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【清話会 催物カレンダー】2025. 10月-11月

【清話会 催物カレンダー】2025. 10月-11月 ◆2025年    ■ 10/15(水)(SJC2025.10月例会)「世界最高峰のカンボジアの胡椒にかける人生」(倉田浩伸氏)  ■ 10/30(木)清話会特別セミナー「奥田シェフの『勝手に庄内百景』“出版前”講演会」(奥田政行氏) ■…

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第29回『リーダーのリーデイングスタイル』(小池浩二) [ 第29回 ]

■動かし方のスタイル

リーダーのリーデイングスタイルとは、人・チームの動かし方のスタイルです。リーダーのメンバーに対する接し方は、相手や状況、チームの成熟度によって変えることが必要となります。

多くのリーダーは、誰に対しても同じように接することがベターと考えていることが多いですが、これは大きな間違いです。メンバーを公平に扱うことと同じように接することは違います。指示待ちのメンバーには、具体的に指示を出すことが必要だし、一匹狼のメンバーには力で押えようとすると反発するだけです。

手のかかる人・かからない人、経験のある人・ない人等で必然的に接し方は変わりますし、同じ人でも緊急時には独裁型の指示命令が求められるように、状況によって対応の仕方は変わります。

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志布志事件

選挙は民主主義の要。歪められれば、国の根幹が揺らいでしまう。一昨年の参院選で、河合克行元法相(控訴中)と妻の案里元参議院議員(有罪確定)が広島選挙区の地方政治家などに2900万円をばらまいた買収事件で、東京地検特捜部はカネを受け取った100人全員を不起訴とし、捜査を終結させた。「罪に問うかどうか、金額や回数で選別することは困難」という理屈だが、元国会議員秘書は300万円、県議は200万円、元首長も150万円を受け取り、50万円以上を受領した者は10数人にのぼっていたという。問題は、買収金額の大きさだけではない。民主主義と法を守るべき立場の地方政治家40人が現金を受け取ったという事実は重い。資金の流れも不透明であり、特捜部の結論は到底納得できるものではない。

思い出すのは、志布志事件である。平成15年の鹿児島県議選で、志布志町(当時)の選挙区は定数3。無投票のはずだったが、地元の会社社長が4人目として立候補し、激しい選挙戦に突入した。初挑戦の社長は当選したものの、鹿児島県警は投開票後、社長夫妻が住民11人に総額191万円を渡したとされる買収事件の捜査に着手し、夫妻を含めて13人が公職選挙法違反で起訴された。だが、朝日新聞の記者が疑念を抱き、警察の虚構、でっち上げが次々に明るみになった。

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放射線治療について

がんの治療法 放射線治療編

日本ではがんと診断されたら基本的には標準治療と言われる3つの治療法「手術・放射線・化学療法(抗がん剤等)」から選択をすることになります。前回は手術についてお伝えしました。今回は放射線について解説をしていきます。

手術と同じく特定の部位のがん細胞を攻撃する「局所療法」になります。病巣をガツンと叩きます。

外部照射、内部照射、全身照射などありますが、体の外から放射線を当てる外部照射が一般的な放射線治療のイメージかと思います。X線が一般的ですが、アルファ線、ガンマ線、ベータ線などが使われることもあります。

 

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「お金をどう使うか、で問われる人生の真価」(引地達也)
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「お金をどう使うか、で問われる人生の真価」(引地達也)

 最近、お金について、意識しなければいけない機会が多い。私ではなく支援する人、他人の話として、である。引きこもりで悩みながらも、海外の株式運用で日本にいる平均年収の何十倍も稼ぐ人、これまでの蓄財をどうしたらよいか悩む人など。持っている人の使い道はその人の自由である分、その自由の中で何に使うのかは人格が問われるから結構難しい。

ただ「人格を問われる」ことに意識が行かない人には、何に使おうが自分の勝手なのだから、とても気楽かもしれない。ただ、その場合によくあるのは「持っていること」に慣れると持たない不安も出てくるらしく、妙にケチな体質になることも目にしてきた。この「お金との付き合い方」は、当事者がよく支援者の「付き合い方」を見ていると感心することがある。持ち物や家、実家の経済状態など、断片的な情報からその人の経済感覚や実際の「お金回り」を想像しているようで、これが微妙に関係性にも影響を与えることもある。

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【講演録】「“光触媒+カビ止め”“光触媒+防さび”:世界初の技術をブルネイ国から世界に発信」(大河内 博)

