増田辰弘が訪ねる【清話会会員企業インタビュー】第9回
徹底的にそば道を追求し続けるこだわりが成長の軸 - 久津間製粉株式会社
~絶えず立ち止まらず挑戦を続ける老舗企業~
【会社紹介】
久津間製粉株式会社
- 創業年: 明治36年
- 代表者: 代表取締役会長 久津間康允
- 車台数: 配送保冷車3t超8台、営業車12台、フォークリフト4台
- 定温恒湿倉庫: 400㎡ ・普通倉庫: 1,500㎡ ・製粉能力:月産約300t
- 従業員数 40名 資本金: 3,000万円
久津間康允会長
- 蕎麦のうまさは技術ではなく知識の差
「いつも蕎麦屋に行く度に感じるのですが、近所に常に混んでいるおいしい蕎麦屋がある。その近所にあまりお客が来ない売れない蕎麦屋がある。この店が混んでいる店に2、3度通って少しそばづくりを真似てみてそこそこの店にすることはできないのですか?」と、全国でも何社もない老舗の蕎麦粉を製造販売する久津間製粉㈱(本社:神奈川県小田原市)の久津間康允会長に尋ねると、
「これは難しい。それは技術だけではなく知識の差だからです。いくら技術を磨いても知識がなければうまいそばは作れません。技術は磨けばそこそこ光ってきます。しかし知識、これは重ねないとなりません。そもそもの素養が問題となるのです。現在、そばも機械での加工技術が高度になり、駅前の立ち食い蕎麦屋も随分おいしくなっています。
しかし手打ちのそばには足元にも及ばない。それだけそばは奥が深いのです。この奥の深さが蕎麦屋の生命線なのです。年々お客さんの舌は肥えて行く、普通の蕎麦屋のそばの味はそれほど向上しない。従って、うまい蕎麦屋にだけお客さんが集まる。この傾向は、しばらくは続かざるを得ないでしょう」
と意味深なことを語る。同社は主に関東、静岡地域の1200店の蕎麦屋さんにそば粉を供給するだけに、蕎麦屋、そばの味に対する評価の目は厳しい。
全国に蕎麦屋は1万9千店ほどあるが、同社のような蕎麦屋にそばの粉を供給する製粉会社は神奈川県内ではわずかに3社、東京都でも10社、全国でも100社程度である。長年かけて多くの企業が淘汰されて言わば勝ち残り企業である。しかも多くの製粉会社が小規模で同社のような大規模なそばの製粉会社は少ない。
- そばの産地は北海道と福島を選び抜く
さてその蕎麦屋だが、大きく藪そば系、更科系、砂場系、田舎系に分けられる。これらはそれぞれ江戸時代の老舗の名前から来ている。藪そばは江戸の根津の団子坂にあった蕎麦屋「蔦屋」がまわりを藪に囲まれていたことが起源であり、そばの実の外側にある甘皮を適度に挽き込むため味が濃く、そばの色は緑がかっている。
更科そばは長野県の信州そばがルーツで、信州出身の清右ヱ門が麻布長坂町で始めた「信州更科そば処」が起源で、そばの実を挽いた際に、最初に出て来る一番粉と呼ばれるそばの実の中心部から採れるまっ白いそば粉のみを使用して、色のついた甘皮が混ざらないため白い高級感のある蕎麦である。
砂場そばは、大阪がルーツで大阪城築城時の資材置場だった砂場の傍にあった蕎麦屋が起源で、細く長く繋がった食感が最大の魅力である。濃い目のつゆを絡めることでしっかりとした味を感じる蕎麦である。
田舎そばは、使用するそば粉はそば殻をつけたまま製粉したものもあるため黒っぽくそばの香りが強い、あまりつゆをつけずに食べるというそばである。昔は長野県や山村でなじみ深かったが今では都会でも流行している。
これらのそばは、そば粉の製造方法が異なる。久津間製粉㈱で言えば、藪そばの粉は第1工場で低回転古式石臼製粉方式の生産ラインにより製造しており、更科そばの粉は第2工場で水冷ロール挽き製粉方式の生産ラインである。
そばが異なり、そば粉の製造方法も異なる。さきほど藪そば系、更科系、砂場系、田舎系と書いたのは、久津間会長によると、今ではほとんどが“もどき”で、この”もどき”が標準になっているからである。逆においしい蕎麦屋はこのそば学をきちんと学んでいる。まさに知識を積み重ねているからおいしいのである。
さて、久津間製粉㈱の原料のそばの調達であるが70%が国内調達、30%が中国、アメリカ、カナダなどの海外からの輸入ものである。国内産は久津間会長自身が全国を足で調べ水はけがよく、寒暖の差が激しい山間地で栽培されるそばが良質との結論を得、産地として北海道十勝と福島磐梯山を選び抜き、主力を北海道産で残りは本州各地から調達している。
