐらいになっています。輸出米も同じくほぼ半値です。弊社は契約栽培で大ロットで出していますので、それほど影響は受けていないというのが正直なところです。

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【講演録】100歳マラソンランナー(永田光司)
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【講演録】100歳マラソンランナー(永田光司)

私はいつの間にか100歳9ヶ月になりました。お陰さまで、無病息災でこの歳まできました。人生100歳と言いましても、25年と35年と40年とに分けることができると思います。

25年と申しますと、ちょうど青春時代で、軍国時代に生を受けたものですから、20歳になるとすぐ軍隊に参りまして、5年間、野戦をかけずり回って、25歳で帰って参りました。したがって、25歳から日本の社会勉強ということで、60そこそこで定年となり、この歳まできております。

満州事変が昭和6年に始まり、昭和16年の大東亜戦争まで10年間、軍国主義の世の中でした。終戦が昭和20年、翌年の21年に私は帰って参りました。世の中のことが何も分からない、呆然とした2、3年を過ごしましたが、日本へ帰ってきてから35年間、社会に奉仕させていただいたわけですが、大東亜戦争で300万人以上の戦死者を出して、尊い命を皆さん捧げられて、辛うじて私も命からがら帰らせていただいたわけですが、そういう戦死者の後を受けて、日本の国が復興するわけです。

 戦争も終わり、これから自分のやりたいことをやらせてもらおうという時代に入るときに、われわれは青春時代を全部、昔の軍国時代のときに奪われて、あといよいよ定年、60すぎたらもう何もない。

私は若いときに登山をやっており、山登りが自分も好きでございました。他に趣味も何もありません。1人では山に行けませんので、グループを組んで登山をして、アルプスを相当登りましたから、足には自信がありました。

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【講演録】「中小企業にDXはほんとうに役立つか」(日沖健)

~業種や規模、冷静に見つめて、見据える未来 [ 特集カテゴリー ] ,

【講演録】「中小企業にDXはほんとうに役立つか」(日沖健)

日沖 健(ひおき たけし) 

日沖コンサルティング事務所代表

1965年愛知県生まれ。慶應義塾大学商学部卒業後、日本石油(現・ENEOS)に入社。98年 Arthur D. Little School of Management修了、MBA。2002年 日沖コンサルティング事務所を開業。産業能率大学総合研究所兼任講師、中小企業診断士、中小企業基盤整備機構アドバイザー。

 

  • 幕末の漢学者の例から

荘田平五郎という人の話をまず致します。大分県出身の方か三菱グループの方でなければご存じないと思います。慶応義塾で教えていましたが、岩崎弥太郎に引っ張られて三菱に入り、三菱グループの基礎を築き、「三菱の大番頭」と言われました。

江戸時代の話ですが、江戸に蘭学の修行に行きます。そこで鉛筆、ペンシルというものを手にします。そして、郷里である大分の臼杵に帰ったとき、漢学者の集まりがあり、その中で「これはペンシルというもので、なかなか便利にできておる」と見せるわけです。それを聞いた漢学者の人たちは、2通りの反応をしました。

一つのグループは、これはなかなか面白い、とペンシルを採り入れてやがて洋学に転向しました。大半の人はあまり興味を示さず、毛筆で漢学にとどまった。その後どうなったか。漢学から洋学に転向した人たちは明治時代になってからとても成功した。一方、ペンシルを拒否した人たちは、あまり成功しなかったという話です。

荘田平五郎も大成功するのですが、成功しなかった人の1人が、後に言葉を残しており、荘田平五郎が成功したのは、『要するに、誰よりも早くペンシルを取って活用したからだ』と言っているのです。

荘田平五郎、幕末のペンシルと今のDX、これは非常に似てると思います。世の中には新しいものがどんどんできます。その新しいものを見たとき、新しいものだからと拒否するのと、取りあえず興味を持って試してみる、その違いはけっこう大きいのかなと思います。

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【講演録】「中小企業はSDGsにどう取り組むべきか」(菊原政信)

~もはや大企業のみの課題ではない、その理由 [ 特集カテゴリー ] ,

【講演録】「中小企業はSDGsにどう取り組むべきか」(菊原政信)

