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【講演録】「“光触媒+カビ止め”“光触媒+防さび”:世界初の技術をブルネイ国から世界に発信」(大河内 博)

大河内 博 おおこうち・ひろし(スマート・シールド・インターナショナル/スマート・コーティング・テクノロジーズ 代表取締役)

1967 年、東京生まれ。92年、経済産業省(当時、通産省)に入省。2005 年に外務省へ出向、在ブルネイ日本大使館に赴任。10 年に帰国、経済産業省情報通信機器課に勤務。 13 年、同省を依願退職し、家族ともどもブルネイに移住。現在はブルネイやインドネシアを中心に日本の企業のイスラム圏への進出をサポート。

ブルネイは、新型コロナ感染者がゼロです。年明けに日本に戻って、すぐまたブルネイに戻りましたが、マスクもなしで人々は全く警戒もなく外を歩いたりしています。

 どういうことかと言うと、外から人を入れない、鎖国状態です。国内だけで商売や経済を回しています。人は入れ替わりません。外国から来ても15泊、まるで感染者扱いのようにホテルで隔離です。ホテルで、というのがポイントで、日本のように自宅で隔離、ということはなく、保健省の人がホテルの出入り口に張り込んで、24時間体制で見ているので外に出たりできません。

 私もホテルでの“地獄の15泊”を越えて、ひと月経ったところです。それだけやっているのでこの一年間、コロナ感染者はいません。が、経済は大打撃です。

 私が最初にブルネイにやってきたのが2005年。もともと経産省(かつての通産省)の職員で、今の和歌山県知事が大使として経産省から見えたということで、私はそのカバン持ち、日本国大使館の一等書記官として参りました。

 元々、私、中学生の頃にバドミントンに一生懸命打ち込んだ時期があり、ブルネイではそのスポーツがメジャースポーツでした。大使のかばん持ちで来たはずでしたが、バドミントンを通じて大臣や王族から好まれ、いつの間にか、5年間ブルネイにおりました。もう帰ってこないと経産省の職を失うとなり、日本に帰されることになり、帰りました。そして2013年8月に通産省を辞め、10月にブルネイに再び戻ってきました。

 現在は、光触媒の製造・販売・輸出、海産物を扱ったり、インドネシア人の看護学生を日本の人手不足の介護施設にインターンシップで派遣したり、ERIA(東アジア・アセアン経済研究センター)という国際機関の総長のブルネイ担当アドバイザーや立教大学の研究員をやっています。私の性分、一つでは収まりきらず、色々とやっています。

 本日は、1.ブルネイのお国柄事情、2.体験談の共有、3.ブルネイ光触媒研究所と国際展開、の3つに分けてお話させていただきます。

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