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ボランティア社長老害記―トランプ関税②(小島正憲)

小島正憲のアジア論考
ボランティア社長老害記―トランプ関税② 
1.対米向け繊維輸出自主規制 2.「アーロン収容所」 3.「出でよ角栄」

小島正憲
((株)小島衣料オーナー)

1.対米向け繊維輸出自主規制

1972年、対米繊維輸出自主規制発動。日本の縫製業界に激震が走った。
当時、わが工場は対米向け合成皮革コートを大量生産していた。なお、私は入社4年目の若造であり、この事態に遭遇しても、対処法がまったくわからなかった。

すぐに東京の受注先のD社を訪問し、担当者から今後のオーダーの状況を聞き出した。彼は私に、平然として、「なんの影響もない。引き続きオーダーを出す。心配はご無用」と、自信たっぷりの様子で答えた。私はその答えに安心して、岐阜に帰った。彼にも、今後の成り行きはわからず、適当な返事をしたのだろう。

半年後、D社はあえなく倒産。もちろんオーダーはゼロとなった。しかし、途方に暮れていたわが社に、輸出縫製品組合から、「対米向け輸出で痛手を被った企業の救出策として、政府が遊休設備を全部買い上げる。すぐに手続きをするように」との知らせが入った。

それは、時の通産大臣:田中角栄の英断?であったという。これで、対米輸出縫製を手掛けていた縫製業者の不満の声は、ピッタリと止まった。わが業界は、設備廃棄事業へまっしぐら。「どんな古いミシンでも、動けば新品価格で買い上げる」という条件だったので、このとき、日本中から中古ミシンがすべて消えて無くなったという。

わが社も数十台を廃棄し、約100万円を手にした。おかげで、わが社は内需切り替えに成功した。このとき、最大手縫製業者のN社は約1億円を獲得し、その資金でタイに進出した。海外工場進出の先駆けだった。だが、時期尚早だったのか、10年後倒産。悲喜こもごも。

今では、こんなことを体験しているのは、80歳以上の老人のみとなった。たとえ、老害と謗られても、過去の日本の一局面を語っておくことは、意味のあることではないだろうか。いずれにせよ、角栄はその剛腕で、日米繊維摩擦という外圧を利用して、日本の産業構造を見事に転換させ、日本の高度成長を準備したのである。

余談だが、1992~5年、再び日本中から中古ミシンが全部消えた。日本の人手不足に見切りをつけた多くの縫製業者が、中古ミシンを買い漁り、完全に整備し中国へ持ち出したからである。

2.「アーロン収容所」

始まったばかりの米中関税戦争は、あっという間に、「米中は10、11両日にスイスで閣僚級協議を開き、追加関税を互いに115%引き下げることで合意。うち24%分は90日間停止し、協議を続けることで一致した。この間、米国の追加関税は30%、中国は10%となる。14日から適用する」ということになった。

この決定を、中国の玩具や繊維・アパレル、自動車部品、家電、海運、医薬品などさまざまな分野の企業は、大歓迎した。合意声明の発表を受け、13日には多くの中国企業の株価が上昇した。また、数日前まで行き場を失い、中国の各港に滞留していた大量の対米向け貨物がいっせいに動き出した。

空いていたコンテナも奪い合いになった。わが社の中国工場も、上海港に置いていた対米向けコンテナをただちに出荷した。さらに、受注済みで生産をストップさせていた対米向け製品に、超特急生産ゴーサインを出した。

しかし、わが社は新たな対米向けの受注については、中国工場生産の商談を停止した。なぜなら、まだ30%の関税は残っているし、90日間を待たずして、新たな関税戦争が始まると予測したからである。そのとき、私は、「アーロン収容所」の中の一節を思い出していた。

若きころ私は、会田雄次氏の『アーロン収容所』(中公新書:1962年刊)を読み、そこから多くのものを学んだ。その中の一つに、「欧米流の駆け引き」がある。

太平洋戦争末期、ビルマに進駐していた日本軍は、英軍の大反攻の前に総退却を余儀なくされ、日本軍兵士の多くが捕虜となった。それでも日本軍兵士たちの中には、「地元に残って戦争を続ける」という者など、士気旺盛な兵士も多くいたという。

これらの日本軍兵士の士気をくじくために、英軍は、「心理作戦」を展開した。そのときの多くの捕虜の共通の希望は、「日本への帰還」だったので、ひそかに、しかも意図的に、収容所内に、「日本から帰還船が来る。帰還兵の人選が始まった」という噂を流したのである。