菊原政信氏(フィルゲート(株)代表取締役、青山学院Hicon主管研究員)

青山学院大学経済学部卒業。大学在学中よりビジネスを始め、卒業と同時にアメリカ、東南アジアを中心に貿易を行う。その後、システム開発会社の代表を経て、2010年マーケティング・コンサルティングを目的にフィルゲートを設立。次世代小売流通サービスの研究会「Next Retail Lab」代表幹事を務める。

■SDGsに至るまでの歴史

SDGsは一度にできたわけではなく、歴史があります。誰一人取り残さないということで、子どもから大人、各国の方がすぐ分かるものとして、17個の目標を定めていますが、1番から17番のアイコンを見ると、何を意味しているかが小学生でも分かるように考えられています。SDGsは国連で採択されたもので、2030アジェンダは原書で約35ページ。日本語翻訳も国連連合広報センターのホームページからダウンロードすることもできます。

1945年、国連憲章にまず基本的人権や人間に関する問題について定義されたのが始まりです。その後、世界人権宣言(48年)、ストックホルム会議(72年)を経て、87年になって持続可能な開発というSDGsに関連するキーワードが出てきます。やがて92年の地球サミット、2000年の国連グローバル・コンパクトという会議。そこから国連ミレニアム開発目標があり、2015年にSDGsができる、いう流れです。

2015年のSDGs。それに先立つMDGs(ミレニアム開発目標)。これは開発途上国向けの開発目標で、貧困、初等教育、女性、乳幼児、妊産婦の方を平等に扱いましょうということがメインでした。その15年後にSDGsが採択されましたが、17のグローバル目標の下に169のターゲットという、より具体的な行動指針が設けられています。また、それに対応した232の指標が設けられているのがSDGsの構造となっています。このSDGs 2030アジェンダに関しては、国際社会全体が、人間活動に伴って引き起こされる様々な問題を解決するという点に主眼に置いた、それを世界で共通の認識として持ったという画期的な合意であった、と申し上げられます。

その根底をなすのが16番と17番「平和と公正を全ての人に」、世界中の誰もが力を合わせて、地球上の自然の恵みを大切にして、人権が尊重される。そして全ての人が豊かな、感じられるような世界をつくっていく。17番においては、全ての人や企業がそれぞれが役割を持ち、パートナーシップを築いて協力、連携し合う。

17個の目標の中に、包摂的、インクルーシブという言葉が多く出てきます。包摂的とは、誰しもが分け隔てなく、一緒に生きましょうということですから、先日、行われたオリンピック、パラリンピックでも、しきりにインクルーシブという言葉が使われていました。

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【講演録】「予告されていたペリー来航と幕末情報戦争」(岩下哲典)

~情報は、なぜ活かされなかったのか!? [ 特集カテゴリー ] ,

【講演録】「予告されていたペリー来航と幕末情報戦争」(岩下哲典)

岩下 哲典(東洋大学文学部・大学院文学研究科教授〔博物館学芸員養成課程担当教員〕)

1962年年長野県塩尻市生まれ。青山学院大学大学院文学研究科博士後期課程単位修得(2001年博士号〔歴史学〕取得)。明海大学経済学部助教授、同大学ホスピタリティ・ツーリズム学部教授を経て、2016年より現職。著書:『徳川慶喜 その人と時代』『幕末日本の情報活動 「開国」の情報史』『予告されていたペリー来航と幕末情報戦争』『江戸の海外情報ネットワーク』など多数。

 

■出島のオランダ商館長から

  ペリー来航を予告する知らせが届いた その時、幕府は?

ペリーが1853年に来航してから、54年に交渉が行われました。これは意外と迅速な条約交渉で、情報が事前に伝わっていたからということになります。

では、ペリーとは何者か。マシュー・カルブレイス・ペリー、日米和親条約締結時のアメリカ側の全権でアメリカ海軍の軍人です。生まれは、ロードアイランド州のニューポート、ボストンから車で約1時間ちょっとの、海軍軍人や捕鯨船の乗組員、海軍関係の人たちが多く住んでいる所です。

中浜万次郎(ジョン・マン)はフェアヘブンに住んでいましたが、船で行き来すればとても近い所です。ペリーが日本に来たとき万次郎については全く何もコメントをしていませんが、万次郎のことは十分知っていたと思います。

