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【清話会 催物カレンダー】2026. 1月-3月

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第5回『経営理念を現場で活かす方法』(小池浩二) [ 第5回 ]

■経営理念は経営者の信念

日本において、経営理念を重要視した経営者として松下幸之助氏が挙げられる。松下幸之助氏は事業経営の一番根本になるのは正しい経営理念であり、経営理念とは、この会社は何のために存在しているのか、この経営をどういう目的で、またどのようなやり方で行っていくのか、という点についてしっかりした基本の考え方を持つことであると説明している。

■家訓なくとも家族はまとまるが、理念なき会社はまとまりにくい                             

一般的な組織(趣味の世界、学校等)の特徴は、基本的な価値観の似ている人が集まるのでまとまりやすい。しかし、中小企業という組織は例外。育った環境が違う、年代が違う、何が好きか嫌いかという価値観の違う人たちが偶然に同地域に住んで、通勤距離が短い等の物理的理由で一つの会社に集まり、組織を作ろうとする。これが多くの中小企業。価値観の違う人たちが集まって組織をつくるわけだから、放りっぱなしの状態ならば確実に崩壊する。

そもそもチームとは、仕事に必要な数人が集まったから「チーム」になるわけではない。大前提として、メンバー全員がチーム一員である当事者意識を持ったうえで、チームの共通の目的、達成する目標、それに向かうためのプロセスを共有する集合体がチームであり、チームワークを強化していくには、共同で何かをする前にチームづくりを行わなければならない。つまり、会社は「何もしなければうまく回らないこと」を前提にチームづくりを行う発想が必要となり、その対策が図表の「集団統一の原則」である。

経営理念は集団を統一するキーワードの最初に位置する。この経営理念は木の根っこの役割でこれがしっかりしていないと木は成長しない。仮に大きな木の幹・葉をつけていても根っこが腐り始めると木は倒れる。つまり、経営理念が立派でも実際の経営をデタラメにやると目に見える部分の成果は上がらない。正しい経営理念を持つと同時にそれに基づく具体的なビジョン・方針・商材戦略・戦術・戦闘が環境に適合していないといけない。

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第6回「中小M&A支援機関の登録制度制定から」(河本和真) [ 第6回 ]

##「中小M&A支援機関に係る登録制度の概要」が発表

8月2日㈪、中小企業庁より「中小M&A支援機関に係る登録制度の概要」が発表されました。これは、中小企業が安心してM&Aを活用できる基盤づくりの一環として、登録制度の運用開始に合わせ、登録を希望するM&A専門事業者(仲介業者・ファイナンシャルアドバイザー)や金融機関、商工団体、士業等専門家、M&Aプラットフォーマー、事業承継・引継ぎ支援センターなどの公募も始めるというものです。

登録要件の詳細については、募集開始となる8月中旬に発表されており、本記事執筆時には公開されていないですが、M&A事業者などの適切な行動指針を表した国の中小M&Aガイドラインで定められた契約や交渉、デューデリジェンスの実施などに関する項目の順守を宣言することが規定されています。登録機関は毎年度の実績報告などを提出し、要件を満たさないと判断されれば有識者委員会に諮った上で登録を取り消されることにもなっており、中小企業庁としては登録機関の活動状況について毎年把握することが可能となります。

また登録機関の支援によって行われたM&Aのみ、国の事業承継・引継ぎ補助金(専門家活用型)におけるM&A支援機関の活用で生じる仲介手数料などの補助を受けることが出来ることから、中小企業でM&Aを検討されている方は、登録機関に依頼することがおすすめされています。また登録機関による支援を巡る問題などを抱える中小企業側からの情報提供を受け付ける窓口を設けることも発表されたことから、M&Aにおける中小企業の心配を国としてフォローする仕組みが少しずつ出来上がっていると言えるでしょう。

##この登録制度ができるに至った背景

 そもそも、2000年時は67者と推定されていたM&A専門業者やプラットフォーマーの数が、2020年には370者にまで増加しました。それだけ、M&Aの市場が活性化し、需要も増えていると言えるのですが、それだけ増えると大変に残念なことながら顧客にとって不利益な契約を結ぼうとするなどの事例が出てきてしまいました。そういった事例が散見されるようになったことから、この登録制度は良質な専門事業者などを顧客側が判別しやすくすることでスムーズな事業承継を促すことに繋がるとして、設計されたと考えられます。2021年度はM&A業界の健全な発展と中小企業の保護を目指した自主規制団体も設立される予定で、より中小企業にとって安心な環境が創出されることが期待されています。

