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「令和2年8月15日の靖国神社」(日比 恆明)

【特別リポート】
「令和2年8月15日の靖国神社」

日比 恆明氏(弁理士)

今年も8月15日がやってきました。毎年8月になるとテレビ局、新聞、雑誌では終戦にからんだ記事や報道が目立ち、いわゆる「戦争物」の特集が組まれています。今年は終戦から75年目となることから、マスコミ各社は75回目の終戦の日の特集を報道しています。

今までは40年目、50年目、60年目の10年ごとの節目になると、マスコミは大きな戦争物の特集を組むのが常でした。今年のように75年という中途半端な年次で特集を組むのは異例のことです。

このようになったのは、次の節目である80年目になると証言や証人の取材ができなくなるからです。最後の現役召集兵は大正14年生まれであることから、80年目の終戦特集では体験者は100歳となり、取材は困難となります。このため、マスコミは切り上げて75年目を最後の節目と設定したのではないかと推測されます。

戦争が風化していく、と各マスコミは嘆いていますが、戦後生まれの人が人口の80%以上になったのですから風化するのは仕方ないことでしょう。

今年は年初からコロナ騒動で始まり、現在も続いています。連日コロナウイルスに感染した人数や感染状況のニュースが一番目に報道されています。コロナウイルスの特効薬は未だ見つからず、ワクチンの完成は見通しが立っていない状況では、自分の身を守るのが第一で関心が高いからです。

感染が沈静化するには最低2年はかかるのではないかと言われ、その間は不要不急な外出や他人との接触を避けるしか対処の方法がありません。その影響により、飲食店、小売業者では売上げが減り、工場は操業を短縮したことで経済活動が萎縮しています。

コロナ騒動は人命にかかわるばかりでなく、景気の減少を招くことになりました。17日の政府発表では、日本の今年のGDPは-27.8%となり、戦後最悪となりました。正常化するにはこれから5年はかかると想定されます。
 
コロナ騒動と同時進行して、米中の貿易戦争が活発化しました。米国では中国製の通信機器(ファーウエー製)などを輸入禁止し、英国、オーストラリアも同調することになりました。中国製の通信機器を使用することの危険性は以前から問題となっていて、それを実行したのです。

また、米国は中国の在米総領事館の閉鎖をすると、中国も米国の在中総領事館を閉鎖させることになりました。続いて、7月になると香港で国家安全維持法が施行され、一国二制度が崩壊することになりました。
 
このような世界情勢は第2次大戦の前夜のようであり、どこかで局地戦が始まるかのような様相となってきました。そうならないことを願っているのですが、将来の国益にかかわることであるため、各国とも一歩も引けないようです。何とか平和な状態を維持して欲しいというのは一市民のささやかな願いです。

コロナウイルスが蔓延するため、今年の靖国神社では今までになかった措置を嵩じてきました。恒例の花見、みたま祭りなどの行事は全て中止となりました。高齢者の参拝が多い靖国神社の特殊性があることから、ウイルス感染で高齢者に万一の事態が生じることを避けるためでしょう。
 
今年の戦没者追悼では、異例の「分散参拝」の措置を取りました。例年なら、8月15日に戦没者追悼を行うのですが、今年は8日から16日の間を追悼週間とし、「この期間に分散して参拝して頂きたい」と告知しました。多数の参拝者が15日に集中すると、密集により爆発的なコロナ感染が発生するおそれがあるからです。また、閉門も従来よりも早めて、午後4時となりました。
 
このような措置により、参拝者は13日、14日に分散したようで、今年の8月15日の参拝者数は例年に比べて減少しました。各年度の参拝者数は下記のようになります。
  2018年8月15日  6万4千人
  2019年8月15日  4万9千人
  2020年8月15日  2万4千人


                 写真1
 
写真1は12時50分の神門前の参拝者の列です。また、写真2は同時刻の参拝者の列の最後尾で、警備員はマイクで「ここは最後尾です。参拝まで1時間かかります」とアナウンスしていました。この日の気温は35度で、余りの暑さに参拝を諦めて帰宅される方もお見えになりました。私が滞在していた間に、熱中症で救急車で搬送された方が2名お見えになりました。


