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【特別リポート】「東京都日中オンライン経済ビジネス会議(第2弾)」(秋澤文芳)

東京都日中友好協会主催の経済ビジネス会議が7/31(土)オンライン・Zoomにて開催され、先月に引きつづく開催となった。今回も鹿児島兼愛を中心とした「産官学」連携ということで鹿児島国際大学の教授と留学生そして、地域の更なる振興を図るため訪日関係業者や団体、更に薩摩大使等の協力で、地元鹿児島県より約30名余の方々が参加した。そして北海道や中国からの事業者や団体と首都圏の関係者も含め70名程が当企画に参加した。今回も鹿児島国際大学(大学院経済学研究科)の留学生4名の発表者研究内容は次のとおりである。

●金 香男 

私学教育に関する先行研究等

日本の学校外教育市場は少子化により、需要層が減少しており、市場が縮小傾向にある。

しかし、教育サービスの底堅い需要があり、市場規模は緩やかに拡大している。中国の学校外教育市場は、激しくなっている教育競争により、その市場規模が年間25%の成長率で拡大している。学校外教育問題は中国の社会問題となっており、2021年7月には、政府による義務教育段階での学校外教育禁止に関する意見も発表されている。そこで、日本の学校外教育の発展を考察し、日中における学校外教育の選択行動の影響要因を分析することで、中国の学校外教育市場の健全な発展に一助できることを目指す。

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【講演録】「あらゆる視点から、今、注目すべき株式銘柄を探る」(千葉 明)

■PEGレシオの指標からみる

 注目すべき会社

大きい会社も小さい会社もコロナの影響を何らか受けています。投資雑誌など、“コロナの収束で再度、浮かび上がる企業”といった特集を組んだりしますが、あまりこだわらないほうがいいと思います。いい株はやっぱりいいし、これから伸びていく株はそれなりの理由があると思います。

PEGレシオという、中小型株の今後を見る上で非常に貴重な指標があります。私が初めて知ったのは、もうかれこれ16、17年前、70代後半で現役の投資顧問会社をやっておられる塩住秀夫さんという方に伺いました。塩住さんは、ロンドンのシティで日本人として初めて金融会社、投資顧問、投資銀行の役員になられた方で、その後、ジョージ・ソロスが運営していたクォンタム・ファンドの日本株の運営を3年間、担当されて、一口でいうと成長株論者です。「成長株はどうやって探すんですか」という話をしたら、まずスクリーニングにかけるという意味でPEGレシオは非常に便利だよ、という話を聞きました。

このPEGレシオの算出方法は、分子が今の時価に対する予想PERで、分母が、本来であれば過去3期間ぐらいの1株当たり利益の成長率の平均です。出てきた値が2以上であれば割高の域、1~2の間は妥当な水準、1を割り込んでいる銘柄は投資対象として俎上に載せる価値がある、というのが、塩住さんから教わったPEGレシオの活用法です。

例えば㈱アズーム(コード番号3496)という会社は、サブリース方式で月極駐車場の運営をやっている会社です。新しいマンションが建ったりすると、マンションの住人分の駐車スペースでも作るのが難しい。すると近場の月極駐車場を探さなければならない、という状況から、特に都心部では月極駐車場不足が起こっています。このアズームという会社は、まずオーナーさんが持っている月極駐車場の中で、今、空いている駐車場を情報として出してもらい、一方でカーパーキングという検索サイトを設けて使いたい人との間でマッチングを行っています。

同社は9月決算ですが、前9月期は39・8%の増収、139・1%の営業増益と非常に高い伸び率を示しています。今期に関しても25・8%の増収、100・5%の営業増益と順調過ぎるぐらいで走り出しています。この中間期時点で空いている月極駐車場を1万2716預かっている。これに対して、サブリース方式で運営を手掛けている中で稼働しているのは1万1775と非常に高い数字で回っています。

PEGレシオを今、この会社に当て嵌めると0・83ぐらいです。通常、月極駐車場の運営上で非常に難しいと言われているのは借りている人の属性、平たくいうと反社会的な勢力が借りるケースが多々あるそうです。同社は車検証や免許証、法人で借りている場合には会社謄本、それと任意の車の保険、これらのコピーを提出をしてもらって、それをベースに大丈夫かどうかを見立てた上で貸しており、反社会的な勢力が介在しないような枠組みがきちんと整っているのが特色だアナリストたちは言います。

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【講演録】「新型コロナ収束を見据え、今後の世界を読む」(真田幸光)

