【特別リポート】
「令和4年8月15日の靖国神社」
日比恆明氏(弁理士)
本年2月24日に始まったロシアによるウクライナへの軍事侵攻は、半年近く経過しても未だに終息が見えません。
2月、3月の頃のテレビでは、ニュース番組の最初にウクライナ問題が取り上げられていました。テレビ映像により、遠く離れた欧州での混乱状況をリアルに知得し、「これは大変なことになった。世界大戦の始まりになるか」と日本でも不安になりました。
しかし、戦闘が長引くにつれ関心が薄れていき、ニュースで取り上げられない日も出てきました。「ウクライナで戦争が続いている」と認識はしているるのですが、それはどこか別世界の出来事になってしまったようです。むしろ、ロシアによる石油・ガスの供給停止やウクライナからの小麦の輸出停止による物価高に関心が向いているようです。
しかし、欧州の歴史では、100年戦争(イギリスとフランス)、30年戦争(ドイツとデンマークとスウエーデン)などの長期の戦争があることから、現地の人達はこの戦争が長期になるのでは、と考えているのかもしれません。
この半年間での戦争による犠牲者は、ロシア軍が3万6千人、ウクライナ軍が2万5千人、民間人が5千人と推計されていますが、実態は不明です。また、隣国などへの避難民は1千3百万人、強制移住者は1百万人以上と推計されています。短期間でこれだけの被害者が出たことは第2次大戦でもなかったでしょう。
写真1
さて、ウクライナは遠い国での紛争で日本には影響が少ないと感じていたところ、8月4日になって中国軍(人民解放軍)は台湾海峡で大規模な軍事演習を開始しました。その原因は、米国のぺロシ下院議長の訪台によるものです。米台の国交が緊密となることで、台湾独立の可能性が高まることを阻止したい意思表示のようです。
この演習ではミサイルが多数発射され、その内の5発が日本の排他的経済水域に落下しました。こうなると、日本もいつ何どきにミサイルで攻撃されるか判りません。北朝鮮もミサイルを保有していることから、中国、北朝鮮からのミサイルが飛んでくることも想定しておかなければならなくなりました。
今回は沖縄の南の海上にミサイルが落下しましたが、無人島であっても日本の領土に落下した場合には世論はどのようになるでしょうか。我が身に危険が遭遇するとなれば、「戦争反対」などとは言っておられません。軍備拡張は当然のことで、徴兵制度が復活するかもしれません。
今までは、島国日本は外国から侵攻されない、と安心していましたがその期待感は薄れてきました。憲法第9条という紙に印刷した文字をお守りにしていていれば平和が続く、という神話は消え失せてしまったようです。
写真2
写真3
各年における参拝者数は下記のようになります(靖国神社調べ)。
令和元年(2019年) 4万9千人
令和2年(2020年) 2万4千人(コロナ発生による減少)
令和3年(2021年) 1万5千人(大雨による減少)
令和4年(2022年) 3万5千人
昨年は大雨による影響で参拝者数が激減していますが、今年は一昨年よりも増加しています。写真2は今年、写真3は一昨年のもので、ほぼ同じ時刻に神門から第二鳥居方向を撮影したものです。今年の参拝者の行列の最後尾は神門と第二鳥居の間に位置していますが、一昨年では最後尾は大村益次郎銅像の近くまで続いていました。目視で観察してみると、今年の参拝者は4割くらい減少していると思われます。
しかし、一昨年は参道に規制のための柵を設置し、参拝者前後に間隔を開けるように警備員が指導していたので行列が長くなったようです。今年はそのような規制が無くなり、参拝者同士が密着していました。
今年になって参拝者数が増加したのは、外出規制の緩和によるものと思われます。しかし、東京では7月上旬よりコロナウイルスの感染者が急激に増加し、8月に入ってからは東京の感染者数は毎日3万人を越しています。政府は感染拡大の第7波に入ったと公表している時期です。
第7波に突入しても参拝者が増加した理由には、コロナウイルスに対する市民の意識が甘くなったからではないかと思われます。「感染しても重症化しない」「マスクしていれば安全」という感染に対する認識が低下していったようです。