大河内 博 おおこうち・ひろし(スマート・シールド・インターナショナル/スマート・コーティング・テクノロジーズ 代表取締役)

1967 年、東京生まれ。92年、経済産業省(当時、通産省)に入省。2005 年に外務省へ出向、在ブルネイ日本大使館に赴任。10 年に帰国、経済産業省情報通信機器課に勤務。 13 年、同省を依願退職し、家族ともどもブルネイに移住。現在はブルネイやインドネシアを中心に日本の企業のイスラム圏への進出をサポート。

ブルネイは、新型コロナ感染者がゼロです。年明けに日本に戻って、すぐまたブルネイに戻りましたが、マスクもなしで人々は全く警戒もなく外を歩いたりしています。

 どういうことかと言うと、外から人を入れない、鎖国状態です。国内だけで商売や経済を回しています。人は入れ替わりません。外国から来ても15泊、まるで感染者扱いのようにホテルで隔離です。ホテルで、というのがポイントで、日本のように自宅で隔離、ということはなく、保健省の人がホテルの出入り口に張り込んで、24時間体制で見ているので外に出たりできません。

 私もホテルでの“地獄の15泊”を越えて、ひと月経ったところです。それだけやっているのでこの一年間、コロナ感染者はいません。が、経済は大打撃です。

 私が最初にブルネイにやってきたのが2005年。もともと経産省(かつての通産省)の職員で、今の和歌山県知事が大使として経産省から見えたということで、私はそのカバン持ち、日本国大使館の一等書記官として参りました。

 元々、私、中学生の頃にバドミントンに一生懸命打ち込んだ時期があり、ブルネイではそのスポーツがメジャースポーツでした。大使のかばん持ちで来たはずでしたが、バドミントンを通じて大臣や王族から好まれ、いつの間にか、5年間ブルネイにおりました。もう帰ってこないと経産省の職を失うとなり、日本に帰されることになり、帰りました。そして2013年8月に通産省を辞め、10月にブルネイに再び戻ってきました。

 現在は、光触媒の製造・販売・輸出、海産物を扱ったり、インドネシア人の看護学生を日本の人手不足の介護施設にインターンシップで派遣したり、ERIA(東アジア・アセアン経済研究センター)という国際機関の総長のブルネイ担当アドバイザーや立教大学の研究員をやっています。私の性分、一つでは収まりきらず、色々とやっています。

 本日は、1.ブルネイのお国柄事情、2.体験談の共有、3.ブルネイ光触媒研究所と国際展開、の3つに分けてお話させていただきます。

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【講演録】「戦後日中関係史」(後編)(西園寺一晃)

~日中国交正常化への道のり、冷戦下の各国の複雑な思惑を紐解く [ 特集カテゴリー ] ,

【講演録】「戦後日中関係史」(後編)(西園寺一晃)

■反日正常化を目指す中国

 民間組織の活躍で在留邦人の帰国が進む

1950年代初期、中国は対日正常化を目指す方針を決めていました。ただそれには二つの大きなネックがありました。1つは日本政府がそれに応じるかどうか。2つ目は、日本に恨みを持つ中国民衆の国民感情。これをどう変えていくかでした。

1950年10月に当時の日本の世論が大騒ぎすることが起こりました。モナコで行われた「世界赤十字総会」で、中国代表団の団長・李徳全(中華人民共和国衛生部初代部長、中国赤十字会会長)が日本代表団の島津忠承団長を訪ねました。この人は戦前の華族で公爵、日本赤十字社名誉総裁です。李徳全は島津に大変なことを告げたのです。戦争の結果、中国に取り残された残留邦人3万人、及びB級、C級戦犯をすべて釈放して日本に安全に帰国させる、これを全力で支援するということです。

戦後、日本政府が真っ先にやるべきだったのが、戦争の結果、外地に取り残された、帰国できない日本人をすべて安全に帰国させること、そして戦犯として、あるいは捕虜として外国に拘留されている軍人の釈放の交渉です。ところが中国では終戦とともに内戦が起き、一方日本はアメリカに占領され、残留邦人の問題は放置されたままでした。そして中国には中華人民共和国が成立しました。しかし冷戦化、アメリカの影響下にある日本は対中国、対ソ連、対東側陣営の防波堤にされました。中華人民共和国を承認せず、内戦で敗れ、台湾に逃れアメリカの第七艦隊に保護された国民党政権を中国の唯一正統政権として認め、平和条約を結んだのです。つまり日本にとって、中華人民共和国は存在しないのでした。