~中国包囲網と、日本の未来へ向けた構想 [ 特集カテゴリー ]

【講演録】「新型コロナ収束を見据え、今後の世界を読む」(真田幸光)

真田幸光(愛知淑徳大学教授)

1957年東京都生まれ。慶応義塾大学法学部政治学科卒業後、東京銀行(現・三菱UFJ銀行)入行。84年、韓国延世大学留学後、ソウル支店、名古屋支店等を経て、2002年より現職。社会基盤研究所、日本格付研究所、国際通貨研究所など客員研究員。中小企業総合事業団中小企業国際化支援アドバイザー。

■いざとなれば鎖国してでも

 生き残れる国づくりを

今年1月に、SJCの例会でお話させていただいたとき、コロナは3年は覚悟しなくてはいけない、3年よりも早く収束すれば見っけもんだと考えるべきです、と申しました。これが私たち国際金融筋の基本的な考え方です。

こうした状況が3年も続くと、価値観の変化が、どうしても生まれてくると思います。ビジネスで言えば、お客様の消費行動が変わるはずです。だから、このコロナの問題で、皆さんの価値観が変わる、それによって消費行動がどのように変わるのかということを想定して、わが社のビジネスの延長線上では何ができるのか、できなくなるのかを想定しながら対応していかなくてはならない時代だと思います。

例えば、旅行業界。海外へなかなか行けなくなりました。そこで旅行業界が仕掛けている一つのビジネスモデルとして日本の有数の観光地に1週間~10日ぐらいのパックを作って、高級ホテルで10日間連泊してもらって、高級なお食事をしてもらいながら、その地域のさまざまな観光地やイベントに参加していただくような高級なプロジェクト、プログラムを作って集めてきています。

それから三越伊勢丹グループは、百貨店がいま大変な中で、例えば、お得意さま係という人がいて、お客様のどういうものをお好みで、どういう価格帯で買われるかを皆知っている。そういうお得意さま係がお客様とオンラインでつながって、いまこういうものがあります、こちらもありますと勧めていくショッピングを始めて、これが意外に当たっている。

ですから、3年続くということを覚悟した上で、その上でいろんな仕掛けをしていく、そういうバイタリティーのある生き方が、いま私たちは求められているのではないかと思います。

いま、二極化が激しいと思います。いわゆる上位の人たちと下位の人たちの格差が開いてきている。一つ分かりやすく申し上げれば、資産効果を上げられるような人たち、つまり株、不動産、債権などを持ってらっしゃる方は、株の価値が上がるからもっと余裕ができます。でも、持ちたいと思っても元手がないから買えない、あるいはうちの会社倒産しちゃったからお金を使えないという人も出てきています。

持つ者と持たざる者の格差が開いてきてしまってる。そういう中で、この上の人たちだけを対象にしたビジネスをやっていくと、社会の不安が起こってくると思います。不満から不安が起こってくる。ですから、私がご縁を持ってる企業の皆様がたには、いまその上の人たちをターゲットとしたビジネスモデルももちろんやって下さいと申し上げています。けれども、それだけではなくて、もっと社会の下を支えてるような人たち向けのビジネスも、コミットできるようなビジネスモデルがあるのだったら、そこにも知恵を払っていただけないか。ここにこそ日本人の得意としている、いいものを安く売るという精神で、モノやサービスを提供することを今、やっていくべきではないかと思うのです。

いいものを安く提供するのを、日本の国内で困っている人たちに提供していって、それで日本社会の再安定化を図っていくことをまず始めて、そして国内に安定が戻ってきたところで、もう一度国際社会とのしっかりとした連携を考えていっても、遅くはないのではないかと思うのです。

日本の政治にはそういうものを求めていきたいし、そして、日本のビジネス界の皆様がたにも、そういう意識を持って、もう一度日本の国内で必要なモノやサービスを適正価格で提供して、みんなが満足できるような社会に戻していくことができないかと、お話ししています。

上澄みの人たち、お金持ちだけをターゲットとしてビジネスを仕掛けてる、これはもちろん重要です。やるべきだと思います。けれども、そうじゃないところも対象にしながら、わが社としてはそこにどういうビジネスを仕掛けていけるのか、そういったところを考える。そのときに、繰り返しになりますが、こちらも損しないでいいものを安く提供できるような形で、知恵を使っていくということをやっていけないのかなと、非常に強く考えているのです。

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【講演録】「アフリカのビジネス概観と南アフリカの今後の可能性」(石原圭昭)
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【講演録】「アフリカのビジネス概観と南アフリカの今後の可能性」(石原圭昭)

