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「令和4年のみたままつり」(日比恆明)

【特別リポート】
「令和4年のみたままつり」

日比恆明氏(弁理士)

令和4年7月15日に靖國神社の「みたままつり」に出掛け、境内で見聞したことを報告します。
 
2月に勃発したロシアによるウクライナ侵攻(これをウクライナ戦争と呼ぶのか未だ定義されていないようです)はもう5か月も続いています。現在、戦死者は4万6千人、避難民は1千7百万人、ウクライナからロシアに強制移住された人数は50万人と推測され、とてつもない人数となっています。短期間でこれだけの人的被害が発生したのは大変なことですが、戦闘が何時収束するのか見通しがつきません。

戦争の初期では、テレビニュースのトップに取り上げられて報道されていましたが、戦闘が常態化したことからニュース番組では2番、3番の下位の順番になってきています。ウクライナ侵攻の他に大きな事件が続々と発生し、人々の関心が薄れてきたからです。

現実には戦争は未だ継続しており、戦地が東欧にも拡大するかもしれず、世界は全く予断を許さない情勢です。しかし、人々の関心事は戦争そのものよりも、戦争によって発生した物価高に移っているようです。物価高を静めるためには、戦争を終結させることが先ではないかと考えられます。


                   写真1

現在、国内で一番関心のあるニュースは、安倍普三元総理大臣の殺害でしょう。まさか、日本で銃撃により要人が殺害される、とは誰も想定していなかったからです。連日、ニュースでは安倍元総理大臣に関連したニュースが報道されています。安倍元総理大臣の死去により、政界が大きく変わると共に世界への影響が極めて大きいからです。

事件の真相が解明されるには相当な時間がかかると想定され、どこまで突っ込んで解明されるかも不明です。一人の政治家の死去は多方面に渡って影響を及ぼすことは間違いないでしょう。


                      写真2

例年、靖国神社では7月13日から16日の間「みたままつり」を開催していますが、一昨年(令和2年)はコロナウイルスの感染防止のため全面的に中止となりました。昨年(令和3年)は奉納献灯と懸け雪洞だけ再開し、露店の出店、奉納芸能などは中止となりました。このため、楽しみにしていた奉納歌謡ショーは鑑賞できませんでした。今年はナツメロの歌謡ショーが2年ぶりに開催されることになりました。
 
久しぶりの奉納歌謡ショーを鑑賞するため、イソイソと出かけることを考えたのですが問題が出てきました。それは新型コロナの感染者数の増加です。年初に始まったバンデミックはピークの2月1日に10万4千人(全国)の感染者数を記録してから徐々に減少し、6月になると新規感染者数は1万人を割り込んで収束に向かっていると想定されました。

しかし、7月に入ると感染者数は急激に増加し、7月14日には9万人を越えました。政府はバンデミックの第7波が発生したと宣言することになりました。悪いことに、第7波のコロナウイルスはオミクロン株BA.5という新型の変異株が主流で、この変異株は感染力が強いという悪質なものでした。

こんな状況の中で多数の参拝者が集まる靖国神社に出かけるとコロナに感染することも想定され、まさに決死の覚悟が必要となります。このため、12日に4回目のワクチン接種を行い、感染対策を万全なものにすることにしました。
 
次に問題になったのは天候のことでした。今年は6月に入ってから梅雨が無く、35度を越す猛暑日が続いていました。猛暑が終わったと思ったら今度は豪雨が続き、歌謡ショーが開催される15日は終日雨天で、午後7時には大雨になると予報されました。歌謡ショーが始まるのが午後7時なので、大雨と重なることになりそうです。
 
コロナには感染したくないし、雨には降られたくなく、靖国神社に出かけるかどうか思案のしどころでした。しかし、世間の人も同じような考察をするはずなので、参拝に出かける人は少ないはず、という推測し、私は参拝することにしました。

当日、午後4時頃に到着すると、想定していたように参拝者は少なく、写真2のように境内はガラガラでした。これならコロナに感染することはないでしょう。


                      写真3


                       写真4

さて、例年みたままつりの期間中は参道に露店が出店していますが、今年は出店は禁止されました。写真3のように、大村益次郎銅像の脇にある広場には警備のテントがあるだけで、何も有りません。

コロナ前の2018年(平成30年)に同じ角度から撮影したのが写真4です。この時は多数の露店が並び、飲食物を買い求める人達で溢れていました。夏まつりであることから、参拝者にとって露店を廻るのが楽しみの一つとなっていました。

昔から、お祭りには露店や見せ物が出るのが習慣となっており、それを専業にする露店業者が存在しています。しかし、この3年間は露店の出店が禁止され、業者の方達の収入は激減しているはずで、どのように生活されているか心配となりました。


                       写真5

例年のように参道両側には奉納された献灯が吊り下げられています。神門に向かって左側の2枠目と3枠目が国会議員、地方議員による献灯の定位置です。写真5は昨年に撮影したもので、上段2行目の2列目に安倍普三名の献灯があります。しかし、今年は安倍元総理大臣による献灯はありませんでした。もしかすると、死亡しなければ、今年も同じ位置に安倍元総理大臣による献灯があったかもしれません。
 