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第9回 SDGsの基本とビジネスへの関わり⑧ (菊原政信) [ 第8回 ]

自治体における地方創生SDGsと「SDGs未来都市」

地方・自治体が直面している社会問題

 

都道府県別の人口増減の予測が定期的になされていますが、東京都と沖縄県を除いてすべての地方自治体において顕著な人口減少傾向を示し、特に地方の小規模な県において著しい状況です。このような人口減少による、少子高齢化、若者流出、過疎化などの社会問題は、今後、表に示すように自治体運営に深刻な影響を与えます。

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第29回『リーダーのリーデイングスタイル』(小池浩二) [ 第29回 ]

■動かし方のスタイル

リーダーのリーデイングスタイルとは、人・チームの動かし方のスタイルです。リーダーのメンバーに対する接し方は、相手や状況、チームの成熟度によって変えることが必要となります。

多くのリーダーは、誰に対しても同じように接することがベターと考えていることが多いですが、これは大きな間違いです。メンバーを公平に扱うことと同じように接することは違います。指示待ちのメンバーには、具体的に指示を出すことが必要だし、一匹狼のメンバーには力で押えようとすると反発するだけです。

手のかかる人・かからない人、経験のある人・ない人等で必然的に接し方は変わりますし、同じ人でも緊急時には独裁型の指示命令が求められるように、状況によって対応の仕方は変わります。

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志布志事件

選挙は民主主義の要。歪められれば、国の根幹が揺らいでしまう。一昨年の参院選で、河合克行元法相(控訴中)と妻の案里元参議院議員(有罪確定)が広島選挙区の地方政治家などに2900万円をばらまいた買収事件で、東京地検特捜部はカネを受け取った100人全員を不起訴とし、捜査を終結させた。「罪に問うかどうか、金額や回数で選別することは困難」という理屈だが、元国会議員秘書は300万円、県議は200万円、元首長も150万円を受け取り、50万円以上を受領した者は10数人にのぼっていたという。問題は、買収金額の大きさだけではない。民主主義と法を守るべき立場の地方政治家40人が現金を受け取ったという事実は重い。資金の流れも不透明であり、特捜部の結論は到底納得できるものではない。

思い出すのは、志布志事件である。平成15年の鹿児島県議選で、志布志町(当時)の選挙区は定数3。無投票のはずだったが、地元の会社社長が4人目として立候補し、激しい選挙戦に突入した。初挑戦の社長は当選したものの、鹿児島県警は投開票後、社長夫妻が住民11人に総額191万円を渡したとされる買収事件の捜査に着手し、夫妻を含めて13人が公職選挙法違反で起訴された。だが、朝日新聞の記者が疑念を抱き、警察の虚構、でっち上げが次々に明るみになった。

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放射線治療について

がんの治療法 放射線治療編

日本ではがんと診断されたら基本的には標準治療と言われる3つの治療法「手術・放射線・化学療法(抗がん剤等)」から選択をすることになります。前回は手術についてお伝えしました。今回は放射線について解説をしていきます。

手術と同じく特定の部位のがん細胞を攻撃する「局所療法」になります。病巣をガツンと叩きます。

外部照射、内部照射、全身照射などありますが、体の外から放射線を当てる外部照射が一般的な放射線治療のイメージかと思います。X線が一般的ですが、アルファ線、ガンマ線、ベータ線などが使われることもあります。

 

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「お金をどう使うか、で問われる人生の真価」(引地達也)
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「お金をどう使うか、で問われる人生の真価」(引地達也)

 最近、お金について、意識しなければいけない機会が多い。私ではなく支援する人、他人の話として、である。引きこもりで悩みながらも、海外の株式運用で日本にいる平均年収の何十倍も稼ぐ人、これまでの蓄財をどうしたらよいか悩む人など。持っている人の使い道はその人の自由である分、その自由の中で何に使うのかは人格が問われるから結構難しい。

ただ「人格を問われる」ことに意識が行かない人には、何に使おうが自分の勝手なのだから、とても気楽かもしれない。ただ、その場合によくあるのは「持っていること」に慣れると持たない不安も出てくるらしく、妙にケチな体質になることも目にしてきた。この「お金との付き合い方」は、当事者がよく支援者の「付き合い方」を見ていると感心することがある。持ち物や家、実家の経済状態など、断片的な情報からその人の経済感覚や実際の「お金回り」を想像しているようで、これが微妙に関係性にも影響を与えることもある。

