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第15回「釣り具の総合商社が 急成長する秘密」㈱ツネミ (増田辰弘)

増田辰弘が訪ねる【清話会会員企業インタビュー】第15回

 釣り具の総合商社が急成長する秘密-㈱ツネミ

 ~「過去という名の改札口」を抜けた老舗企業~

【会社紹介】
株式会社ツネミ
創 業:昭和18 年6 月 / 西暦1943 年6月
設 立:昭和28 年7 月 / 西暦1953 年7月
代表者: 代表取締役社長 常見英彦
事業内容:内外釣用品卸売業
資本金: 2,000 万円
従 業 員: 96名(令和5年3 月1日現在)


                                                              常見英彦社長

 

経営改革で売上げが3倍
 30年間の長きに渡り長期の日本経済、日本企業が停滞するなかで、既存の業種で会社を成長させるのは相当に難しい。それは、企業活力が落ちて来ている上に少子高齢化で国内マケーケ
ットが縮小しているのと新興国の追上げがあるからだ。
 そんな経営環境のなかで釣り具という既存業種でありながらこのところ飛躍的に業績を伸ばして来ている㈱ツネミ(本社東京都江東区、常見英彦社長)の後を追いかけて見るとこれから
の企業運営のヒントが窺える。
 同社は昔風に言えば釣り具の卸商である。こういう表現をしたのも最近同社の事業内容がデジタル化、グローバル化でビジネス内容が大きく変容しているからだ。基本的には全国約50
0社のメーカーが製造する釣り具を全国約1000超の小売店を通じて約1000万人の釣り人へ釣り具を送り届ける仕事を生業としているが、その業態が大きく変わりつつある。
 常見社長は、2000年の社長就任以来多くの経営改革を行い、売上高を年商120億円へと3倍にさせているが、その要因を大きく5つ挙げることができる。それは、(1)社内体制
の整備、(2)営業力の強化、(3)オリジナルブランドの展開、(4)デジタル化、(5)グローバル化である。これらを実に的確に打って来たと言って良い。
 まず、第1の社内体制の整備であるが、これは何と言っても本社機能の移転である。同社の本社は、以前は台東区東上野にあった。敷地が狭いため建て増し、隣接地のビルの活用など1
号館、2号館、3号館とタコ足構造であった。そして、このことにより物流面に課題があり、何よりも地震など自然災害の心配が大きかった。耐震構造の建物でない上に多くの社員が分散
配置していて、面積が狭いものだから階段や廊下に荷物が常時置いてある。こんな状態で社員が守れるのか。2008年にBCP(事業継続計画)を策定する上で、常見社長の頭の中には
常にこのことがあった。
 そこで約2年間、社員が通勤できる距離で本社に適当な場所を都内から近隣他県まで物色した。探し当てたのが現在の江東区平野の本社ビルである。これが5階建てのちょうどよいビル
の大きさで場所的にも規模的にも、資金的にも好都合な物件であった。
 老舗企業の本社移転というと土地を購入し新社屋を建設したくなるのが人情であるが、これは格好こそ良いもののコストと時間、手間がかかる。適当な中古物件が一番効率的である。こ
のことで何よりも改善したのが物流である。160万点にも及ぶ釣り具をデジタル化し、1階の配送センターから入出庫する形は以前のタコ足ビルではとても考えられなかった。


