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令和7年のみたままつり(日比恆明)

【特別リポート】

令和7年のみたままつり

日比恆明(弁理士)

今年も夏がやって来ました。と、言いたいところなのですが、今年の夏は速達でやって来ました。今年の梅雨は、雨が降ったか降らないかという短時間で通過してしまったようです。6月半ばになると夏特有のギラギラした太陽光となり、初夏ではなく真夏に突入してしまいました。

東京では、連日最高気温が30度を越えた真夏日が続きました。「日本は四季の変り目がハッキリした温暖な亜熱帯地方に位置している」という常識が覆ってきたようです。これからの日本は、「短い春の後で半年間の長い酷暑が続く半熱帯地方に位置している」と社会科の教科書に記載されるようになるかもしれません。


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これは冗談ではなく、地球の温暖化による影響で、日本は徐々に熱帯地方に移行していく可能性が高くなりました。近い将来、九州、四国ではバナナ、パイナップルの出荷が始まり、北海道ではササニシキの栽培が盛んになるでしょう。

すると社会生活も大幅に変更せざるを得なくなります。住宅は完全密閉断熱の構造となり、エネルギーの浪費を最大限に防ぐ設計が推奨されるでしょう。男性は、Tシャツに半ズボン、サンダル履きの出勤スタイルが常識となります。女性は、ヘソ出しスタイルや体に密着しないムームーでの出勤も許されることになるでしょう。ほんの半世紀前の日本では、夏になるとステテコに腹巻をした下着姿のおじさんが平気で街を歩いていたのです。半ズボン、ムームーのスタイルでの出勤は別におかしな話ではありません。

要するに、日本の熱帯化は避けて通れないのです。熱帯化になることを見越して、日本の社会構造の全てを大幅に変えなけば、国全体が生き残れないのです。例えば、市街地で建物を建設する場合には、歩道側に日差しを避ける屋根を設置しなければならない義務を課すことも考えられます。日中は暑いため、勤務時間や学校の学習時間を早朝或いは深夜に移行させ、体力の消耗を防ぐことも考えられます。

要するに、南の国の習慣をそのまま日本の社会に移行させれば良いことなのです。この熱帯対策を実施するとなれば反対意見をあるでしょうが、先を見越して早めに実行することが生き残りの方策です。政治家は消費税の減税や廃止を叫んでいますが、目先の利益よりも10年先の防暑対策のためにも活動して欲しいものです。
                  
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今年も7月16日に靖国神社で開催されたみたままつりに出掛けてきました。当日の状況を報告します。

毎年、靖国神社のみたままつりに出掛けていますが、何時も天候に泣かされました。私が靖国神社に出掛ける日は、みたままつりの期間中で奉納歌謡ショーが開催される日だけですが、昨年は大雨、一昨年は小雨、その前も大雨でした。

今年の奉納歌謡ショーが開催される16日の天気予報は、「日中は曇で午後3時から大雨になります」というものでした。歌謡ショーが開催される能楽堂の前は砂利が敷かれていて、水はけが悪い地面です。大雨になると境内には水たまりが出来て、短靴であれば靴下まで濡れてしまいます。そのため、ゴム長靴を履いて、万全の準備をして出掛けることになりました。

しかし、当日になると、午後になっても雨が降る様子がありません。この日は雨が降りそうで降らず、かといって晴れそうで晴れない、という不思議な天候でした。そのおかげで境内を流れる風は27、8度で、少しシットリしていましたが涼しく、快適に過ごすことができました。毎年の歌謡ショーでは、蒸し暑さで汗をダラダラと流しながら鑑賞するか、雨粒を避けるために傘を差しつづけながら鑑賞するかの何れかでした。今年は初夏のような柔らかい風の下で歌謡曲を鑑賞できました。20年近く歌謡ショーを鑑賞していますが、このような気候は初めてでした。

「夏まつり」と言えば、「涼しくなった夕方から近所の神社にでかけ、境内に開店された屋台を冷やかしながら散歩するもの」というイメージがあります。しかし、靖国神社では令和2年から屋台の出店を禁止しました。これはコロナウイルスが拡散した時期で、感染防止のためでしたが、その後も継続して屋台の出店は禁止しています。