「アフリカのビジネス概観と南アフリカの今後の可能性」

石原圭昭(よしあき)

(日本貿易振興機構(ジェトロ)ヨハネスブルク事務所長及びアフリカ総代表)

 1990年に日本貿易振興会(現;日本貿易振興機構)入会。東京本部勤務の他、山形事務所、大分事務所所長も務め地域企業の輸出促進を支援。93-98年ポーランドのワルシャワ、2007-11年トルコのイスタンブール所長として勤務。2019年9月より南アフリカのヨハネスブルクに赴任し、現職として活躍。

■ジェトロの事業概要と、アフリカにおける拠点

 私は1990年にJETRO(ジェトロ)に入社し、山形など国内と、海外はワルシャワ、イスタンブールに駐在し、今はヨハネスブルク(南アフリカ)で3ヶ国目になります。

 ジェトロは経済産業省の傘下の貿易及び投資を促進する機関で、海外に76事務所(55ヶ国)、国内には全都道府県にあります。各県庁では国際的な展開のお手伝いをしてほしいということで、自治体からも予算をいただきながら運営をしている政府系機関です。

 主に4つのミッションがあります。一つには、海外企業の対日投資の促進。今は特にイノベーティブなスタートアップの誘致に注力しています。海外には優秀なスタートアップ企業がたくさんありますので、それを日本に入れて、より日本経済の活性化を図る。

 次に、各都道府県含めて食品の輸出が大きな目標の一つになっていますので、その支援。ここがジェトロとしては一番やっているところかなと思います。そして、食品以外の中堅中小企業の海外展開の支援。ここも南アフリカを含めいろいろな事業を行い促進しているところです。

 あとは調査です。われわれの住んでいるアフリカの情報を皆さんにお届けする。また、パートナーとなりうる南ア企業を探すということも行っています。基本的にすべて無料で対応させていただいております。ただ、個別の企業の情報提供等になりますと調査する内容によっては有料でやらせていただいております。

 アフリカには9つの事務所があります。私は、ジェトロのヨハネスブルグ(南アフリカ)におります。北から、ラバト(モロッコ)、カイロ(エジプト)、コートジボアール、ガーナ、ラゴス(ナイジェリア)、エチオピア、ナイロビ(ケニヤ)、モザンビークです。モザンビークは天然ガスの埋蔵が発見され、日本企業、特にエンジニアリング関係の日本企業が進出してこられています。ただ、北部では武装勢力が出てきており、陸上の天然ガスの開発準備が止まっています。

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【講演録】「発達障害の傾向のある人を雇用したら」(応用編)(小島健一)

-発達障害傾向のある社員とどうコミュニケーションを取り、戦力化するか [ 特集カテゴリー ] ,

【講演録】「発達障害の傾向のある人を雇用したら」(応用編)(小島健一)

 

「発達障害の傾向のある人を雇用したら」(応用編)

■紛争を予防するだけではなく、ピンチをチャンスに変える発想で

最近は、労働事件といわれる裁判の中で、社員の健康やメンタルヘルスに関わる事件が半数を超えています。それくらい、心と体の健康についての正しい知識やノウハウがないと、人を雇って働いてもらうことが難しい時代になっています。私も、お客様の人事労務のご相談に対し、多くの部分をこうした産業保健のコンサルティングに充て、さらに、人事担当や管理職をカウンセリングやコーチングで支援しているのが実際です。

女性の活躍はもちろん、外国人、障害者の雇用に始まり、がんやさまざまな生活習慣病、難病に罹った方でも働きたいという、病気と仕事の両立支援が、今非常に重要になってきています。今、特に30代の女性で不妊治療をしておられる方が増えていますので、女性に活躍してもらうためには、それもカバーしないといけない。そしてLGBT。こういったさまざまな、まさに多様性のある労働者を戦力とし、組織に包摂してメンバーとして活躍してもらうことが人事の本当に大きな課題です。

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第2回 体育会人材の就職観 (久野晋一郎)
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第2回 体育会人材の就職観 (久野晋一郎)

前回は体育会人材が採用活動で注目をされる理由について触れてきた。今回は体育会人材の就職観について、体育会学生支援「アスリートエージェント」を通じて過去30,000名以上の支援に当たってきた経験から解説させていただく。

まず、過去・現在の学生たちの就職観について触れていきたい。

マイナビ・日本経済新聞社が毎年発表をしている就職企業人気ランキング(図参照)というものがある。文系学生ランキングおよび完全失業率のデータももとに年代別変遷を追っていきたい。