  1 階では配送業者がすぐに入って来られるよう発送準備がされている。

抜群の効果を発揮した本社の移転
 これで常見社長の長年の懸念であった地震対策も解決した。と言うよりも同社の本社移転を待っていたかのように新社屋移転の翌年に東日本大震災が起きたのだ。同社はほとんど被害が
出なかった。本当にタイミングの良い本社移転であり、あのまま東上野にいたらどうなっていたのか。思い出すだけでもぞっ
とするそうである。
 ただ、反省すべき点もある。東日本大震災が起きた時12人の社員が自宅に帰ることができなかった。会社に泊まることになったのだが宿泊設備がない。そこで同社では当時の社員・パー
ト全員分の食糧のみならず寝袋を後日確保した。
 第2は営業力の強化である。同社の営業チームには現在32が在籍している。基本的には小売店、量販店への定期巡回による情報提供と新製品の紹介であるが、小売店の数は他業種と同
様に後継者不足や販売形態の多様化に伴い全盛期の半分程度に減っている。これまでも後継者育成の勉強会や様々な情報交換のセミナーなども開催してきた。最終消費者である釣り人はネッ
ト化でどんどん情報通になっている。小売店、量販店にこの流れに遅れないようにタイムリーな情報提供を行うと共に、営業を支えるアシスタントが細かな顧客サービスを実践している。
 第3はオリジナルブランドの展開である。同社は、エクリプス(ソルト)、エンジン(バス)、ディスプラウト(トラウト)という3つのブランドを持っている。今から50年以上前、まだ日本にルアーフィッシングという概念がない時代に、海外のルアーブランドを輸入し、以来パイオニアとして国内外のルアーを販売してきた同社だが、自社で企画開発した商品がなかったこ
ともあり、2006年から本格的にオリジナルブランドの展開をスタートさせた。商品開発に当たっては専任の開発担当者だけではなく、釣りに精通した社員や外部スタッフからもアイデ
ィアを募っている。というのも同社には釣りが大好きで入社した社員が少なくないので、彼らの力を生かそうとするわけである。
 第4はデジタル化である。同社はいち早くデジタル化に取り組み、現在デジタル部門には20名の社員がおり、ネット販売業者や小売店のネット販売部門に商品登録情報など多くのデータ
提供をしている。様々な業種に浸透しているネット販売の時代を反映し年々売り上げが増加している。
 第5は輸出である。同社は元々ルアー商品を欧米から輸入し、販売してきた経緯があり、最近ではイギリスからカープフィッシング(鯉釣り)用品の輸入なども手掛けているが、ここ
数年はその品質の高さが世界で認められる日本の釣り用品の輸出に力を入れている。この輸出部門は中国人社員を採用して以来売り上げが急拡大しており、輸出先は中華圏を含めたアジア
80%、欧州、アメリカが各々10%の内訳である。


倉庫には100 万個の商品が整然と並ぶ。
棚同士は連結され、揺れても倒れないようになっている。

注目されるネット販売と輸出プロジェクト
 多くの老舗企業を追いかけてみると、事業の継続、持続性という意味ではどの企業も目を見張るものがあるが、デジタル化、グローバル化、新分野の進出については多くの企業がどう見て
も消極的になってくる。
 これはある意味ではやむを得ないことでもある。先代から長く企業を守りながら成長させてきたから企業運営はどうしても保守的になる。攻めよりも守りの姿勢が基盤となるからだ。や
はり長年の企業経営の蓄積された癖のようなものなのであろう。
 ところが㈱ツネミは、いや正確には常見社長は、この老舗企業が陥りやすい「過去という名の改札口」を抜けている。老舗企業であるにもかかわらず新しいことに常に前向きにチャレン
ジしている。それもあまり費用をかけない、リスクが多くないやり方を選びながら抜けている。
 例えば輸出であるが、中国人社員を雇い彼らが中心となって輸出業務をやっている。確かに、中国で商品を売るというのはマーケットが大きいから行けるのではないかと思うが、実は大変
である。しかし、中国人ならば独自の販売ルートを知っている。この中国マーケットを軸に韓国、ASEAN各国などに延ばして行くやり方は極めて手堅く、今後も着実に伸ばして行くものと思われる。
 次がネット販売であるが、もちろん卸業なので一般の消費者に売っているわけではない。多くのネット販売会社や小売店のネット販売部門に売っている。
 同社を見学していると卸商というよりは釣具の総合物流拠点、デジタル拠点を見る思いがする。約6万アイテムの在庫や160万点に及ぶ登録商品が体系的に管理され、選定され、配送される。これらのことは東日本大震災の前年2010年に今の社屋へ移転したことで可能になった。
 こういう芸当を軽くやってのけながら、常見社長はひとつひとつを実に淡々とこなしている。創業80年になる㈱ツネミの三代目としてその重責は常々感じていると思われるが、それを振り
払うかのように常に新たな分野、試みを窺う姿勢はほかの老舗企業にも充分に参考になり得る。

二人の先代社長の後姿から学ぶ
 ここに黄色い表紙の『折々に学ぶ』と言う1冊の本がある。著者は㈱ツネミの創業者・常見保彦氏が業界紙『釣具界』に連載したものをとりまとめた冊子である。多くの人の提言や格言
をとりまとめたものでなかなか味わい深い本である。内容が意味深くなかなか読ませる。創業者は事業だけでなく文才もあったことが良く分かる。   
 この創業者の保彦氏は、家が貧しく幼くして神田の釣具の卸問屋に丁稚奉公に出される。しかし、ここでの仕事ぶりが評価され、のれん分けのかたちで30歳の時に台東区の竜泉寺町に釣
具卸売業「不二屋常見商店」を創業したのが同社のスタートである。
 その後㈱ツネミと社名を変え企業として大きく成長させるとともに、根っから社交的であったこともあり、同氏は全日本釣具卸組合理事長、(財)日本釣振興会専務理事、東京釣用品協
同組合理事長、IGFAの釣り殿堂入りなど日本の釣り業界の顔役にもなって行く、まさにこの業界では押しも押されぬ立志伝中の人物である。
 しかし、保彦氏には子供がいなかった。そこで常見社長の母に当たる、保彦氏の姪を養女に貰い彼女と結婚したのが二代目の常美社長である。常美社長は専務時代から長く保彦氏を支え、
1985年に社長に就任した。ただ性格面もあろうが、偉大な創業者のもとで社長業をやるのはなかなかきつかったようである。早く息子の英彦社長に引き継がせたい。釣り業界を卒業し
たい。こんな意向が強かったようである。
 この気持ちは大変良く分かる。事業の継承は実の親子でも大変なのに、まして血縁がないのだから、その心の労苦は大変だったと思われる。偉大な創業者の後の二代目という役回りも厳し
いものである。
 常見社長のすごいところは、この創業者である祖父と二代目の父親を良く見ていることである。そして、2人の良いところを受け継ぎ、良くないところは引き継がない。この作業が大変見事である。
 すなわち、常見社長が、守りが主体の老舗企業から一皮も二皮もむけた攻めの老舗企業に転進できたのは、まったく立場、思考法、人生観の異なる創業者と二代目の2人の社長の生き様
をよく観察して来たことにほかならない。


