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『おひとりさま時代の死に方』井上治代著/『百歳人生の愉しみ方』五木寛之著(評者:小島正憲)

●『おひとりさま時代の死に方』  井上治代著  
 講談社α新書  2025年8月5日

帯の言葉 : 「親や自分のお墓をどうするの? 死後の手続きには何が必要なの?」

本書は題名の軽さに似ず、最近の日本人の死生観に踏み込んだ内容の濃いものである。

井上氏は本書で、「年間約160万人が亡くなる多死社会を迎えた日本。核家族が増え、墓は“家”から“個”へのシフトが進む。人気の中心は樹木葬。弔いの担い手も高齢化が進み、今や単独世帯が4割を占める。次世代に向けた墓は、子や孫世代に継承しない形式が定着しつつあるようだ。近年の状況をまとめると、“継承者不要”の墓が多く選ばれ、かつ“墓の形態”を最も重視して選んだ結果、“樹木葬”が一番多いということになっている。

かつてあれほど樹木葬に反対していた石材店が、自ら樹木葬をつくるような時代に突入しているのだ」、「多くの人は、実際に死んで樹木になるとか、死後の世界があると確実に信じているわけはない。そう考えることによって安心、怖くないと思おうとしている。死をも超えた将来を見出し、死をも超えた他者を見出して生きている。墓友活動は、弱くなった家族機能を補うだけでなく、自ら死後の時間や死後の仲間を想定することによって、今を少しでもたくましく生きようとしている姿なのである」と書いている。これは、おもしろい死生観である。

井上氏は、「日本では、家の墓を家族が代々継承していく“家”のシステムを残しながら、“継承を前提”としない墓が登場して共存している。韓国では土葬を主流とする儒教的なそう葬墓制が残りつつ、急激に進めた火葬化とともに葬送儀礼も急激に変化した。このように日本も韓国も、伝統文化の尻尾を残しつつ、共通点のない新しいシステムと共存している。両国を圧縮の度合いで比較すると、韓国がごく短期間に近代化を成し遂げた“圧縮近代”、日本は韓国より早く西洋よりはずっと遅い“半圧縮近代”である」と書いている。このような比較は、わかりやすい。

また、井上氏は、「日本はこれから“別の国”になる。単独世帯が増加し、これまでに例のない社会が訪れている。しかし、このままでは遺骨を持ってお墓に行くことすら困難になる。人間らしく死んでいくことができない人も増えていく―。“福祉”は“生者”だけを対象とし、“死者”はその対象としてこなかった。あらゆる法律は死者を想定してこなかった。その結果、問題は山積みのままだ。だからいまこそ、“死後福祉”をつくるときにきている」と、面白い提言をして、本書を締めくくっている。

●『百歳人生の愉しみ方』  五木寛之著 
 NHK出版  2024年11月15日

副題:「シフトダウンして生きる―それは、老いの孤独をたのしみへと変換する一つの方法論ではないでしょうか
帯の言葉:「自分の体ですから、自分で判断すればいい。それが私の養生法です」

今年で92歳になるという五木氏は、本書で、相変わらず、高齢者にとって参考になる名言を述べている。

まず、五木氏は、「かつてご老人は希少価値があったから大事にされていた。ところがこれから先、みんなが百歳まで生きるということになってくると、そんなことに甘えていられないという時代ですね」、「50歳を境に、後半の人生は、それまでとまったく別の生き方に切り替えるのです。百歳まで一筋の道を歩き続けるのではなく、“人生を2回生きる”イメージです」、「百歳人生をどう生きるか、まったく予測はつかないけれど、未知の世界を切り拓いていくのだと考えてみてはどうでしょうか。それは終わりではなくて、新しいことが始まるのだという、わくわくするような気持ちで、楽しみながら後半生に入れたらいいですね」と、軽やかに書いている。

さらに五木氏は、「人生百年時代とは、人類がこれまで築き上げてきた文化や技術が通用しなくなり、日常生活のありとあらゆる面で大変革を迫られる時代です。それについての実感が、世の中にも、国にも、ジャーナリズムにもまだまだ足りないのではないでしょうか。これまでの文化にしても、芸術にしても、音楽にしても、ありとあらゆるものが人生50年の規格の中でできたものです古典にしても、みんなそうです。その規格が変わるわけです。野球は9回までやっていたものが、18回までやるようなものですから。私たちは今、そんな劇的な転換期を生きているのです。そういうドラマティックな時代に生きているということは、一個人として自分はどう生きていくかと考えたとき、ある意味ではとても興味深い、わくわくするような時代と言えはしないでしょうか。どういうふうに衰えていく体をコントロールし、補っていくか。シフトダウンして生きるための創意工夫に満ちた後半生というのは、おもしろくて期待のできる時間なのではないでしょうか。年齢を重ねていくと同時に増えていくものもあるのではないかと一所懸命考える。そこですね、おもしろさというのは」と、書いている。面白い指摘である。

また五木氏は、「無理はしない、だけど頑張る。仏教に“慈悲”という言葉があります。“悲”は他者の苦しみや傷みを、自分のことのように感じて共感共苦する、ただ同情して慰めるという意味です。一方で、“慈”は慈しみですが、そこには“がんばれ”という意味もあるのです。疲れて道端にしょんぼり座り込んでいる人の肩をたたいて、“大丈夫だよ。いっしょにがんばって歩いていこうよ。そこまでいけば船が出ているから”と声をかけたりするのが“慈”です。そういう意味でいうと、無理はしない、だけど頑張る、それが大事なことなのです」と、書いている。たしかに、私も、高齢者には、「無理はしない、だけど頑張る」ことが、肝要であることは身をもって痛感している。

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清話会 評者: 小島正憲氏 (㈱小島衣料オーナー )
1947年生まれ。 同志社大学卒業後、小島衣料入社。 80年小島衣料代表取締役就任。2003年中小企業家同友会上海倶楽部副代表に就任。現代兵法経営研究会主宰。06年 中国吉林省琿春市・敦化 市「経済顧問」に就任。香港美朋有限公司董事長、中小企業家同友会上海倶楽部代表、中国黒龍江省牡丹江市「経済顧問」等を経ながら現職。中国政府 外国人専門家賞「友誼賞」、中部ニュービジネス協議会「アントレプレナー賞」受賞等国内外の表彰多数。