1980年は円高不況の入口ではあったものの、国内消費の意欲が高かった。就活生には三井物産、三菱商事、住友商事といった商社が人気だった。バブル景気真っ盛りで就職活動は非常に楽な時代となった1990年。就活生は楽観的で海外の華やかなイメージから航空、安定したイメージから銀行が人気だった。

就職氷河期のもっとも厳しかった時期にあたる2000年。求人倍率は1倍を下回り、学生の就職活動は困難を極めた。厳しい環境のなか、就活生は憧れの業界を視野に入れつつ、安定性を求め、各業界トップ企業が人気だった。

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第5回『経営理念を現場で活かす方法』(小池浩二) [ 第5回 ]

■経営理念は経営者の信念

日本において、経営理念を重要視した経営者として松下幸之助氏が挙げられる。松下幸之助氏は事業経営の一番根本になるのは正しい経営理念であり、経営理念とは、この会社は何のために存在しているのか、この経営をどういう目的で、またどのようなやり方で行っていくのか、という点についてしっかりした基本の考え方を持つことであると説明している。

■家訓なくとも家族はまとまるが、理念なき会社はまとまりにくい                             

一般的な組織(趣味の世界、学校等)の特徴は、基本的な価値観の似ている人が集まるのでまとまりやすい。しかし、中小企業という組織は例外。育った環境が違う、年代が違う、何が好きか嫌いかという価値観の違う人たちが偶然に同地域に住んで、通勤距離が短い等の物理的理由で一つの会社に集まり、組織を作ろうとする。これが多くの中小企業。価値観の違う人たちが集まって組織をつくるわけだから、放りっぱなしの状態ならば確実に崩壊する。

そもそもチームとは、仕事に必要な数人が集まったから「チーム」になるわけではない。大前提として、メンバー全員がチーム一員である当事者意識を持ったうえで、チームの共通の目的、達成する目標、それに向かうためのプロセスを共有する集合体がチームであり、チームワークを強化していくには、共同で何かをする前にチームづくりを行わなければならない。つまり、会社は「何もしなければうまく回らないこと」を前提にチームづくりを行う発想が必要となり、その対策が図表の「集団統一の原則」である。

経営理念は集団を統一するキーワードの最初に位置する。この経営理念は木の根っこの役割でこれがしっかりしていないと木は成長しない。仮に大きな木の幹・葉をつけていても根っこが腐り始めると木は倒れる。つまり、経営理念が立派でも実際の経営をデタラメにやると目に見える部分の成果は上がらない。正しい経営理念を持つと同時にそれに基づく具体的なビジョン・方針・商材戦略・戦術・戦闘が環境に適合していないといけない。

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第6回「中小M&A支援機関の登録制度制定から」(河本和真) [ 第6回 ]

##「中小M&A支援機関に係る登録制度の概要」が発表

8月2日㈪、中小企業庁より「中小M&A支援機関に係る登録制度の概要」が発表されました。これは、中小企業が安心してM&Aを活用できる基盤づくりの一環として、登録制度の運用開始に合わせ、登録を希望するM&A専門事業者(仲介業者・ファイナンシャルアドバイザー)や金融機関、商工団体、士業等専門家、M&Aプラットフォーマー、事業承継・引継ぎ支援センターなどの公募も始めるというものです。

登録要件の詳細については、募集開始となる8月中旬に発表されており、本記事執筆時には公開されていないですが、M&A事業者などの適切な行動指針を表した国の中小M&Aガイドラインで定められた契約や交渉、デューデリジェンスの実施などに関する項目の順守を宣言することが規定されています。登録機関は毎年度の実績報告などを提出し、要件を満たさないと判断されれば有識者委員会に諮った上で登録を取り消されることにもなっており、中小企業庁としては登録機関の活動状況について毎年把握することが可能となります。

また登録機関の支援によって行われたM&Aのみ、国の事業承継・引継ぎ補助金(専門家活用型)におけるM&A支援機関の活用で生じる仲介手数料などの補助を受けることが出来ることから、中小企業でM&Aを検討されている方は、登録機関に依頼することがおすすめされています。また登録機関による支援を巡る問題などを抱える中小企業側からの情報提供を受け付ける窓口を設けることも発表されたことから、M&Aにおける中小企業の心配を国としてフォローする仕組みが少しずつ出来上がっていると言えるでしょう。

