【特別リポート】
令和7年8月15日の靖国神社
日比恆明(弁理士)
今年の8月15日は終戦から80年となる節目となり、全国各地では例年にはない特別な行事が開催されたようです。節目となる年のため、戦争に関心を持たれた方も多かったようです。戦争に一番関心を持たれた方は、軍隊に召集された兵隊体験者であり、彼らによって戦友会が結成されました。昭和20、30年代は復興期であり、生きていくのが精一杯でしたが、生活に余裕が出てきた高度成長期の昭和40年後半には全国で6千もの戦友会が存在していたようです。この頃の兵隊体験者は50代から60代であり、一番元気だったからでしょう。しかし、戦後50年目となる平成7年には、多くの戦友会が解散したようです。会員の高齢化により活動を維持できなくなったという原因もありますが、仏教の50回忌のように50年を一区切りとして過去の人と離別するという思想に合わせたのかもしれません。
さて、最後の現役召集兵は大正14年生まれのため、兵隊体験者(志願兵を除く)は100歳以上の年齢となります。100歳以上の男性は約1万1千人で、全男子人口6千23万人の僅か0.018%です(2024年10月、総務省調べ)。10年後の8月15日は終戦90年の節目になりますが、その時には兵隊経験者は皆無となりそうです。戦争という歴史上の事実は、遙か遠い昔の出来事になっていくようです。
写真1
マスコミが「今年は終戦80年目の節目です」と盛り立てたためか、靖国神社に参拝される人は増加していました。今年の参拝者数は約6万3千人で、昨年の約3万人の倍以上となっていました。写真1は正午前に神門方向を撮影したもので、参拝者が密集するように行列していました。例年、正午の黙祷が終わると、参拝者は徐々に減っていき、行列は閑散となります。今年は正午を過ぎても参拝者が後から後から到着し、行列が途切れることありませんでした。
写真2
行列では参拝者同士が密集していて風が通らず、体温が上昇するため熱中症で倒れる方も見えました。この日、救急車が到着して患者を搬送している光景を何度も目撃しました。参道には人が密集しているので、ストレッチャーを使用できず、患者を担架で搬送していました。災害地で負傷者を担架で運ぶ救急隊員の姿をニュース番組で見かけることもありますが、都内で担架を使っているのを見かけるのは珍しいことでした。
写真3
この日、行列の最後尾では警備員が「ここから拝殿までは2時間待ちとなります」と盛んに警告していました。そんな警告があってもここで引き返す参拝者は皆無でした。炎天下で2時間も行列するのですから、皆様根性と体力があるものだ、と感心しました。
参道の脇には仮設のテントが張られ、飲料水を販売していました。看板には「熱中症対策」と書かれていました。行列している参拝者には熱中症が発生することを予告しているようなもので、何だか奇妙なものでした。この看板は、親切心から始まったものか、営業目的なのか理解することができません。なお、神門を入って右側には無料の飲料水配付所が設けられていました。
写真4
私は毎年千鳥ケ淵にある国立戦没者墓苑で、歴代の首相が墓参する姿を撮影してきました。首相は、正午に武道館で開催される全国戦没者追悼式が開催される前に戦没者墓苑に参拝されるので、首相が墓苑に到着するのは午前11時15分前と決まっています。首相が到着する前には一般参拝者の入場規制が始まるため、午前10時55分前には墓苑に到着しておく必要があります。例年はこの時刻に合わせて到着すれば入場できました。今年は少し早めの午前10時45分頃に墓苑に到着したのですが、何と10時30分から入場できなくなっていました。安倍首相の暗殺事件以来、警備が厳しくなってきていることは理解していたのですが、こんなに早い時刻から入場規制をするとは想定していませんでした。公安関係は相当に神経を使っているようです。
この日の墓苑入口付近では、私服、制服の警察官が立ち並び、厳重な警備をしていました。歩道には撮影班も待機していて、今までに無かった警戒体制となっていました。この写真を撮影した後で、一般参拝者は墓苑の入口から遠く離れた位置にまで追い払われました。
写真5
写真6
11時15分過ぎ、首相は公用車であっと言う間に墓苑から立ち去られました。我々は長い間待たされ、やっと墓苑に入ることができました。この日、六角堂には石破首相による供花が飾られていました。この他に社会民主党と立憲民主党の供花も見かけられました。供花の名札には「党首 福島瑞穂」、「代表 野田佳彦」と書かれていましたが、「党首」と「代表」という肩書の差が気になりました。
今年の参議院選挙で当選した参政党、保守党からの供花は見当たりませんでした。参政党は大量の国会議員を選出し、全員が昇殿参拝をしているのですが、墓苑には関心がなかったようです。来年は靖国神社だけでなく、こちらにも参拝して頂きたいものです。
写真7
今年は終戦80年目のためか、靖国神社の参拝者数が増えていましたが、ギョーカイの人達の参拝も増えていたようです。ギョーカイの人達の専用車両は靖国神社の駐車場に駐車できないため、内堀通にズラーと駐車してありました。当然、違法駐車なのですが、これだけ多いと駐車違反で取り締まるのが困難なため、警察の方も見て見ぬふりとなっているようです。なお、最近の傾向として、ギョーカイの人達の参拝では恐ろしげな戦闘服の着用は減っていて、背広に黒ネクタイの服装が増えているようです。
