遊郭の生活

伝統を伝え、育て、革新する伝・Tokyo 若柳 尚雄里 [ 特集カテゴリー ]

遊郭の生活 [ 第八回 ]

【鐘は上野か浅草か その約束を待つ宵の 風も浮気な仲の町 過ごして植ゑし初桜 つい移り気な色も香も 留めて素足の八文字】

 これは長唄【傾城】の初頭の文句です。桜も終わり、新緑に移り変わろうとしております。江戸の旦那衆は、季節が変わる毎につい移り気に、新しくフレッシュな太夫や新造に目移りされていたのでしょうか……。
 

 この度も、尚雄里の日本舞踊は、まだまだ奥の深い吉原仲之町と、また全国にあった吉原についてご紹介したいと思います。

 先号は花魁のファッションについてでしたが、花魁の支度でホテルニューオータニ日本庭園にて久しぶりに出演したイベントでは、約30キロに及ぶ支度で御座いました。江戸時代の吉原での花魁は同じ重さか、または更に重量のあるものだと憶測されます。この度も若衆の肩を借り、高さが五寸から六寸(15センチから18センチ)の三枚歯で、黒塗りの畳付きという高下駄を履き、道中をさせて戴きましたが、これは寛政期(1789年~1801年頃)の江戸後期に完成されたもので、現在受け継がれている花魁道中の形は江戸後期のものというのが解り、この最終的に残ったものが一番華やかで豪華であり、人目を惹くものだと言えるでしょう。

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尚雄里と日本舞踊~其の六~ 太夫と流行

伝統を伝え、育て、革新する伝・Tokyo 若柳 尚雄里 [ 特集カテゴリー ]

尚雄里と日本舞踊~其の六~ 太夫と流行 [ 第七回 ]

 春爛漫の今日この頃、日々美しい桜を眺め、心華やかにお過ごしの事と存じます。

 第七回尚雄里と日本舞踊~其の六~は、前回よりの江戸幕府と共に三百年余り続いた歴史を持つ江戸吉原の、太夫(遊女)の服装や化粧、髪型についてお話したいと思います。

 そもそも長い年月を経た江戸吉原の遊女の衣裳は、時代による変化が大きいものでした。

 元吉原から新吉原初期にかけての太夫は、最高位と言えども、現在の男帯程度の細帯を巻き、庶民と余り大差のない出で立ちでありました。その後元禄時代(一六八八年~一七〇四年)の頃になると、経済も成熟し遊女の帯も広くなり、享保(一七一六年~一七三六年)の頃より現在皆様のイメージされている、前で結ぶ前帯となりました。

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尚雄里と江戸吉原仲之町

伝統を伝え、育て、革新する伝・Tokyo 若柳 尚雄里 [ 特集カテゴリー ]

尚雄里と江戸吉原仲之町 [ 第六回 ]

春告げ鳥のホウホケキョ。旧暦での弥生はすっかり春満開なはずですが、平成最期の春を待ちわび、桜も待ち遠しく存じます。

 

桜と言えば、日本舞踊では数多く有る大道具(舞台背景のセット)桜満開の江戸、【吉原仲之町】。緞帳が開いた時にこのセットが見えるとそれだけで季節は関係なく、心が弾み、その華やかさに魅了されます。更にそこへ太夫(傾城又は花魁)と呼ばれる女性が登場すれば、尚一層、一気に江戸へタイムスリップする事が叶います。

 

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