- そば粉作りの5工程
そばの購入は契約栽培方式で行っており、北空知農協、幌加内農協、サロマ農協、会津農協など各地の農協と契約を交わし年間で約1500トンの製粉をこなしている。そして、時にはユーザーである蕎麦屋さんを多数引き連れて北海道や福島の現地を訪れ、生産者との交流の仲立ちをするのも同社の大きな役割である。
しかし、この契約栽培の契約書には不思議なことに単価が書いていない。ミスをしたわけではなく事前に決められないから書けないのである。荒れ地を好むそばの花は生命力が強くすぐに弾けてしまう。そばは今日までは豊作、明日には大凶作なんてことが普通にあるため単価が決められない。だから、契約した農協ではそばは下から実をつけてゆくので、花が8~9分咲きのころ刈り取ってしまう。危なくてとても完熟まで待てないのである。
次は、このようにして、各農協から送られたそば粉の製造であるが、まず第1工程は、玄そばの中の爽雑物除去及び玄そばそのものの精選作業である。この過程で10%は除去される。まず余分なものを取り除かねばおいしいおそばは作れない。第2工程は、その精選された玄そばから殻を除去してそば粉になるそばのヌキ実を取り出す脱皮作業である。
第3工程は、先ほど述べた製粉工程で藪そばの粉は通気性のある石臼による低回転古式石臼製粉方式の生産ラインと更科そば用の最新鋭の水冷ロール挽き製粉方式の生産ラインである。現在年間1500トンの生産のうち90%の1350トンが藪そば用の粉、10%の150トンが更科そば用の粉である。
第4工程は、自動計量器を使用することにより人手を介さずに包装を行う。衛生的かつ正確、敏速に計量を行っている。
第5工程は、製造したそば粉を低温及び定温恒湿倉庫による出荷までの保管である。玄そばや製品の鮮度を保ち品質の劣化を防止するため万全の措置を取っている。驚くのはこれらのそばの粉の製造から保管まで基本的に完全な自動化、オートメーション化がされていることだ。
(水冷ロール挽き製粉方式の生産ライン)
(低回転古式石臼製粉方式の生産ライン)
- 創業以来変わらない攻めの営業
次に久津間製粉㈱の営業であるが、これがすごいのひと言に尽きる。普通これだけの老舗企業で競争相手は神奈川県内に2社、東京に10社程度しかない。それも同社ほどの規模の大きな会社は多くはない。長年かけて多くの企業が淘汰されてきたのである。
普通だと太子然としていて蕎麦屋さんから注文を受け宅急便で送付するのが普通だと思うのだが、久津間会長は「営業には絶対に手を抜かない。市場は現場を見てこそ初めて掴める。それに、電話を受けて商品を宅急便で送っているようだと必ず奢りが出て来る。それは会社が転げ落ちる始まりになりかねない」と語る。
確かに同社の製品のそば粉のうち宅急便対応は全体の15%に過ぎない。これは同社のネットでの対応と関西や九州など遠隔地の蕎麦屋さんへの送付分である。後は8人の営業部の社員がライトバンで、同様に8人の配送専門員が保冷3トン超トラックで毎日、直接ユーザーである蕎麦屋さんをくまなく回っている。
横浜に営業所を置いており、こちらは神奈川県の東部と東京都、千葉県、埼玉県を担当する。本社の営業は神奈川県の西部と静岡県を担当する。概ねのユーザー数は1200店で、そのうち本社対応分が900店、横浜営業所対応分が300店となる。基本は本社対応であるが、事故や遠隔地などの対応のため横浜営業所を在庫保管場所を兼ねて置いている。
「コロナ過で売上げはどうですか」と伺うと、「確かにこの時代だから伸びているとは言えない。しかし年商14億円のベースはそれほどは変わらない。それは日本の社会の高齢化が進み全体の外食の需要は減っていても高齢者好みの蕎麦屋の需要はそれほど落ちてはいないのです。
特に売れている蕎麦屋はほとんど仕入れ量の変わらない店が多い。なかにはこの時期に仕入れ量を増やしている店さえあります」と答えていただいた。確かに、これからの少子高齢化社会は本格的な蕎麦屋の時代とも言える。
このほかに関西や九州など全国の蕎麦屋とわずかだがシンガポール、タイ、フランス、バンクーバー、中国、台湾などへ輸出もしておりこれが全体の5%、そして楽天などのネット販売が1%程度である。
- 来年には冷凍麺工場を操業
