小島正憲氏のアジア論考
「情勢判断 その量(数字)と質」
小島正憲氏((株)小島衣料オーナー)
1.数字で「士気」は測れない
2022年2月24日、ロシア軍がウクライナに侵攻した。プーチン大統領は、数日中に首都キエフを陥落させ、ウクライナに傀儡政府を樹立すると豪語していた。たしかに、ロシア軍とウクライナ軍との圧倒的な兵力差から考えれば、それは「巨人と子どもの戦い」と言われるほどであり、プーチン大統領の自信を裏付けるには十分な数字だった。開戦当初、多くのジャーナリストや識者、メディアなども、ウクライナ政府の早期の崩壊を予測していた。
彼らの根拠は兵力差であった(ロシア軍=総兵力90万人:予備役200万人、戦闘機770機以上、戦車1万2000両、軍事費7兆1100億円。ウクライナ軍=総兵力20万人:予備役90万人、戦闘機69機、戦車2600両、軍事費6800億円)。だが、それらの想定は見事に裏切られ、ウクライナ軍はロシア軍の猛攻に耐え切り、首都キエフもウクライナ政府も健在である。
ほとんどのジャーナリストたちは、想定外の現状について、ウクライナ軍兵士の士気の高さとロシア軍の士気の低さや稚拙な戦術に求め、自らの情勢判断の誤りを糊塗しようとしている。兵力差は数字で測れるが、士気は測れなかったのである。
日本の戦国時代、織田信長は今川義元の大軍を桶狭間で打ち破った。そのとき、今川軍は2万5000の兵を率いており、迎え撃つ織田軍は2500と言われている。この兵力差から見れば、今川軍の圧勝は火を見るよりも明らかだった。だがその圧倒的な兵力差は、信長に決死の覚悟を、義元に油断をもたらした。信長は自ら馬を駆り、刃を持って陣頭に立ち、義元は輿に乗って甲冑も付けず戦場に臨んだ。信長は大雨にも助けられ、桶狭間の地で義元の首を取った。数字では測れない信長の士気と義元の油断が、この結果を生んだのである。
インパール作戦は、太平洋戦争中の日本陸軍の愚戦の最たるものと言われている。ところが、最近、『インパールの戦い―ほんとうに“愚戦”だったのか』(笠井亮平著 文春新書)という本が出版された。この本で、著者の笠井氏は、敵であった英軍の資料から、「日本では“無謀な戦い”とだけ教訓的に語られる作戦は、イギリスでは“東のスターリングラード”と称されていた」とし、日本軍にも勝利するチャンスがあったと書いている。
日本軍はシンガポールを陥落させたあと、破竹の勢いでビルマに進軍し、1942年、逃げる英印軍を追ってインドに進攻しようとしていた。しかし首脳部の意見が一致せず、それを一時断念した。まさにそのとき、英印軍の士気は、弾薬・食糧不足、医薬品の欠如などで最低であり、敵将スリム中将も敗退を覚悟していたという。2年後、日本軍はインパール進攻を始めるのだが、空軍の援護を含め、補給を万全に整え、休養十分で士気旺盛な英印軍の前に完敗し、この戦いは愚戦と称されることになったのである。
1979年、中国人民解放軍は、突如としてベトナムに侵攻した。友好国のカンボジアに侵攻したベトナムを懲罰するという理由で、30万の兵士が1500門の大砲とともに、中越国境を超えた。そのときベトナムの主力軍は、カンボジア戦線に投入されており、中越国境の守備兵は2万人ほどであった。
その兵力差から考えて、すぐに首都ハノイが陥落すると思われていた。ところが、米軍との戦いに勝利したばかりのベトナム軍の士気は旺盛であり、ソ連製の兵器で装備も充実していた。一方、中国軍は、文化大革命時に階級章などを撤廃した影響で、指揮命令系統が混乱していた。ベトナム軍は、撤退する振りをして中国軍を縦深陣地に引き込み、挟撃した。烏合の衆と化していた中国軍は、ベトナム軍の巧みな戦術に翻弄されて、各個撃破され大損害を被った。
約1か月後、ベトナム軍の主力部隊が来援するに至って、中国軍はすごすごと退散した。なお、中国内では、この大敗が隠されており、戦闘に参加して死亡した兵士や負傷兵への補償があいまいなままとなった。その後、中越戦争に参加した退役軍人などが陳情デモを繰り返したが、はかばかしい結果は得られなかったようだ。
2.中国人口の量と質
今、中国は短期間で「経済大国?」にのし上がり、有頂天になっている。だが、それもつかの間の夢、中国は超高齢社会に突入し、未曽有の事態に驚愕することになる。今章では、それを中国人口の量と質という面から迫ってみる。中国は人口大国である。だからその量の面からの分析は多い。ただし、質を分析した論文は意外に少ない。量は簡単に測れ、文章化できるからであり、質を論文化するのはきわめて難しいからである。
