安倍内閣の由々しき新義乱発 2600年の価値とは

「日本のこころと、歴史認識」 ―御世代わりを前に、日本人がしっかりと認識しておくべきこと 2019年4月12日東京 [ 特集カテゴリー ]

安倍内閣の由々しき新義乱発 2600年の価値とは [ 憲政史研究者 皇室史学者 倉山 満 ]

歴史断絶の異常な憲法
好き勝手な保守派の発言

 

 英、米、仏、独の憲法と帝国憲法、日本国憲法の6つの憲法を比較すると、日本国憲法だけ異常です。国柄で特色はありますが、共通点は自分たちの歴史の中で培った慣習や歴史を文字にしていることです。普通の憲法は、歴史、文化、伝統に則って間違いの無いように確認するため文字にしておきます。文字になったものは「憲法典」と言います。文字になる前に憲法はあります。帝国憲法は国の歴史文化伝統を文字にしたもので、余計なことが書いてありません。

 

 しかし日本国憲法は、昭和20年8月15日以前の歴史を断絶させようと、ゼロから新しい国を作り上げる発想で、歴史、文化、伝統の否定から始まっています。皇室との関係では、大日本帝国憲法が皇室の存在を定めたのではなく、帝国憲法以前から皇室は存在し、天皇陛下は御座し、天皇を中心とする日本国は存在する。帝国憲法はそれを確認しているだけです。前文の御告文で明治天皇が神武天皇以来のご先祖様に「私はこの憲法を守ります」と自ら宣言されたもので、帝国憲法を自らの意思で守る、ということです。臣民が作った帝国憲法に天皇は従え、ではなく「このように歴史を確認させていただきました、天皇陛下いかがですか?」の問いに対し明治天皇が「私は守ります、ご先祖様に誓います、子孫たちにも守らせます」と宣言しました。しかし日本国憲法の天皇は、国民主権の下で天皇、皇室の存在を認めてやる、というもので発想が違うのです。

 

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昭和、平成、そして令和へ

平成事件簿 三沢 明彦 [ 特集カテゴリー ]

昭和、平成、そして令和へ [ 第1回 ]

「令和」の新時代が幕を開けた。

 30年前の1989年1月7日の朝は皇居で目覚めた。昭和天皇の闘病は111日に及び、時代の終焉が迫っていた。宮内庁2階の記者クラブに泊まり込み、簡易チェアでウトウトした頃、卓上電話が鳴った。壁の時計を見上げると、午前5時を回っていた。

「侍医長が家を飛び出しました」

 昼夜張りついていた記者からの一報だ。昭和最後の長い1日が始まった。

 藤森昭一宮内庁長官が「午前6時33分、崩御あらせられた」と発表し、官邸では小渕恵三官房長官が新元号を「平成」と読み上げた。半旗の向こうに、青空が広がっていた。

 昭和天皇の開腹手術を機に宮内庁担当となった新参記者にとって、皇室は威厳に満ち、神秘に包まれていた。まず驚いたのは、宮中言葉がごく普通に使われていたことだ。

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令和時代の展望

経済動向最前線 熊野 英生 [ 特集カテゴリー ]

令和時代の展望 [ 第61回 ]

 5月1日から始まる新元号が「令和」に決まった。どんな時代になるのだろうか。この令和時代もやはり30年間くらいは続くとみて不自然さはないと思う。西暦で言えば、今から30年後の2049年までの未来である。

 私たちは、和暦で令和を使うと何か雅(みやび)なイメージがあるが、西暦で考えると途端に厳しい現実に引き戻される。筆者自身の話に引き戻すと、令和元年から30年までは年齢が51歳から81歳となる計算だ。男性の平均寿命を使えると、自分の老後の大部分は令和時代の後半となる。

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