清話会会員企業インタビュー㉚
特殊な医療市場向けに熟達した匠の技に取り組む
5mmのロウ付け技術に専業で取り組む
髙橋テック㈱
“本わさびの味”のロウ付け技術
製造業の仕事の領域はまさに千差万別でいろいろな分野があるが、この度まさに針の穴に糸を通すような仕事に巡り合った。それはわずか5mmの銅パイプと継手をつなぐロウ付け技術の仕事である。
外科手術のベッドは患者の身体を水平に支え、任意の体位に変換するためスムーズに動作することが必要である。これも今は技術が進歩し電動式で行い、市場の約70%がこれでほとんどが処理できている。しかし、より高度な外科手術を行う場合にはもっと柔らかく、もっとスムーズに体位を変換する必要がある。これがわずかに5mmの銅パイプと継手をつなぐロウ付け技術で、精密かつ強度の高い油圧配管による油圧駆動式の手術台で可能となる。
これはまさに“本わさびの世界”なのである。少し脱線するが、その本わさびも日本では生産者の高齢化と気候の温暖化によりどんどんシェアが少なくなり、現在は市場のわずか5%程度と言われる。本わさびは寿司屋や高級料亭に行かなければほとんどお目にかからなくなった。今ではそのわさびの世界的生産基地が中国の大連市郊外の瓦房店市、ここは水の質が良くワサビなど多くの食品メーカーが進出している。
日本の大手わさびメーカーもほとんどここに進出しており、わさびづくりのほとんどの工程をここで行い最終工程を日本で行ってメイド・イン・ジャパンとしているのが現状だ。
かくして世界の日本料理店のわさびの市場はほとんどこの瓦房店市にある中国メーカーに奪われた。だからこの町はわさび御殿ならぬ食品御殿がいたるところに立っている。これも本わさびと普通のわさびの差がほとんどなくなり、どうしても本わさびという需要が減ったことも大きな理由である。
数少ないロウ付け技術の専業会社
それではこの同社のロウ付け技術の製造した油圧配管による油圧駆動式の手術台はどんな病院で使用されているのか。これは容易には分からない。なぜなら同社を部品としてある大手医療機器メーカーに納入しているだけだからだ。しかし、コンスタントに需要はある。それもどうもその半分は輸出されているようだ。
なぜ油圧配管を使用した油圧式手術台を製作することになったのか、これは患者ファーストであるからだ。電動式に比べて振動がほぼ無く、スムーズにアップダウンや回転ができる。停電時の安定性もある。患者を不安にさせないため、油圧式手術台には患者ファーストの医療メーカーと、油漏れの無い高品質な油圧配管を製作する職人の熟練の技が為せるものなのである。
髙橋社長に「同業者はいるのですか」とお聞きすると、「1社だけ仕事の一部でやっている会社を目にしたことはあるが医療系のみの専業は耳にしたことがありません」との答えが返って来た。
営業マンはいないというよりもやっても仕方がない。限られた販路だからだ。しかし、同社にとって今、このロウ付け技術をほかの分野に活用できないか。
だから、部品や電力代などによる価格転嫁はユーザーも快く応じてくれている。同社しか製造してくれるところがないから、ここはほかの部品メーカーのような苦労は少ないのだ。
母材の加工から油圧配管づくり
むしろ同社の課題は人材の確保である。同社は現在、社員の3人がロウ付け技術の技術者である。このロウ付け作業は指導する技術者が付きっきりで指導をしても5年かかる。普通だと10年くらいかかる。もちろん指導してもできない人もいる。この高齢化、人手不足の時代にいかに若い人材を確保するのか。
現在、同社で一番若い社員は30代で、後は40代となる。当面は油圧駆動式の手術台のロウ付け技術はそれほど問題はないが、長期的な視点で見ると大きな課題である。しかし、これだけの油圧駆動式の手術台のロウ付け技術をわずか社員3人の同社が握っているというのが面白い。それだけ特殊な技術なのである。
同社がこの油圧配管のロウ付け事業を始めるのは2005年に初代社長である髙橋社長の父親の義夫氏である。その前は髙橋自動車板金塗装事業を行っている。なんで、当時この油圧駆動式の手術台のロウ付け事業を始めようになったのかは、先代の友人であった㈲東製作所の当時の会長からの紹介である。
油圧配管のロウ付け作業は、1日平均200本から多い時には300本、毎月3000本から4000本製造し、大手医療メーカーに納品している。医療部品は特に品質のハードルが高く、油圧配管のロウ付け専業会社であるだけにその製造手法は完璧である。
まず、母材の加工から始めている。というのも、規格品の穴と管では見た目には同じサイズでもしっくりと組み合わず、きちんとロウ付け作業ができたように見えても充分な強度が得られないことがあるからだ。
髙橋テック㈱の製品は協力会社と何度も実験を重ねて最適なサイズに仕上げた接合部を永年培った匠の技でロウ付けするから、細く短い母材でも強く美しく油圧配管をつなぎ合わせることができる。
二本目の矢、塗装事業
同社を世界で唯一の外科手術用ベッドの油圧配管による油圧駆動式のロウ付け技術の専業会社と述べてきたが、実は正確に言えば少し異なる。まだ会社案内にもそれほど取り上げていないが、塗装事業がある。それは外科手術用ベッド台の塗装である。錆びないように表面処理を行う仕事である。