                  写真2


                 写真3
 
参拝者数が減少したのに行列が長くなったのは、人の密集を避けるために行列の間隔を空けたからです。写真3は拝殿前の最前列で、石畳には立ち位置を示すテープが貼られていて、参拝者はこの間隔で待機することになりました。


                 写真4
 
境内の至る所に、コロナ感染を防止するための注意が書かれた掲示板が立てられていました。その数は数十基になるのではないか、と思われました。靖国神社ではコロナ感染対策に相当な対策を案出し、万全の準備をしたのでしょう。


                 写真5
 
例年であれば、境内で日本会議による追悼集会が行われるのですが、今年は取り止めとなりました。その代わり、数十名の役員のみが集まって追悼を行ったようです。この追悼式典はウエブで同時放送されていたようです。写真5は、日本会議に参加する役員を会場へ導いていた案内人です。


                 写真6
 
例年であれば、日本会議により大テントが張られる大村益次郎像脇の広場には何もなく、静かなものでした。例年であれば、政治団体や宗教団体で騒がしい境内なのですが、今年に限って言えば各種団体の参拝は少なくなったようです。また、例年、木陰で軍歌を歌う集団も中止したようです。参道では参拝者だけが静かに行列していて、このような静寂な参拝をする終戦の日もあっていいのではないかと思われました。


                  写真7


                  写真8

九段坂の歩道の両側には、今年も各種団体のチラシを配る人が並んでいました。日本人によるチラシ配りばかりでなく、ウイグルの強制収容に反対するウイグル人、法輪功を宣伝する中国人、台湾の独立を宣伝する台湾人もいて、国際色が豊かです。写真8は今年になって初めて見かけた団体で、シベリア抑留の真相を追求するビラを配っていました。


                  写真9


                  写真10
 
例年10時には能楽堂前で白鳩を放鳥して、戦没者を慰霊する行事があります。コロナ騒ぎにもかかわらず、今年も実施されました。名物となった講釈師の宝井琴調師匠が放鳥会の趣旨を説明されてました。しかし、今年はフェイスシールドを被っての説明でした。暑い中でフェイスシールドを被っていおられるのは大変なことでしょう。
 
いつもは、放鳥会に参加される人が1羽づつ白鳩を抱え、宮司の発声で一斉に白鳩を放つのですが、今年は違ってました。密集を避けるため、参加者による放鳥は取り止め、鳥籠から放つことにしました。宮司の発声で、係員が鳥籠を開けると白鳩が飛び立っていきました。何時もなら群衆が多くて白鳩が飛び立つのがハッキリと見えないため、このような放鳥の方法でも良いのか、と感じました。


                 写真11
 
参拝者の列の中には、このような人も見えました。何と、スケードボードを持参されてました。スケードボードは凶器でもないので、何を持ち込もうとも自由なのですが、ここまですると少々行き過ぎではないかと思われました。


                 写真12


                写真13
 
今年、若者による勉強会を見かけました。写真12は靖国神社の歴史を勉強する会のようで、数十人規模の比較的多人数の集団でした。どうもネットなどで参加者を集めたようで、正面に立っている男性が主催者のようでした。

写真13は神社の研究をしている集団のようで、正面の男性は印刷した説明文を示しながら神社というものを解説していました。何れの集団も、主催者と参加者は以前からの知り合いではなく、この日に初めて会ったような雰囲気でした。
 
ただ、参加者にこの勉強会の主催者、趣旨などを尋ねてもハッキリとした回答をしてくれませんでした。何となくぼやかした返答しかしてきません。悪いことをしているのではないため、集会の目的や内容を回答してくれてもいいと思うのですが。政治がらみの問題になることを避けるための対応かもしれませんが、何となく気分が悪いものでした。


                 写真14


                  写真15


                 写真16
 
今年も、安倍首相は千鳥ケ淵戦没者墓苑に参拝され、白菊を捧げられました。しかし、過去の写真と比べると少々違っていました。今年の花束に添えられた名札には「内閣総理大臣 安倍晋三」と記されていました。

2018年、2019年の名札では「内閣総理大臣」とだけ記されていました。どのような理由で首相の個人名が記されたのか不明です。小さなことですが、首相の心境に変化があったのではないかと推測されます。