鄧小平は、毛沢東の自力更生路路線をかなぐり捨て、改革開放政策つまり外国企業を導入することによって、目覚ましい経済発展を成し遂げた。ただしそれは、鄧小平が多くの毛沢東の遺産を有効活用した結果でもあった。
その中の一つに、人口ボーナスがあった。鄧小平は、低賃金で豊富な労働力を売り物にして、なりふり構わず外資を導入し、瞬く間に中国を「世界の工場」に仕立て上げた。当時の中国の人口は10億人をはるかに超えており、しかもその多くは働き盛りの労働者であった。だから外資が雲霞の如く押し寄せても、労働力が枯渇することはなかった。これが、中国の授かった人口ボーナスである。
一般に、人口ボーナスは量の面のみが強調されるが、当時の中国人労働者には、基礎教育が行きわたっており、彼らはきわめて勤勉で、しかも向上心が高かった。つまり質が高かった。当時、中国に進出した外資のほとんどが、ハングリー精神旺盛な彼らの勤勉さに驚いたという報告を行っていることが、その証左である。つまり鄧小平が毛沢東から受け取った人口ボーナスは、量もさることながら、質も高く、それは数字によって示されたものより数倍の効果をもたらしたと思われる。
これは戦後日本の高度成長期における団塊の世代が果たした役割を見てもわかることである。また私は2010年代に、中国を撤退し東南・南西アジア諸国へ転進したが、そこでの体験からも、中国人労働者の質の高さを証言できる。単に人口が多いだけでは、目覚ましい経済発展を遂げることはできないのであり、多くの国々がいまだに開発途上国の域を脱しないことを見れば、それがよくわかる。
しかし、さしもの中国も、2000年初頭から人手不足となり、「一人っ子政策」の浸透も相俟って、若者たちからハングリー精神が失われ、人口ボーナスの歯車が逆回転するようになった。
一般に、高齢化の進行具合を示す言葉として、高齢化社会、高齢社会、超高齢社会という言葉がある。65歳以上の人口が、全人口に対して7%を超えると「高齢化社会」、14%を超えると「高齢社会」、21%を超えると「超高齢社会」と呼ばれる。
日本は、2010年に高齢化率23%を超え、超高齢社会に突入した。一方、中国は2018年に65歳以上の高齢者が1.67億人となり「高齢社会」へ、2030年には総人口の20.2%にあたる2億8000万人が65歳以上の高齢者となり、「超高齢社会」へと突入すると予測されている。
数字上で見れば、中国は約20年遅れで日本を追いかけていると見ることができる。だが、ここに高齢者の質を加味すると、日中の差はほとんどないとも言える。2022年から中国版「団塊の世代」の退職が本格化する。今のところ、中国では、男性が60歳、女性が50~55歳で退職し年金生活に入る人が多い。負担に耐えかねる政府は、退職年齢の引き上げを狙っているが、なかなか合意を得られていない。つまり中国の60歳代には、働く意思がなく、社会にぶら下がって生きていこうという人たちが多いということである。
逆に、日本では、働く高齢者が増えており、60歳以上の働く高齢者は10年前の1.7倍となっている。2021年4月からは、企業に70歳以上の就業機会確保が努力義務となった。さらに定年制を廃止する企業も見られ、シニア人材の技能や経験を活かす工夫もなされている。高齢者もそれに呼応して、働く意思が濃厚で、75歳まで働きたいという人が多い。
このように日中の高齢者の質には大きな開きがあり、それは数字をはるかに超えたものである。55~60歳で年金生活に入り、余生を楽しもうとしている中国人高齢者と、75歳まで働き、年金生活はその後という日本人高齢者との間には、約20年の差がある。数字上では、中国は日本より20年遅れで超高齢社会に入ると想定されているのだが、高齢者の質に注目して考えると、この差は帳消しになり、実質的には、すでに中国の超高齢社会の実態は日本を上回っているとも言える。労働人口が激減するのに、働かない人間が激増するという中国の超高齢社会は数字以上にきわめて厳しい。
世界は、2020年初頭からコロナウイルスに振り回されてきた。メディアでは、いまだに感染者や死亡者の数字が報道され続けているが、ウイルスの変質とそれの影響については、わからないままであり、その詳報はない。つまり、コロナウイルスに関しても、量は把握可能でも、質が分析できずじまいとなっているということである。
