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【清話会 催物カレンダー】2025. 7月-8月

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【特別インタビュー】白百合醸造・内田多加夫社長
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【特別インタビュー】白百合醸造・内田多加夫社長

「ワインは農業。人と同じくそれぞれに個性がある地元を

大切にすることが、おいしいワインづくりの基本」

ロリアンワイン 白百合醸造(株)

〒409-1315 山梨県甲州市勝沼町等々力878−2

Tel: 0553-44-3131

 

内田多加夫 代表取締役社長

白百合醸造は昭和13年(1938)に、今の内田多加夫社長の御祖父様が創業された。いみじくも清話会と同じ年の創業だ。現在、日本に約330のワイナリーがある(H31年)が、“ワインの里” 甲州・勝沼には約30、山梨県は80のワイナリーがある。世界各国から数多くのワインがエントリーする「デキャンタ・ワールド・ワイン・アワード(DWWA)2021」で、日本のワイン2本がプラチナ賞を受賞したが、そのうちの1本は白百合醸造「ロリアン 勝沼甲州 2019」であった。

清話会では「SENKEN良品クラブ」を立ち上げ、「テロワールなお酒と食品」の通販を手掛けていく予定だが、ご縁があって白百合醸造のワイン、ブランデー(グラッパ)を扱わせていただくことになった。ワイナリーに内田社長を訪ね、その思いとワイナリーの歴史について伺った(聞き手:佐々木俊弥〔清話会 代表取締役〕)。

 

■ワインと、日本酒や

 他のお酒類との違い

――昭和13年(1938)という戦争直前の時期にワイナリーを始められた、そのいきさつを教えていただけますでしょうか。

内田: いま「始められた」と言われました。ところがその時代のワイナリーはすべて「始めた」わけではないのです。ブドウがあるからブドウを絞って、鍋や釜に入れておいておけば自然に発酵してワインになってしまいます。

そもそもワイン造りとはどういうものか。ワインを造る、と言いますが、ワインはできちゃったのです。ブドウがあって、放っておけばアルコールになることは知っている。現代だから酵母菌という言葉を知っています。ワイナリーは酒税法で税金を払わなければなりません。ワイナリーの創設とは言いましても、そこに書類があったからというだけで、その前から皆、造っていたはずです。ブドウを取ってきて置いておけばワインになってしまうのですから。ですからワインは、売るためではなくて、自分たちが飲むために、自宅の裏庭や蔵で造り始めたわけです。

 昭和13年当時、山梨県にはワイナリーが3000軒ありました。私どもも、そもそもは酒、タバコ、塩の小売業でした。その裏で、ワインを造って10人くらいの農家の人たちと飲んでいました。そして近所の人たちと白百合葡萄酒共同醸造組合をつくりました。

 日本人は、ワインを日本酒、清酒、焼酎と同じ部類で考えがちですので、特殊な人が特殊な方法で、特殊な免許を持ってマジックみたいにお酒を造っていると思っているようですが、そうではありません。ですからほとんどのワイナリーが自宅と併設で、本業のほうがなくなってワインのほうが主になっていった、ということです。

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【講演録】100歳マラソンランナー(永田光司)
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【講演録】100歳マラソンランナー(永田光司)

私はいつの間にか100歳9ヶ月になりました。お陰さまで、無病息災でこの歳まできました。人生100歳と言いましても、25年と35年と40年とに分けることができると思います。

25年と申しますと、ちょうど青春時代で、軍国時代に生を受けたものですから、20歳になるとすぐ軍隊に参りまして、5年間、野戦をかけずり回って、25歳で帰って参りました。したがって、25歳から日本の社会勉強ということで、60そこそこで定年となり、この歳まできております。

満州事変が昭和6年に始まり、昭和16年の大東亜戦争まで10年間、軍国主義の世の中でした。終戦が昭和20年、翌年の21年に私は帰って参りました。世の中のことが何も分からない、呆然とした2、3年を過ごしましたが、日本へ帰ってきてから35年間、社会に奉仕させていただいたわけですが、大東亜戦争で300万人以上の戦死者を出して、尊い命を皆さん捧げられて、辛うじて私も命からがら帰らせていただいたわけですが、そういう戦死者の後を受けて、日本の国が復興するわけです。

 戦争も終わり、これから自分のやりたいことをやらせてもらおうという時代に入るときに、われわれは青春時代を全部、昔の軍国時代のときに奪われて、あといよいよ定年、60すぎたらもう何もない。

私は若いときに登山をやっており、山登りが自分も好きでございました。他に趣味も何もありません。1人では山に行けませんので、グループを組んで登山をして、アルプスを相当登りましたから、足には自信がありました。

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第9回「年商30~50億(社員30~100人)を突破させる方法」(小池浩二)

■従業員30人~50人の企業でよく発生する問題点

会社の成長に伴う歪みは、「仕事が増加し、それに対応するために人を急激に入れるから生まれる」。

社員数が50名前後になり、複数事業会社・複数事業部・複数拠点スタイルで運営していく会社には共通の問題が発生しやすくなる。それは、多面的展開経営でやりっ放し体質を持っており、ややもすると膨張成長気味になっていることである。核になる人財候補はいるが、人を動かす方策のパターンがなく、バラバラ状態となりやすい。

