[ 特集カテゴリー ] ,

「なにをなすべきか」(小島正憲)

小島正憲氏のアジア論考
「なにをなすべきか」 

小島正憲氏((株)小島衣料オーナー)

1.コロナ禍でわかったこと

この2年間、現代の人間社会はコロナウイルスに振り回された。多くの人々がその犠牲になったが、結果として、「現代社会には、まだわからないことが多い」ということがわかった。

たとえば、「なぜ、世界の中でも、日本人の死者数が飛びぬけて少ないのか」「なぜ、デルタ株は急速に終息したのか」「ワクチンは有効なのか」などなど。多くの科学者や識者がメディアに登場し、科学的エビデンスという名のもとに、多くの数字を上げ、喧々諤々と論を戦わせた。

しかし、すべての登場者が行き着いた先は、「わからない」という結論だった。そこで出てきたのが、「有効なコロナ対策は、旧態依然としたマスク、手洗いなどの習慣だった」という説である。そこに科学的エビデンスはないが、案外、この説が的を射ているのかもしれない。

日本は明治維新と太平洋戦争の二度にわたって、西欧に敗北し、西欧の近代思想に拝跪することになった。その結果、科学的エビデンスという名のもとに、すべてのことを数字で比較し、判断することに飼い慣らされてきた。今回のコロナ禍は、現代社会を科学的エビデンスという視点からだけ分析しようとする限界を浮き上がらせたのかもしれない。

現代社会には、結局、まだまだ「わからない」ことが多いのである。だがしかし、我々は、「わからない」ことを、そのままにせず、科学的エビデンスとやらだけを信じ込まず、新たな思想や視点をみつけだし、コロナウイルスとの闘いに勝利しなければならない。

2.「なにをなすべきか」

①レーニンの「なにをなすべきか」

私は、学生運動中、共産党の上部組織から学習指定文献としてレーニンの「なにをなすべきか」を読むように指導された。しかし何度読んでも難しくて「わからなかった」。マルクスの「資本論」に至っては、最初の数ページを開いただけで、いつも寝込んでしまい、そのまま机の上の飾りになっただけだった。

だが、史的唯物論を簡単に解説した「社会のしくみ、歴史のすじみち」(民青の指定文献)を読み、共産主義社会が必然的に到来することを信じ込んだ。また、「歌ってマルクス、踊ってレーニン」と揶揄された運動に、心を躍らせ、熱情に浮かされ、飛び込んで行った。 

佐藤優氏は、『激動日本左翼史(学生運動と過激派 1960-1972):池上彰・佐藤優対談』(講談社現代新書)の中で、「なぜ左翼は過激化と自滅の道を歩んでしまったのか。左翼の“失敗の本質”から学ぶべき教訓は山ほどあるが、何より自らの命を投げ出しても構わない、他人の命を奪うことにも躊躇しない“思想の力”の恐ろしさを知ることが大切だと考えている」と書いている。私も、「思想の力」の虜になった一人であるだけに、この佐藤氏の言葉は身に沁みる。

たしかに、学生運動中、次々と生起してくる政治課題に疑問を持つことも多かった。しかし私は、それらを突き詰めて考えることをせず、上部の方針を鵜呑みにして、「わからないまま」実践行動を優先した。

大学2年生のとき、民青の夏季明け合宿で、私が講師として、学生運動史を述べることになった。私は夏休み中、資料を大量に読み込んで、必死になって勉強した。なんとかその大役は果たせたのだが、私自身の中では、「正当性」を立証できず、不満が残った。今から思えば、それは当然のことで、当時は共産党の中でさえ、学生運動の総括ができていなかったからである。

あのとき、私が真剣に学生運動史を究め、自らの疑問を解いていれば、その後の自分の人生は大きく変わっていただろう。なお余談だが、その後、共産党学生対策部の広谷俊二氏が、党公認の学生運動史を発刊したが、その広谷氏も本も、再建全学連初代委員長の川上徹氏とともに、共産党から放逐された。

それでも私は、学生運動の中で、唯物弁証法に触れ、レーニンや毛沢東の組織論を実践的に学べたことに感謝している。また、共産主義の洗礼を受けたことにも感謝している。実業界に転身してからも、常に、「うしろめたさ」を感じていたため、性悪な人間(搾取者)へ転落しないで済んだからである。その反面、大儲けもできず、中途半端な実業家で終わったのだが。

