小島正憲のアジア論考
緑内障と一神教
小島正憲((株)小島衣料オーナー)
■AIによる緑内障判断
緑内障は、目と脳をつなぐ視神経が障害され、視野(見える範囲)が少しずつ欠けていく病気です。
日本における失明原因の第1位であり、40歳以上の約20人に1人が発症するとされています。
◎2026年時点の最新動向
新薬の登場(2025年末〜2026年): 2025年10月に、新しい作用機序(FP受容体・EP3受容体の両方に作用)を持つ点眼薬「セタネオ点眼液」が発売されました。房水の排出をより強力に促すことが期待されています。
◎症状と特徴
自覚症状が乏しい: 初期は視野の欠損に気づきにくく、かなり進行するまで放置されるケースが多くあります。
不可逆的な障害: 一度失われた視野は、現在の医療では元に戻すことができません。
正常眼圧緑内障: 日本人の緑内障の約9割は、眼圧が正常範囲内(10〜21mmHg)で発症するタイプです。
◎原因となりやすい人
眼圧の上昇: 目の中の液体(房水)の流れが悪くなり、眼圧が高まって視神経を圧迫します。
近視が強い人: 目が前後方向に伸びているため、視神経が傷みやすいとされています。
その他: 加齢、血流不全、遺伝的要因、糖尿病、ステロイド薬の使用などが挙げられます。
◎治療方法
根本的な「完治」はありませんが、眼圧を下げることで進行を遅らせることが唯一の治療法です。
薬物療法: 点眼薬が基本です。
レーザー治療: 房水の流れを改善します(SLTなど)。
手術: 目薬やレーザーで十分に眼圧が下がらない場合に行われます。
◎早期発見のために
40歳を過ぎたら定期検診: 人間ドックなどの眼底検査で早期発見が可能です。
最新の検査 (OCT): OCT(光干渉断層計)などの最新機器により、自覚症状が出る前の極めて初期段階で診断できるようになっています。
より詳細な情報は、日本眼科学会公式サイトや日本眼科医会の解説ページで確認できます。
これは情報提供のみを目的としています。医学的なアドバイスや診断については、専門家にご相談ください。AI の回答には間違いが含まれている場合があります。
1.緑内障と闘って30年
「これは生まれつきの奇形か?」。この言葉は、50代の初め、ある眼科医が目を覗き込みながら、私に発した言葉である。人間ドックで受けた眼底カメラ撮影の結果、視神経乳頭陥凹の疑い=要精密検査の指定をされた。私は、目の異常など全く感じていなかったが、やむを得ず、眼科で精密検査を受けることにした。そして、当時、岐阜で、「口は悪いが、見立てと腕は一級品」と評判が高かったK眼科へ行った。
冒頭の言葉は、その眼科医が発したものである。続けてその医者は、「緑内障の疑いあり。あなたのものは、正常眼圧緑内障と言い、原因不明で治療方法なし」と言い切った。そして、経過観察のため、3か月ごとの通院を言い渡された。私は、その後1年ほど、まじめに通ったが、全く異常がないので、そのうちに緑内障のことなど忘れてしまい、通院しなくなった。
10年ほど経ってから、たまたま通っていた病院に眼科が併設されていたので、緑内障を思い出し、受信してみた。そこの眼科医からは、「このまま放置していたら、失明します。なぜ、まじめに通わなかったのですか?」と、厳しく叱責された。たしかに、そこでの視野検査では、左目の上部の左隅の視野に異常が出ていた。しかし、それでも、「目が見えにくい」などという自覚症状はまったくなかった。その眼科医にしばらく通い、目薬をもらい適当に注していたが、名古屋に転居したこともあって、こことも縁遠くなった。やはり、目に異常は感じなかったからでもある。
名古屋駅近くに移り住んだので、駅近の眼科に行ってみた。ここの視野検査では、視野の欠落が進行していることが、よくわかった。しかし、この眼科は、患者が若者主体で、コンタクトなどが専門のようであり、高齢者向けではなく通いづらかったので、やめてしまった。もっとも、ここでも毎月通い、目薬をもらうだけであった。