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【講演録】「“光触媒+カビ止め”“光触媒+防さび”:世界初の技術をブルネイ国から世界に発信」(大河内 博)

大河内 博 おおこうち・ひろし(スマート・シールド・インターナショナル/スマート・コーティング・テクノロジーズ 代表取締役)

1967 年、東京生まれ。92年、経済産業省(当時、通産省)に入省。2005 年に外務省へ出向、在ブルネイ日本大使館に赴任。10 年に帰国、経済産業省情報通信機器課に勤務。 13 年、同省を依願退職し、家族ともどもブルネイに移住。現在はブルネイやインドネシアを中心に日本の企業のイスラム圏への進出をサポート。

ブルネイは、新型コロナ感染者がゼロです。年明けに日本に戻って、すぐまたブルネイに戻りましたが、マスクもなしで人々は全く警戒もなく外を歩いたりしています。

 どういうことかと言うと、外から人を入れない、鎖国状態です。国内だけで商売や経済を回しています。人は入れ替わりません。外国から来ても15泊、まるで感染者扱いのようにホテルで隔離です。ホテルで、というのがポイントで、日本のように自宅で隔離、ということはなく、保健省の人がホテルの出入り口に張り込んで、24時間体制で見ているので外に出たりできません。

 私もホテルでの“地獄の15泊”を越えて、ひと月経ったところです。それだけやっているのでこの一年間、コロナ感染者はいません。が、経済は大打撃です。

 私が最初にブルネイにやってきたのが2005年。もともと経産省(かつての通産省)の職員で、今の和歌山県知事が大使として経産省から見えたということで、私はそのカバン持ち、日本国大使館の一等書記官として参りました。

 元々、私、中学生の頃にバドミントンに一生懸命打ち込んだ時期があり、ブルネイではそのスポーツがメジャースポーツでした。大使のかばん持ちで来たはずでしたが、バドミントンを通じて大臣や王族から好まれ、いつの間にか、5年間ブルネイにおりました。もう帰ってこないと経産省の職を失うとなり、日本に帰されることになり、帰りました。そして2013年8月に通産省を辞め、10月にブルネイに再び戻ってきました。

 現在は、光触媒の製造・販売・輸出、海産物を扱ったり、インドネシア人の看護学生を日本の人手不足の介護施設にインターンシップで派遣したり、ERIA(東アジア・アセアン経済研究センター)という国際機関の総長のブルネイ担当アドバイザーや立教大学の研究員をやっています。私の性分、一つでは収まりきらず、色々とやっています。

 本日は、1.ブルネイのお国柄事情、2.体験談の共有、3.ブルネイ光触媒研究所と国際展開、の3つに分けてお話させていただきます。

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【講演録】「戦後日中関係史」(後編)(西園寺一晃)

~日中国交正常化への道のり、冷戦下の各国の複雑な思惑を紐解く [ 特集カテゴリー ] ,

【講演録】「戦後日中関係史」(後編)(西園寺一晃)

■反日正常化を目指す中国

 民間組織の活躍で在留邦人の帰国が進む

1950年代初期、中国は対日正常化を目指す方針を決めていました。ただそれには二つの大きなネックがありました。1つは日本政府がそれに応じるかどうか。2つ目は、日本に恨みを持つ中国民衆の国民感情。これをどう変えていくかでした。

1950年10月に当時の日本の世論が大騒ぎすることが起こりました。モナコで行われた「世界赤十字総会」で、中国代表団の団長・李徳全(中華人民共和国衛生部初代部長、中国赤十字会会長)が日本代表団の島津忠承団長を訪ねました。この人は戦前の華族で公爵、日本赤十字社名誉総裁です。李徳全は島津に大変なことを告げたのです。戦争の結果、中国に取り残された残留邦人3万人、及びB級、C級戦犯をすべて釈放して日本に安全に帰国させる、これを全力で支援するということです。