②「我、今、何をなすべきか」

私は32歳で、小島衣料を退社し、皆川経営研究所に入った。ある実業家の先輩に紹介され、何の予備知識もなくそこに行った。皆川節夫元陸軍大尉の率いるその研究所は、経営者や経営幹部を軍隊式の合宿訓練で鍛える場所であり、私のそれまでの左翼としての思考方法や行動様式とは、正反対のものであった。だが、なぜか私は、それに強く惹かれ、所長の薫陶を受けることになった。

入社当日、すぐに私は20名ほどのクラス指導を担当させられた。そのとき、まだ私は何も教えられていなかったので、ウロウロするだけだった。すると、皆川所長から、「やれ、お前にはできる。経営の第一線で闘ってきた経験を全部吐き出せ」という一言と、鉄拳が飛んできた。

私は無我夢中で、全身全霊を打ち込んで、そのクラスを引っ張った。そのとき、クラスの全員に、皆川所長から出された問題が、「我、今、何をなすべきか」だった。だが、私は皆川所長の意図など、考えている余裕は一切なかった。睡眠時間を削り、半狂乱状態で、皆川所長に殴られ蹴られしながら、その問いと格闘し、一週間後、私はクラス全員をなんとか卒業させることができた。

その後、数年間、私はこのような鍛錬を受け続けた。そこで私が皆川所長から学んだことは、まず、「教えない教育」であった。たしかに、戦場では「わからない」ことがほとんどである。「わからない」からといって、行動を起こさねば、それは死につながる。だから、「わからない」という状態を恐れず、「我、今、何をなすべきか」を考え、前に前にと進まなければならない。

これは実業界でも同じである。この教えは、後に私が「未知の中国」に進出するときに、大きく役立った。また私は、皆川所長から恐怖統率力が、人間の持つ能力を最大限に引き出す一つの手段だということを体得した。

その他、戦国合戦史、断食、記憶術など、多くのことを学んだ。さらに、皆川所長からの指摘により、自らの持つ霊力に気付いた。だが、いずれも当節流行の科学的エビデンスで、その効果を証明できるような代物ではなかった。

③再び、「なにをなすべきか」

今、私は75歳となり、いつ死んでもおかしくない歳になってしまった。だが、私はまだ、若き日の高き志を成し遂げてはいない。その意味で、自己実現を果たしていない。それでも、私は、実業家の道を歩んできたことにより、人生のすべての行動を、自己決定して進んできた。誰からも指図されることなく、自分で決定して歩む道は、険しく厳しかった。誰にも責任転嫁することができず、すべてが自分の身に降りかかってきたからだ。しかし、運よく、それらをくぐり抜け、今に至ることができた。それは今、私に、自己実現を超える自己満足を与えてくれている。

私はその過程で、数えきれないほど多くの人に恩をうけてきたし、また迷惑をかけてきた。私はまだ、その人たちに、恩返しもしていないし、懺悔もしていない。それらの人たちの中には、すでに鬼籍に入ってしまわれた人もいる。私は今、残された力と時間を振り絞って、自己実現=若き日の高き志を達成しなければならないと考えている。そうすることが、多くの人たちに恩返しすることだと思っているからだ。

「我、今、何をなすべきか」。今年、私は、科学的エビデンスという眼鏡を外して、私なりの情勢分析を行い、発信し続けると同時に、日本国家の借金返済、海外老人ホーム開設、死の自己決定(安楽死法制定)に挑戦する。

3.私の中国観

①なぜ、中国のマンションバブルは崩壊しないのか?

この10年ほど、中国ウォッチャーの間では、「いつ、中国のマンションバブルが弾けるのか?」という問いが繰り返され続けてきた。だが、答えが出ないまま、今ではそれが、「ひょっとすると、中国のマンションバブルは弾けないのではないか?」という問いに変わりつつある。

しかし私は、「中国のマンションバブルは、必ず弾ける」と信じている。「なぜ、中国のマンションバブルは崩壊しないのか」という問いに、私は、「中国人のほとんどが、マンションバブルは弾けないと信じ込まされているから」と答える。

30数年前、私が中国で合弁会社の決算を組んだとき、合弁相手の中国人の頭には、減価償却という考えがまったくなかったことを、鮮明に覚えている。彼らには建造物や備品が経年劣化し、価値が下がるという考えがなかったのである。

その後、中国ではマンションの価格がうなぎ上りとなり、都市部では築後30年の物でも、10倍を超す価格となってきており、「建造物は老朽化・経年劣化し、価値・価格が下がる」という資本主義社会の一般常識が、どこかに吹っ飛んでしまった。