数年後、名古屋の文化センターに通っていたとき、近くに大きな眼科があることに気が付いた。調べてみると、そこは名古屋でも超有名な眼科病院だった。毎日たくさんの患者が出入りしているのを見て、私もそこに行ってみた。たしかに規模が大きく、検査機器だけでも数十台あり、所属する眼科医も10人ほどいた。そこでも視力検査や眼圧などを測り、まず、初診眼科医の見立て、その後、予想通り視野検査となり、総合結果診察となった。
私の担当眼科医は物腰の柔らかそうな人だった。視野検査の結果、視野の欠落が左目の左上部の4/1ほどに進行していた。右目は問題なし。その画面を指して、担当眼科医は、「しばらく様子を見ましょう」と言い、3か月に1回の通院、目薬の点眼治療となった。
私は、今度は、まじめに約2年間通院した。ありがたいことに、その間、視野欠落は止まったようであり、自覚症状もなかった。ところが、あるとき、突然、担当眼科医が、「少し、白内障が進んでいるようです。あなたの場合、隅角という涙の出る部分が閉塞しているので、急速に眼圧が高くなり、失明する可能性が高いです。白内障の手術をすると、隅角閉塞が治り、眼圧急上昇も防げます。白内障の手術を受けてみたらどうですか」と言ってきた。私はびっくりして、「しばらく考えさせてください」と答え、その場を逃げた。
それからさらに1年、私とその担当眼科医は、なんども押し問答を繰り返した。すると、あるとき、担当眼科医が、「これ以上、私の言うことを聞かないのなら、突然、失明しても、私は責任をとりませんよ」と、声を荒げてきた。担当眼科医の態度が豹変したので驚いたが、白内障でもないのに、その手術を受けるのには納得が行かず、その場も返答を避けた。
すると、次の診察のときには、いつもとは違う機器で、より緻密な検査が行われた。そして担当眼科医は、眼底写真を見せながら、「ここに異物ができています。私はこれの診断については専門ではないので、次回は専門医に診てもらいます」と言った。1か月後、その専門眼科医に診てもらうと、「あなたの白内障手術のだんどりについては、別室で担当看護士が詳しく打ち合わせます」と言い、すぐに次の患者の診察に移ろうとする。驚いた私は、「話が違います。私は眼底の異物についての診断を聞きに来たのです。白内障の手術はしません」と抗った。すると専門眼科医は、「異物、問題なし。それよりも白内障の手術優先」と言い切った。
私は、それを聞いて、これは患者説得のための巧妙な院内セカンドオピニオン制度だと思った。だが、その後の流れ作業に巻き込まれ、口達者な中年看護師によって、手術予約やレンズ設定などまで、進まされてしまった。そして、その看護師は、「あなたの目は、今でもよく見えているので、ひょっとすると、手術後、前より少し落ちるかもしれません」と言いながら、それらをうまく書きつらねた責任回避のための書類にサインをさせようとした。そのとき、私は、この金儲け本位の眼科病院ときっぱりと手を切る決断をした。
約30年間、私は科学的権威を身にまとった多くの眼科医から、「失明する可能性が高い」と脅かされ続けてきた。だが、今でも失明していない。目はよく見える。もちろん、通ってきた数々の眼科医が出してくれた目薬の効果が大きかったのかもしれない。だが、「突然の失明の恐怖」からは逃れられていない。
岐阜に舞い戻った私は、仕方なく、岐阜の田舎の眼科医に通うことにした。その眼科医は近郷では、名医として評判が高かった。初診のとき、私は、その眼科医に、名古屋の病院の見立てや経過について、詳しく話した。すると、意外なことに、その眼科医は、「そのような学説もあります。しかし確たるエビデンスはありませんから、白内障の手術の必要性はありません。しばらく様子を見ましょう」と言い、それまでの眼科と同じ点眼薬を処方してくれ、「閉塞隅角緑内障と診断された患者様へ…急性緑内障発作を防ぎましょう」と書かれたリーフレットを渡してくれた。