そのほかにもそば粉とともに生産委託を通じてうどんなどの原料の小麦粉澱粉、食用油、米、餅、砂糖、乾麺などの関連商品、そしてそばおこし、そばボーロ、そばかりんとうなどおそば関連菓子各種も販売している。
「そばの世界でも次第に近代戦となりつつある。今の営業方式を更に強化しつつも毎年東京ビッグサイトで開催される『麺産業展』への出展で圏域外の店や海外の店への輸出を増やして行きたい。また、これまでネット販売は弱かった。これからはこの分野にも力を入れて行かねばならない」と久津間会長は語る。
久津間製粉㈱は、1903年に久津間会長の祖父久津間経五郎氏が雑穀商として創業した。創業当初は近くの坊所川の水で水車を動かして米や雑穀を挽いていた。その後そば粉の製造販売に特化することになる。
この水車は関東大震災で倒壊するが、息子の2代目・靖社長の奥さんのスミエさんの実家が石屋、この石職人を利用してどこよりも早く復旧させたおかげでこれをきっかけに事業躍進のチャンスを掴むことになる。
創業より約120年現在の久津間会長が3代目にあたるが、本当に山あり、谷ありであったが共通して言えるのはいつの時代も守りではなく前に出て戦っていることである。常に新しい課題を見つけ出し挑戦している。これが100年以上止まることなく続いているのだから余程事業家の血筋なのであろう。
来年はついに蕎麦の製粉業から離れ新たに冷凍麺工場を操業させる。本格的な麺業への進出である。冷凍麺につゆを入れて売るやり方を考えており、釜に入っている時間が20秒くらい、現在の蕎麦屋さんで2分から3分であるから相当なイノベーションである。
現在の蕎麦屋の経営は人手不足と後継者難で事業の継続が難しくなっている。そこで早く楽に作れる冷凍麺を提供し、街の蕎麦屋の経営に役立ててもらおうとする試みである。総工費1億5千万円をかけて現在建設工事中である。
◆横浜の誇る蕎麦屋の名店「利久庵」
横浜の関内にある名店「利久庵」を久津間会長に尋ねると、「あの店はほかにはない破格の店」という評価をいただいた。この話をお聞きして私が30年間通い詰めている蕎麦屋さんという意味がやっと理解できた。
その破格の第1は、新商品の開発である。全国どこに出かけても蕎麦屋に入るが、基本的にどこも保守的、伝統的な運営である。その典型的なものがメニューである。ざるそば、天ぷらそば、力そば、けんちんそば、かつ丼、親子丼と目を閉じても言えるぐらいワンパターンである。蕎麦屋は簡単にメニューなどいじってはいけないと思っているかのような頑迷さがある。
ところがこの利久庵のメニューが実に豊富でいろいろな選択ができる。私はこれも長年「冷やし上利久」一筋なのだが、このおそばは冷やしそばの上に季節の野菜と果物が多数のっている。今だとスイカ、メロン、サクランボ、ナス、キュウリなどが彩鮮やかに乗っている。同じ「冷やし上利久」を頼んでいるが、行く度に中身が異なる。ほかの普通の蕎麦屋さんでは考えられないことをやっている。
第2は、毎日11時から午後3時までランチサービスであるが、これには小鉢のご飯が付いている。これもその日によりお赤飯であったり、混ぜご飯であったり、おこわであったりと変化する。おかげでこのランチタイム開店の11時前にはもうお客さんが店の前にならんでいる。毎日満席であるから店員さんも心得ていて待合席を多数用意している。あれだけ待合席を用意した店を他には見たことがない。
第3は、これは常連さんだけだと思うがそばの食べ方を教えてくれることだ。そばの味わい方、食べる手順、私も先代の社長さんからは随分とそば学を教わった。おそらくこの利久庵私の様な固定客で7割は行くと思われる。なにしろ普通だと満席で入れないからだ。まさか待ってまでそばを食べたい人は少ない。従ってリピーターの割合が多くなる。しかし、人生を通して付き合い、親しみ、味わって行く店というのはまさにおそばのだいご味である。
増田辰弘(ますだ・たつひろ)
『先見経済』特別編集委員
1947年島根県出身。法政大学法学部卒業後、神奈川県庁で中小企業のアジア進出の支援業務を行う。産能大学経営学部教授、法政大学大学院客員教授、法政大学経営革新フォーラム事務局長、東海学園大学大学院非常勤講師等を経てアジアビジネス探索者として活躍。第1次アジア投資ブーム以降、現在までの30年間で取材企業数は1,600社超。都内で経営者向け「アジアビジネス探索セミナー」を開催。著書多数。