自社製品も多数、並んでいる。

釣具の総合商社
 ㈱ツネミは次なる時代に向けて新たな動きをし始めている。
 ひとつは釣り場の運営である。釣具の卸商の企業が釣り場の運営を行うのはある意味、新分野への進出である。常見社長は、「これからの時代は卸商といえども釣りの現場がどうなってい
るのか。現場ではどういうニーズが増えているのかを直接探ることは大事である。それに社員にも釣り好きの人間は多い。これらをうまく結びつけることによって新しいビジネスの形を考
えたい。釣り場の運営は当社の理念でもある、一人でも多くの方々に釣りの素晴らしさ、楽しさを知っていただくことにも繋がる」と語る。常に先を読む経営を行う姿勢は多くの老舗企業
にも参考になる話ではないのか。
 同社の今後の経営課題は組織力の強化と良い人材の確保である。このために新たな人事採用制度を作り、これまでのやり方にかかわらず改革していく考えだ。会社で働くメンバーが心身
ともに健康でやりがいを持てる職場づくりのために7年前より導入した健康経営にもさらに力を入れていく。
 ㈱ツネミはグローバル化、デジタル化、環境問題など取り組むべき課題が増えてくる中、その度に新たなビジネス種を探し出し、文字通り釣具の総合商社となってきた。
 四方を海に囲まれた日本は世界でも有数の釣り大国であるが、創業者の「世界で冠たる釣り天国を作りたい」という想いを形にするべく、これからも㈱ツネミは事業の永続を図ると共に、
釣り界の発展に寄与していくに違いない。

会社のある町の景色―江戸の匂いのする街:深川界隈
 東京都内で江戸の香りがする街はどこなのか。日本橋、神田、浅草いろいろあげられるが、都市化、近代化とともにどこの街も江戸には不釣合いな建物が出現し出した。この江戸の街に一
番不純物が入らない街は㈱ツネミの本社のある深川の街ではないか。それはまず高層の建物が少ない。チェーン店の店の数が少なく昔ながらの店が多い。深川江戸資料館、芭蕉記念館、清
澄庭園など江戸に関連する施設が多い。
 特にそれに厚みをつけているのが家並である。本格的なアーバンデザインをしているわけではないのにあちこちにある長屋風の家並みがなんともなく江戸の雰囲気をかもし出している。
 そして、何よりも分からないのは喫茶店、カフェとレストランの多さだ。ともかく路地をまたぐごとに多くの店がある。それも昔ながらの江戸情緒たっぷりの店から外資系の有名な店ま
で実に多様である。これは確実に地元に住む人の需要ではなく、この江戸の街の雰囲気を味わいに来る人たちへの需要である。
 深川の街は、最寄の鉄道の駅で言えば、地下鉄の営団半蔵門線と都営大江戸線の清澄白河駅と都営新宿線、大江戸線の森下駅である。小名木川、仙台堀川の水辺に親しみながら数多くの
公園、寺、史跡が配置されている。
 そのなかでもメインの施設となるのは、深川江戸資料館である。この資料館は、江戸時代末期(天保年間)の深川佐賀町の町並みを実物大で実現している。1日の移り変わりを音と光で演
出し、季節ごとに展示内容を変えている。また、小劇場があり、ここでは新内流し、江戸小歌、義太夫、落語、江戸演劇などが年間を通じて開催されている。
 そして、何よりもこの施設が評価できるのは規模がそれほど大きくないことである。急げば15分程度で見られる。気軽に入れてさっと江戸の町並みが見られる。後はじっくりと深川の街
歩き、深川の街は半日観光の格好の場所である。