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追悼! 安倍晋三元総理大臣

 ある秋の日の晋三先生

安倍晋三先生と初めてお目にかかったのは2001年頃だと思う。

その後幾度となくお逢いし、様々なお話をお聞きし知らない事をご教授頂いたが私の話にも耳を傾けて熱心に聞いて頂いた姿が目に浮かぶ。私が関与する色々団体の顧問や相談役も気軽に受けて頂いた。決して人を疑わない、真っ正直な政治家であった。

政治的なことは別にして私が特に印象に残っている安倍氏との一日がある。

2008年秋(10月)麻生政権時代で安倍氏は自民党員(元総理)として活動されていた頃である。

明治維新で亡くなった先人を顕彰する「明治維新殉難者顕彰会(安倍晋三会長)」のその年の総会が安倍氏も出席され東福寺(京都)内の塔頭退耕庵で開催された。

退耕庵住職の読経で始まり厳かな法要が終わると例年墓地に墓参に行くことになっている。

この辺りは鳥羽伏見の戦いの最激戦地区で沢山の人が命を落としたところでもある。

墓地は東福寺境内を歩いて20分程の山の上にある、かなり急こう配の登坂である。

今回、担当者は安倍氏に車を用意していたが「天気も良いので歩いて行くよ」と言われスタスタと歩き始めた。10月の東福寺である、紅葉の見ごろには少し早い季節であったがその日は休日でもあり境内には多くの観光客で大変な混雑、SPや周りの人は大慌てで安倍氏の前後を固めて進み、名勝の通天橋などを通り墓地に行き無事墓参を終えたが、途中では大変な人数の観光客が安倍氏に気づいて周りに集まり騒然となる場面もあった。安倍氏はニコニコと笑顔で一人一人の差し出す手に丁寧に握手をされていたが、今思えばあの瞬間SPの方々の心配は想像以上だっただろう。

又、墓地の手前のデコボコ坂道でご高齢の方が小石に躓きぐらついた時に近くにいた安倍氏は

咄嗟にその方の手を引っ張り未然に転倒を防いだように機転のきく人でもあった。

墓参を終え退耕庵に戻り、大広間で食事会が始まった。

(注・退耕庵は戦国時代、関ケ原の戦いの前、安国寺恵瓊と石田三成が反徳川を企てた寺として有名でその密議の部屋が残っている)

60名程が大座敷の部屋に車座に敷いた座布団に胡坐で座りその一人一人の前に折詰弁当と日本酒瓶(2合)が用意され食事が始まった。中央には会長の安倍晋三氏が座り私は丁度安倍氏の真向かいに座っていた。食事が始まると各々が安倍氏の前に挨拶に行く、そのたびに安倍氏は酒瓶の栓(ネジ式を捻って開閉)を開け酌し注ぎ終わると又栓を閉め、一人が終わるたびに瓶栓を開け閉めされる姿に何という几帳面な方と思ったことが頭から離れない。

瓶栓を閉めずに席を立ち酒瓶を倒して慌てて拭きタオルを頼んだ私は赤面したものだ。

安倍氏は殆ど酒を口にされないが多くの方が挨拶に行くのでアッという間に瓶が空になりその瓶の補充を私がした事も覚えている。

沢山の人の中に気軽に飛び込む庶民的な姿勢と人を疑わない正直な心、一人一人と話し聞く優しさと真似の出来ない几帳面な性格など普段知らない安倍晋三氏と過ごした秋のⅠ日であった。

今、その安倍晋三氏の遺影が記帳台の上でニッコリ笑って私に微笑んでいる。

安倍晋三とういうリーダーのいない日本国の不安、安倍氏を惜しむ世界各国からの追悼の言葉

私個人の寂しさと無念さ、犯人への怒り、警護への不満、一部マスコミの邪悪な報道、無茶苦茶なネット書き込みなど、もう良い。私はこれからも憲法改正に進む政治家を支持したい、それは安倍氏の遺言でもあり、日本国民の為、私の為だからである。   

安倍晋三様 有難う御座いました、感謝     

合掌  安田紘一郎  2022年7月