写真8
今年は、自民党、参政党、保守党などの国会議員の52名が昇殿参拝し、中には有力な閣僚も含まれていました。これだけ多くの政治家が参拝したためか、靖国神社の境内、参道には多数の制服、私服の公安関係者を見かけられました。例年の2倍以上の人員を配置したのではないかと推測されました。参拝者が2倍なので警備も2倍になったのでしょうか。
今年は恐ろしげな警告も掲げられていて、「指示に従わない者は退場させます」とのことでした。この警告がどの程度本気なのか不明ですが、実際に退場させられた人がいたのかは確認できませんでした。
写真9
コロナウイルスが発生する前までは、大村益次郎銅像脇の広場には巨大なテントが張られ、戦歿者追悼中央国民集会が開催されていました。コロナ騒動で、令和2年以降は中断していましたが、今年は久しぶりにテントが張られていました。今回の式名は「大東亜戦争終戦八〇年 追悼と感謝の集い」と変わり、主催者も変わっていました。また、開催時刻が従来は正午であったのが今回は13時20分に変わっていました。どうも、式典の内容は同じようなのですが、主催者を若手に譲り、組織を若返らせたのではないかと推測されました。
参道脇にはかき氷を販売するキッチンカーが出店していました。店主の趣味なのかどうか不明ですが、車体には日の丸の旗が掲げられていました。また、かき氷にはそれぞれ日の丸の小旗が付けられていて、この日は特別サービスをしているようでした。
写真10
写真11
【変わった人1】
いつも終戦の日の靖国神社には変わった人を見かけます。この人は通信販売で売っている「八紘一宇」をプリントしたTシャツの宣伝をしていました。本業はデザイナーで、「龍体文字」のデザインをしているのだそうです。龍体文字とは古代日本で使われていた文字で、龍体文字を使うと健康と幸運に恵まれるそうなのです。大手通販のアマゾンなどでも、龍体文字のお守りを販売していることから、それなりのマニアがいるようです。
写真12
写真13
【変わった人2】
靖国神社の入口で中国語のパネルを掲げ、ネットにライブ配信している人がいました。この人は中国人のインフルエンサーで、SNSのX(旧ツイッター)にアカウントを持ち、東南アジアの各国を廻って動画を配信しているようです。パネルの中国語を自動翻訳したところ、「共産党の独裁政権に反対し、奴隷を開放する同盟に加入しませんか」とか「毛沢東は日本軍の中国侵略を歓迎しました」などの意味となり、何を主張しているのか理解できませんでした。昨年も来日したようですが、この人は本当に中国から来日したのかどうか不明です。中国政府を批判していれば出国できないはずです。もしかしたら中国政府から派遣されて、日本人がどのような反応をするかを試しているのではないか、とも疑いたくなりました。
写真14
【変わった人3】
九段坂の歩道では選挙運動(のようなもの)をしている人がいました。次期の衆議院選挙に東京7区から立候補し、自民党総裁選に出馬するのが目標のようです。政策は、消費税廃止、給付金支給というもので、今年の参議院選挙でどこかの政党が主張していた政策と同じでした。自民党総裁選に立候補するのであれば、先ずは自民党から立候補の公認してもらわなければなりません。選挙に立候補する予定を掲げるのは勝手なのですが、先ずは自民党員になることが必要かと思われました。特に過激な意見もなく、単に目立ちたいだけかもしれません。
毎年、終戦の日の夜9時のNHKニュースでは、その日の正午に武道館で行われた全国戦没者追悼式の式典が最初に放送されるのが慣例になっていました。今年の9時のニュースで最初に放送されたのは、トランプ氏とプーチン氏のアラスカでの会談でした。会談の内容はロシアとウクライナの和平に関するものでした。こちらは現在進行している戦争であり、戦没者追悼式は過去の戦争に関連するものであることから、現在の戦争の話題を優先して放送したのでしょうか。
また、終戦80年ということで、NHKでは6月から多数の特集番組を放送していました。ざっと数えてみると30本以上ありました。地方局だけで放送された特集番組もあることから、実際にはもっと多かったでしょう。毎年のことですが、終戦特集番組には原爆関連の番組が放送されています。しかし、毎年のように原爆特集の番組を制作していると取材のネタが尽きてくるようで、広島、長崎の放送局では、夏の特集番組を制作する際にどのようなテーマを決めるのか大変苦心していると聞いたことがあります。
最近、といってもここ10年くらいの間ですが、テレビ番組で放映される歴史的な映像(フィルム)を観察していると大きな変化があるようです。特に、NHKで放送されている「映像の世紀」を観察していると、今まで観たことの無い、初めて見かける映像が番組の中に挿入されていることがあります。海外で撮影された映像には、これまでの常識を覆すような内容があります。日本で放送すると政治的にはばかれたため利用されなかったのか、新しく発掘された映像なのかもしれません。何れにせよ、放送する内容が残酷であったり、当時の政府を微妙に批判することになるためNHKは映像を利用しなかったのかもしれません。しかし、終戦から80年も経過したことから、今までの歴史観が変わってしまうような内容の映像が次々と放送されるような時代になったようです。