李徳全衛生部長がモナコに向けて出発する前、周恩来から「日本代表団の島津団長と接触せよ」という指令を受けていました。周恩来は中国残留邦人、B級、C級戦犯の帰国支援を、正常化を目指す政府間交渉の突破口にしたかった。これは中国が本気で日本との正常化を望んでいるという日本政府へのシグナルでした。しかし日本政府は動けませんでした。中国と交渉すれば、中国を認めたことになります。動いたのは日本赤十字会、日中友好協会、日本平和連絡会、3つの民間の組織です。この3団体が相談し、残留邦人の帰国の交渉のため、北京に交渉団を送りました。中国政府は受入れを表明しました。困ったのは日本政府です。この交渉団が北京に行くためにはパスポートが必要ですが、承認してない国に行くパスポートを日本政府が発行するかどうかです。しかしさすがに世論の圧力と人道主義に鑑みて、日本政府は初めて中華人民共和国へ渡航するための正式な旅券を発行しました。日本政府が出した、戦後初の「中華人民共和国」と明記した公文書です。

交渉は順調に進み、残留邦人1000名を乗せた第1船、興安丸が舞鶴に着いたのは53年3月です。その後、54年まで帰国者全員2万9000余名が無事に帰国しました。54年8月には日本のB級、C級戦犯の生きている417名が全て釈放され無事に帰国しました。

日本の世論は中国政府と中国赤十字会に対する感謝で沸騰しました。この空気の中で、衆議院は中国の赤十字訪日団を招請するという決議を満場一致で採択しました。参議院も同じ決議をしました。その結果、李徳全を団長、廖承志を副団長とする中国赤十字会訪日団が54年10月訪日しました。

中国の周恩来外交は非常に冴えていました。54年6月、周恩来はインドのネルーと共に「平和五原則」を発表しました。55年4月には、当時の非同盟の代表的な指導者、インドのネルー、エジプトのナセル、インドネシアのスカルノなどと共に、第一回アジア・アフリカ会議をインドネシアのバンドンで開催し、成功させています。この会議の旗印は反帝国主義、反植民地主義、民族独立でした。日本もこの会議に代表団を送っています。各国は元首、あるいは首相が参加しましたが、日本は経済審議庁(後の経済企画庁)長官・高碕達之助が団長でした。高碕は日本出発前に「バンドン会議で決して中国代表団と接触しないこと」という指示を受けていました。ところが高碕はバンドンに行くと、公然と中国の周恩来と会談しました。

56年、B、C級戦犯以外の、中国に拘留されていた戦犯・捕虜1062名を中国はすべて釈放、帰国させました。55~57年、文化、芸術、スポーツ、医学、科学等幅広い日中交流が実現しました。中でも、市川猿之助の歌舞伎訪中と、梅蘭芳の京劇の訪日は両国の国民感情に非常に良好な影響を与えました。

中国政府が行わなければならなかったもう一つのことは、中国の民衆の感情にどう対処するかということです。当時は戦争が終わったばかりで、民衆の中に渦巻いていたのは「我々はやっと独立した。これから強くなって、あれだけ酷い目にあった日本に仕返ししてやるぞ」という感情でした。周恩来は「我々は数限りない会議を開いて、いろいろな検討をしてきた。その結果、日本の一部の軍国主義者と善良な国民を分けること、そして日本の善良な国民も戦争の犠牲者であり、両国の国民が仲良くすることは両国にとって有利である。アジアの平和にとって不可欠である」と国民を説得しました。

この点に関して私見ですが、これは大変ありがたいことだと思いますが、我々日本人にとって、あの戦争は軍部がやったもので、日本の国民も犠牲者だと片付けて良いものか、当然主要な責任は当時の軍部、当時の政府にあります。しかし、当時の文化界、スポーツ界、メディアは戦争に協力しなかったのか。戦後の日中友好運動は中国のこの論法に甘えて来たのではないか。そして国民自身のあの戦争に対しての反省が足りないのではないかということです

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~先人の足跡から学び歴史のつながりを取り戻せ! [ 特集カテゴリー ] ,

【講演録】「“東京五輪”と“日本書紀”」(久野 潤)