1か月後、その眼科に行き、診察を受けた。眼科医は視野検査の結果に目を通し、「今、あなたは78歳です。50歳のときに緑内障を発症し、約30年間で、左目の左上部1/4が欠損しました。右目はまったく正常です。あなたが、これから90歳まで生きるとして、今までの進行状況から考えて、うまくいけば、見えなくなるのは左目の左半分で済むかもしれません。もっとも両眼失明の危険性もあります。今のところ、緑内障の根本治療法はありませんので、寿命と相談して、心を落ち着けて生きることが大事なのではないでしょうか」と、静かに私を諭した。
私は、この眼科医の仏教の諦観にも似た診察結果を聞いて、心の中のもやもやがすっと消えていくのを感じた。
2.科学万能思想への拝跪
現代日本は、西洋医学という名の科学の恩恵を受けて、世界一の長寿国になった。それでも、不老長寿の国になったわけではない。いまだに先進医学でも、分からないことがほとんどであり、治療法のない病気も未だ多い。
近年、セカンドオピニオン制度が定着しつつあり、患者に治療法の選択肢が与えられるようになった。つまり、医学の世界を通じて、「正解は一つではない」ということを、一般市民に分からせることになったのである。医学のみならず、現代世界は分からないことがほとんどであり、それを分かると言い切り、「正解は一つ」と思い込んでしまい、他人に押し付けることは、大きな偽善であり、犯罪でもある。
明治維新後、日本社会は西洋科学を受け入れて、それに拝跪し、近代国家の建設に邁進した。その結果、軍国主義国家となり、太平洋戦争に突入した。そして、日本は米国の圧倒的力の前に、大敗北した。その後、GHQの指導の下、再度、西洋科学(思想・哲学・医学などを含む)に拝跪し、奇跡の経済復興を遂げた。
だが、あれから80年、最近では、極右が台頭し、首相が日中戦争に言及したり、政府内に核武装を声高に叫ぶ連中がいるようにさえなった。まさに再度、戦争に突入しかねない状態になっている。日本だけでなく、この10年、世界は大きく変わった。欧州各国には、各国に極右勢力が台頭し、あのドイツでもネオナチが力を伸ばしてきた。ロシアは平然とウクライナ侵略を行い、イスラエルのガザ侵攻は終わらない。日本が民主主義の手本としてきた米国は、トランプという狂人を生み出してきている。
たしかに科学の進歩は目を見張るものがあり、人類はその成果を満喫してきた。しかし同時に、その科学が、解決不可能な問題を生み出し、世界を破壊しかねない状況を作り出している。日本が信じてきた西洋科学が、なぜ、このような悲惨な結果を生み出すのを防げなかったのか?
保坂正康氏は、『なぜ日本人は間違えたのか』(新潮新書 2025年7月刊)の中で、「皇国史観には天皇という絶対的な真理と法則があって、そこには唯物史観とほとんど軌を一にするような一神教的論理がある。唯物史観による歴史教育の中では、多神教的な歴史観や史実の見方はすべて右翼的だと切り捨てられた」と、面白い指摘をしている。私はこの指摘から、戦前と戦後の思想の共通点が、「一神教的論理」にあり、それが日本国民を戦争へと追い込んでいったのではないかと考えるに至った。
明治維新後も、太平洋戦争後も、日本人が学んできたものは、科学という名の「一神教的論理」であった。だから、その帰結は同じものとなる。今、私たちは、医学におけるセカンドオピニオンと同じく、「正解は一つではない」ことを認め、異論の併存を許容し、「多神教的論理」の世界を構築すべきなのではないか。
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小島正憲氏 (㈱小島衣料オーナー )
1947年岐阜市生まれ。 同志社大学卒業後、小島衣料入社。 80年小島衣料代表取締役就任。2003年中小企業家同友会上海倶楽部副代表に就任。現代兵法経営研究会主宰。06年 中国吉林省琿春市・敦化市「経済顧問」に就任。香港美朋有限公司董事長、中小企業家同友会上海倶楽部代表、中国黒龍江省牡丹江市「経済顧問」等を歴任。中 国政府外国人専門家賞「友誼賞」、中部ニュービジネス協議会「アントレプレナー賞」受賞等国内外の表彰多数。