全国の遊郭と遊女の祖先

伝統を伝え、育て、革新する伝・Tokyo 若柳 尚雄里 [ 特集カテゴリー ]

全国の遊郭と遊女の祖先 [ 第十回 ]

「恋も誠も世の在る時 人の心は飛鳥川 変はるは勤めのならいぢゃもの 逢はずといっそ去んで呉れう イヤイヤイヤ 逢はずに去んでは此胸が 済まぬ心の中にも暫し 澄むはゆかりの月の影」

 

 元は近松門左衛門の人形浄瑠璃『夕霧阿波鳴門(ゆうぎりあわのなると)』という作品から、文化五年(一八〇八年)に歌舞伎にて書き替えられ、『廓文章』(通称・吉田屋)が初演され、冒頭の歌詞は、日本舞踊での舞台の際の『清元 夕霧』の文句です。

 

 先月号にて大阪新町の廓の成り立ちを少しご紹介しましたが、この舞台は正に大阪新町の吉田屋の格子先へ、年の瀬につい先頃まで、毎夜の様に豪遊していた藤屋伊左衛門が紙衣を着、変わり果てた姿で訪ねて来る場面から始まります。伊左衛門は新町きっての太夫夕霧と恋仲で、放蕩が過ぎ、家から勘当されこの有様。数日振りに夕霧に会ってもすねて見せ、夕霧は思い病にでもなったかと心配していたと話します。そこへ大店(おおだな)の藤屋より勘当が許され、夕霧を身請けする許しの知らせが有り、それと共に千両箱が運び込まれるというファンタジックで、バブリーなあらすじの上方の代表的な作品です。

 第一〇回 尚雄里と日本舞踊~全国の遊郭と遊女の祖先~をテーマにご案内致します。

 

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遊郭の生活

伝統を伝え、育て、革新する伝・Tokyo 若柳 尚雄里 [ 特集カテゴリー ]

遊郭の生活 [ 第八回 ]

【鐘は上野か浅草か その約束を待つ宵の 風も浮気な仲の町 過ごして植ゑし初桜 つい移り気な色も香も 留めて素足の八文字】

 これは長唄【傾城】の初頭の文句です。桜も終わり、新緑に移り変わろうとしております。江戸の旦那衆は、季節が変わる毎につい移り気に、新しくフレッシュな太夫や新造に目移りされていたのでしょうか……。
 

 この度も、尚雄里の日本舞踊は、まだまだ奥の深い吉原仲之町と、また全国にあった吉原についてご紹介したいと思います。

 先号は花魁のファッションについてでしたが、花魁の支度でホテルニューオータニ日本庭園にて久しぶりに出演したイベントでは、約30キロに及ぶ支度で御座いました。江戸時代の吉原での花魁は同じ重さか、または更に重量のあるものだと憶測されます。この度も若衆の肩を借り、高さが五寸から六寸(15センチから18センチ)の三枚歯で、黒塗りの畳付きという高下駄を履き、道中をさせて戴きましたが、これは寛政期(1789年~1801年頃)の江戸後期に完成されたもので、現在受け継がれている花魁道中の形は江戸後期のものというのが解り、この最終的に残ったものが一番華やかで豪華であり、人目を惹くものだと言えるでしょう。

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