【講演録】「岸田政権と日本経済のこれから」(吉崎達彦)

~コロナ禍の日本を浮揚させることはできるか [ 特集カテゴリー ] ,

【講演録】「岸田政権と日本経済のこれから」(吉崎達彦)

吉崎 達彦((株)双日総合研究所チーフエコノミスト)

 

1960年富山県生まれ。一橋大学卒、日商岩井㈱入社。広報誌『トレードピア』編集長、米ブルッキングス研究所客員研究員、経済同友会代表幹事秘書・調査役などを経て企業エコノミストに。日商岩井とニチメンの合併を機に2004年から現職。『モーニングサテライト』等でコメンテーターを務める。

■サプライズのないバイデン大統領

 進むインフレとFRBの出方

11月最後の木曜日に行われる感謝祭という習慣は、北米だけで欧州にはありません。つまり、植民地であるアメリカとカナダにやってきた人たちが、今年の秋に収穫がなかったら全員、飢え死にだという切羽詰った状態でやってきて、それで秋の収穫に対して感謝を捧げる日で、大変重い意味のある日です。この感謝祭を過ぎると、翌日がブラックフライデーで、年末商戦の始まりです。お店が黒字になるからブラックだという話です。

政治の立場から言うと、この感謝祭の11月25日前にいろいろ済ませておかなければいけない。例えば、大きな法案はできればこの前までに通したい。もう一つ、バイデン政権は昨日(11月23日)石油の戦略備蓄の放出を発表しました。アメリカは常に石油を備蓄しており、場所はルイジアナ州ニューオーリンズの近くです。ここはミシシッピ川の河口です。つまり、石油が何かのときはミシシッピ川を遡って、全米各地に供給できるようになっています。これを緊急放出する。そうやって石油価格を少しでも下げたい。

バイデンさんは、やることが非常に丁寧で念が入っています。日本政府にも付き合ってくれ、おたくも石油備蓄あるだろう、ということで、日本は苫小牧の港の反対側の所に、大きな備蓄基地があります。ただ、日本政府はそこまでやるつもりはなくて、余りの部分を放出して、お茶を濁すということです。

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~若き農業法人社長の挑戦 [ 特集カテゴリー ] ,

【講演録】「農業の無限の可能性にかける!」(中森剛志)

中森剛志(中森農産(株)代表取締役) 

1988年東京都生まれ。東京農業大学農学部卒業。在学中より「日本の農業に一生を賭ける!」を合言葉に活動。日本農業最大の課題は生産分野にあるとの確信から25歳の時に埼玉県加須市へ移住。27歳で稲作農家として独立、翌年法人化。JGAP・有機JAS認証事業者。埼玉県稲麦作経営者会議理事。

 

■25歳で就農、なぜ米の

大規模農場化を目指したか

私は今、農業をやっていますが、東京生まれでもともと農家ではありません。今年、農業を始めて6年目で、今33歳です。東京農業大学の農学部で「日本の農業に一生を賭ける」を掲げて学生時代を過ごし、青果流通業や飲食業を東京で営んでいました。同時に、超党派のシンクタンクやスローフード協会に関わって、農業に貢献できる形で動いてきました。

25歳のときに、様々考えた上で農業生産のほうに行かなければ、日本農業の課題が解決できないという結論に自分なりに至り、埼玉県加須市に移住し、メガファームの構築を目指すということを、ここ5、6年やっています。

加須市で1年半、米作りを大規模にやっている早川農場さんで研修を受け、2016年に独立就農しました。お米作りで10ha。17年、18年と毎年、規模を拡大し、今年は150ha、作付け延べ面積だと200haぐらいやっております。米、麦、大豆、サツマイモ、日本で四大作物といわれるものを栽培しています。同時に有機栽培の取組みもどんどん増やしていて、今年は15 haぐらいやっています。

今は社員が10人ほどいます。資材は普通に卸やメーカー、JAから仕入れており、出荷先は、ほとんど卸売業者で、流通業者に販売する前に、間に入ってもらっている形です。今年、このコロナ禍で非常に米価が下がっており、2年前に比べ半値ぐらいになっています。輸出米も同じくほぼ半値です。弊社は契約栽培で大ロットで出していますので、それほど影響は受けていないというのが正直なところです。

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【特別インタビュー】白百合醸造・内田多加夫社長
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【特別インタビュー】白百合醸造・内田多加夫社長

「ワインは農業。人と同じくそれぞれに個性がある地元を

大切にすることが、おいしいワインづくりの基本」

ロリアンワイン 白百合醸造(株)

〒409-1315 山梨県甲州市勝沼町等々力878−2

Tel: 0553-44-3131

 

内田多加夫 代表取締役社長

白百合醸造は昭和13年(1938)に、今の内田多加夫社長の御祖父様が創業された。いみじくも清話会と同じ年の創業だ。現在、日本に約330のワイナリーがある(H31年)が、“ワインの里” 甲州・勝沼には約30、山梨県は80のワイナリーがある。世界各国から数多くのワインがエントリーする「デキャンタ・ワールド・ワイン・アワード(DWWA)2021」で、日本のワイン2本がプラチナ賞を受賞したが、そのうちの1本は白百合醸造「ロリアン 勝沼甲州 2019」であった。

