[ 特集カテゴリー ] ,

「人生100年時代の勘所」(小島正憲)

【小島正憲の「読後雑感」】
「人生100年時代の勘所」 

小島正憲氏((株)小島衣料オーナー)

1.高齢者の最大のリスクは車の運転

私が、今、通っているカルチャーセンターの日本史講座は、100名ほどの高齢男性で盛況である。その講座で、先日、講師が、「この中で、車の運転を続けている人、手を挙げてください」と、面白い質問をした。すると高齢男性たちのほとんどが、いっせいに勢いよく手を挙げた。次いで、講師が、「運転免許の返上を考えている人は?」とたたみかけて質問すると、今度は、ちらほらと手が挙がるだけだった。その上で、講師が、「なぜ返上しないのですか?」と問うと、これまた、いっせいに「不便だから」という声が上がった。

思わず私は、周囲の白髪や禿げ頭の男性たちを見回し、「だったら、このお爺さんたちは、いつ、返上するのだろうか? 死ぬ直前まで運転するのだろうか?」などと思った。私は、72歳で車の運転をやめ、今度の更新時期(76歳)で運転免許返上を決めている。どうも高齢者の間では、私は少数派に属するようである。

高齢者の最大のリスクは、車の運転である。いわゆる3K、健康でも、カネでも、孤独でもない。高齢者に限ったことではないが、現代人は車社会の便利さと引き換えに、交通事故というリスクを背負っている。交通事故は、被害者・加害者双方の人生を、一瞬のうちに暗転させる。

ことに高齢者の運転は、反射神経が鈍っており、しかも大なり小なり認知症の影響を受けているので、きわめて危険である。残念ながら、巷に溢れかえっている高齢者への生活指南本でも、この点の指摘は決定的に欠落している。
 
2019年4月、東京・池袋で旧通産省工業技術院の元院長・飯塚被告(当時87歳)が運転する車が暴走し、松永真菜さん(当時31歳)と長女・莉子ちゃん(当時3歳)の2人の命が奪われ、そのほか7人が重軽傷を負う大惨事が起きた。被害者家族の人生は一瞬のうちに奈落の底へ突き落された。この事件の加害者の飯塚氏は、元高級官僚であったこともあり、上級国民と揶揄されたが、彼の輝ける人生も一瞬のうちに、崩壊した。  

飯塚氏は、その後の裁判で、「もう少し早く運転免許を返上していればよかった」と語っているが、時すでに遅し。齢90にして、獄に繋がれることは必至だろう。運転継続中の多くの高齢者も例外ではなく、獄に繋がれるリスクを背負っていると強く認識すべきである。だから、後期高齢者になる前に、思い切って、運転免許を返上するべきである。運転免許返上は、高齢者が晩節を汚さないために、絶対に必要なことである。

返上は70代が限界である。なぜなら、車の運転を長く続けると、足が衰えるからである。衰えた脚力を鍛え直そうと思っても、80代になってからでは遅いと思う。だから後期高齢者になる前に返上すべきなのである。

私は72歳で車の運転をやめたが、しばらくの間、5千歩が限界だった。それから少しずつ伸ばし、1年後には2万歩にまでたどりついた。最近では、低い山ならば、口笛を吹きながら歩ける。だが、それも少しでもサボれば、また歩けなくなる。しかし、運転をやめてしまったので、どこに行くのにも、とにかく歩くより仕方がない。その結果、脚力の衰えを防ぐことができている。

最近、「50代から、70代での運転免許返上を覚悟して住む場所を選択するべきだ」思うに至った。定年問題の専門家の楠木新氏は、「70代以降になって生活の便利な場所への引っ越しを選択する人がいる。将来運転免許の返上や、足膝腰の不調を考慮に入れるとスーパーなどへの移動が大変になるという見通しがあり、レストラン、役所、銀行、病院、駅など生活に必要な施設がすべて徒歩圏内にある居場所が選択肢の中に入ってくる」(「定年後の居場所」 朝日新書)と書いている。

たしかに、私も、老人ホームにお世話になるまで(80代後半から90代)の居場所として、駅チカ(近)を選択すべきであると思う。なお、博物館、美術館、映画館などの近くに居場所を構えることも、知的興味心を衰えさせないために必要なことである。

なお、現在50歳の人たちが70~80歳になるころは、社会状況がかなり変わっているだろう。若いころ、田舎暮らしに憧れて地方に移住しても、その生活が続行不能になることが予想される。なぜなら、少子化に伴い、社会は縮小へと向かい、財政難から地方のインフラ整備は切り捨てられることになると思われるからである。