組織運営における部門運営の基本は、各部門長の経験や性格に左右されてはいけない。各部門長の経験や性格に左右されると、同じ社名を名乗っているが、別法人の色合いが強くなる。年商30億を突破するためには、この標準化や様々な融合化がポイントになる。つまり組織運営に本格的ギアチェンジをしなければ、規模成長の弊害で会社がうまく回らなくなる。

経営者の取組み方も社長が歩くルールブックとでは、社員の成長を阻み、社内に不満が高まり、本来守らなければならないルールが社員に分からなくなる。つまり、組織自体にリスクが高まるのである。

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【講演録】「中小企業にDXはほんとうに役立つか」(日沖健)

~業種や規模、冷静に見つめて、見据える未来 [ 特集カテゴリー ] ,

【講演録】「中小企業にDXはほんとうに役立つか」(日沖健)

日沖 健(ひおき たけし) 

日沖コンサルティング事務所代表

1965年愛知県生まれ。慶應義塾大学商学部卒業後、日本石油(現・ENEOS)に入社。98年 Arthur D. Little School of Management修了、MBA。2002年 日沖コンサルティング事務所を開業。産業能率大学総合研究所兼任講師、中小企業診断士、中小企業基盤整備機構アドバイザー。

 

  • 幕末の漢学者の例から

荘田平五郎という人の話をまず致します。大分県出身の方か三菱グループの方でなければご存じないと思います。慶応義塾で教えていましたが、岩崎弥太郎に引っ張られて三菱に入り、三菱グループの基礎を築き、「三菱の大番頭」と言われました。

江戸時代の話ですが、江戸に蘭学の修行に行きます。そこで鉛筆、ペンシルというものを手にします。そして、郷里である大分の臼杵に帰ったとき、漢学者の集まりがあり、その中で「これはペンシルというもので、なかなか便利にできておる」と見せるわけです。それを聞いた漢学者の人たちは、2通りの反応をしました。

一つのグループは、これはなかなか面白い、とペンシルを採り入れてやがて洋学に転向しました。大半の人はあまり興味を示さず、毛筆で漢学にとどまった。その後どうなったか。漢学から洋学に転向した人たちは明治時代になってからとても成功した。一方、ペンシルを拒否した人たちは、あまり成功しなかったという話です。

荘田平五郎も大成功するのですが、成功しなかった人の1人が、後に言葉を残しており、荘田平五郎が成功したのは、『要するに、誰よりも早くペンシルを取って活用したからだ』と言っているのです。

荘田平五郎、幕末のペンシルと今のDX、これは非常に似てると思います。世の中には新しいものがどんどんできます。その新しいものを見たとき、新しいものだからと拒否するのと、取りあえず興味を持って試してみる、その違いはけっこう大きいのかなと思います。

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【講演録】「中小企業はSDGsにどう取り組むべきか」(菊原政信)

~もはや大企業のみの課題ではない、その理由 [ 特集カテゴリー ] ,

【講演録】「中小企業はSDGsにどう取り組むべきか」(菊原政信)

菊原政信氏(フィルゲート(株)代表取締役、青山学院Hicon主管研究員)

青山学院大学経済学部卒業。大学在学中よりビジネスを始め、卒業と同時にアメリカ、東南アジアを中心に貿易を行う。その後、システム開発会社の代表を経て、2010年マーケティング・コンサルティングを目的にフィルゲートを設立。次世代小売流通サービスの研究会「Next Retail Lab」代表幹事を務める。

■SDGsに至るまでの歴史

SDGsは一度にできたわけではなく、歴史があります。誰一人取り残さないということで、子どもから大人、各国の方がすぐ分かるものとして、17個の目標を定めていますが、1番から17番のアイコンを見ると、何を意味しているかが小学生でも分かるように考えられています。SDGsは国連で採択されたもので、2030アジェンダは原書で約35ページ。日本語翻訳も国連連合広報センターのホームページからダウンロードすることもできます。

1945年、国連憲章にまず基本的人権や人間に関する問題について定義されたのが始まりです。その後、世界人権宣言(48年)、ストックホルム会議(72年)を経て、87年になって持続可能な開発というSDGsに関連するキーワードが出てきます。やがて92年の地球サミット、2000年の国連グローバル・コンパクトという会議。そこから国連ミレニアム開発目標があり、2015年にSDGsができる、いう流れです。

2015年のSDGs。それに先立つMDGs(ミレニアム開発目標)。これは開発途上国向けの開発目標で、貧困、初等教育、女性、乳幼児、妊産婦の方を平等に扱いましょうということがメインでした。その15年後にSDGsが採択されましたが、17のグローバル目標の下に169のターゲットという、より具体的な行動指針が設けられています。また、それに対応した232の指標が設けられているのがSDGsの構造となっています。このSDGs 2030アジェンダに関しては、国際社会全体が、人間活動に伴って引き起こされる様々な問題を解決するという点に主眼に置いた、それを世界で共通の認識として持ったという画期的な合意であった、と申し上げられます。

その根底をなすのが16番と17番「平和と公正を全ての人に」、世界中の誰もが力を合わせて、地球上の自然の恵みを大切にして、人権が尊重される。そして全ての人が豊かな、感じられるような世界をつくっていく。17番においては、全ての人や企業がそれぞれが役割を持ち、パートナーシップを築いて協力、連携し合う。

17個の目標の中に、包摂的、インクルーシブという言葉が多く出てきます。包摂的とは、誰しもが分け隔てなく、一緒に生きましょうということですから、先日、行われたオリンピック、パラリンピックでも、しきりにインクルーシブという言葉が使われていました。

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