慰霊のために参拝されるのは有り難いことですが、時間差を置いて参拝されるか、前後の間隔を開けて行列され、コロナに感染しないよう自分自身を守ることが重要ではないかと思われました。
写真4
さて、今年の日本、いや、世界の大事件は7月8日に発生した安倍元首相の銃撃事件でした。現役ではないが一国の首相経験者が暗殺されたのは戦後の歴史で初めてのことで、世界の歴史でも稀なことです。
銃撃したのは、母親が旧統一協会に入信して生活に困窮した男でしたが、テロリストでもない平凡な男が事件を起こしたのも特異なことでした。事件の解明はこれから始まるのですが、政界と旧統一協会の関係がどのように報道されるか未だ不鮮明です。
安倍元首相襲撃事件が発生したため、今年の靖国神社は警戒が厳重になるのでは、と予想していましたがやはりその通りとなりました。境内の内外には制服警官、私服公安関係者が目立って多くなり、例年より5割か6割は多い人数が配備されていたと推定します。境内のどこにでも公安関係者の姿を見かけられました。奈良県の事件に刺激され、靖国神社で第二の銃撃を起こそうという人物も現れるかもしれないからです。
写真4は、参集殿の横にある通路で、国会議員、外交官、賓客などのはこの通路を自動車で通り抜け、到着殿から昇殿参拝します。例年は一般人の通行ができるのですが、今年は入口で通行禁止となっていました。
写真5
写真6
このため、参拝者が国会議員の姿を観察できる場所は、休憩所の手前にある柵で仕切られた狭い場所に限られていました。例年であれば、写真6のように、到着殿の反対側で待機し、国会議員などが参拝に訪れる姿を確認することができたのですが。十年以上前は、通路の反対側の報道席まで移動することができました。
この日に参拝した国会議員は、高市早苗、秋葉賢也、荻生田光一、小泉進次郎、古屋圭司、稲田朋美など20名でした。この内で荻生田光一、稲田朋美は旧統一協会と濃厚接触していた、と発表されています。このように警戒が厳重になったのは、第二の襲撃事件を避けるため、旧統一協会と濃厚接触した議員から保護要請があったのかもしれません。
写真7
さて、到着殿の斜め前に位置する休憩所は全面がガラス張りで、見晴らしが良いところです。屋内からガラス越しに到着殿を眺めることができるはずですが、この日、ガラスには紙が貼られ、外部を観察できないようになっていました。ガラス越しに銃撃されることを防止したようです。警備としては、ここまで厳重に対策しておかなければならないようでした。
写真8
例年、武道館で戦没者追悼式が開催される前には、現役の首相は千鳥ケ淵戦没者墓苑に献花することが習わしとなっています。例年、私は11時過ぎに千鳥ケ淵戦没者墓苑に到着し、首相が献花するのをお待ちするのが習慣となっていました。しかし、安倍元首相の襲撃事件で警備が厳しくなるのを想定し、今年は少々早めに到着しました。
予想した通り警備は例年に比べ厳重となり、参道脇にある芝生の周りには数メートル置きに制服警官が配備されていました。また、参詣者が待機できる場所も厳しく限定され、参道の両側にある芝生の外となりました。参道とは数十メートルも離れた位置で待機することになりました。
写真9
この日、千鳥ケ淵戦没者墓苑に参詣するには手荷物検査がありました。さすがに、ボデーチェックや金属探知機の使用は無かったのでが、今までなかったことです。新聞では、武道館の入場者には金属探知機によるチェックがあったそうです(読売新聞による)。
写真10
閣僚などの献花に続き、岸田首相も定刻に献花に訪れました。例年は献花台の裏側から撮影するため、首相の顔を正面から撮影できるのですが、今年は横からしか撮影できませんでした。離れた位置から撮影したので行列の様子が判りますが、公安関係者は例年の2倍の人数のようでした。
写真11
写真12
例年、正午になると境内にいる参拝者全員が黙祷します。しかし、今年は様子が違い、グループ毎にそれぞれが黙祷を行っていました。あちらのグループが黙祷すると、こちらのグループが頭を上げる、という状況で、てんでんばらばらなのです。統一性が無いのは黙祷の号令が無いからです。
例年、日本会議と英霊にこたえる会が主催して「戦没者追悼中央国民集会」が開催されてました。この集会では参道に巨大なスピーカーを設置し、正午近くになるとNHKのニュース番組をそのまま流していました。
