小島正憲のアジア論考
ボランティア社長老害記―トランプ関税…
小島正憲((株)小島衣料オーナー)
1.トランプ関税…
現在、世界中が、トランプ関税に振り回されている。しかし、この事態は想定外ではなかった。5年前の大統領選でトランプが敗北したとき、5年後の再登場の確率は五分五分だった。だから、トランプ再選を予測して、それに準備する期間は十分にあった。
ある大企業の経営者がTV取材に応じて、「トランプ大統領の誘いに乗って、これから米国に工場を作っても、採算に乗せるまでに3年以上かかる。4年後には次の大統領に代わり関税政策も変わる。だから、手の打ちようがない」と話していた。
だが、5年前、トランプ再選の確率は五分五分だった。だから、現在、トランプ関税に右往左往している多くの経営者は、この5年間を無為に過ごしたことになる。5年前に、米国に工場を移転しておけば、今頃、左団扇だったろうに。
私は、過去半世紀で、多くの経済の激動に見舞われてきた。だが、それらを乗り越え、潰れずにここまで生き延びてきた。まず20代で体験したのは対米繊維自主規制だった。次に、オイルショック、プラザ合意と円高、バブル経済崩壊、超人手不足などなど。中国進出後には、香港返還時の大騒動?に巻き込まれた(この体験については、第2章で詳述する)。
一番厄介だったのは、人手不足だった。私はこれを解決するために、オーストラリアへの工場進出を考えた。「わが縫製業界には季節による繁閑期があり、繁忙期には超人手不足となり、閑散期には一時休暇が必要となる。もし南半球のオーストラリアに縫製工場があれば、繁閑期が真逆なので、従業員の交換制度をやれば、人手不足は緩和できるにちがいない」と考えたのである。
私は、すぐにオーストラリアに飛び、ブリスベンのアパレル会社とワーキングホリデイを利用した従業員一時交換を行うことにした。当時、こんな突飛なことを実行した経営者は、日本には皆無だった。今年になって、業界新聞に「日本のアパレル会社がオーストラリア進出」という小さな記事が載った。
オーストラリアが南半球であり、販売の繁閑期が真逆であることに注目しての進出であるという。私と発想はほぼ同じ。ただし私に遅れること約30年。だが、私のオーストラリア進出という妙案も、儲けが出るというところに至らず、2年で頓挫した。
その後、私は人手を求めて、タイの縫製工場との提携、韓国への工場進出と、生き延びる道を模索した。だが、そのすべてに失敗した。そして、矢折れ刀尽きて、1992年、先輩の手引きで、中国の奥地に工場進出した。それが運よく大成功し、大儲けすることができ、今日まで生き延びることができた。
ただし、中国で労働集約型企業が儲かったのは、20年間ほどだった。さしもの人口大国中国にも、人手不足と人件費の高騰現象が起きてきたからである。わが社は、中国脱出を考え、2010年にバングラデシュに、2015年にミャンマーに工場進出した。現在、中国は1工場(300名)で、ほそぼそと生産を続けている。
今、中国をトランプ関税が直撃している。このままでは、おそらく米国のアパレルは、他国に仕入れ先を大きく変更するだろう。わが社は、それを予測して、しばらく前から、バングラデシュやミャンマーのわが工場で、米国向け製品を手掛けるようにしてきた。これが功を奏し、最近では、米国からの引き合いの話が多くなってきた。
2.香港返還と内部留保金
私の人生で、最大の危機は1997年7月の香港返還時だった。香港返還は英中の既定路線であったが、返還時に、「香港と中国にいかなる事態が起きるか」は、だれにもわからなかった。
当時、学者やジャーナリストの予測は、大きく二つに分かれていた。半分は「何も起きず、中国と香港は繁栄し続ける」という見解であり、あと半分は「中国内乱、大激動」というものであった。情勢判断は五分五分だった。ことに、当時、私が傾倒していたジャーナリストの長谷川慶太郎氏は、後者であり、「ただちに中国から逃げよ」と、声高に叫んでいた。
私は、悩んだ。そのとき、わが社は、1992年に中国へ工場進出して、それがやっと軌道に乗り、借金を返済し終わったばかりであった。「もし、中国で内乱が起きたら、わが中国工場は壊滅し、同時にわが社も潰れる。しかし、日本に戻るわけにはいかない。中国以外の国に進出するにしても、どこに行けばよいのか。資金の余裕もない」と、私は、悩み続けた。だが、7月1日は刻々と近付いてくる。