##この登録制度ができるに至った背景

 そもそも、2000年時は67者と推定されていたM&A専門業者やプラットフォーマーの数が、2020年には370者にまで増加しました。それだけ、M&Aの市場が活性化し、需要も増えていると言えるのですが、それだけ増えると大変に残念なことながら顧客にとって不利益な契約を結ぼうとするなどの事例が出てきてしまいました。そういった事例が散見されるようになったことから、この登録制度は良質な専門事業者などを顧客側が判別しやすくすることでスムーズな事業承継を促すことに繋がるとして、設計されたと考えられます。2021年度はM&A業界の健全な発展と中小企業の保護を目指した自主規制団体も設立される予定で、より中小企業にとって安心な環境が創出されることが期待されています。

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第9回 SDGsの基本とビジネスへの関わり⑧ (菊原政信) [ 第8回 ]

自治体における地方創生SDGsと「SDGs未来都市」

地方・自治体が直面している社会問題

 

都道府県別の人口増減の予測が定期的になされていますが、東京都と沖縄県を除いてすべての地方自治体において顕著な人口減少傾向を示し、特に地方の小規模な県において著しい状況です。このような人口減少による、少子高齢化、若者流出、過疎化などの社会問題は、今後、表に示すように自治体運営に深刻な影響を与えます。

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第29回『リーダーのリーデイングスタイル』(小池浩二) [ 第29回 ]

■動かし方のスタイル

リーダーのリーデイングスタイルとは、人・チームの動かし方のスタイルです。リーダーのメンバーに対する接し方は、相手や状況、チームの成熟度によって変えることが必要となります。

多くのリーダーは、誰に対しても同じように接することがベターと考えていることが多いですが、これは大きな間違いです。メンバーを公平に扱うことと同じように接することは違います。指示待ちのメンバーには、具体的に指示を出すことが必要だし、一匹狼のメンバーには力で押えようとすると反発するだけです。

手のかかる人・かからない人、経験のある人・ない人等で必然的に接し方は変わりますし、同じ人でも緊急時には独裁型の指示命令が求められるように、状況によって対応の仕方は変わります。

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志布志事件

選挙は民主主義の要。歪められれば、国の根幹が揺らいでしまう。一昨年の参院選で、河合克行元法相(控訴中)と妻の案里元参議院議員(有罪確定)が広島選挙区の地方政治家などに2900万円をばらまいた買収事件で、東京地検特捜部はカネを受け取った100人全員を不起訴とし、捜査を終結させた。「罪に問うかどうか、金額や回数で選別することは困難」という理屈だが、元国会議員秘書は300万円、県議は200万円、元首長も150万円を受け取り、50万円以上を受領した者は10数人にのぼっていたという。問題は、買収金額の大きさだけではない。民主主義と法を守るべき立場の地方政治家40人が現金を受け取ったという事実は重い。資金の流れも不透明であり、特捜部の結論は到底納得できるものではない。

思い出すのは、志布志事件である。平成15年の鹿児島県議選で、志布志町(当時)の選挙区は定数3。無投票のはずだったが、地元の会社社長が4人目として立候補し、激しい選挙戦に突入した。初挑戦の社長は当選したものの、鹿児島県警は投開票後、社長夫妻が住民11人に総額191万円を渡したとされる買収事件の捜査に着手し、夫妻を含めて13人が公職選挙法違反で起訴された。だが、朝日新聞の記者が疑念を抱き、警察の虚構、でっち上げが次々に明るみになった。

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放射線治療について

がんの治療法 放射線治療編

日本ではがんと診断されたら基本的には標準治療と言われる3つの治療法「手術・放射線・化学療法(抗がん剤等)」から選択をすることになります。前回は手術についてお伝えしました。今回は放射線について解説をしていきます。

手術と同じく特定の部位のがん細胞を攻撃する「局所療法」になります。病巣をガツンと叩きます。

外部照射、内部照射、全身照射などありますが、体の外から放射線を当てる外部照射が一般的な放射線治療のイメージかと思います。X線が一般的ですが、アルファ線、ガンマ線、ベータ線などが使われることもあります。

 

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「お金をどう使うか、で問われる人生の真価」(引地達也)
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「お金をどう使うか、で問われる人生の真価」(引地達也)

 最近、お金について、意識しなければいけない機会が多い。私ではなく支援する人、他人の話として、である。引きこもりで悩みながらも、海外の株式運用で日本にいる平均年収の何十倍も稼ぐ人、これまでの蓄財をどうしたらよいか悩む人など。持っている人の使い道はその人の自由である分、その自由の中で何に使うのかは人格が問われるから結構難しい。