番組では『これより正午の時報をお知らせします。ポン、ポン、ポーン。「全国の皆様、ご起立をお願いします。黙祷。」』という音声が境内全体に流れました。これを合図に境内に立つ参拝者全員が黙祷を開始し、1分後に流れる『皆様、ご着席下さい』というアナウンスで頭を上げることになっていました。
従来は、このように設置された巨大スピーカーでほぼ境内全域に黙祷の号令がかるため、参拝者は一斉に黙祷していました。しかし、コロナ禍により一昨年より国民集会が中止となり、巨大スピーカーが設置されませんでした。そのため、今年は各グループがそれぞれ時計を見ながらリーダーが号令をかける、という事態になったようです。これがグループ毎にてんでんばらばらに黙祷することになった原因でした。
さて、正午のニュース番組で黙祷のアナウンスをするのはNHKだけのようで、民放は放送していないようです。また、NHKによる黙祷のアナウンスがどのようなものであるか、ネットで検索したのですが見つかりませんでした。このため、前述した正午のアナウンスもうる覚えなので正確ではありません。
写真13
写真14
九段坂の歩道では、例年各種団体によるビラ配りがあり、夏の風物詩となってきました。コロナ禍によるためか、一昨年に比べると人数は減っており、政治からみの団体が少なくなっているように思われました。ただ、ウイグル、法輪功、台湾独立の問題に関係した海外の団体は何時ものように参加していました。
ここで気になったのは、宗教団体にからんだビラ配りでした。富士山マークでお馴染みの宗教団体では多数の信者を動員していましたが、幸福の科学、ものみの塔のグループは見かけませんでした。今年はキリスト教系や日蓮系の新興宗教を初めて見かけることができ、各宗派により活動方針が変わってきているようです。
写真15
昨年から活動しているのは、沖縄の遺骨収集の問題を取り上げている団体です。沖縄では嘉手納飛行場を移転するため、辺野古に新しい基地を建設しています。この基地建設の埋立てのために、戦跡の土砂が掘られています。戦跡では未回収の遺骨が多く眠っているので、掘削に反対しています。
今年はビラ配りよりも、アンケートを取る活動をしていました。ボードを掲げ、戦跡の土砂掘削に賛成か反対かのシールを貼ってもらっていました。この活動方法であれば、参拝者はボードの前で足を止め、一瞬考えてからシールを貼るため、問題提起を理解させ易いのではないかと考えられます。
写真16
何時ものことですが、終戦の日になるとどこからともなく変わった人達が境内に集まってきます。右側の人物は映画「男はつらいよ」の渥美清に扮した人で、本業は浅草で活動する物真似の芸人だそうです。コロナ騒動で出演する仕事が減った、とこぼしていました。
左側の女性は割烹着に「大日本国防婦人会」のたすきを掛けていました。たすきは古道具屋で購入した、とのことですが、和服、割烹着は自宅にあるものを流用しているので、コスプレするための資本はかかっていないようです。何が目的でこの恰好で神社に来たのか不明です。
写真17
参道脇の木陰ではオカリナで古い歌謡曲を演奏している男性がいました。音色を聞いて懐かしくなった人達が男性の周囲に集まり、皆で合唱していました。集まってくるのはお婆さんばかりでしたが。
写真18
さて、今年8月の上旬は連日35度の猛暑日が続き、大変な夏になると危惧していました。しかし、13日には雨が降って気温が下がり、過ごしやすくなりました。終戦の日は最高34度の気温となりましたが、湿度が低いためかそれほど暑さを感じませんでした。天候は半曇りであり、身体を突き刺すような夏独特の強烈な太陽光ではありませんでした。
参道脇の木陰では、ゆったりとした涼風に煽られ、心地良いものでした。木陰では時間の流れを忘れ、幸せを感じさせられました。平和な雰囲気を肌で感じることができました。
しかし、この平和を何時まで維持できるのだろうか、という疑問も湧いてきます。何かのきっかけで極東地域に衝突が始まれば、このような平和も一瞬で消滅するでしょう。そのようなことにならないよう祈っていますが、これは一市民の淡い願望かもしれません。