だが、昨年、深圳で高層ビルが大揺れしたことからもわかるように、都市部には築30年を超すビルやマンションも数多く、それらの老朽化が明らかになる日も遠くはないだろう。その中の数棟が倒壊ということにでもなれば、マンションバブルも崩壊するに違いない。当時の建造物には建築安全基準も定かではなく、その可能性は低くはない。

しかも、近年、恒大集団を始めとして、多くの不動産開発会社の資金難が表面化してきている。それらの会社への土地売買で地方政府が潤ってきたのであり、中国人民もそれを財源としたインフラ整備などの恩恵をこうむっており、それが政府への信頼に繋がってきたことも事実である。

しかし、ほとんどの不動産開発会社が巨額の借金を抱えていることが明らかとなってきており、さすがの「打ち出の小槌」にも、限界が見えて来た。多分、中央政府が介入し解決を図るのだろうが、手の打ち方次第で、バブル崩壊の要因となりかねない。

それでも「マンションバブルは弾けない」かもしれない。そこには中国特有の幾多の理由を上げることができる。一般に、中国人は「商の民」と言われ、「商才に長け、利に聡い」とされている。金利や株の値上がり益よりも、マンションの値上がり益の方がはるかに率がよいとなれば、中国人がマンション購入に走り、価格がバブル化することは当然の帰結であると言える。

その上、政府の一人っ子政策の結果、「適齢期の男性はマンションを持っていなければ、結婚ができない」という事情も、バブル化の大きな要因となっている。さらに、マンションを所有し、それを担保に借金して優雅な暮らしをすることが、中国人の虚栄心を満足させることにも繋がっている。

いずれにしろ、中国政府は、中国人民にマンションバブルを信じ込ませることに成功し、今のところ、自らの政権の安定化に成功している。もっとも、「上に政策あれば、下に対策あり」の中国人のことだから、彼らは、「マンションバブルを信じ込まされたフリ」をして、バブルに乗じて得た巨額の利益を、すでに上手に海外に逃がしてしまっているかもしれない。

②中国は高齢者で崩壊する

中国は日本以上の超高齢社会に突入しつつあり、やがて高齢者が中国を崩壊させるだろう。その根拠として、私は下記の諸点を上げる。

・今のところ、中国の定年は男性が60歳、女性が50~55歳であり、その年齢に達した中国人は、そのほとんどがリタイア―し年金生活に入っている。中国政府は年金制度の崩壊や労働力不足を恐れて、定年延長を提起しているが、中国人は大幅な延長に反対している。日本の高齢者の多くが、「75歳まで働きたい」と願っているのとは雲泥の差である。

・中国の高齢者には、かつての紅衛兵が多い。彼らは当時の経験をほとんど語らない。しかし彼らは、親や恩師を売り、当時の高齢者を罵倒し死に追いやったおぞましき経験を持っている。彼らがそのような経験を総懺悔しないかぎり、現役世代に「親孝行」という支援を期待することはできない。それどころか、彼らは世代間闘争の経験者であり、その再現、つまり若者の叛乱を恐れている。

・日本の高齢者の多くは、人生に満足し、日本社会に恩返しをして死んでいこうと思っている人が多い。海外で成功した人たちも、祖国に資金を持ち帰ろうとする。中国の高齢者の中には、改革開放の波に乗って大金持ちになった人もいる。しかし大半の高齢者は、小金持ちにも成れず、やがて来る「人生100年時代」を生き切る資金を蓄えていない。大金持ちの中には、すでに海外に移民し、資金を逃がした人も多いが、その資金を中国に還流させようとはしない。

・中国政府は、改革開放以後、長期間、「一人っ子」政策を続けて来た。彼らは「小皇帝」と呼ばれ、甘やかされた。今、彼らは中国社会の担い手になっているが、「小皇帝」から脱皮しておらず、いまだに「親がかり」の生活を続けている者も多い。そんな彼らに、「親孝行」を期待することは到底できない。

③中国は大国ではない

田原総一朗は近著「堂々と老いる」(毎日新聞出版)で、「中国の経済力、軍事力の強大化は、今やアメリカにとっての脅威であり、米中対立の激化は日本にとっても重大な問題である」、「危機の時代だからこそ、“本質を見抜く力”が必要だ」と書いている。