ただ「人格を問われる」ことに意識が行かない人には、何に使おうが自分の勝手なのだから、とても気楽かもしれない。ただ、その場合によくあるのは「持っていること」に慣れると持たない不安も出てくるらしく、妙にケチな体質になることも目にしてきた。この「お金との付き合い方」は、当事者がよく支援者の「付き合い方」を見ていると感心することがある。持ち物や家、実家の経済状態など、断片的な情報からその人の経済感覚や実際の「お金回り」を想像しているようで、これが微妙に関係性にも影響を与えることもある。

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【講演録】「“光触媒+カビ止め”“光触媒+防さび”:世界初の技術をブルネイ国から世界に発信」(大河内 博)

大河内 博 おおこうち・ひろし(スマート・シールド・インターナショナル/スマート・コーティング・テクノロジーズ 代表取締役)

1967 年、東京生まれ。92年、経済産業省(当時、通産省)に入省。2005 年に外務省へ出向、在ブルネイ日本大使館に赴任。10 年に帰国、経済産業省情報通信機器課に勤務。 13 年、同省を依願退職し、家族ともどもブルネイに移住。現在はブルネイやインドネシアを中心に日本の企業のイスラム圏への進出をサポート。

ブルネイは、新型コロナ感染者がゼロです。年明けに日本に戻って、すぐまたブルネイに戻りましたが、マスクもなしで人々は全く警戒もなく外を歩いたりしています。

 どういうことかと言うと、外から人を入れない、鎖国状態です。国内だけで商売や経済を回しています。人は入れ替わりません。外国から来ても15泊、まるで感染者扱いのようにホテルで隔離です。ホテルで、というのがポイントで、日本のように自宅で隔離、ということはなく、保健省の人がホテルの出入り口に張り込んで、24時間体制で見ているので外に出たりできません。

 私もホテルでの“地獄の15泊”を越えて、ひと月経ったところです。それだけやっているのでこの一年間、コロナ感染者はいません。が、経済は大打撃です。

 私が最初にブルネイにやってきたのが2005年。もともと経産省(かつての通産省)の職員で、今の和歌山県知事が大使として経産省から見えたということで、私はそのカバン持ち、日本国大使館の一等書記官として参りました。

 元々、私、中学生の頃にバドミントンに一生懸命打ち込んだ時期があり、ブルネイではそのスポーツがメジャースポーツでした。大使のかばん持ちで来たはずでしたが、バドミントンを通じて大臣や王族から好まれ、いつの間にか、5年間ブルネイにおりました。もう帰ってこないと経産省の職を失うとなり、日本に帰されることになり、帰りました。そして2013年8月に通産省を辞め、10月にブルネイに再び戻ってきました。

 現在は、光触媒の製造・販売・輸出、海産物を扱ったり、インドネシア人の看護学生を日本の人手不足の介護施設にインターンシップで派遣したり、ERIA(東アジア・アセアン経済研究センター)という国際機関の総長のブルネイ担当アドバイザーや立教大学の研究員をやっています。私の性分、一つでは収まりきらず、色々とやっています。

 本日は、1.ブルネイのお国柄事情、2.体験談の共有、3.ブルネイ光触媒研究所と国際展開、の3つに分けてお話させていただきます。

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【講演録】「戦後日中関係史」(後編)(西園寺一晃)

~日中国交正常化への道のり、冷戦下の各国の複雑な思惑を紐解く [ 特集カテゴリー ] ,

【講演録】「戦後日中関係史」(後編)(西園寺一晃)

■反日正常化を目指す中国

 民間組織の活躍で在留邦人の帰国が進む

1950年代初期、中国は対日正常化を目指す方針を決めていました。ただそれには二つの大きなネックがありました。1つは日本政府がそれに応じるかどうか。2つ目は、日本に恨みを持つ中国民衆の国民感情。これをどう変えていくかでした。

1950年10月に当時の日本の世論が大騒ぎすることが起こりました。モナコで行われた「世界赤十字総会」で、中国代表団の団長・李徳全(中華人民共和国衛生部初代部長、中国赤十字会会長)が日本代表団の島津忠承団長を訪ねました。この人は戦前の華族で公爵、日本赤十字社名誉総裁です。李徳全は島津に大変なことを告げたのです。戦争の結果、中国に取り残された残留邦人3万人、及びB級、C級戦犯をすべて釈放して日本に安全に帰国させる、これを全力で支援するということです。