ところで、ペリーの父や兄はアメリカ海軍の軍人で、海軍一家と言っていいと思います。兄はエリー湖の戦いで軍功を上げており、兄の記念碑などもニューポートにあったと思います。ペリー自身は、地中海艦隊とかニューヨークの海軍工廠などにも勤務しており、蒸気船のフルトン号を建造し初代艦長に就任し、多くの士官を教育しており、合衆国海軍の「蒸気海軍の父」と称された人物です。また、「熊おやじ」というあだ名を部下から付けられてもいます。かなり厳格な上官だったといわれています。

米墨戦争ではメキシコ湾艦隊の司令長官として軍功を立て、アメリカの領土拡張に寄与しました。1852年3月に第13代のアメリカ合衆国大統領フィルモアから、東インド・中国・日本海域艦隊司令長官(通称:東インド艦隊司令長官)および遣日特使に任命されました。

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【講演録】「感染力の強いデルタ株はワクチン接種で抑え込めるのか」(舘田一博)

~まだまだ予断を許さない新型コロナの今後の見通し [ 特集カテゴリー ] ,

【講演録】「感染力の強いデルタ株はワクチン接種で抑え込めるのか」(舘田一博)

◆ 舘田一博(東邦大学 医学部 微生物・感染症学講座 教授)

1985年長崎大学医学部卒業。同年長崎大学医学部第二内科入局。99年米国ミシガン大学呼吸器内科留学(~2001年3月)。05年東邦大学医学部微生物・感染症学講座 准教授。11年同講座 教授に就任。東邦大学医療センター大森病院 感染管理部部長。日本感染症学会理事理事長(2017-21)等、多数の要職を兼任。

 

■医療現場で効果的な対策が打てるようになってきた

 新型コロナの今後の見通しですが、よく分かりません。ですが、1年半、経験の中で分かる部分も出てきました。その部分を皆様方と共有させていただき、一緒に方向性を少しでも描くことができればと思います。

中国の新聞の表紙に、武漢の海鮮市場で原因不明の肺炎が流行しているということが、去年の1月1日の『サウスチャイナ・モーニング・ポスト』に報じられました。そのときは、こんなに大きな感染、パンデミックになるのかということは、なかなか予想が難しかったのではないか思います。私たち感染症を専門としている者にとっても、ある意味、中国からのその第一報で、色々な情報が入ってきていましたから、なかなか正確にそのリスクを評価することができなかったというのは、ある意味、反省として今でも思っています。

 あっという間に世界中に広がってしまったわけですが、2億人を超える感染者が出て、450万人以上の方がお亡くなりになりました。しかもまだ終息が見えない状況になっています。1日あたりの感染者数が今でも60万人以上で、1日で1万人以上の方がお亡くなりになっているという状況が続いている。特に後半はデルタ株、その広がりとまん延ということになります。

 日本はようやく第5波のピークを越えたかなというところです。しかし、そのまま下がっていくのか、高止まりでなってしまうのか、あるいはすぐにリバウンドするのか、なかなか見えない。特に9月になって学校が始まって、人の動きがまた戻ってきた。そういった状況の中で、人流が増えて、濃厚接触、リスクが高まっていくことを当然考えておかなければいけないところです。

 大事なのは死亡者数です。第3波、第4波における死亡者数は多かった。日本の感染者数はもう150万人を超えて、残念ながら1万6000人を超える方がお亡くなりになっています。急激な感染者数の増加が、まさにデルタ株による脅威ということになります。一方で死亡率は、大体1・8%ぐらいで推移したのが、直近で1・19まで下がってきています。

感染者数の爆発的な増加があるけれども、今のところ死亡者数もそれに従って大きく増えてはいない。世界の死亡率は今でも2・1%で変わりませんから、これは何を意味しているのか。恐らく色々な要因がありますけれども、日本はこの1年半の中で、この感染症に対して医療の現場で、効果的な対策が取れるようになってきた。まだ特効薬は限られていますけれども、それでも死亡を抑える、重症化を抑えるようなことができるようになってきた。もちろんワクチンの効果もここに反映されてきているんだろうと思います。