戦後、日本政府が真っ先にやるべきだったのが、戦争の結果、外地に取り残された、帰国できない日本人をすべて安全に帰国させること、そして戦犯として、あるいは捕虜として外国に拘留されている軍人の釈放の交渉です。ところが中国では終戦とともに内戦が起き、一方日本はアメリカに占領され、残留邦人の問題は放置されたままでした。そして中国には中華人民共和国が成立しました。しかし冷戦化、アメリカの影響下にある日本は対中国、対ソ連、対東側陣営の防波堤にされました。中華人民共和国を承認せず、内戦で敗れ、台湾に逃れアメリカの第七艦隊に保護された国民党政権を中国の唯一正統政権として認め、平和条約を結んだのです。つまり日本にとって、中華人民共和国は存在しないのでした。

李徳全衛生部長がモナコに向けて出発する前、周恩来から「日本代表団の島津団長と接触せよ」という指令を受けていました。周恩来は中国残留邦人、B級、C級戦犯の帰国支援を、正常化を目指す政府間交渉の突破口にしたかった。これは中国が本気で日本との正常化を望んでいるという日本政府へのシグナルでした。しかし日本政府は動けませんでした。中国と交渉すれば、中国を認めたことになります。動いたのは日本赤十字会、日中友好協会、日本平和連絡会、3つの民間の組織です。この3団体が相談し、残留邦人の帰国の交渉のため、北京に交渉団を送りました。中国政府は受入れを表明しました。困ったのは日本政府です。この交渉団が北京に行くためにはパスポートが必要ですが、承認してない国に行くパスポートを日本政府が発行するかどうかです。しかしさすがに世論の圧力と人道主義に鑑みて、日本政府は初めて中華人民共和国へ渡航するための正式な旅券を発行しました。日本政府が出した、戦後初の「中華人民共和国」と明記した公文書です。

交渉は順調に進み、残留邦人1000名を乗せた第1船、興安丸が舞鶴に着いたのは53年3月です。その後、54年まで帰国者全員2万9000余名が無事に帰国しました。54年8月には日本のB級、C級戦犯の生きている417名が全て釈放され無事に帰国しました。

日本の世論は中国政府と中国赤十字会に対する感謝で沸騰しました。この空気の中で、衆議院は中国の赤十字訪日団を招請するという決議を満場一致で採択しました。参議院も同じ決議をしました。その結果、李徳全を団長、廖承志を副団長とする中国赤十字会訪日団が54年10月訪日しました。

中国の周恩来外交は非常に冴えていました。54年6月、周恩来はインドのネルーと共に「平和五原則」を発表しました。55年4月には、当時の非同盟の代表的な指導者、インドのネルー、エジプトのナセル、インドネシアのスカルノなどと共に、第一回アジア・アフリカ会議をインドネシアのバンドンで開催し、成功させています。この会議の旗印は反帝国主義、反植民地主義、民族独立でした。日本もこの会議に代表団を送っています。各国は元首、あるいは首相が参加しましたが、日本は経済審議庁(後の経済企画庁)長官・高碕達之助が団長でした。高碕は日本出発前に「バンドン会議で決して中国代表団と接触しないこと」という指示を受けていました。ところが高碕はバンドンに行くと、公然と中国の周恩来と会談しました。

56年、B、C級戦犯以外の、中国に拘留されていた戦犯・捕虜1062名を中国はすべて釈放、帰国させました。55~57年、文化、芸術、スポーツ、医学、科学等幅広い日中交流が実現しました。中でも、市川猿之助の歌舞伎訪中と、梅蘭芳の京劇の訪日は両国の国民感情に非常に良好な影響を与えました。

中国政府が行わなければならなかったもう一つのことは、中国の民衆の感情にどう対処するかということです。当時は戦争が終わったばかりで、民衆の中に渦巻いていたのは「我々はやっと独立した。これから強くなって、あれだけ酷い目にあった日本に仕返ししてやるぞ」という感情でした。周恩来は「我々は数限りない会議を開いて、いろいろな検討をしてきた。その結果、日本の一部の軍国主義者と善良な国民を分けること、そして日本の善良な国民も戦争の犠牲者であり、両国の国民が仲良くすることは両国にとって有利である。アジアの平和にとって不可欠である」と国民を説得しました。

この点に関して私見ですが、これは大変ありがたいことだと思いますが、我々日本人にとって、あの戦争は軍部がやったもので、日本の国民も犠牲者だと片付けて良いものか、当然主要な責任は当時の軍部、当時の政府にあります。しかし、当時の文化界、スポーツ界、メディアは戦争に協力しなかったのか。戦後の日中友好運動は中国のこの論法に甘えて来たのではないか。そして国民自身のあの戦争に対しての反省が足りないのではないかということです

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