屋台禁止の一番の理由は、境内が若者達の溜まり場になってしまったからでした。以前、「みたままつり」は若者達からは「ナンパまつり」と呼ばれ、未成年の男女が集まり、飲酒喫煙などの不法行為が横行していました。このため、神社としてはコロナ騒動をキッカケに屋台の出店を禁止することになったようです。しかし、「それではお祭りが寂しくなる」ということで令和5年からはキッチンカーの出店は認めることにしたようです。今年も大村益次郎の銅像の周りにキッチンカーが出店していて、ここだけは賑やかでした。
 
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夏まつりに着ていくものは、やはり浴衣でしょう。参道のあちこちには浴衣を着た若い女性たちが集まっていました。不思議なことですが、浴衣を着ているのは女性のグループに限られているようです。女性一人の浴衣姿は見かけられませんでした。皆が揃って浴衣を着て出掛けよう、という女性特有の仲間意識ではないかと思われます。なお、今年は外人の浴衣姿は少なかったようです。

参拝者の中には、学校帰りと思われる制服姿の女子高生も見かけられました。神社の近くにある白百合学園、三輪田学園や大妻学園の学生は見かけられませんでした。地元なので顔バレしてしまうからでしょう。以前は地元の教育委員会や父兄会が指導員を派遣し、学生服の参拝者を補導していました。今年は腕章をした指導員の姿を見かけませんでしたが、私服の補導員は配置されているかと思われます。いずれにせよ、夏まつりに学生服で出掛けてはいけません。

                  
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例年のように、神社の内苑には奉納雪洞が吊り下げられていました。全てを廻って見るには小一時間はかかりますが、有名人、一般人などが混じっていて、見るだけで楽しいものです。奉納されたのは揮毫、絵画、詩、漫画などで、要するに紙に描かれたものであれば何でもいいようです。

不思議に思われるのは、奉納者の人選です。神社は公募している訳でもなく、受け入れの窓口がある訳でもなさそうです。神社から特定の人物に奉納を依頼するか、奉納を申し入れた人物を神社が選別して受け入れるのかの何れかと思われます。最近の傾向として、著名な画家による絵画、政治家による揮毫が激減しています。

神社の方針が変わったのか、奉納を依頼した人が辞退したのかは不明です。著名人による奉納雪洞が減少したことから、あまり知られていない奉納者(私が知らないだけで、その業界では有名かもしれないが)による雪洞が増えています。今年は相撲力士による雪洞が増えており、従来よりも2倍以上の数があるのではないかと推測されました。これからは雪洞の奉納を活性化するために、奉納者の審査基準を明確にするか、一般公募による奉納を認めるべきではないかと思われます。

    
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今年も裏千家の家元の揮毫が飾られていました。左が千玄室、右が千宗室の揮毫です。両者の揮毫は別格のようで、毎年吊り下げられる場所は決まっていて、参道の右側で中鳥居の前です。つまり、雪洞の列の中で一番拝殿に近い、角にある一等席です。どのような理由で裏千家が優遇されるのかは不明ですが、千玄室は特攻隊員であったことからかもしれません。

相撲業界の奉納雪洞は毎年飾られいますが、やはり成績順のようです。左から豊昇龍、大の里、琴櫻の揮毫です。豊昇龍の揮毫は「昇」だけが小さく書かれていました。モンゴル出身者ということで、漢字に慣れていないから仕方ないところがあります。ただ、モンゴルではソ連による支配が長かったため、キリル語が公用語として使われていて、モンゴル語はあまり使われていなかったようです。そんな文化の近いも揮毫に現れているのでしょう。
                  
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夜も薄暗くなった午後7時からお楽しみの奉納歌謡ショーが始まりました。今年の出演者は、左から合田道人、工藤夕貴、松原のぶえ、あべ静江、田辺靖雄、扇ひろ子、ロス・インディオスの合計10名でした。合田道人、あべ静江、田辺靖雄の3名は毎回、松原のぶえは4年前から、工藤夕貴は2年前からの連続出演です。
                  