追い詰められた私は、わずかの資金を手に、ミャンマーへの工場進出に踏み切った。中国内乱に備えて、代替工場を、ミャンマーに求めたのである。私は、固唾をのんで、7月1日をミャンマー工場内で迎えた。だが、中国に内乱は起きなかった。逆に、私のミャンマー工場は、なかなか軌道に乗らず、大損し、3年後に撤退することになった。
今から振り返れば、当時、チャイナ+1を行ったのは、わが社のみだった。わが社以外の多くの会社は、運を天に任せて、7月1日を無策で迎えたのであり、結果として、皮肉にもそれが大成功だったのである。「無為無策が功を奏す」という結果となったのである。
ただし、いつも、「無為無策、“果報は寝て待て”戦略」が成功するとは限らない。それが、会社の体質となってしまったら、今回のトランプ関税のように、手も足も出なくなるのである。たしかに、私のような極左冒険主義的な行動もよくないが、無為無策で倒産という事態を迎えるのは最悪である。しからば、経営者は、どのような戦略を取るべきか。
もし、今、私が、同じ事態に遭遇したら、ミャンマーへの工場進出など、絶対にしない。もし、あの時、中国が激動していたら、躊躇することなく、わが社を畳んだだろう。当時の私には、「会社清算」という選択肢はなかったが、今なら、そうする。海外工場に不測の事態はつきものである。
わが社は、現在、バングラデシュ工場に1700名、ミャンマー工場に1000名の工員を抱え、それらは順調に儲かっている。だが、昨年、バングラデシュには政変が起きた。ミャンマーも紛争が続いており、大地震も起きた。どちらの工場も、今のところ、生き延びているが、万全ではない。政変や天災が起きる可能性は否定できないし、そうなれば現地工場も、本社も一気に潰れる。だが、今、わが社には、リスク分散のため第3の国に工場進出するだけの資金も人材もない。
だから、そのような事態に遭遇した場合は、無駄な抵抗はせず、会社を畳むのが最善策である。ただし、その場合は、「全社員に1年分ぐらいの給与を支払う。銀行や仕入れ先、取引先などには一切迷惑をかけない」ことが条件となる。そのためには、それをまかなえるだけの内部留保金が必要である。巷では、企業の内部留保金を不必要だとする声が大きいが、しからば、不測の事態にいかに対処したらよいのか? 不測の事態に遭遇したら、会社を清算するのが最善策である。ただし、誰にも迷惑をかけないことが最低条件である。それを実施する決め手は内部留保金である。
1997年の香港返還時、私は苦慮の末、ミャンマー進出以外に、もう一つ、手を打った。全社員に3か月分の給与を前払いしたのである。もちろんボーナスも別途支払い済み。全社員に、「この前払い金は、香港返還リスクに備えるものです。ミャンマーへ工場進出をしてリスクに備えるが、倒産ということもありえます。3か月分しか払えないが、その場合にはこれを使ってください。ただし、わが社が営業を継続できた場合、これは返却してください」と話して、全社員の了承サインをもらっておいた。
結局、中国内乱は起きなかった。わが社は安泰だった。給与も遅滞なく払い続けた。だが、誰も「前払い給与の返還」を申し出てこなかった。私は、それを臨時ボーナスにした。
いかに無給・ボランティアであろうと、どんなに善行を積もうが、資本家=経営者=社長は、労働者の敵であり、悪人である。それが資本主義社会というものである。それでも、われわれ日本人社長には、親鸞聖人が「悪人正機説」を用意しておいてくださっている。世の中とは、こんなものである。
\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\
小島正憲氏 (㈱小島衣料オーナー )
1947年岐阜市生まれ。 同志社大学卒業後、小島衣料入社。 80年小島衣料代表取締役就任。2003年中小企業家同友会上海倶楽部副代表に就任。現代兵法経営研究会主宰。06年 中国吉林省琿春市・敦化市「経済顧問」に就任。香港美朋有限公司董事長、中小企業家同友会上海倶楽部代表、中国黒龍江省牡丹江市「経済顧問」等を歴任。中 国政府外国人専門家賞「友誼賞」、中部ニュービジネス協議会「アントレプレナー賞」受賞等国内外の表彰多数。