一方、エマニュエル・トッドは「老人支配国家日本の危機」(文春新書)で、「中国については、今後、世界の覇権を握り、一種の“帝国”となるといったことがしばしば言われますが、“幻想の中国”と“現実の中国”を冷静に分ける必要があります。中国を必要以上に大きく見せるのは、中国でビジネスをする欧米の財界人で、中国の未来を過大評価することに経済的利益があるからです」「中国は、いわば“砂でできた巨人”にすぎません」「そもそも“全体主義体制”の国が最終的に世界の覇権を握ることはあり得ない。一時的に効率よく機能したとしても、必ずある時点で立ち行かなくなる。やはり、人類の歴史は“人間の自由”を重んじる社会や国の方が最終的には優位に立つ、と私は考えます」と、書いている。

私は、「中国は大国でも強国でもない」と考えており、上記のトッド氏の見解に与するものである。世界的な借金大競争の中で、幾多の偶然が集積した結果、中国政府が世界中の識者や中国人民に、「大国化・強国化」を信じ込ませることに成功しただけである。裸の王様であるにもかかわらず、「大国・強国」というマントを着ているように、錯覚させることに成功しているだけである。

3.私の日本観

バブル崩壊後、30年間、日本経済は長期低迷を続けていると思われている。果たして、その見方は正しいか。
明治維新後、ひたすら富国強兵の道を進んだ日本は、偶然、日露戦争に勝利した。そのとき日本人民は、その勝利が、ロシアの自滅により与えられたものであったという内情を知らず、「勝った、勝った」と喜んだ。その激情が政府や軍部の策動とも相俟って、「弱小国」の日本人民に「強国」という意識を持たせることに成功した。それが、やがて日本人民を太平洋戦争という悲劇に突っ走らせた。敗戦後、日本人民はアメリカとの経済力の差をまざまざと見せつけられ、実は日本が「弱小国」であったという現実を理解できた。

敗戦後、日本はアメリカの占領政策に翻弄されたが、焦土と化した日本では、日本人は必死に働く以外に、生き延びる術はなかった。そこに朝鮮戦争特需が起こり、経済復興の兆しが見えた。同時に米軍の占領下で、自前の軍事費が必要なかったので、なけなしの財力をすべて経済再建に投じることができた。

日本人は安い労働力と1ドル=360円という為替を武器にして、対米輸出などに奮闘した。そのうち戦後生まれの若者たちが労働市場に参加するようになり、日本経済に人口ボーナスが加味されることとなった。まだ日本人にはハングリー精神も残っており、しかも若者たちの前には大きなパイも用意されており、それがモチベーションとなった。ベトナム戦争特需もあった。

そのような中、オイルショックが襲い、産業界は省力化・省人化・省エネルギー化に迫られた。たまたま、これが日本人の得意分野だったため、この変化を日本人は見事に乗り切り、弱電・自動車など輸出立国として成功した。その後、世界各国から円高を迫られ、バブル崩壊という事態に追い込まれたのである。

日本は弱小国である。失われた30年は、日本人に、弱小国としての日本の真の姿を認識させたのである。日本の高度成長は偶然のたまものであり、いわば日露戦争に勝った日本のようなものである。それでも高度成長期の日本には、明るさがあった。それを取り戻すためには、日本は弱小国であるという認識を保持しながら、若者たちに「未来は明るいと思わせればよい」のである。それは不可能ではない。

そのためには、まず日本国家の借金を完済することである。私が唱える「高齢者の国債購入策」など、日本人民の総知を結集すれば、完済は可能である。また高齢者の医療負担も若者と同額にし、高齢者自身が終末期医療を拒否すれば医療保険の赤字はなくなる。

また海外老人ホームを多数開設すれば高齢者介護問題も解決し、介護保険の赤字もなくなる。そうなれば、日本政府の予算は黒字となる。日本は世界の借金大競争から、いち早く抜け出すことができ、若者は明るい未来に目を輝かせることになる。科学的エビデンスよりも、そのイメージこそが大事なのである。
                                   

\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\
清話会  小島正憲氏 (㈱小島衣料オーナー )
1947年岐阜市生まれ。 同志社大学卒業後、小島衣料入社。 80年小島衣料代表取締役就任。2003年中小企業家同友会上海倶楽部副代表に就任。現代兵法経営研究会主宰。06年 中国吉林省琿春市・敦化市「経済顧問」に就任。香港美朋有限公司董事長、中小企業家同友会上海倶楽部代表、中国黒龍江省牡丹江市「経済顧問」等を歴任。中 国政府外国人専門家賞「友誼賞」、中部ニュービジネス協議会「アントレプレナー賞」受賞等国内外の表彰多数。