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焼津を牽引する地域一番企業 ㈱ アンビ・ア(会員企業インタビュー)

増田辰弘が訪ねる【清話会会員企業インタビュー】第28回
85年間絶えず積極的に投資と創意工夫を積み重ね成長を続ける
焼津を牽引する地域一番企業
㈱ アンビ・ア

焼津で多彩な事業展開

JR焼津駅を降りると駅と高架プロムナードでつながった大きな鉄筋7階建ての駐車場ビルがある。私はうかつにもこれが㈱アンビ・アの本社ビル(通称:アンビ・アパークビル、1Fが生活・文化応援型テナント、2Fが㈱アンビ・アの本社事務所、3FからRFは239台収容の自走式駐車場)であるとはつゆ知らず市役所関連の公社所有の駐車場ビルかと思い、同社の松永勝裕社長に「駅は街のシンボルですから駅前にこんな大きな駐車場とは、もう少し駅ビルとか商業施設とか考えて良かったのではないでしょうか」と話してしまった。

駅前にこれだけの不動産を所有する会社、そうなのである。同社は押しも押されもせぬ焼津を牽引する地域一番企業なのだ。しかし、松永社長の立ち振る舞いはそれを微塵も感じさせない。

これだけの会社がどのようにして成立したのか。同社の創業は1941年、先々代の社長が焼津自動車㈱の名称でタクシー事業をスタートしている。その後、52年に自動車分解整備事業および観光バス事業を開始し、旅行事業としては75年に国内旅行を、79年に海外旅行の取り扱いを開始し、83年に一般旅行業の登録を受けている。

そして、1988年にはホテル事業として焼津観光ホテル松風閣(現:ホテルアンビア松風閣)を開業している。その後も、94年にゴルフ練習場事業(リンクス西焼津ゴルフガーデン)、不動産賃貸事業としては2002年に先に述べたアンビ・アパークビルを開業している。また、08年には東名高速静岡IC南側のタクシー静岡営業所に静岡パークビルを新築している。

現在の社員数であるが、ホテル事業が170人、旅行事業が10人、タクシー及び観光バスの旅客運送事業が170人、それに関連するオートサービス事業が20人、ゴルフ練習場事業が10名、不動産事業が10人、本社勤務が10人とまさに多彩で社員総数は400人である。

そして、注目すべきはその個別の一つひとつの事業が工夫を凝らして実に興味深い動きをしている。同社の年商は約40億円で、そのうち16億円をホテル事業で稼ぎ出している。利益のあまり出ない許認可事業であるタクシー事業からスタートし投資を積み重ねて事業規模をここまで持ってきた経営努力には頭が下がる。

■先見の明があったエントランスホール

ホテルアンビア松風閣は、焼津市の北部浜当目の高台にあり、駿河湾と富士山を一望できる景勝地としてはもうこれより上は望めそうもない絶好の場所にある。ホテルから一望する富士山、駿河湾と伊豆連山から昇る日の出の景色など、これはもう映画で見るような世界である。

           和室12.5帖

     8階 プレミアムツイン(2024年春リニューアル)

ホテルの客室は天皇陛下が泊まられた特別室を含めて115室(内和室が85室、洋室が30室)、収容人数は480名である。近年、お客様のニーズは和室から洋室へとシフトしているため、2024年2月に12・5帖の和室14部屋を40㎡の洋室にリニューアルした。

松永社長は、「この商売ほど時代の風の影響を受ける仕事はありません。高度経済成長期は、県外の企業・組合・協会の社員旅行や慰安旅行、地元大口顧客の総会、新年会、忘年会など団体客が花盛りで、こちらがそれほど努力をしなくても商売がうまく回る時代でした。これはタクシー事業も同様です。これがバブル経済崩壊後は経営環境ががらりと変わるのです。旅行形態は団体から個人へ、また、旅行目的は宴会・慰安から研修・癒しへと劇的に変化しました。そしてこのパラダイムシフトについて行けなかった施設は淘汰されました」と話す。

