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「最低賃金法は必要か」(神田靖美)

【ニュース・事例から読む給料・人事】第17回
「最低賃金法は必要か」

神田靖美氏(リザルト(株) 代表取締役)

■10年間で1.2倍に
 
7月下旬、厚生労働大臣の諮問機関である中央最低賃金審議会は2018年度の法定最低賃金(最低賃金)の目安を全国加重平均で26円引き上げ、874円としました。最低賃金は急激ともいえる速さで上がっています。最低賃金は過去10年間で20%上がりましたが、この間に消費者物価指数(※1) は2.6%、正社員の賃金(※2) は0.7%しか上がっていません。

■「最低賃金制度は必要」は自明ではない
 
「最低賃金法は廃止するべきだ」などと言ったらお叱りを受けるかもしれませんが、実は、法律で最低賃金を決めることが妥当であるかどうかは、専門家の間で合意が形成されているわけではありません。

政府が最低賃金を決めることは、格差の是正や貧困の解消に効果があるように思われます。しかし最低賃金が上がるとパート社員の採用を減らしたり、人件費負担に耐えられずに倒産したりする企業が出てきて、むしろ失業が増えてしまいます。

最低賃金を上げても失業は増えないと主張する研究結果も中にはありますが、そういう研究結果で信頼できるものは、日本にはほとんどないと言われています(※3) 。

最低賃金は失業だけでなく企業収益にも悪影響を及ぼします。最低賃金が上がるほど、企業の売上高営業利益率は低下します(※4) 。この傾向は特にサービス業や小売業、卸売業で顕著で、製造業ではそれほど顕著ではありません。
 
失業率を押し上げ、企業業績を阻害するとしたら、最低賃金制度はない方が良いという主張にも説得力があります。
 
実際、最低賃金が日本の1.5倍高いフランスでは、失業率は10.1%と、日本(3.1%)の3倍以上あります(※5) 。
 
あるいは、世界には最低賃金制度がない国もありますが、そういう国に必ずしも凄惨な低賃金労働があるというわけではありません。たとえばスイスには最低賃金法がありませんが、多くの労働者の賃金は1時間当たり、日本円にして2,500円を上回っていると言われています(※6) 。

■引き上げの影響は高賃金会社も受ける
 
最低賃金を引き上げることは、賃金水準が低い会社ほど、業績を大きく悪化させます。賃金水準が低いには最低賃金ぎりぎりで働く社員が多くいますから当然です。
しかし賃金水準が高い会社でも、影響をまったく受けないわけではありません。自分の賃金は変が変わらず、最低賃金だけが上がって格差が縮まると、どうしてもやる気が下がってしまうからです。

この傾向は、最近の日本のように失業率が低い状況であるほど顕著に現れます。失業率が高くて自分の地位が不安定な状況では、仕事があるだけでもありがたいので、他人の賃金との格差が縮まってもやる気があまり失われませんが、失業率が低くて自分の地位が安定した状況では、仕事そのもののありがたみが下がってしまうからです(※7)。

■最低賃金1,000円時代への準備

政府は最終的に、1時間1,000円に最低賃金の目標を置いていると言われます。最低賃金の引き上げが失業を増やすとしたら、最低賃金近くで雇われている労働者は、失業しないように今からスキルを磨いておく必要があります。

7最低賃金ぎりぎりの労働者を多く使っている会社は、引き上げの影響をもろに受けますから、省力化投資や従業員の教育訓練に力を入れるべきです(本当はその費用を国が助成するべきかもしれませんが)。

最低賃金よりはるかに高い賃金で社員を雇っている会社も、引き上げの影響は皆無ではありません。最低賃金の上昇率を意識した賃上げを検討する必要があります。

 

(※1) 「生鮮食品を除く総合」指数。総務庁統計局による。
(※2) 正確には「一般労働者」の「所定内給与」。厚生労働省「毎月勤労統計調査」による。
(※3) 川口大司『最低賃金と雇用』、2009年、ミネルヴァ書房
(※4) 森川正之『最低賃金と地域間格差』(『最低賃金改革』(2013年ミネルヴァ書房)所収)
(※5) 2016年現在。同年の日本の失業率は3.1%。
(※6) 竹内ひとみ『スイスの労働事情』(『日本労働研究雑誌』2018年7月号所収)
(※7) 森知晴『最低賃金と労働者の「やる気」(『最低賃金改革』(2013年ミネルヴァ書房)所収)

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神田靖美リザルト(株) 代表取締役)

1961年生まれ。上智大学経済学部卒業後、賃金管理研究所を経て2006年に独立。
著書に『スリーステップ式だから成果主義賃金を正しく導入する本』(あさ出版)『社長・役員の報酬・賞与・退職金』(共著、日本実業出版社)など。日本賃金学会会員。早稲田大学大学院商学研究科MBAコース修了。

「毎日新聞経済プレミア」にて、連載中。
http://bit.ly/2fHlO42