戦後、日本政府が真っ先にやるべきだったのが、戦争の結果、外地に取り残された、帰国できない日本人をすべて安全に帰国させること、そして戦犯として、あるいは捕虜として外国に拘留されている軍人の釈放の交渉です。ところが中国では終戦とともに内戦が起き、一方日本はアメリカに占領され、残留邦人の問題は放置されたままでした。そして中国には中華人民共和国が成立しました。しかし冷戦化、アメリカの影響下にある日本は対中国、対ソ連、対東側陣営の防波堤にされました。中華人民共和国を承認せず、内戦で敗れ、台湾に逃れアメリカの第七艦隊に保護された国民党政権を中国の唯一正統政権として認め、平和条約を結んだのです。つまり日本にとって、中華人民共和国は存在しないのでした。

李徳全衛生部長がモナコに向けて出発する前、周恩来から「日本代表団の島津団長と接触せよ」という指令を受けていました。周恩来は中国残留邦人、B級、C級戦犯の帰国支援を、正常化を目指す政府間交渉の突破口にしたかった。これは中国が本気で日本との正常化を望んでいるという日本政府へのシグナルでした。しかし日本政府は動けませんでした。中国と交渉すれば、中国を認めたことになります。動いたのは日本赤十字会、日中友好協会、日本平和連絡会、3つの民間の組織です。この3団体が相談し、残留邦人の帰国の交渉のため、北京に交渉団を送りました。中国政府は受入れを表明しました。困ったのは日本政府です。この交渉団が北京に行くためにはパスポートが必要ですが、承認してない国に行くパスポートを日本政府が発行するかどうかです。しかしさすがに世論の圧力と人道主義に鑑みて、日本政府は初めて中華人民共和国へ渡航するための正式な旅券を発行しました。日本政府が出した、戦後初の「中華人民共和国」と明記した公文書です。

交渉は順調に進み、残留邦人1000名を乗せた第1船、興安丸が舞鶴に着いたのは53年3月です。その後、54年まで帰国者全員2万9000余名が無事に帰国しました。54年8月には日本のB級、C級戦犯の生きている417名が全て釈放され無事に帰国しました。

日本の世論は中国政府と中国赤十字会に対する感謝で沸騰しました。この空気の中で、衆議院は中国の赤十字訪日団を招請するという決議を満場一致で採択しました。参議院も同じ決議をしました。その結果、李徳全を団長、廖承志を副団長とする中国赤十字会訪日団が54年10月訪日しました。

中国の周恩来外交は非常に冴えていました。54年6月、周恩来はインドのネルーと共に「平和五原則」を発表しました。55年4月には、当時の非同盟の代表的な指導者、インドのネルー、エジプトのナセル、インドネシアのスカルノなどと共に、第一回アジア・アフリカ会議をインドネシアのバンドンで開催し、成功させています。この会議の旗印は反帝国主義、反植民地主義、民族独立でした。日本もこの会議に代表団を送っています。各国は元首、あるいは首相が参加しましたが、日本は経済審議庁(後の経済企画庁)長官・高碕達之助が団長でした。高碕は日本出発前に「バンドン会議で決して中国代表団と接触しないこと」という指示を受けていました。ところが高碕はバンドンに行くと、公然と中国の周恩来と会談しました。

56年、B、C級戦犯以外の、中国に拘留されていた戦犯・捕虜1062名を中国はすべて釈放、帰国させました。55~57年、文化、芸術、スポーツ、医学、科学等幅広い日中交流が実現しました。中でも、市川猿之助の歌舞伎訪中と、梅蘭芳の京劇の訪日は両国の国民感情に非常に良好な影響を与えました。

中国政府が行わなければならなかったもう一つのことは、中国の民衆の感情にどう対処するかということです。当時は戦争が終わったばかりで、民衆の中に渦巻いていたのは「我々はやっと独立した。これから強くなって、あれだけ酷い目にあった日本に仕返ししてやるぞ」という感情でした。周恩来は「我々は数限りない会議を開いて、いろいろな検討をしてきた。その結果、日本の一部の軍国主義者と善良な国民を分けること、そして日本の善良な国民も戦争の犠牲者であり、両国の国民が仲良くすることは両国にとって有利である。アジアの平和にとって不可欠である」と国民を説得しました。