このコロナ禍の最大の被害者は中国人民であると思うのだが、あにはからんや、多くの中国人は、中国政府のゼロ・コロナ政策に自信を深め、誇りを感じ、日本のウイズ・コロナ政策の現状を恐れている。だから、今でも、在日中国人は、どんどん帰国している。私が通っている病院は、数か月前までヒマだったが、PCR検査を行うようになってから、いつも帰国予定の中国人でごった返すようになった。反対に、中国人が多く住んでいる地域にあった中国人向け食料品店が、客が減少し、2軒潰れた。
すでにコロナウイルスは質的変化を遂げ、死に直結するような感染症ではなくなっている。だが、中国政府は厳格にゼロ・コロナ政策を取り続けており、各地でロックダウンが続けられている。中国人は、その監獄のような街に、競って帰国していく。しかも彼らを待ち受けているのは、コロナだけではない。それは、コロナ禍やロシアのウクライナ侵攻などによる深刻な景気後退の結果の失業である。今、世界各地から、続々と中国人が帰国しているが、その数字はまだ発表されていない。
3.QOL
2020年の日本人の平均寿命は女性が87・74歳(世界第1位)、男性が81・64歳(世界第2位)であった。この数字から見れば、日本は文句なしの長寿大国である。ただし最近では、寿命を延ばすだけでなく、いかに健康に生活できる期間を延ばすか、つまり健康寿命に関心が高まってきており、さらにそこに、QOLという概念が付け加わってきた。QOLとはクオリティ・オブ・ライフ(Quality of Life)の略称で、「生活の質」や「人生の質」という意味であり、QOLは、生活や人生が豊かであるということの指標となる概念であり、生きがいや自己実現など精神的な満足度が重要視されるというわけである。
コロナ禍で、私は高血圧や糖尿病など基礎疾患を持つ高齢者として、ひたすら外出を自粛して自宅に籠っていた。それまで、気の向くままに国内外を転々としてきた私にとって、この2年間は監獄に閉じ込められたようなものだった。それでも、コロナ禍は、人生を振り返るための十分な時間を与えてくれた。
私の高校の同級生たちは優秀だった。私は彼らのテストの点数に、いつも圧倒され、劣等感に苛まされていた。私は勉強嫌いだったから、それは当然の結末だったのだが、私はその屈辱感を最近まで引きずってきた。だが、優秀だった同級生たちの終末期の動静が、私の心中の波を穏やかにした。彼らの中には、すでに鬼籍に入ったものもいれば、認知症で高齢者施設に居るものもいるし、想定外の不祥事に巻き込まれ、人生を棒に振ったものもいる。この期に及んで、やっと私は、暗記の天才との競争が無意味だったことを悟り、劣等感から解放された。
一方、私の心中には、「自分が本当にやりたいことは何だったのか。やりつくしたのか」などという思いが、忽然と湧き上がってきた。大学卒業後、私は学生時代に心酔していた共産主義思想を凍結して、ビジネスの世界に身を投じた。それ以来、私は油断すれば即倒産という恐怖に追いかけられ、ひたすら走ってきた。
私は、ここまで運よく事業をやり続けることができた。だが、あの恐怖を思い起こすと、二度とビジネスの世界に立ち戻りたくない。だが、経営者として、誰にも左右されず、すべてを自己決定してきたことについては、十分、満足している。それでも、自己実現はできなかった。学生時代に心酔した共産主義思想が凍結されたままだからである。
すでにビジネス界から身を引いているので、倒産の恐怖に追いかけられることはない。だから、心行くまで、思想を究められるはずである。だが、刻々と死に向かっている現在、「私に残された人生の量と質は、いかほどのものなのか。そこに如何なる物語を描けば良いのか」、まだ答えは出ていない。
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小島正憲氏 (㈱小島衣料オーナー )
1947年岐阜市生まれ。 同志社大学卒業後、小島衣料入社。 80年小島衣料代表取締役就任。2003年中小企業家同友会上海倶楽部副代表に就任。現代兵法経営研究会主宰。06年 中国吉林省琿春市・敦化市「経済顧問」に就任。香港美朋有限公司董事長、中小企業家同友会上海倶楽部代表、中国黒龍江省牡丹江市「経済顧問」等を歴任。中 国政府外国人専門家賞「友誼賞」、中部ニュービジネス協議会「アントレプレナー賞」受賞等国内外の表彰多数。