その意味で同社に先見の明があったと思われるのは、ホテルのエントランスホールである。ここはもう帝国ホテルやホテルオークラを思わせる。高さ7mの高い天井、解放感に満ちたロビー、大変失礼な言い方になるが、さかなの街焼津からはイメージできない施設なのである。現在ここでアフタヌーンティーを提供しているが、大自然に抱かれて非日常が体験できる圧倒的な空間を求めて多くの個人客が訪れる。当時、多くの企業は大規模な宴会場やコンベンションホールは整備しても、金を生まないエントランスホールにここまでは考えなかった。

話を伺うと、実は当初、地元の事務所に設計を依頼していたが、どうもしっくりこない。悩んだあげく高額な違約料を支払ってキャンセルし、ホテル建築のやり方を募るため設計施工のコンペを行った。これには6社の応募があり、その中から選んだ会社がこの画期的なエントランスホールを構想したとのことである。

                ロビーラウンジ

■女性客に大人気のアフタヌーンティー

さて、その個人客を中心とした新顧客層に提供するメニューも多彩である。先程述べたアフタヌーンティーは午後2時から5時まで1セット(2名様)4400円から利用できる。これが大変評判で、2日前の18時までに申し込む完全予約制である。春うららの昼下がり、気の置けない仲間と富士山と駿河湾を眺めながら楽しむアフタヌーンティーは最高であろう。

 

  人気のアフタヌーンティー

次に、2階の料亭「美咲」では、駿河湾の海の恵みと四季折々の食材を厳選した会席料理を個室で提供している。料金は1人8800円からで、七五三、還暦や喜寿、米寿のお祝い、ご婚礼両家の顔合わせなどに利用されている。

春の特別宿泊プランは、1泊2食1人2万2000円からで、焼津ミナミマグロをメインとした和会席プラン、国産牛ステーキをメインとしたステーキ会席プランから選ぶことができる。

今、日本のホテル事業は大変な状況にあるが、同社は信じられないくらい経営環境が整っている。

まず、どのホテルも人手不足なのだが、同社はコンスタントに毎年10人ほどの新卒社員を採用している。これは多くのホテルが中途採用やパートタイマー、特定技能の外国人労働者などをかき集めてやっと運営しているのに比べて大変な差である。

松永社長に「外国人労働者は将来考えておられますか」の問いに「まったく考えておりません」との答えが返って来た。この人手不足の時代に近隣の高校や大学から新卒社員を確保して運営できていることを私は最後まで信じられなかった。

第2は、焼津という地域は、熱海や箱根の温泉観光地と違い、ホテル・旅館が少ないため過当競争にならず、また外資などの新興ホテルが進出して来ることもない、建設費が高騰しているため地元資本が参入する可能性も少ない恵まれたポジションである。

第3は、静岡という地域は気候が温暖で、冬場に利用客が急減するなどのリスク要因が少ないことである。同社の客室の年間平均稼働率は70%、年末年始やお盆はほぼ満室、週末も1年中80~90%は集客できている。私が見たところ、これ以上の経営環境は望めない程の状況である。

            大浴場(内湯)

              露天風呂

 ■万全を期したコロナ対策

振り返ると、政府から新型コロナウイルス感染症の拡大防止のため、緊急事態宣言が2020年4月7日から5月6日まで発令された。その後、全都道府県への拡大により5月31日まで延長となり、この年のゴールデンウイークは「三密回避並びに都会と地方の移動も自粛」との政府の要請があり散々であった。

このコロナは実体が解明されていない不安もあり、ホテルアンビア松風閣は社員の感染予防をする目的で5月は1ヶ月間全館休館とした。2020年度のホテル事業の業績は、コロナ禍前の35%の減収、翌年度は更に45%の減収である。直近の2024年度はコロナ禍前80%に戻り、現在に至っても回復の途上にある。

政府は、国内で新型コロナウイルスの感染が低下すると観光需要喚起策を実施し、感染者が増加するとこの喚起策を緊急停止する、これを何度も繰り返して事態の収束を図ったので、当ホテルもこの政策に合わせて営業と休業を繰り返して行政に協力した。