この点に関して私見ですが、これは大変ありがたいことだと思いますが、我々日本人にとって、あの戦争は軍部がやったもので、日本の国民も犠牲者だと片付けて良いものか、当然主要な責任は当時の軍部、当時の政府にあります。しかし、当時の文化界、スポーツ界、メディアは戦争に協力しなかったのか。戦後の日中友好運動は中国のこの論法に甘えて来たのではないか。そして国民自身のあの戦争に対しての反省が足りないのではないかということです

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~先人の足跡から学び歴史のつながりを取り戻せ! [ 特集カテゴリー ] ,

【講演録】「“東京五輪”と“日本書紀”」(久野 潤)

■後鳥羽上皇「承久の変」の意図と

 「正道」を『日本書紀』に求められたこと

 日本の2000年以上の歴史を見ると100年に一回くらい疫病が流行っていて、先人たちは今のような科学的な知見がなくても、一致団結して乗り切ってきたわけです。

 今日から5日間、「承久の変と令和」という連載を『夕刊フジ』に連載させていただいております。今年はちょうど承久の変(承久の乱)が起きて800年の節目の年です。承久の変は後鳥羽上皇、この方は18歳で譲位されて23年間ずっと院政を敷かれていたのですが、土御門天皇、順徳天皇と譲位して仲恭(ちゅうきょう)天皇のときに変が起きました。何で後鳥羽上皇が兵を挙げたのかというと、そのとき鎌倉幕府が政治的な混乱の極みにありました。来年の大河ドラマの主人公である北条義時という方がおられますが、第二代の鎌倉幕府の執権になります。もともと北条家は源氏将軍家の補佐役でした。そこに政所の別当を兼務することで強大な権力を手に入れることになりました。

 天皇からみれば天皇によって任命される将軍の補佐役つまり家来の家来に過ぎない、そんな北条家が皇室をも危うくさせるような状況でした。それは正道から外れるということで後鳥羽上皇はあえて挙兵をした。初代将軍の源頼朝も不審な死を遂げましたが、二代将軍の源頼家などは将軍にふさわしくないということでお寺に閉じ込められたり、三代将軍の実朝も北条家が直接暗殺したわけではないけれども、いろいろ吹き込まれた一族の若者(頼家の子公暁)に鶴岡八幡宮で暗殺されてしまいました。

 将軍家や皇室をないがしろにするあり方はおかしいということであえて挙兵をした、それを今の教科書では承久の「乱」として後鳥羽上皇が引き起こした、つまり本来なら北条氏の主君の主君にあたる後鳥羽上皇が家来の家来に過ぎない北条家に対して反乱を起こしたという書き方になっています。しかも、天皇であられた方が隠岐に流されたという日本の歴史上の一大事態です。これはあまりにもおかしいと思い、『夕刊フジ』に書かせていただきました。

 明治時代になって、かつて後鳥羽上皇の離宮があった近くに水無瀬神宮を建てて隠岐から御霊にお戻りいただいたという経緯があります。明治維新の際に「王政復古」と言われたのも、武家政権でないがしろにされてきたこうした歴史を総括するという意味もあったということです。

「奥山の おどろが下も 踏み分けて 道ある世ぞを 人に知らせむ 」という後鳥羽上皇の御製(和歌)があります。奥山の枝などがたくさん茂る中でも、ほんとうの山頂に至る道はこちらだということを知らせるように、政治が混乱している世の中であっても正道はこちらだということを日本の人々、その時代の人だけでなく後世も含めた世の中に知らせるのだ、という強い意志の読み取れる歌であります。

「道」というのを、後鳥羽上皇もそうですし、他の例えば後醍醐天皇とかそういう方々が「道」を何を根拠に、参考にしてお求めになったのか、というと大元の元が『日本書紀』に描かれた国のかたち、日本精神、皇位継承でした。今、女性宮家、女系天皇でもいいのではないか、という学者もいる中で、なぜ「男系継承でないと皇室が途絶えてしまうのだ」と言われているかというと大元は『日本書紀』です。戦後の学者は、『日本書紀』に出てくる初代天皇以降しばらくの天皇は実在したかどうか分からない、と言ったりしますが、確固たる史料のうえでどう判断できるかという議論は差し控えるとして、その代々の天皇がどうやって皇位継承されたかが『日本書紀』に全部書かれています。一つの例外もなく男系継承です。様々なお話がある中で、エッセンスをどう読むかが大事なのですが、戦後は「あり得ないようなことを書いているから『日本書紀』はすべて嘘っぱちの物語だ」というような決めつけ方をされてきたのが歴史教育や戦後全体の風潮だったりしたわけです。

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