髙橋社長はこれまで事業が外科手術用ベッドの油圧配管のロウ付け技術だけではいけないと新規分野への挑戦を試みてきた。茨城県中小企業振興公社のデータベースに入会したり、中小企業基盤整備機構が運営する中小企業と内外の企業を繋ぐビジネスマッチングサイト・ジェグテックや千葉メディカルネットワークなど国や地方自治体が運営するビジネスマッチングに参加し、新しい分野への進出を試みるものの、ロウ付け技術という特殊性からかなかなか相手をする企業が出てこない。どうも世間からは特殊なロウ付け技術をこなす引きこもり企業と見られている感がある。
空中戦がだめなら地上戦がある。稲敷市内で同社から車で5分ぐらいの近所の(有)東製作所(本社:茨城県稲敷市、根本 聡社長)という会社から外科手術用ベッド台の塗装の仕事をしているという情報が入り、同社へこの事業を外注してくれないかという依頼をした。
同社が外注してくれることを納得してくれたものの、この仕事はロウ付けの油圧配管と異なり大きな作業場所の確保と重量物だけに輸送が課題となる。 (有)東製作所の社長が隣の敷地に貸工場を建ててくれ、それを借りて作業を行うことになった。
しかし、もっと課題はある。この仕事を誰がやるのか。ロウ付け技術と塗装技術は全く異なる仕事である。これをこなしたのが、髙橋テックの一番若い技術者・根本瞭氏である。器用さと言うのは武器でどんな仕事でも難なく処理できる。だから彼の名刺にはロウ付け溶接のほかに塗装という文字が入っている。塗装は毎月100台から150台の注文があり、一日40台ぐらいの処理であるから月に一週間程度彼がこの貸工場に通って作業をしている。
農耕型工場経営の本領を発揮
髙橋テック㈱の勤務時間を見ると、午前7時~午後5時までとなっている。午前5時間、午後4時間の勤務時間である。
それにしても午前7時と言うのはいくらなんでも早過ぎる。毎朝遅くとも6時に起きねばならない。そのことを髙橋社長にお聞きすると、「私もそう思い社員と相談したのですが、やはり今の時間帯が良いというのです。我々は朝早いのは慣れているのですね」と語る。
確かに同社は四方を田んぼに囲まれている。今の時期はカエルの合唱がにぎやかである。農家の方は朝が早い。午前7時から仕事と言うのは普通のことなのである。朝太陽が昇ったら仕事を始め、日が落ちる頃仕事を終える。同社はどうもこの農耕型工場経営が基本姿勢のように見える。
私は髙橋テック㈱の農耕型工場経営を見ていて、ふと義肢装具などを製造、販売する中村ブレイス㈱(本社:島根県太田市、中村宣郎社長)を思い出した。この会社は髙橋テック㈱とは比べものにならないほどの田舎で会社は本当に山の中にある。石見銀山の傍らに立地していて、個々の社員は土日は何をするのだろうと心配するくらい何もない片田舎である。
石見銀山が世界遺産となってから観光客は増えたが、その前は本当に何もなかった。しかし、こんな田舎にありながらも障害者に寄り添った得難い義肢装具を作っているということで、志ある若者が全国から集まっているから農耕型工場経営が成り立っている。同社は高度な義足、義手などの義肢装具、人工乳房、人工補正具などを開発し、製造している。これは世界で唯一特殊なロウ付け技術をこなす髙橋テック㈱と大変よく似ている。
【インタビューを終えて】
- 成田線沿線界隈探索
髙橋テック㈱の最寄り駅はJR成田線下総神崎駅であるが、この成田線を分析すると極めて面白い。成田線の起点は実質的にはJR千葉駅であり(形式的には総武本線と別れる佐倉駅から)、概ね3方面に走っている。1つは一番有名でメインである成田空港駅方面である。後の2つは成田駅から銚子駅方面の松岸駅と我孫子駅方面である。総延長約120キロで、銚子駅方面が本線で、あとは空港支線、我孫子支線と位置付けている。
成田線は一見千葉県内のローカル線に見えるが、今回の髙橋テック㈱もそうであるが、利根川流域の茨城県の自治体への最寄り駅でもある。もし成田線の各駅から利根川沿線の茨城県の地域へ実現していたら、この地域はもっと発展していたはずである。
成田線界隈には見どころが多い。まず何とも言っても成田山新勝寺であろう。真言宗智山派の仏教寺院であり総本山の一つである。1080年の歴史を持ち、年間の参拝者は1000万人を数える。なかでも正月の三が日は300万人が訪れるという年賀参りのメッカの1つである。
もう1つ挙げるとすると水郷佐原アヤメパークであろう。最寄り駅はJR成田線佐原駅である。ここからシャトルバスで行く水郷佐原アヤメパークは水郷筑波国定公園に位置し約8haの広大な公園には小島や橋などを配置し、小舟が浮かび昔懐かしい水郷の情緒が味わえる。園内にはあやめ、藤、ハス、アジサイが咲き乱れる。毎年6月から7月にかけてあやめ祭りが開催されている。園内を小舟に乗りゆっくりと遊覧する風情はまさに命の洗濯の感がある。
そのほかにも佐原には香取神宮や重要伝統的建造物が立ち並ぶ佐原の街並み探索がある。そして少し足を延ばせば鹿島神宮や銚子岬の灯台がある。佐原という響は我々になぜか心地よい。江戸時代から水運に恵まれ商都として発展して来た歴史と自然がそうさせるのではないだろうか。
増田 辰弘
〈ますだ・たつひろ〉
1947 年島根県出身。法政大学法学部卒業後、神奈川県庁で中小企業のアジア進出の支援業務を行う。産能大学経営学部教授、法政大学大学院客員教授、法政大学経営革新フォーラム事務局長、東海学園大学大学院非常勤講師等を経てアジアビジネス探索者として活躍。第1 次アジア投資ブーム以降、現在までの30 年間で取材企業数は1,600 社超。都内で経営者向け「アジアビジネス探索セミナー」を開催。著書多数。