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【特別リモート講演】「作られた危機」の真の狙いとは?(岡田充)

~中国は台湾統一を急いでいない [ 特集カテゴリー ] ,

【特別リモート講演】「作られた危機」の真の狙いとは?(岡田充)

◆ 岡田 充(共同通信客員論説委員)

1972年共同通信社に入社。香港、モスクワ、台北各支局長、編集委員、論説委員を経て2008年から共同通信客員論説委員、桜美林大非常勤講師。著書に『中国と台湾対立と共存の両岸関係』『尖閣諸島問題領土ナショナリズムの魔力』など。「21世紀中国総研」で「海峡両岸論」を連載中。

 

中国が台湾に武力行使し、それを阻止しようとする台湾および米軍との間で軍事衝突が起きる――今年3月から「台湾有事論」がまずアメリカからたくさん発信されました。日本のメディアや識者がその主張を真に受けてそのまま援用し、「中国は台湾への武力行使に出るかもしれない」「武力行使は近い」などという言説が広がりました。

お話しするポイントは三つあります。第一に、アメリカ軍の高官が3月、台湾海峡危機は「多くの予想より切迫している」との見立てを議会証言しました。その後、発言内容がだんだん変化していくプロセスをトレースします。第二は、中国の台湾政策。日本では、中国が台湾空域に戦闘機を大量に飛行させ、威嚇行動を強めていること。さらに中国自身が武力行使自体を否定していないから、「武力行使は近い」と危機感を煽っていますが、そういう見方は正しいのかどうかを点検します。そして第三に、有事をあおる日本とアメリカの狙いを分析したい。最後に、台湾海峡危機論の「洪水」に対し、われわれは一体どのような外交政策を選択すべきなのかを提示したいと思います。

 

■トランプより強硬な中国包囲政策

今年1月、トランプに代わってバイデン政権が登場しました。バイデン大統領はトランプのようなハチャメチャな行動には出ず国務省や議会と調整しながら外交努力を積み上げて、中国との対話から問題解決を模索するのではないかと見られ、私もそう期待していましたが、トランプ以上に対中姿勢はむしろ強硬でした。バイデンは中国を「唯一の競争相手」とし、米中対立を「民主主義」対「専制主義」との競争と位置付けました。

彼の外交は二本柱からなっています。第一は同盟関係の再構築であり、第二は「多国間協力」です。いずれもトランプが軽視したものです。多国間協力では、トランプが脱退した地球温暖化防止のパリ協定や世界保健機関(WHO)に復帰しました。

一方、米ソ冷戦期にできた米国中心の同盟関係は、ソ連を共通の敵として成立しましたが、ソ連崩壊で敵を失ったためその基礎は大きく揺らぎました。

米ソ冷戦期は、米国とソ連の間には経済交流はほぼ皆無だった。一方、中国は1980年代初めからグローバルな市場経済に入って急成長を続け、アメリカのGDPの7割ぐらいにまで迫る大国になった。日米をはじめ世界中の国が中国との経済・貿易関係を深めており、中国が共産主義国家だからと言って「敵視」することができなくなりました。それだけグローバル化は世界の経済相互依存関係を深めたことが分かります。これがポスト冷戦後の経済が地球規模で一体化した世界であり、言い換えれば、敵の存在を前提として成り立ってきた「同盟関係」の基礎が揺らいでしまった。だからアメリカが中国を競争相手として戦うには、揺らいでいる同盟関係を再構築する必要が出てきたわけです。

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【講演録 特別採録】「外国人だから気づき・守れる日本文化の“粋”」(紗 幸:フィオナ・グラハム)

~「西洋人初の芸者」としての喜びと苦労 [ 特集カテゴリー ] ,

【講演録 特別採録】「外国人だから気づき・守れる日本文化の“粋”」(紗 幸:フィオナ・グラハム)

★ 紗 幸(さゆき:フィオナ・グラハム)

(芸者、早稲田大学講師)

オーストラリア出身。交換留学生として日本の高校を卒業。慶應義塾大学で学位取得後、オックスフォード大学でMBA取得。世界数ヶ所の大学で講義をし、ドキュメンタリー制作の監督も務める。2007年12月浅草で正式に芸者としてお披露目を行い、花柳界400年の歴史上初の西洋人芸者としてデビュー。

【はじめに】

西洋人初の芸者・紗幸さんから「深川芸者のサポートお願い」が届いた。長引くコロナ禍で芸者衆には国や自治体からの補助が十分に行き届かず、経済的に苦労しているとのこと。芸者の方が講演する機会はなかなかなく、花柳界をめぐる状況はよほどなじみでなければなかなか知ることができない。2016年の講演ではあるが、本人のご希望もあり、採録させていただくことにした(講演は日本語でされた)。

 

■なぜ「芸者」になったのか?

