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「未払い残業問題をどう解決するか」(上)(神田靖美)

【ニュース・事例から読む給料・人事】
第12回「未払い残業問題をどう解決するか」(上)

神田靖美氏 (リザルト(株) 代表取締役)

■逮捕されても出せない
 
「エステティックサロンさくら」(東京都)の元社員7名が、未払いの残業代総計1500万円を求めて、同サロンを経営する化粧品販売会社「ベルフェム」を提訴しました。同社の会長である佐々木徹氏は「だれが言っても出せないものは出せない。逮捕されても出せない」と発言しています。
 
佐々木氏を擁護するつもりはありませんが、単に「払うカネがない。逮捕されても仕方がない」と言っているだけのようにも聞こえます。労働基準法違反は6か月以下の懲役または30万円以下の罰金が科せられます。このままではいずれかを科せられることになるでしょう。
 
■時給切り下げ・固定残業というアイディア
 
未払い残業代問題の解決策として、労働法が専門である向井蘭弁護士は、「ほとんどの中小企業は(途中略)社員全員の残業代を支払う資金力はないし、社員数を必要以上に増やすわけにもいきません」と断ったうえで、時給を切り下げて固定残業代を支給することを提案しています。
 
たとえばいま、所定労働時間が月160時間である会社で、基本給が30万円(時給換算すると1,875円)である社員に残業代を払っていないものとします。これを、時給を切り下げて基本給20万円(時給換算1,250円)にして、10万円の固定残業代を払う形にするというわけです。この場合、10万円の固定残業代は64時間分に相当します。残業時間が64時間を超えた場合は超過分を別途支払います。逆に残業時間が64時間に満たない場合は、10万円から減額することはありません。
 
さらに向井氏は、総額がいくらかでも増えるようにする、たとえば基本給175,000円+固定残業代13万円で総額305,000円というようにすると、同意する労働者が増えてなお良いとも言っています。未払い残業が時効を迎えるまでの2年間はトラブルを起こさないように注意せよとも言っています(『社長は労働法をこう使え』ダイヤモンド社、2012年)。
 
未払い残業代問題の具体的な解決策を示した点で画期的で、特に総額をいくらか増やすとか、時効を迎えるまでおとなしくしているとかのアイディアは法律家ならではの視点であり、感服します。
 
■未払い残業の多寡という不公平
 
未払い残業問題とは、本来払うべきものを払っていない状況を、人件費総額を増やさずに解決せよという問題です。完全無欠の答えがあるはずがありません。そのことを承知したうえであえて指摘させていただくと、向井氏の案には疑問を感じる点もあります。未払い残業が多い社員と少ない社員の間の不公平をどう解決するのかということです。
 
固定残業代を払うとしたら、基本的にすべての社員を対象にしなければなりません。すると、ほとんど残業をしていないにもかかわらず64時間分もの残業代をもらう社員が出てきます。本当に64時間の残業をしている社員はばかばかしくてやっていられないでしょう。
 
最近は家族手当や住宅手当にさえ、不公平だという考え方があります。残業をしていないのに固定残業代が支給されることは、これらとは比べ物にならないほど不公平だと思うはずです。
 
もちろん、固定残業代が64時間分というのはひとつの数値例にすぎません。これが5時間や6時間だったら、残業をしていないのに固定残業代をもらう人がいても、それほど大きな不満の声は上がらないでしょう。しかし、わずかな固定残業代で解決する程度の未払い残業代なら、きちんと時間比例で払うようにすれば済むことです。
 
このようなスキームを使わなければ解決できないような未払い残業は、ある程度大きな時間数であるはずです。事実、未払い残業がある会社では、ある部門では大量の未払い残業があり、ある部門では残業そのものがほとんどないか、たまにあっても十分に支払われているというケースがほとんどです。
 
■基本給カットは簡単にいかない
 
ある部署は固定残業、ある部署は変動残業というようにすることも、法律的には不可能でありません。それを正当化する論理がないだけです。しかしそれを強行すると、固定残業にした部署の社員だけが基本給を切り下げられ、変動残業の部署の社員は今までどおりの基本給が維持されることになります。
 
上記の数値例で言えば、ある部門の社員は「基本給20万円+固定残業10万円」となる一方で、ある部門の社員は依然として「基本給30万円+変動残業」のままです。賞与や退職金が基本給にスライドしている場合、到底受け入れられる案ではありません。
 
ではどうしたら良いのか、ほかに解決策はないか。これについては次回お話しします。

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神田靖美氏(リザルト(株)代表取締役)

1961年生まれ。上智大学経済学部卒業後、賃金管理研究所を経て2006年に独立。
著書に『スリーステップ式だから成果主義賃金を正しく導入する本』(あさ出版)『社長・役員の報酬・賞与・退職金』(共著、日本実業出版社)など。日本賃金学会会員。早稲田大学大学院商学研究科MBAコース修了。

「毎日新聞経済プレミア」にて、連載中。
http://bit.ly/2fHlO42