タクシー事業者は、公共交通を担うエッセンシャルワーカー(日常生活になくてはならない仕事をしている人)と称されているが、行政の不要不急の外出自粛要請は運送需要を消失させ、2020年度のタクシー事業の業績は、コロナ禍前の20%の減収、翌年度は更に22%の減収である。直近2024年度はコロナ禍前の80%にまで戻り、ホテル事業と同様、現在も回復の途上にある。観光バス事業、旅行事業もほぼ同様の傾向である。

コロナ禍勃発直後、ホテル料理部はフルーツケーキを調理し献身的な努力をされている医療従事者へ寄贈した。

社員に対しては、休業に伴う所得減を補うため就業規則を変更し、休業手当の増額、社員借入金制度の緩和、副業の許可を行った。

事業の性格上、コロナ対策の管理面では万全を期した。万一、発熱などの症状が訴えられた場合に備え控室を用意した。営業面ではカラオケや客室マッサージを中止し、各セクションの営業時間を短縮した。

静岡県で、安全対策がとられている施設を対象に需要喚起策として、一定金額以上の宿泊・会食利用に際し割引金額の補填と地域クーポン券が付与されるキャンペーンが開催されたのでホテル事業部が参画した。相当数のお客様が利用し売上に貢献していただいた。 

               コンベンションホール

■焼津人気質(インタビューを終えて)

松永社長に焼津駅に迎えに来ていただいた際、その車の中で、「今年の秋のNHKの朝ドラ『ばけばけ』は小泉八雲ですから焼津も盛り上がりそうです」と言われるので、うかつにも私は「え、焼津と小泉八雲は関係があるのですか」と答えてしまった。

と言うのも、その前の週、母の白寿の祝いで島根の田舎に帰ったばかり、現在、松江駅では改札口を降りると「NHK朝ドラ『ばけばけ』決定」と大きく小泉八雲と今回の主役でその妻セツの肖像がどかんとあり、その説明書きが並んでいる。私は、小泉八雲の生涯はその多くを松江で過ごしたと思っていた。

しかし、よく調べて見ると小泉八雲が松江にいたのは僅か1年3ヶ月、これは八雲が気に入って6年間夏ごとに来ていた焼津とそう変わらない。いや、正確に調べると焼津のほうが長いのかも知れない。彼は、松江で教師、その後、熊本で第五高等学校の先生を、神戸で新聞記者を、東京で東京大学、早稲田大学の先生をしているから生涯のほとんどは都会で暮らしている。

小泉八雲が松江と結びつけられるのは、奥さまが松江の人であったことと松江市の宣伝がうまいことだ。松江城、堀川、城下町と小泉八雲が住んでいた家がひとつのセットになって売り出すから効果的だ。

ところが、焼津にも小泉八雲記念館はあるにはあるものの情報発信は単発的で、焼津さかなセンターなどと一緒に地域観光資源として今年は売り出すという気持ちはあまり感じられない。焼津というか静岡は気候が温暖で自然に恵まれているためおっとりしており、あまり抜け目なく動きまわることが苦手なのであろうか。

しかし、小泉八雲はそんな焼津の風土が気に入り、なじみの浜通りの魚屋の山口乙吉の家、その2階がなによりの安息地だったと思われる。そうでなければ明治31年から37年までそんなに長くは通わない。彼の人生の後半は焼津で過ごすことに決めた。そんな感がある。

これが焼津のなんとも言えない風土の良さでもあり、また弱点でもある。せめてJR焼津駅の改札口を出たら、松江駅までとはいかなくとも「NHK朝ドラ『ばけばけ』決定」ぐらいは出すぐらいの商魂はあっても良いではないか。

松永社長は「焼津市観光協会が中心となって焼津を大ばけさせる需要喚起策をスタートさせている。『小泉八雲ゆかりの地! 焼津は譲れない』と語っている。

 


増田 辰弘
〈ますだ・たつひろ〉
1947 年島根県出身。法政大学法学部卒業後、神奈川県庁で中小企業のアジア進出の支援業務を行う。産能大学経営学部教授、法政大学大学院客員教授、法政大学経営革新フォーラム事務局長、東海学園大学大学院非常勤講師等を経てアジアビジネス探索者として活躍。第1 次アジア投資ブーム以降、現在までの30 年間で取材企業数は1,600 社超。都内で経営者向け「アジアビジネス探索セミナー」を開催。著書多数。