清話会では「SENKEN良品クラブ」を立ち上げ、「テロワールなお酒と食品」の通販を手掛けていく予定だが、ご縁があって白百合醸造のワイン、ブランデー(グラッパ)を扱わせていただくことになった。ワイナリーに内田社長を訪ね、その思いとワイナリーの歴史について伺った(聞き手:佐々木俊弥〔清話会 代表取締役〕)。

 

■ワインと、日本酒や

 他のお酒類との違い

――昭和13年(1938)という戦争直前の時期にワイナリーを始められた、そのいきさつを教えていただけますでしょうか。

内田: いま「始められた」と言われました。ところがその時代のワイナリーはすべて「始めた」わけではないのです。ブドウがあるからブドウを絞って、鍋や釜に入れておいておけば自然に発酵してワインになってしまいます。

そもそもワイン造りとはどういうものか。ワインを造る、と言いますが、ワインはできちゃったのです。ブドウがあって、放っておけばアルコールになることは知っている。現代だから酵母菌という言葉を知っています。ワイナリーは酒税法で税金を払わなければなりません。ワイナリーの創設とは言いましても、そこに書類があったからというだけで、その前から皆、造っていたはずです。ブドウを取ってきて置いておけばワインになってしまうのですから。ですからワインは、売るためではなくて、自分たちが飲むために、自宅の裏庭や蔵で造り始めたわけです。

 昭和13年当時、山梨県にはワイナリーが3000軒ありました。私どもも、そもそもは酒、タバコ、塩の小売業でした。その裏で、ワインを造って10人くらいの農家の人たちと飲んでいました。そして近所の人たちと白百合葡萄酒共同醸造組合をつくりました。

 日本人は、ワインを日本酒、清酒、焼酎と同じ部類で考えがちですので、特殊な人が特殊な方法で、特殊な免許を持ってマジックみたいにお酒を造っていると思っているようですが、そうではありません。ですからほとんどのワイナリーが自宅と併設で、本業のほうがなくなってワインのほうが主になっていった、ということです。

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【講演録】100歳マラソンランナー(永田光司)
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【講演録】100歳マラソンランナー(永田光司)

私はいつの間にか100歳9ヶ月になりました。お陰さまで、無病息災でこの歳まできました。人生100歳と言いましても、25年と35年と40年とに分けることができると思います。

25年と申しますと、ちょうど青春時代で、軍国時代に生を受けたものですから、20歳になるとすぐ軍隊に参りまして、5年間、野戦をかけずり回って、25歳で帰って参りました。したがって、25歳から日本の社会勉強ということで、60そこそこで定年となり、この歳まできております。

満州事変が昭和6年に始まり、昭和16年の大東亜戦争まで10年間、軍国主義の世の中でした。終戦が昭和20年、翌年の21年に私は帰って参りました。世の中のことが何も分からない、呆然とした2、3年を過ごしましたが、日本へ帰ってきてから35年間、社会に奉仕させていただいたわけですが、大東亜戦争で300万人以上の戦死者を出して、尊い命を皆さん捧げられて、辛うじて私も命からがら帰らせていただいたわけですが、そういう戦死者の後を受けて、日本の国が復興するわけです。

 戦争も終わり、これから自分のやりたいことをやらせてもらおうという時代に入るときに、われわれは青春時代を全部、昔の軍国時代のときに奪われて、あといよいよ定年、60すぎたらもう何もない。

私は若いときに登山をやっており、山登りが自分も好きでございました。他に趣味も何もありません。1人では山に行けませんので、グループを組んで登山をして、アルプスを相当登りましたから、足には自信がありました。

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第9回「年商30~50億(社員30~100人)を突破させる方法」(小池浩二)

■従業員30人~50人の企業でよく発生する問題点

会社の成長に伴う歪みは、「仕事が増加し、それに対応するために人を急激に入れるから生まれる」。

社員数が50名前後になり、複数事業会社・複数事業部・複数拠点スタイルで運営していく会社には共通の問題が発生しやすくなる。それは、多面的展開経営でやりっ放し体質を持っており、ややもすると膨張成長気味になっていることである。核になる人財候補はいるが、人を動かす方策のパターンがなく、バラバラ状態となりやすい。

組織運営における部門運営の基本は、各部門長の経験や性格に左右されてはいけない。各部門長の経験や性格に左右されると、同じ社名を名乗っているが、別法人の色合いが強くなる。年商30億を突破するためには、この標準化や様々な融合化がポイントになる。つまり組織運営に本格的ギアチェンジをしなければ、規模成長の弊害で会社がうまく回らなくなる。

経営者の取組み方も社長が歩くルールブックとでは、社員の成長を阻み、社内に不満が高まり、本来守らなければならないルールが社員に分からなくなる。つまり、組織自体にリスクが高まるのである。

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