もちろん、電気も水道も自力で調達し、災害時も支援を求めない覚悟であるならば、それも結構である。いずれにしても、50歳代での決断が、人生100年時代の生活の質を左右する。

2.50代が人生100年時代のターニングポイント

50代半ばのころ、私は日々の仕事などに忙殺され、自らの人生に嫌気がさしていた。そんなとき、親しい先輩に、「なんとかこれを乗り越えて、60代になったら自分の好きなことをやりたい」と、愚痴った。すると先輩は、「それは違う。60代はもっと忙しいぞ。子供が結婚・出産、親の介護・死亡、すべて60代に起きる。だから60代には時間がない。そこを過ぎて70代になると体力がなくなり、何もできなくなる。だが、50代には体力はある。時間をひねり出して、50代を力一杯生き抜き、成果を出し、その後の人生の展望を切り拓け」と、厳しく言われた。

そのとき私は、この先輩の言葉を聞き流してしまった。しかし、先輩の忠告通り、60代は超多忙だった。また70代に入ってみると、体力がガクンと落ちた。先輩のあの教えはピッタリだった。今から思えば、あの忙しい50代が、勝負の時だったのだ。最近、巷での定年指南本には、50代の決断の重要性を説くものが多い。つまり、あの先輩のように、50代が人生100年時代のターニングポイントと指摘する識者や先達が多いのである。

楠木新氏は、
「定年後の60歳から74歳までは仕事もひと段落ついて、家族に対する扶養義務も軽くなり、かつ自立して活動できる人生の大切な期間だという意味で、“黄金の15年”と名づけた。人生100年とはいっても70代後半にもなれば、他人の介助や援助を受けることも考慮に入れなければならない。まずは自立して活動できる70代半ばまでを目途に自らの生活を検討すべきだと考えている」
「やはり定年以降の人生をどのように過ごしたいかという自身の主体的な意思や姿勢が大事になってくる。そう考えると、50代から“定年後”に向けて助走することが妥当に思えてくるのだ」
(「定年後の居場所」 朝日新書 2021年5月30日)
と書いている。

得丸英司氏は、
「50代で一度立ち止まり、これまでの来し方を振り返るとともに、定年後のライフデザインをじっくり描くことで、定年後の人生にポジティブに向き合えるのです」、「サラリーマンが第2の人生に向けて再スタートを切るとしたら、多くの人にとってそのタイミングは50代に入った頃からということになるでしょう」
と言い、「50代再生プログラム」(「“定年後”のつくり方」 廣済堂新書 2021年2月1日)なるものを提起している。

大江英樹氏は、「再雇用で働くのはやめなさい」と忠告し、その理由も述べている。ことに、「もし転職や起業を考えるなら、60歳で現役を終えた時が最もよいタイミングです」と書き、その上で、「早く、“成仏”すべし」と言い、「“成仏する”とはどういう意味なのか? これは実際にサラリーマンで50代ぐらいになってこないとなかなか実践することは難しいでしょう。一言で言うと“成仏”とは、いつまでも会社人生にこだわらないで新しい人生に向かう、ということなのです」(「定年前、しなくていい5つのこと」 光文社新書  2020年12月30日)と書いている。

佐藤優氏は、「人生後半の準備は50代からのスタートが不可欠」と説き、「一般的には60歳、還暦を迎える前後で価値観と人生のシフトチェンジが求められます」、「60代からは、ビジネス社会の価値観と競争原理から外れたところで自分の人生を再構築するわけですが、通常この転換は50歳になるくらいから次第に目の前に迫ってきます」、「都会生活を捨てて田舎暮らしをするのもひとつの選択ですが、それが上手くできるのは体が丈夫な50代までと考えた方が無難でしょう」(「還暦からの人生戦略」 青春新書  2021年6月15日)と書いている。

 

\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\
清話会  小島正憲氏 (㈱小島衣料オーナー )
1947年岐阜市生まれ。 同志社大学卒業後、小島衣料入社。 80年小島衣料代表取締役就任。2003年中小企業家同友会上海倶楽部副代表に就任。現代兵法経営研究会主宰。06年 中国吉林省琿春市・敦化市「経済顧問」に就任。香港美朋有限公司董事長、中小企業家同友会上海倶楽部代表、中国黒龍江省牡丹江市「経済顧問」等を歴任。中 国政府外国人専門家賞「友誼賞」、中部ニュービジネス協議会「アントレプレナー賞」受賞等国内外の表彰多数。