安倍元総理大臣が殺害されたのは7月8日で、みたままつりの開始が13日であり、5日間の時間があります。当然のように、献灯の申し込みはかなり前から開始されているので、安倍元総理大臣が献灯の申し込みをしたのは8日よりももっと前だったはずです。申し込みを受けた提灯の業者が名入れをし、吊り下げる準備をしていたはず。ところが、8日になって殺害されたことから、急遽献灯を取り止めたのではないか、と推測されます。
 
過去の撮影画像を確認したところ、2012年(平成24年)までは安倍元総理大臣は毎年献灯していたようです。しかし、翌2013年(平成25年)から2020年(令和2年)までの8年間は献灯していません。これは安倍元総理大臣が第2次安倍内閣を組閣した影響からではないか、と推測されます。

2012年12月16日に第2次安倍内閣が組閣され、2020年8月18日に総理大臣を辞任しています。第2次安倍内閣が継続していた期間と献灯を中止していた期間がピッタリと一致しています。安倍元総理大臣が献灯することで、中国、韓国などから反応があることを配慮したのではないかと推測します。


                   写真6

今年の献灯で目をひくのは、足場の1枠全体を一人で献灯された方です。「第二師団第十六聨隊」が上段にあり、その下の全ての献灯に「角屋久平」の個人名が記入さていました。新潟県の新発田師団で、中国からニューギニアに転戦し、激戦の中を生還されたようです。献灯の数は百個であり相当高額な献灯ですが、聨隊の中で最後に残った本人が戦友達のために鎮魂を捧げられたようです。

境内には奉納された雪洞が懸けられていましたが、例年よりもその数は減少していました。特に相撲業界からの奉納は無く、寂しい限りです。また、政治家からの奉納も無くなっていました。

今年目立つのはイラスト、漫画により奉納で、左上は漫画家の「さらみりほ」、左右は漫画家の「西原理恵子」、左中段は漫画家の「小林拓己」、右中段は「デヴィ スカルノ」、左下は漫画家の「佐佐木あつし」、右下はイラストレーターの「わたせせいぞう」となっています。いわゆる「揮毫」とは墨で筆書きするのが本筋なのですが、最近は漫画で描かれた奉納の懸け雪洞が増殖しているようです。筆で描くのですから同じと言えば同じかもしれませんが。参拝者に若者が増えてきたことから、若者に馴染み易い漫画を増やしているのかもしれません。


               写真7

この日は夕刻から大雨が予想されたため、神社では奉納歌謡ショーの観客のためにテントを準備してくれました。予報された通り、歌謡ショーが始まると大雨となり、テントに叩きつける雨音が激しくなりました。大雨が予想されたため、観客の人数はテントに入って雨露をしのぐことができた数十人程度となりました。例年ならば3百人以上が集まるはずですが、極めて少人数となりました。


                       写真8


                       写真9

今年の歌謡ショーの出演者は、右から合田道人、松原のぶえ、宮路オサム、田辺靖雄、三沢あけみ、原田直之、あべ静江、一条貫太となります。合田道人、田辺靖雄、原田直之、あべ静江は常連ですが、例年出演されているこまどり姉妹、九重祐三子は欠席です。最近は大物の歌手の出演が無くなり、寂しい限りです。


                       写真10

あべ静江は持ち歌の「みずいろの手紙」を唄ってくれましたが、衣装はいつも同じようなデザインのワンピースを着用されていました。体型からして、ユッタリとした衣装でないと似合わないからでしょう。


                       写真11

この日、初めて宮路オサムの出演を観ました。宮路は持ち歌の「なみだの操」を唄ってくれました。実は、私はこの歌が大好きで、タブレットに入れて時々聞いています。しかし、この日の歌唱にはいささかガックリしました。宮路の全盛期にレコーディングしたCDから聞く歌唱に比べると遙に劣るものでした。音域が狭くなって歌唱力が落ち、曲とテンポが合わないものであったからです。本人の年齢がそれなりに高齢となっていることも原因でしょうが、日頃の節制が悪いからとも考えられます。昔のような感動を与えるような歌を聞きたいものです。


                       写真12

その昔、「島のブルース」でヒットした三沢あけみも初出場となりました。結構若く見えるのですが昭和20年生まれということで驚いています。そんなに昔から出演しているとは思いませんでしたが。今年はデビュー60周年ということで、新曲の「与論島慕情」を唄ってくれました。


                     写真13
 
この日、数十人の観客のうちで20人程度は三沢あけみのファンのようで、ファンクラブから動員されて参加したようです。我々のような観客にも新曲宣伝用の団扇を配付してくれました。現在、BSで週一回の「三沢あけみのお茶会・歌謡会」という番組も持っているとのことで、歌手家業も営業するのが大変のようです。