 

私は初めから芸者になるつもりはありませんでした。大学で社会人類学を専攻していたのですが、博士号を取ったあとテレビ番組を作ることになり、シンガポールのテレビ局にアイディアを10くらい持っていきました。ヤクザなどもありましたが、花柳界について興味を持っていただきました。打合せでしゃべっている中で、「私が芸者になります」と言ってしまったのが始まりだったのです。

一回日本に戻ってきて研究しようと思いましたが、そのときは芸者さんについて何も知りませんでした。素人として花柳界にどこから入ったらいいか全くわからず、慶應大学の先輩を頼ることから始めました。

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【講演録】「あらゆる視点から、今、注目すべき株式銘柄を探る」(千葉 明)

■PEGレシオの指標からみる

 注目すべき会社

大きい会社も小さい会社もコロナの影響を何らか受けています。投資雑誌など、“コロナの収束で再度、浮かび上がる企業”といった特集を組んだりしますが、あまりこだわらないほうがいいと思います。いい株はやっぱりいいし、これから伸びていく株はそれなりの理由があると思います。

PEGレシオという、中小型株の今後を見る上で非常に貴重な指標があります。私が初めて知ったのは、もうかれこれ16、17年前、70代後半で現役の投資顧問会社をやっておられる塩住秀夫さんという方に伺いました。塩住さんは、ロンドンのシティで日本人として初めて金融会社、投資顧問、投資銀行の役員になられた方で、その後、ジョージ・ソロスが運営していたクォンタム・ファンドの日本株の運営を3年間、担当されて、一口でいうと成長株論者です。「成長株はどうやって探すんですか」という話をしたら、まずスクリーニングにかけるという意味でPEGレシオは非常に便利だよ、という話を聞きました。

このPEGレシオの算出方法は、分子が今の時価に対する予想PERで、分母が、本来であれば過去3期間ぐらいの1株当たり利益の成長率の平均です。出てきた値が2以上であれば割高の域、1~2の間は妥当な水準、1を割り込んでいる銘柄は投資対象として俎上に載せる価値がある、というのが、塩住さんから教わったPEGレシオの活用法です。

例えば㈱アズーム(コード番号3496)という会社は、サブリース方式で月極駐車場の運営をやっている会社です。新しいマンションが建ったりすると、マンションの住人分の駐車スペースでも作るのが難しい。すると近場の月極駐車場を探さなければならない、という状況から、特に都心部では月極駐車場不足が起こっています。このアズームという会社は、まずオーナーさんが持っている月極駐車場の中で、今、空いている駐車場を情報として出してもらい、一方でカーパーキングという検索サイトを設けて使いたい人との間でマッチングを行っています。

同社は9月決算ですが、前9月期は39・8%の増収、139・1%の営業増益と非常に高い伸び率を示しています。今期に関しても25・8%の増収、100・5%の営業増益と順調過ぎるぐらいで走り出しています。この中間期時点で空いている月極駐車場を1万2716預かっている。これに対して、サブリース方式で運営を手掛けている中で稼働しているのは1万1775と非常に高い数字で回っています。

PEGレシオを今、この会社に当て嵌めると0・83ぐらいです。通常、月極駐車場の運営上で非常に難しいと言われているのは借りている人の属性、平たくいうと反社会的な勢力が借りるケースが多々あるそうです。同社は車検証や免許証、法人で借りている場合には会社謄本、それと任意の車の保険、これらのコピーを提出をしてもらって、それをベースに大丈夫かどうかを見立てた上で貸しており、反社会的な勢力が介在しないような枠組みがきちんと整っているのが特色だアナリストたちは言います。

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