■後鳥羽上皇「承久の変」の意図と

 「正道」を『日本書紀』に求められたこと

 日本の2000年以上の歴史を見ると100年に一回くらい疫病が流行っていて、先人たちは今のような科学的な知見がなくても、一致団結して乗り切ってきたわけです。

 今日から5日間、「承久の変と令和」という連載を『夕刊フジ』に連載させていただいております。今年はちょうど承久の変(承久の乱)が起きて800年の節目の年です。承久の変は後鳥羽上皇、この方は18歳で譲位されて23年間ずっと院政を敷かれていたのですが、土御門天皇、順徳天皇と譲位して仲恭(ちゅうきょう)天皇のときに変が起きました。何で後鳥羽上皇が兵を挙げたのかというと、そのとき鎌倉幕府が政治的な混乱の極みにありました。来年の大河ドラマの主人公である北条義時という方がおられますが、第二代の鎌倉幕府の執権になります。もともと北条家は源氏将軍家の補佐役でした。そこに政所の別当を兼務することで強大な権力を手に入れることになりました。

 天皇からみれば天皇によって任命される将軍の補佐役つまり家来の家来に過ぎない、そんな北条家が皇室をも危うくさせるような状況でした。それは正道から外れるということで後鳥羽上皇はあえて挙兵をした。初代将軍の源頼朝も不審な死を遂げましたが、二代将軍の源頼家などは将軍にふさわしくないということでお寺に閉じ込められたり、三代将軍の実朝も北条家が直接暗殺したわけではないけれども、いろいろ吹き込まれた一族の若者(頼家の子公暁)に鶴岡八幡宮で暗殺されてしまいました。

 将軍家や皇室をないがしろにするあり方はおかしいということであえて挙兵をした、それを今の教科書では承久の「乱」として後鳥羽上皇が引き起こした、つまり本来なら北条氏の主君の主君にあたる後鳥羽上皇が家来の家来に過ぎない北条家に対して反乱を起こしたという書き方になっています。しかも、天皇であられた方が隠岐に流されたという日本の歴史上の一大事態です。これはあまりにもおかしいと思い、『夕刊フジ』に書かせていただきました。

 明治時代になって、かつて後鳥羽上皇の離宮があった近くに水無瀬神宮を建てて隠岐から御霊にお戻りいただいたという経緯があります。明治維新の際に「王政復古」と言われたのも、武家政権でないがしろにされてきたこうした歴史を総括するという意味もあったということです。

「奥山の おどろが下も 踏み分けて 道ある世ぞを 人に知らせむ 」という後鳥羽上皇の御製(和歌)があります。奥山の枝などがたくさん茂る中でも、ほんとうの山頂に至る道はこちらだということを知らせるように、政治が混乱している世の中であっても正道はこちらだということを日本の人々、その時代の人だけでなく後世も含めた世の中に知らせるのだ、という強い意志の読み取れる歌であります。

「道」というのを、後鳥羽上皇もそうですし、他の例えば後醍醐天皇とかそういう方々が「道」を何を根拠に、参考にしてお求めになったのか、というと大元の元が『日本書紀』に描かれた国のかたち、日本精神、皇位継承でした。今、女性宮家、女系天皇でもいいのではないか、という学者もいる中で、なぜ「男系継承でないと皇室が途絶えてしまうのだ」と言われているかというと大元は『日本書紀』です。戦後の学者は、『日本書紀』に出てくる初代天皇以降しばらくの天皇は実在したかどうか分からない、と言ったりしますが、確固たる史料のうえでどう判断できるかという議論は差し控えるとして、その代々の天皇がどうやって皇位継承されたかが『日本書紀』に全部書かれています。一つの例外もなく男系継承です。様々なお話がある中で、エッセンスをどう読むかが大事なのですが、戦後は「あり得ないようなことを書いているから『日本書紀』はすべて嘘っぱちの物語だ」というような決めつけ方をされてきたのが歴史教育や戦後全体の風潮だったりしたわけです。

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第4回『韓国のフィットネスクラブ普及率』~「Dumbbell Economy」は急成長?(申 燕澔)
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第4回『韓国のフィットネスクラブ普及率』~「Dumbbell Economy」は急成長?(申 燕澔) [ 第4回 ]

人生100年時代と言われているこの時代、「健康」に対する意識が大きく変わって興味も高まってきた。長い人生を健康で幸せに生き続けるために生活習慣を見直していて、多様なことに関心が高まっている中で、最も関心が強まっているのが「運動」である。

日本では、ジョギングやできるだけ階段を使う、一駅先から歩くなど生活の中で無理なく取り入れられる運動をしたい人が多くみられる。

一方で、韓国でも健康と運動に対する関心が高まってきて、特に国内のフィットネスクラブの数が最近10年で約54%も増えた。フィットネスクラブは2010年から2020年までの10年間で増え続けて、その数は9,900店舗以上に達している。