捕虜たちは、帰還の報に接し大喜びし、帰還兵の枠に入ろうと進んで英軍に協力した。数週間後、英軍は、「帰還の話はなくなった」という噂を流した。捕虜たちは意気消沈した。さらに、数週間後、「やはり帰還船は来ることになり、2週間後にヤンゴン港に着く」という噂を流した。捕虜たちは、再び、大喜びした。だが英軍は、その後も、このような作戦を繰り返した、当然のことながら、なかなか帰還船は来なかった。

そのうち、捕虜たちは、いかなる報にも心を動かさなくなり、いわば、腑抜けのような状態になっていったという。英軍は、見事に、心理作戦で日本兵士の士気を喪失させたのである。

もともとトランプ氏は、選挙前、「中国に60%の関税を課す」と公言していた。ところが、選挙後、それが145%になり、その舌の根も乾かぬうちに、30%になった。二転三転。しかも、トランプ氏は、協議がまとまらなければ「関税は大きく上がるだろう」と話しており、米中貿易戦争が再燃する可能性がきわめて高い。

このトランプ関税に振り回され、中国企業は右往左往し、最後には、戦意を喪失してしまうだろう。これが欧米流のやり方である。考えてみれば、トランプ氏の関税戦争の真の目的は、中国の弱体化であり、それを見事に達成することになるのである。

わが社は、対米向け受注に関して、「果報は寝て待て」作戦である。中国企業が対米向け輸出で生き残るためには、中国を脱出して、東南・南西アジアへ拠点を移すのが最適解である。だが中国企業は、トランプ関税に振り回されて、腰を据えて進出できないでいる。

もちろん、目先の利く中国企業は、数年前からベトナムやカンボジアなどに拠点工場を作っている。だが、すでにそれらの国々には、韓国・日本・台湾などから多くの企業が殺到しており、過密状況となっている。それらの諸国では、もはや労働集約型企業の大成功はあり得ない。残った東南・南西アジア諸国の中で、進出余地のある国は、ミャンマー・バングラデシュ・ラオス・インドネシア・フィリピンなどである。

わが社は、バングラデシュ(1700名)とミャンマー(1000名)に工場を構えている。中でも、バングラデシュにはライバルの中国企業が少ない。もともと華僑と印僑は折り合いが悪かったせいもある。中国企業が、今から、バングラデシュへ工場進出しても、低価格で高品質製品が量産可能になるまでには、5年はかかる。放っておいても、米国向けのオーダーは大量にバングラデシュへ流れてくる。その受け皿になるべくわが社は、準備万端。

3.「出でよ角栄」

今、トランプ関税という外圧が日本を襲っている。かねてから、「日本は外圧で変わってきた」と言われている。この際、このトランプ関税という外圧を利用して、日本社会の大改革を行うべきである。巷では、トランプ関税と円安・コメ不足・人手不足などによる物価高騰に対して、減税で立ち向かおうという声が大きい。私は減税という政策には反対である。なぜなら、社会の大改革につながるものではないからである。

かつて田中角栄は、繊維設備廃棄事業などで辣腕を振るっただけでなく、日本列島改造論を打ち出し、日本社会を抜本的に変革した。あれから半世紀、再度、角栄に登場してもらい、広げた大風呂敷を包んでもらおうではないか。

今では、角栄が築いた道路・橋・トンネルなどのインフラ設備が老朽化し、日本列島各地で過疎化が急速に進んでいる。同時に、市街地でも高齢者の孤独死や空き家問題・老朽マンションが大きな問題となってきている。また年金や医療・介護など、制度の崩壊が危惧されている。人口減社会も目前に迫っている。だが、日本政府自体が借金漬けとなっており、身動きが取れない。とうとう米騒動すら起きてきた。日本社会は、八方ふさがりの状況である。

小手先の改革ではなく、産業構造改革を通じた社会変革を行うべきである。そのために、超高齢者は、進んで意識改革を行い、身を挺して、日本社会の構造改革に参画すべきである。トランプ関税という外圧は、それを行うための絶好のチャンスであると考える。私は率先して、海外老人ホームへ出て行く。

 

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  小島正憲氏 (㈱小島衣料オーナー )
1947年岐阜市生まれ。 同志社大学卒業後、小島衣料入社。 80年小島衣料代表取締役就任。2003年中小企業家同友会上海倶楽部副代表に就任。現代兵法経営研究会主宰。06年 中国吉林省琿春市・敦化市「経済顧問」に就任。香港美朋有限公司董事長、中小企業家同友会上海倶楽部代表、中国黒龍江省牡丹江市「経済顧問」等を歴任。中 国政府外国人専門家賞「友誼賞」、中部ニュービジネス協議会「アントレプレナー賞」受賞等国内外の表彰多数。