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今年の目玉は何といっても扇ひろ子でしょう。御歳80歳ということですが、長身で贅肉もなく、背筋が真っ直ぐであり、往年の映画女優のままでした。最初の歌は「原爆の子の像」でした。この歌は原爆症で亡くなった佐々木禎子をテーマにしたもので、やはり原爆で被災した扇本人が最初に歌ったものでした。私は知らなかったのですが、扇のデビュー曲がこの「原爆の子の像」で、扇の全曲CDにも収録されていました。少し悲しいメロディであり、後に大ヒットした頽廃的な「新宿ブルース」とは全く違うジャンルでした。扇の歌唱力は衰えておらず、高い音程まで出ていました。来年も出演して欲しいものです。


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このところ連続出演している松原のぶえなのですが、私はあまり馴染みがありません。ヒットした歌が少ないからでしょうか。「九段の母」「東京だよおっ母さん」を歌った後、持ち唄の「演歌みち」を歌ってくれました。年齢が若いため、声にはハリがありました。
 
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出演者で皆勤賞のあべ静江は、新しいデザインの水色のドレスで「みずいろの手紙」を歌ってくれました。昨年までは、毎年同じドレスを着回していましたが、今年は新調したようです。


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 さて、今年始めて出演のロス・インディオスなのですが、これが何だか良く判らない編成でした。往年のロス・インディオスと言えば、「コモエスタ赤坂」「知りすぎたのね」の曲が有名で、私も大好きなグループでした。それが令和5年になって旧メンバーが解散し、グループ名は同じで新メンバーにより再編成されました。それに工藤夕貴が加わって、「ロス・インディオス&工藤夕貴」というグループとなったそうです。

この日、そのグループが歌ってくれたのは「コモエスタ・ロサンジェルス」という新曲でした。歌詞の内容は、夢の国ロサンジェルスに行ってみたい、というものでした。昔と違って、ロサンジェルス程度なら格安航空券を購入すれば誰でも旅行できます。何でこのような歌を奉納するのか全く意図が理解できません。

そもそも、靖国神社での奉納歌謡とは、往年の有名歌手にナツメロを歌って頂き、高齢者がそんなナツメロを懐かしく拝聴するというのが趣旨です。この日のロス・インディオスの新曲は奉納歌謡ショーには全く場違いなものでした。

さて、この日に気がついたのですが、歌手の声は生で拡声されますが、それが金属音のようにキラキラと聞こえるのです。声が悪いという意味ではなく、柔らか味がない冷たい音に聞こえるのです。良く観察してみると、能楽堂に設置されたスピーカーは仮設のもので、メロディーを流すスピーカーは比較的大きいのですが、歌手の声を流すスピーカーは街で良く見かける中型のものでした。これが原因で歌手の肉声が聞きにくいものでした。設備の整ったコンサートホールであればこんな現象は無いでしょう。

奉納歌謡ショーは歌手協会の支援による、高齢者のための無料の演芸なのです。少々聞き苦しいことはあっても我慢しなければなりません。プロの歌手による素晴らしい歌唱を、無料で楽しませて頂けるだけでも有り難いものです。


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靖国神社への人出の多い時期には、九段坂駅の出口から靖国神社までの歩道には、政治団体や宗教団体によるビラ配りの人達がいます。この日の歩道にはそんなビラ配りの団体は見かけられず、清涼飲料水の宣伝のため、冷たい試供品を配付している人がいました。暑い日に清涼飲料水を無料で頂けるのは有り難いことなので、終戦の日などの記念日にも配付して欲しいものです。


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九段坂の歩道脇にある芝生の周りは、人が立ち入れないように仮設の柵で囲われていました。みたままつりで酒を飲みすぎたり、終電に乗り遅れた人が芝生の上で寝ないように防御するためのようです。このような仮設柵が設置されるのですから、過去には芝生の上で夜明かしした人がいたのでしょう。