フィットネスが人気を集めた理由は、最初は2000年代にマッチョ俳優の登場でマッチョのブームが起きて男の間でフィットネに通う人が増えたのが始まりで、その後は週52時間勤務制の定着でプライベートの時間が取れるようになり若者を中心に再びフィットネスの人気が上昇した。

韓国フィットネスクラブが10万店舗にまで増えた背景は、下記の二つである。

一つは、2014年に韓国政府機関である文化体育観光部から「国民の生活体育施設を拡充する中長期計画」の発表である。

この計画は、2022年までに予算1兆2720億ウォンを投入し、体育施設を計1124ヶ所新たに新設する。国民の体育施設へのアクセスの利便性とサービス向上を図る計画である。体育施設が増えれば国民のみんなが徒歩10分以内の距離で利用が可能になる。また、2016年には体育施設情報提供アプリの「new sports map」を構築し、国民の誰もが全国の体育施設の情報と予約状況等を確認することができる。

二つは、週52時間勤務制が定着することによって、会社員の仕事後のプライベートの時間が取れることで、特にミレニアル世代※を中心に運動で身体を鍛える人が増えたことだ。このミレニアル世代は健康管理のため自己投資も惜しまない。フィットネス登録料や運動用品の購入などで使うスポーツ活動経費の月平均金額は2017年5万6755ウォンから2019年は7万8214ウォンと、2年間で37.8%増加した。

※ミレニアル世代(英: Millennial Generation)とは、1980年代序盤~2000年序盤に生まれた世代で、2000年代に成人または社会人になった世代。インターネットが普及された環境で育った世代で、情報技術の能力に優れている。

運動など健康と身体管理に使う消費が増え、その関連市場、いわゆる「ダンベルエコノミー(Dumbbell economy・健康管理市場が急成長する経済現象を指す用語)が再び注目されている。ダンベルエコノミーは非対面方式の自宅トレーニング市場を中心に急成長している。

コロナ禍の長期化でジムやプールの運動施設の利用が制限されてから、プラットフォームを使った自宅トレーニングに対する興味が急増している。これに合わせてオンラインサービスを展開している企業も増えている。

米の市場調査会社のグローバルビューティーリサーチによると、世界のフィットネスアプリ市場規模は、過去2018年24億ドルが、2026年209億ドルまでに膨らむという見込みが出ている。

今後の自宅トレーニング市場は非対面の消費トレンドをもとにICT基盤のサービス領域と消費者層も拡大することで、継続的に成長するという見通しだ。

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【新連載】第一回 今、体育会人材が注目される理由(久野 晋一郎)

「体育会人材を採用したい」というニーズは年々増している。

体育会人材の採用支援をメインで手掛けるアーシャルデザイン(サービス名「アスリートエージェント」)、2014年の創業以来、過去1万名以上の採用支援に携わってきた。

体育会学生、学生時代体育会に所属していた転職者、現役アスリート、競技を引退しセカンドキャリアを考える元アスリートと幅は多岐に渡る。

アスリートエージェントの強みはアスリートが競技経験を社会で活かすための思考のスイッチ、行動変容のサポートを研修、キャリア支援を通じて、行なっている。昨年はコロナ禍で一瞬は採用ニーズが萎んだものの、現在は中小企業から大手企業、メガベンチャー等多くの企業が体育会人材を求めている。

なぜなのか? 理由は現代の社会背景と体育会人材の資質・強みが大きく関係している。掘り下げて解説を行なっていく。

まず現在の社会背景は、VUCAと称される予測不可能な時代と言われている。VUCAは「Volatility(変動性)」「Uncertainty(不確実性)」「Complexity(複雑性)」「Ambiguity(曖昧性)」の頭文字を並べたもので1990年代ごろから米軍で使われ始めた軍事用語が由来。2010年代になると、ビジネスシーンでもよく耳にするようになった。

近年はコロナ禍に伴う急速なDX化、組織構造の見直しで企業は大きな変化を余儀なくされている。単刀直入に「正解が見えないなかで変化し続ける力」が企業、そして個人に求められている。

では、予測不可能な時代に、体育会人材の資質・強みがどう活きるのか? 弊社では体育会学生を大学公認の運動部に所属する学生と定義付けている。全学生のうち8%程度、毎年5万人程度が対象に当たる。

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